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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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●5 探検者狩り








 僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』と、ヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』との合同エクスプロールは、日に日に注目の度を増しながら、連日に渡って繰り広げられた。


 一日につき、一つのルーム。


 それが今回設定した、僕たちの目標である。


 一回目のエクスプロールからわかっていたことだが、やはり元『開かずの階層』こと第一一一階層のルームは、どこもかしこもゲートキーパー級がゴロゴロと現れる。


 通常、上層を開放するために挑戦するセキュリティルームでのゲートキーパー戦ですら、場合によっては一年に一回ペースで行われるというのに。


 ましてや、普通なら一つの部屋につき、ゲートキーパーが一体。例外はキリ番階層ぐらいなもので、その場合でも三体のゲートキーパーが最大だったのである。


 しかし、今回のエクスプロールに関しては、そんな前例など何の役にも立たない。


 規格外イレギュラー


 この第一一一階層を一言で表せば、そんな単語になるだろう。


 なるほど、規格外にして常識外にして範疇外にして埒外なのも当然だ。


 なにせここは、この階層は、僕の持つミドガルズオルムのコンポーネントがなければ、どこにも行けない仕様になっているのだから。


 これは例の仮想空間での戦いの直後、本来の姿を取り戻した第一一一階層をカレルさん率いる『NPK』のパーティーが軽く偵察して、判明した事実である。


 この階層に十三個あるルームの各出入り口には、ルナティック・バベルでは珍しく認証システムが導入されており、その時点では誰が試してもエラーメッセージを吐き出すだけで、すぐに行き詰ってしまったという。


 仮想空間を乗り換えた者のみが入れる個人認証システムかと思われたが、実際の条件はさらに厳しかった。


 先述の通りだが、試行錯誤の結果、どうやら認証キーは仮想空間のフロアマスターであった大竜〝ミドガルズオルム〟のコンポーネントであることが判明したのである。


 これは、僕だけではなく、試しにハヌやロゼさんにもコンポーネントを渡して検証してみた結果である。


 この事態に対し、かつて仮想空間を『隠しステージ』と称したフリムはこうコメントしている。


「なるほどね、そりゃ『隠しステージ』の次は『ボーナスステージ』よね、もちろん! ここまで厳重に封印されてるってことは、間違いなくとんでもないお宝がザックザクよハルト! 気合入れなさい! あ、武器防具に使えそうなアーティファクトが見つかった時はまずアタシね! アタシに回しなさいよね! 絶対! これ絶対だから!」


 と、いかにも武具作成士クラフターらしく優先権を主張し、それはもちろんヴィリーさん達のご厚意によって正式に認められてしまっていた。


 実際、こうして本格的にエクスプロールしてみたところ、フリムの言う通りこの第一一一階層は破格の『ボーナスステージ』でもあった。


 天頂方向から俯瞰すると、六芒星を描く形で配置された十三のルーム。その全てに強力無比なゲートキーパーが配置されていたが、それだけに対価もまた凄まじかった。


 例えば、その一つがフリムが狂喜乱舞したインゴットの山。


 希少金属ばかりがこれでもかこれでもかと積み重ねられ、中にはあのエーテリニウムがあったり、他にも見たことも聞いたこともない金属が混ざっていた。


「なにこれなにこれなにこれっ!? ヤバイヤバイこれヤバイ、ほんとヤバイ、マジヤバイ! こんなのヤバすぎるわよハルト!? ど、どうしよう!? お、お師匠様にも分けてあげなくちゃいけないわよね!? ああでも色々と試したいしレイダーやサティーの強化にも使いたいしっていうかコレとかウルスラグナの問題点解決できるんじゃない!? ちょっまっもうっアタシどうしたらいいの!? 誰か教えて!?」


 古い付き合いである僕ですら戸惑ってしまうほどの、フリムの取り乱しようであった。


 僕は門外漢だから詳しいことはよくわからないけれど、どれもこれもエーテリニウム――ヴィリーさんの愛剣リヴァディーンやアシュリーさんの双曲刀サー・ベイリンの原材料――と同じぐらい希少かつ有用な金属らしく、これなら黒玄や白虎みたいな古代武具エンシェントアームズにも引けを取らないすごいものが作れるわよ、とフリムがすごい勢いで興奮していた。


 獲得物は無論、これだけではない。


 他にも、貴重な情報が収められているであろう記憶媒体。


 不思議な形をした武器らしきもの。


 どう使うのかもよくわからない機械仕掛けの道具。


 ペンダントや指輪といった装飾品。


 神秘的な水晶玉。


 エトセトラ、エトセトラ――


 どれもこれも、超がつくほどの貴重品だった。


 一般的に、エクスプローラーが追い求めるのは一攫千金の夢である。


 そういう意味では、僕達『BVJ』はエクスプローラーとしての本懐を遂げたといっても過言ではないだろう。


 どれか一つでもオークションに出せば、おそらくそれだけで一生遊んで暮らしていけるだけのお金が手に入るはずだ。


 それだけ、この『開かずの階層』で入手したものの希少性は高かった。どれをとっても、その筋の人なら垂涎もののレアアイテムばかりなのである。


 そして、今回の合同エクスプロールにおいては、回収したアーティファクトは全て僕達『BVJ』の所有物になるという約束が交わされている。


 しかしながら、僕としてはヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』と折半するのが道理だと思うし、再三そう主張もしたのだけれど、


『駄目よ、ラグ君。言ったでしょ? あなたは、私の大事な家族を救ってくれた命の恩人よ。借りっぱなしは性分ではないの。ここで確実に、完璧に、完膚なきまでに恩返しさせてもらうわ。だから、今回のエクスプロールの戦果は全てあなた達のものよ』


 と、ヴィリーさんは頑なに僕の提案を拒み、挙句には、


『〝剣嬢〟の名にかけて誓うわ。例え何が出てこようとも、発見したアーティファクトは全てあなた達に譲る。それがたとえ〝神器〟であったとしても。……この意味、わかってくれるでしょう?』


 己が剣号をかけて、しかも追い求める神器を例に出してまで、ヴィリーさんは約束してくれた。


 事情はわからないけれど、どうやらヴィリーさんとカレルさんは神器を収集している――それは何となく察していた。


 神器には十二個全てを集めると、何でも願いが叶うという伝説がある。


 そんな御伽噺など信じられるものか、と吐き捨てるのは簡単だけど、架空のものだと思っていた〝神器〟が実在することを、僕はもう知っている。


 存在しないと思っていた神器が存在するのだから、十二個集めれば願いが叶うという話も、実は本当かもしれない。


 そして、ヴィリーさんやカレルさんには、そうまでして叶いたい願いがあるのだ。多分、きっと。


 ただ、それを根掘り葉掘り聞くのは野暮な気がして、あまり深くまで踏み入ってはいない。


 けれど、ロゼさんの持つ〝超力エクセル〟すら欲している様子のヴィリーさんが、たとえこの第一一一層で〝神器〟が見つかってもそれを絶対に譲る、と断言するのだから、これはかなりのことだ。


 最終的には交渉なり何なりを経て譲って欲しいという話になるのだろうけど、この件に関してはそれだけの覚悟がある、ということなのだろう。


 そんなわけで、もはや恵まれすぎて怖いレベルではあるのだけど、今回の合同エクスプロールによる成果は全て僕達『BVJ』が受け取ることに決まっていて、また実際にそうなっていた。


 一つのルームにつき、山と積まれたアーティファクトの数々。一つ一つがどういったものなのかを確認するのに時間も手間もお金もかかるだろうけれど、もはや僕達は資産だけならトップ集団に比肩、いやもしかすると、ナンバーワンになったと言っても過言ではないかもしれない。


 ちょっと前まではルーターすら購入できなかった僕達が、まるで嘘のようだ。


 と言っても、あの様子だとフリムが新作開発や技術研究とかでドンドン浪費していきそうな気がしているのだけど……


 閑話休題。


 斯くして、僕達『ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ』とヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』は、二週間もの時間をかけて第一一一層に点在する十三のルームを攻略した。


 だけど、そう――ルナティック・バベルには、どの階層でも共通して存在する部屋がある。


 セキュリティルームだ。


 この軌道エレベーターの中央を貫く昇降シャフト。


 そこから北側へ進んだ場所に必ずと言っていいほど用意されている巨大な空間。


 他の階層ならゲートキーパーが守護し、上層のセキュリティロックを解除するための装置が置かれている重要な部屋。


 けれど、ここの上層である第一一二層のロックは、何故か第一一〇層で解除されている。


 なら、元は『開かずの階層』だったこの第一一一層のセキュリティルームでは、一体どこのロックが解除できるのだろう?


 それは、ここをエクスプロールすることになって真っ先に気になったことではあったのだけど、これまた厳重なことに、他のルームを全てクリアしないことには扉の封印が解けないよう設計されていて、仕方なく僕達は十三のルーム攻略を優先したのである。


『ま、隠しステージのあとのボーナスステージなんてそんなものよ。もったいぶってんのよ、感動を演出してやろうって。だから絶対ものすごいお宝が出てくるわよ。むしろ後のお楽しみじゃない♪』


 とはフリムの談である。とあるルームにあった希少なインゴットの山に目玉が飛び出るほど驚き、喜んでいた彼女だ。最後のセキュリティルームにかける期待もより一層なのだろう。


 というわけで、前置きが長くなってしまったが、僕達は現在、そのセキュリティルームの前にいる。


「……まさかとは思ったが、やはりこう来たか……」


 システムの封印が解かれ、僕の持つミドガルズオルムのコンポーネントを鍵として開かれた扉を見て、カレルさんが溜息を吐く。


 第一一一階層は、他の階層が純白に染まっているのとは反対に、漆黒で塗り潰されている。天井も、壁も、床も全てが黒一色。


 そんな中、巨大な両開きのスライドアが左右に分かれた空間に現れたのは――オレンジ色の輝き。


 見た瞬間に想起するのは、キリ番階層の特別セキュリティルーム。そこににある、入るのは容易いが、出るのは不可能という青白い半透明のバリアだ。


 色こそ違えど、漂う雰囲気はよく似ている。


 同時に、あの仮想空間へ落ちた際に通り抜けた、黄緑色のバリアもまた思い出される。


 あそこを通り抜けた直後、僕とフリムは底の見えない大穴へと呑み込まれていったのだ。


「ただの障壁なのか、それとも以前のように別の空間へ繋がっているのか……あるいは、全く違う何かか。それが問題ね」


 カレルさんの隣に立つヴィリーさんが、この場にいる全員の心を代弁するように言った。


 そう、前例に基づいて考えれば、特別セキュリティルームのように『一度入れば条件を満たすまで開かれない隔壁』となるのか、もしくは、またぞろ仮想空間へ飛ばされるかのどちらかである。


 だが、今回も光の色が違う。前者が青白で、後者は黄緑だったが、今目の前にあるものはオレンジなのだ。


 むしろ、【新しい何か】である可能性が高い。


 無論、ろくでもないことが起こるだろうということだけは、間違いないのだけど。


「どうします? セオリー通り、まずは斥候を入れますか?」


「いいえ、全員で突入よ」


 カレルさんが定石通りの献策をしたところ、ヴィリーさんは即断でそれを却下した。


「これまでのパターンを考えると、一度中に入ればそう簡単に出られない可能性が高いわ。この場合、戦力の逐次投入は愚策中の愚策よ。あなたなら言うまでもなくわかっているでしょ?」


 ヴィリーさんの厳しめの言葉に、カレルさんは小さく頷く。


「はい。ですが、中で待ち受ける危険は未知数です。有り体に言ってしまえば、中に入ったが最後『生きるか死ぬか』の二択になってしまいますが……」


 なおも念を押すカレルさんに、ヴィリーさんは小さく首を横に振った。


「だからと言って、ここで入らないという手はないわ。こんなところまで来て帰るのなら、それはエクスプローラー失格というものよ。ただ……」


 チラ、とヴィリーさんが肩越しに深紅の視線を向けるのは、僕らの最後方。今日も配信映像を撮影するために随行している『放送局』のスタッフである。


「彼らは連れて行けないわね。危険すぎるし、流石に守りきる自信もないわ。というか、足を引っ張られて私のあの子達に被害が出るのが嫌だわ」


「団長、声を抑えめに。聞こえます」


 ヴィリーさんの発言を、カレルさんが呆れ気味にたしなめる。


 多分、一番後ろに控えている『放送局』のスタッフにまでは届いていないだろうけれど、逆に言えば、周囲にいる僕達には丸聞こえの声量である。特にアシュリーさんを始めとする『NPK』メンバーは、それぞれに微苦笑を浮かべていた。


「ふん、何が出てこようと妾の術で消し飛ばしてくれる。自信がないのなら後ろで縮こまっておれ、女狐め……!」


「ハヌ、お願いだから落ち着いてね、ハヌ……」


 ヴィリーさんの言葉を耳にしたハヌが、フードの奥から鼻息も荒く非難する。僕は繋いでいる手を軽く引き寄せ、どうどう、となだめた。


 僕の脳裏に思い出されるのは先日のこと。例の〝恐怖の大王(メガセリオン)〟事件があった翌日、ハヌとヴィリーさんが顔を合わせた瞬間のことである。


 ハヌは、チラ、と長身のヴィリーさんを見上げるや否や、


「――〈エアリッ「うぅわぁあああああああああああああああああああああああああああっっっ!?!?!?」


 開口一番いきなり汎用攻撃術式を発動させようとしたものだから、僕は死に物狂いでハヌにしがみついて制止をかけた。


「ちょっとハヌ!? 待って待って待ってっ!? いま何しようとしたの!? いま何しようとしていたのっ!?」


 涙目で問い詰める僕に対し、深く外套のフードを被ったハヌは面倒くさそうに二色の視線を逸らし、チッ、と舌打ちをした。


「……冗談じゃ。ちと驚かせてやろうと思っての」


 嘘だった。とても冗談を言っている目には見えなかった。あれは僕が止めなければ絶対そのまま起動音声コールを言い切っていた目だった。


 だけど肝心のヴィリーさんは、そんな僕とハヌを見て、


「あら、おはよう。ラグ君に小竜姫。朝から仲が良いのね」


 などとニッコリ笑って受け流していたので、ハヌもハヌだけど、やはりヴィリーさんもヴィリーさんだと思ったものである。


 以降はこうして、聞こえるか聞こえないかの距離でブツブツと愚痴をこぼしてくれるだけになったので、何もかも台無しにするような正面衝突は起こっていない。もちろん病院前で起こったことや情報漏洩に関しては、ちゃんとヴィリーさんから正式に謝罪を受けているから、というのもあるのだろうけれど。


「ラグ君、まずは私達から中へ入るわ。通信が繋がるかどうかわからないけれど、私からの連絡がなければ十秒後にあなた達も入ってきてくれるかしら?」


 ヴィリーさんが僕達を振り返り、具体的な打ち合わせが始まった。


 さて、今日までの僕達は順風満帆だったと言ってもいいだろう。


 確かに大変ではあった。十三のルームで待ち構えていた試練は、どこか竜の大群が跋扈するあの仮想空間を連想させるほど厳しかったし、一歩間違えれば犠牲者が出ていたであろう場面は決して少なくなかった。


 それでも僕達『BVJ』と『NPK』の合同クラスタは、即席チームとは思えないほどの連帯感を発揮し、立ちはだかるゲートキーパーの群れを殲滅してきた。


 ソロのエクスプローラーの寄せ集めみたいなクラスタだった僕達が、こんなにも調子よくチームプレイが出来るものだから、思わず『これならもっと積極的にクラスタを大きくしていってもいいのでは?』と考えてしまうけど、多分それは早計だろう。


 きっとカレルさんの指示が的確だったり、事前に策定した陣形や編成の妙が際立っているだけなのだ。


 つまり――『NPK』の皆さんが上手く僕達に合わせてくれているだけ、と考えるのが妥当である。


 ちなみに、僕がヴィリーさんにキスされた件については情報漏洩なんてことがあったけれど、それについては犯人――などと呼ぶと大げさだろうか――の団員さん二人から正式な謝罪を受けているし、彼らは自発的に謹慎してこの場にはいない。おそらく、今回の合同エクスプロールにはもう参加しないのだろうと思う。


 そういうこともあって、僕らは基本的にヴィリーさんやカレルさんの提案に反対することはなく、またその理由もなかった。


 よって今回もヴィリーさんの案に頷こうとした、その時だった。




「おーっとそこまでだぜ! 〝剣嬢〟の! 〝勇者〟のよぉ!」




 突然、背後からガラガラのダミ声が轟いた。


『――!?』


 一瞬にして空気が張り詰め、その場にいる全員が戦闘態勢で振り返る。


 SBのポップでは有り得ない。今のは人間の声だった。だけど、あんな特徴のある声音の持ち主なんていただろうか――?


 振り向いた僕達の視線の先にいるのは、当たり前だけど後方に控えていた『放送局』のスタッフ。けれど、その彼らもまた、さらに後ろを振り返っていた。


 声の主が構わず突っ込んできたのだろう。次の瞬間には『放送局』のスタッフが左右に分かれ、道を空けた。


 漆黒の床をドカドカと踏み鳴らしてやってくるのは、声から想像される通りの人物だった。


 一言で言えば、野卑な人相の男。


 褐色のドレッドロックスに、濃い髭。堀の深い顔に、日焼けしたような浅黒い肌も相まって、実にガラが悪く見える。


「おうおうどけどけ、邪魔すっとぶっ殺すぞコラ!」


 いや、実際に粗野な男だった。肩を怒らせて周囲を威嚇しながら、さーっ、と距離を空けて道を譲る『放送局』スタッフの間を歩いてくる。まるで飢えた野犬のように。


 ふと、先日の〝恐怖の大王〟事件におけるハヌの姿を思い出す。あの時もこんな風に人垣が割れていったなぁ、と。


 だがハヌと大きく異なるのは、彼が引き連れている人数である。ハヌにはロゼさんだけだったのに対し、でかい態度で歩いてくる彼の後ろには、なんと百人を超える随員がいた。


「悪いが邪魔するぜぇ? 〝剣嬢〟のぉ」


 ざらつく声が、微塵も悪びれずに嘯く。ニヤニヤと笑う口元を見るに、それが社交辞令にすらなっていない、からかい文句であることは明らかだ。


「あら、あなた……」


 男の顔に見覚えがあるのか、ヴィリーさんは深紅の双眸をやや瞬かせた。


 縦にも横にも大きい、筋肉質の体躯。至る所に装甲が鋲打ちされた戦闘コートは、裾が擦り切れてボロボロになっている。手に持った剣と、腰に吊るした鞘の形を見るに、得物は二振りの舶刀カットラスだろうか。


 はっきり言って、『海賊』と呼んでも差し支えない風貌であった。


「確か……〝追剥ぎ(ハイウェイマン)〟だったかしら? グレート・ブルーゲートあたりを根城にしているっていう、あの」


 ヴィリーさんが物騒な名称を舌に載せると、男は鷹揚にうなずいた。


「ああそうさ、物知りだな〝剣嬢〟の。お初にお目にかかるぜ。ま、俺にしてみればアンタの顔なんて毎晩拝ませてもらっちゃいるんだがね。いやまぁ――首から下は別の女の身体なんだけどな! ハッハァッ!」


 下卑た笑みと共にそう言うと、背後に控えている〝追剥ぎ〟の仲間達が、どっ、と笑った。


 ――首から下は別人……? そ、それって……!?


「――うっわ……さいあくぅ……」


 いわゆる『コラージュ』を示唆する下品な冗談に、特にフリムを始めとする女性陣が露骨に眉をひそめる。一人、意味が分からずキョトンとしているのはハヌだけだ。


 ハヌがこの下品さに気付かなくてよかった――と思いつつ、僕は男の異名について脳内データベースを検索する。


 そしてヒットした知識に、人知れず戦慄した。


 ――あの人……『探検者狩り(レッドラム)』のリストに載ってる危険人物だ……!


 ひとくさり笑いの波が過ぎ去ると、ヴィリーさんから〝追剥ぎ(ハイウェイマン)〟という不名誉な名で呼ばれた男は、にっ、と歯を見せて、上機嫌に話し始めた。


「いつもなら別に名乗りゃしねぇんだが、アンタみたいな別嬪の前に出るとちっくと欲が出ちまうな。つうわけで、俺ぁハウエル、ハウエル・ロバーツだ。で、後ろの気のいい連中は俺の部下と、今回のシノギのために集まってくれた同志たちだ。よろしくな」


 舶刀を持っていない方の手で後方を指し示すと、ハウエルと名乗った男の背後に控えていた男達が『イェーイ!』と陽気に声を上げた。


 改めて見ても、すごい数だ。全員が全員エクスプローラーなのだろう。めいめい武装し、漆黒の廊下を埋め尽くしている。


 そう、軽く見ても百人を超える男たちは、通路を完全に塞いでいた。まるで、僕らの退路を断つかのように。


 いや、違う。ように、ではない。男達は間違いなく、逃げ場を封じているのだ。何故なら――


「……それで? こんなところまで大勢で押し寄せて、一体何の用かしら?」


 深紅の目を細めて、冷然とした声でヴィリーさんが問う。


 鋭い視線が向かうのは、ハウエルの後方――彼の部下たちが持つ武器の先端である。


 それが今、『放送局』のスタッフ達の喉元へ突き付けられていた。


「ああん? 見りゃわかんだろ? つか、俺の通り名を知ってるんなら察しもつくってもんだろう? ええ、〝剣嬢〟の?」


「……トンビが油揚げをさらいに来た、ということ?」


 呆れを込めた息を吐き、ヴィリーさんは気怠そうに腰に手をやった。彼女の気持ちに、僕も同調する。


 どうして今、このタイミングで――と。


 ハウエルは、にかっ、と豪快に笑う。


「ご名答。アンタらの最後の獲物を譲ってもらいに来たってわけだ。ああもちろん、平和的にな?」


「平和的、ね……」


 ほぼ丸腰のスタッフに武器を向けながら嘯いたハウエルに、もはや呆れ果てたヴィリーさんが、声の湿度を一気に落とす。


 彼――否、彼らは『探検者狩り(レッドラム)』と呼ばれる無法者中の無法者だ。


 その名の通り、『探検者狩り』は遺跡内にポップするSBセキュリティ・ボットではなく、エクスプローラーを狙って襲撃する。


 彼らは総じて対人戦闘に長けており、まずSB狩りを終えてコンポーネントを回収したエクスプローラーを襲い、無力化。それから人質を取ったり、拷問したり、あらゆる手法を用いてコンポーネントを差し出させ、用が済んだら殺害する――まさしく、言葉にするだに恐ろしい極悪非道なのである。


「ああ、そうだぜ。俺の通り名の由来は知ってるんだろ? 自分で言うのも何だが、俺ほど慈悲深い『探検者狩り』もそうはいねぇぜ?」


 大仰に両腕を開いて、ハウエルは自画自賛する。


 ヴィリーさんは腕を組み、細い息を吐いてから、


「……そうね。あなたはエクスプローラーを襲っても、よほどじゃない限り命までは奪わないことで有名だわ。襲った人間から収集したコンポーネントを受け取ると、以降は何もせずに立ち去る、変わり者の『探検者狩り』。故に、ついたあだ名が〝追剥ぎ(ハイウェイマン)〟。何のひねりもない、そのままの呼び方だけれど」


 この場の全員に周知するためだろう。ヴィリーさんは淡々とした解説のような口調で、ハウエルの素性を語った。


 パチン、とハウエルのごつい指が音を鳴らす。


「ハッハァッ! まさにその通りだぜ! だから、なぁ? 〝剣嬢〟の、平和的にいこうぜ? 俺ぁこう見えて争いは嫌いな方でな。特にお前さんみたいな別嬪とはやり合いたくない。大人しくここを譲ってくれるって言うんなら、誰にも手を出したりなんてしねぇよ。どうだい?」


 ヒュッ――と風切り音が聞こえたかと思うと、


「――ひぃっ!?」


 ハウエルのすぐ近くにいた『放送局』の人が短い悲鳴をあげる。湾曲した刃が閃き、喉元へ突き付けられたのだ。


「だが逆に……お互い相容れないって言うんなら、そりゃ流血は避けられねぇよなぁ? ええ?」


「ひっ、ひっ、ひぃっ……!」


 最悪なことに、両手を上げて喉を反らしているのは、あの帽子とサングラスを身に着けた偉い人だった。


 この場にいる『放送局』の最高責任者に刃を向けられ、


「…………」


 ヴィリーさんは硬い顔のまま、沈黙を返した。


「ああ、そういや〝勇者〟のと合同エクスプロールだったよな? もしアンタの一存で決められねぇなら――」


 じろり、と鉛色の瞳が僕を一瞥した。


「――!?」


 その瞬間、言い知れぬ感覚が背筋を駆け上がり、うなじに電流が走った。


 ――殺気? いや、違う。これはそんなに鋭いものではないし、かといって甘いものでもない。これは、この感覚は……


 まるで、そう――〝岩の巨人〟にでも見つめられているかのような……?


「――そこの〝勇者〟のと相談して決めてくれてもいいぜ。どうせルーターで繋がってんだろ? とっとと答えを出してくれ。じゃないとよ、ほら」


「ひっ!?」


「うっかり手元が狂っちまうかもしれねぇだろ?」


 クックックッ、と押し殺した声で笑いながら、右手に握った舶刀をゆらゆらと揺らす。『放送局』の偉い人の喉に触れるか触れないかの位置を、行ったり来たりする。


 こういったことを生業にしているだけあって、実に手慣れた手際だと言わざるを得ない。


『――ラグ君、小竜姫、悪いけどここは私に任せてもらえるかしら』


 早速、ルーターを介したヴィリーさんの念話がローカルネットワークに響いた。僕やハヌは思わずヴィリーさんを見てしまうけど、他の人は微動だにしない。そうしてから、しまった、と気付く。こうして視線を向けてしまったら、会話を始めたことがハウエル側にバレバレではないか。


 ヴィリーさんの申し出にすぐさま反論したのは、もちろんハヌだった。


『どうするつもりじゃ。よもや、あの愚物と交渉しようなどというのではなかろうな』


 ハヌの性格である。交渉など言語道断。たとえ血が流れようとも愚か者には報いを。そう言いたいのだろう。


 けれど。


『あら、小竜姫はやる気満々ね? でも、駄目よ。まずは人質の解放が最優先だわ。それまでは決して手を出すわけにはいかない』


 血気に逸るハヌの舌鋒を、ヴィリーさんはさらりと、しかし決然と受け流す。


『で、でも、この状況でどうやって……!?』


 思わず疑問の念が出てしまった。僕もそうだが、ハヌもロゼさんも、そしてフリムだってこんなシチュエーションは初体験だ。何が最善かなんてわかるはずもない。


『安心して。悪いようにしないわ。あの〝追剥ぎ〟が相手だったのは、不幸中の幸いね。高確率で人質の安全が確保できるわ』


 そう断言するヴィリーさんの念には確信が満ちていた。きっとすごい腹案、ないしは自信があるのだろう。もしかすると、こういった事態には慣れっこなのかもしれない。


『……わかりました。お任せします』


『ふん、ラトがよいと認めたのならば致し方ない。じゃが、豪語したからには相応の成果を見せてもらうぞ』


 僕が小さく頷くと、不承不承という感じでハヌも同意してくれた。


『ありがとう。それじゃあ、私の〝流儀〟でやらせてもらうわね』


 くす、と微笑の気配をローカルネット内に漂わせると、ヴィリーさんはカミソリのような視線をハウエルに向けた。


「――わかったわ。ここはあなた達に譲る。それでいいのでしょう?」


 石膏のように固い声で告げると、にやり、とハウエルが笑った。


「おお、恩に着るぜ〝剣嬢〟の、〝勇者〟の! 話が早いうえに頭の柔らかい連中で助かったぜ。ああそうさ、それでいい。この一番イイところだけ譲ってくれるってんなら、俺達はそれで満足なんだからよ」


 ハッハッハッ、と満足げに哄笑するハウエルに、ヴィリーさんが鋭く問いかける。


「一つだけ聞かせて。どうして今、このタイミングで出てきたの? 別に私達がこの向こうにあるアーティファクトを回収してからでも、あなた達の出番は遅くなかったと思うのだけど」


 その通りだ、と僕は内心で頷く。


 僕達のエクスプロールの成果を横取りするには、彼らの出てきたタイミングは早過ぎるのだ。


 ハウエルのような『探検者狩り』はエクスプロールの【前】ではなく、必ず【後】を狙う。これは生業の特性上、絶対の法則だ。


 労せず、そして危険を冒さずエクスプロールの成果を奪い取る――それが『探検者狩り』の目的なのだから。


 故に彼らが出てくるべきは、僕達があのオレンジのバリアの中へ乗り込み、そこに秘められているであろう財宝を持ち帰ってきた、その瞬間のはずなのだ。


 だというのに、ハウエル達は僕らがバリア内に侵入する直前に現れた。


 これでは、もしバリア内に強大な敵がいた場合、彼らはそれと対峙せねばならなくなるではないか。


 これはどういうことなのか?


「ああ? んなこたぁ決まってんだろ」


 ヴィリーさんの質問を、ハウエルは鼻で笑い飛ばした。


「今日の俺達が掠め取りに来たのはお宝だけじゃねぇんだよ。ここの、このルナティック・バベルの『開かずの階層』と呼ばれた【秘境の開拓者】、っつー栄光までもらいに来たってわけよ! そこをお前らに行かれちゃ、本当にただの追剥ぎになっちまうだろうが。ん? 何のためにこんな大人数引き連れてきたと思ってやがんだ?」


 へっ、と馬鹿にしたように唇を歪めて見せるハウエル。


 奴が下卑た発言をする度、こちら側の精神的な気温が下がっていく。ヴィリーさんを始めとした『蒼き紅炎の騎士団』メンバーはもちろんのこと、僕らの中ではハヌとフリムの全身から滲み出る冷気がより濃く、より凍えていく。ロゼさんは最初から絶対零度だけれど。


「俺ぁよ、お前らが手に入れてるお宝のレベルの高さを聞いて、長年手入れしてきたシマすら放っぽってこの空飛ぶ島まで来たんだぜ? このタイミングで割り込まねぇとよ、下手すりゃ全部お前らが持って行っちまうじゃねぇか。そんなもったいないことできるかよ。なぁ、テメェら?」


 ハウエルが背後の部下たちを煽ると、申し合わせたように全員が歓声を上げる。微塵も悪びれず、まるで祭りか何かのようなノリだ。ここまで、荒くれ者、という呼称が相応しい集団を僕は見たことがない。


「なるほど、そういうことね」


 ひとまずは納得した、とヴィリーさんが頷く。けれど、


「ただ、一つだけ言っておくわ。何をどう足掻いたところで、あなた達に〝栄誉〟はないわ。あなた達はただ、この中にある物を横からきて掻っ攫っていくだけ。誰もあなた達を勇気ある戦士として尊敬したり、英雄として崇めたりもしないわ。それだけは憶えておきなさい」


 静かだけど叩き付けるようだったヴィリーさんの言葉を、しかしハウエルはまたしても羽毛か何かのように、はっ、と軽く笑い飛ばした。


「それぐらいわかってらぁ。俺達が望んでいるのはそんな綺麗ごとで飾り付けられた、ゴテゴテの勲章じゃねぇんだよ」


 喉を火で炙ったのかと思うほど焼けたダミ声が、にわかに凄みを増した。


 ハウエルはぼさぼさのドレッドロックスを揺らし、顔をやや俯かせ、上目遣いにヴィリーさんを見据える。そして、




「俺が欲しい名誉は一つ。〝剣嬢〟の、〝勇者〟の、【テメェらを出し抜いてやった】っつー功績だけだ!」




「……!?」


 夢にも思わなかった発想に、一瞬だけ頭の中が真っ白になった。


 そんな視点が存在するだなんて、思いもしなかった。


 奴は、ハウエルは、こう言ったのだ。


 偉業をなすでもなく、栄光を掴み取るでもなく。


 既に勇名を馳せている人間を貶めて得る【名誉】があるのだ――と。


「…………」


 ただでさえ細く眇められていたヴィリーさんの双眸が、とうとう諦めたように伏せられた。


「いいわ。通りなさい。ただし、人質は無傷のままそこへ置いていくこと。それならこちらも黙って見逃してあげるわ」


 事務的なその口調は、決定的な線引きを示していた。


 これ以上は引き下がらない、なおも引けというのなら交渉は決裂する――そういう意味の宣告だった。


 だというのに、


「――へっ、嫌だ、と言ったらどうするね、〝剣嬢〟の? 一人ぐらいは保険で連れて行きたいものなんだがね?」


 ザラつく声でハウエルは混ぜ返した。


 その瞬間、カッ、とヴィリーさんの目が見開かれ、凄まじいまでの剣気が放たれた。


 ぶわっ、と目に見えない重圧が全方向へ迸り、不可視の手となってその場にいる全員の四肢を絡めとる。


『――!?』


 ハウエルの後ろでゴチャゴチャと喋っていた配下達が、喉を絞められたかのように一斉に沈黙した。


「言っておくけど、私を舐めない方が身のためよ。それに、弱いものイジメも不意打ちも嫌いだから、先に警告してあげる。人質を少しでも傷つけてみなさい。その瞬間から、あなた達は【私の敵】になるわ。私は〝剣嬢〟として、敵になった相手には一切容赦しない。いい? 誰か一人でも、傷一つでもつけようものなら、その瞬間から全てはご破算よ。それを肝に銘じておきなさい」


 ハヌのように言霊を籠めているというわけでもないのに、静まり返った空気の中、ヴィリーさんの声はよく響く。


 まるで抜身の刃がごとき、冷たく厳しい声音だった。


 この時、ヴィリーさんの深紅の瞳が光り輝いているように見えたのは、僕の錯覚だったのだろうか。


「二度は言わないわ。わかったのなら武器を下げて、とっとと行きなさい。さもなければ――」


 氷塊が擦れ合うような脅し文句は、内容とは裏腹に、ひどく冷たく響いた。




「――全員、【生きたまま焼き殺すわよ】」




 刹那、脊髄に氷柱を刺されたのかと思うほど、ゾッとした。


「――~ッ……!」


 僕に向けて言われたわけでもないのに、全身に駆け巡る戦慄が止まらなかった。


 本気の声だったのだ。


 どうしようもなく、真剣な声だった。


 確信がある。ヴィリーさんは本当にやる。ハウエルが警告を無視し、誰か一人でも、血の一滴でも奪おうものなら、ヴィリーさんは容赦なく奴ら全員を【生きたまま焼き殺す】。


 その意志がビリビリと肌に伝わってくるほど、それは気迫に満ちた声だった。


「…………」


 流石に気圧されたのだろう。いつの間にかハウエルの表情が素に戻っていた。


 しん、と静まり返る中、不意にヴィリーさんが表情を改めた。


 にっこり、と女神のような微笑を浮かべたのだ。


「さぁ、わかったのなら遠慮なく通りなさい。もちろん私の騎士道にかけて、背中を討ったりなんて真似はしないし、誰にもさせないわ」


 死神が天使に変身したようなギャップに、誰もついていけなかった。


 数秒の静寂。


 そんな間抜けな間を置いてから、ようやくハウエルは我を取り戻した。


 思い出したように眉根を寄せ、今更のように不敵な笑みを浮かべて見せる。


「……はっ、そこまで言われちゃしょうがねぇな。それにお前さんは無理に人質を取るよりは、そうやって騎士道とやらにかけて約束させた方がよほど安心だぜ。〝剣嬢〟の」


 どうにかその場を取り繕い、ハウエルは背後の部下たちに指示を飛ばす。


「おい、聞いての通りだ。人質は一切傷つけるんじゃねぇぞ。下手打っちまえば、全員〝剣嬢〟の自慢の蒼炎で焼かれてオダブツだ。気ぃつけろよ!」


 ヴィリーさんの宣告がハッタリでないことは、味方である僕ですらわかる。あまつさえ、彼らは構図としては敵対関係にある。感じ取ったヴィリーさんの【本気】は比べ物にならないだろう。


『…………』


 無言。まるで親に叱られた子供のような動きで、無法者達が『放送局』のスタッフに突き付けていた武器を下ろす。彼らの間には少し戸惑っているような、バツの悪い空気が漂っていた。


「おう、いくぜ」


 配下の者が武器を引いたことを確認すると、ハウエルは歩き出した。筋肉質で重厚な体躯から想像される通り、ごついブーツの底が重苦しい足音を立てる。


 さっきまでの陽気な雰囲気はすっかり消え、あたかもヴィリーさんに冷水を浴びせられたような形で、配下の集団はその背中へついていく。


 ズン、ズン、と象のごとき存在感を放ちながら進むハウエルが、僕のすぐ側を通った時、


「――おう、〝勇者〟の」


 いったん立ち止まり、なんとこちらに顔を向けて話しかけてきた。


「……っ!?」


 思わず咄嗟に「は、はいっ!?」と返事しかけて、そんな相手ではないことを思い出してどうにか我慢する。


 海賊めいた姿の男が僕に向ける視線は、やはり異質。攻撃的な意思が乗っているわけでもないのに、何故か胸が圧迫される。まるで、そう――巨大なクジラの目に見つめられているかのような……そんな場違い感を覚えてしまう。


「――いや、なんでもねぇ。邪魔したな、〝勇者〟の。精々、俺達を不届きものとして恨んでくれや」


 しげしげと僕のことを眺めていたかと思いきや、何かを言いかけて、しかしそれを寸前で止め、益体もないことを告げると、ハウエルは再び歩き出してしまった。


「……?」


 何か言おうとしていた――それは確かだ。妙な間があったし、目線には敵意からはほど遠いものが混ざっていたように思える。


 ――何を言おうとしていたんだ……?


 まったく心当たりがなくて、さっぱりわからない。名前は聞いたことはあったけれど、彼とは初対面だし、あちらだってそれは同じだろう。大体『〝勇者〟の』なんて呼び方は、〝勇者ベオウルフ〟という名前ですら覚えたり呼んだりするのが面倒だからこそ出てくるわけで、彼が僕に興味を持ってないのは一目瞭然である。


「――つーわけでちょっくら行ってくるぜ! 別に帰っちまってもいいが、せっかくだから戻ってきたところを撮影して配信してくれると嬉しいんだがなぁ! ハッハァッ!」


 オレンジのバリア前に立ったハウエルは、耳障りな大声でそう言い放つと、百人を超える子分を引き連れてあっさり中に入って行ってしまった。


 ゾロゾロとバリアを越えて『探検者狩り』の集団が姿を消すと、途端に静寂が舞い戻る。


『――して、どうするつもりじゃ、ヴィリー』


 きっちり五秒を数えてから、通信で口を開いたのはハヌだった。


 フードの中から厳しい視線をヴィリーさんに向け、ことの次第をただす。


『よもや、このままおめおめと、あの愚物どもの思いのままにさせるつもりではなかろうな』


 何故すぐにぶっ殺さなかったのか的なことを宣うハヌに、ヴィリーさんは間髪入れずに答える。


『そんなことはあり得ないわ、絶対に』


 まずは否定を断言してから、ヴィリーさんは説明する。


『――だけど、これは簡単な話よ、小竜姫』


 どうして彼らに道を譲ったのか、その理由を。


『ちょうどよかったじゃない。鴨が葱を背負って来たとはこのことだわ。このバリアの中の様子は未知数。絶好のタイミングで【偵察役】が現れてくれたのだから、これを利用しない手はないわ。まずはあの追剥ぎ達に任せて、私達はここで様子見すればいい。それから中へ突入しても、遅くはないはずよ』


 戦わずして道を空けた理由は、人質の安全のためなどという心温まるものではなく、思いのほか冷たいものだった。


『しばらく経っても彼らが戻ってくる気配がなければ、警戒を最大限にして突入するわ。あれだけの人数が生還できないということはかなりのものよ。初めから防御力最大でいくべきね』


『ふん、あのような有象無象が何の指標になるというのじゃ。ささいなことで全滅するのではないか』


『あら、引き連れている連中はともかく、あの〝追剥ぎ(ハイウェイマン)〟に関してだけ言えば、実力はかなりのものよ。ああ見えて元はトップ集団の一員だったそうだから、エクスプローラーとしての腕前はそう捨てたものではないわ。まぁ、楽な方に転向して鈍ってしまっている可能性はあるけれど』


 それを聞いて、なるほど、と納得する。


 確かにハウエルの纏うオーラというか雰囲気というかは並大抵ではなかった。ヴィリーさんやカレルさんにあるような、いかにも強者然とした所作が節々に見えてきた気がする。


 それに、考えてみれば『探検者狩り』はエクスプローラーを襲う専門。つまり、並のエクスプローラーより強くなくては食べていけない生業なのだ。


 ということは、あの百人超の集団は、並のクラスタ以上の実力を有していると見ていいだろう。


『ならば逆に、あやつらが還ってきたときはどうするつもりじゃ。この中にあるであろう物に執着などないが、あのように横槍を入れられるのは気に喰わぬ。それともおぬし、結果がどうあろうとそちらには何の損もないからと――』


『それ以上はやめて。いくらあなたでも怒るしかなくなるわ、小竜姫』


 邪推のようなことを言いかけたハヌの念を、ヴィリーさんは素早く遮った。


『私達は、私達の誇りにかけて、今回の合同エクスプロールを成功に導こうと思っている。今日までその姿勢を貫いてきたことは、あなたがその目で見てきた通りよ、小竜姫。あなたが私の惰弱そうな態度に怒っているのはよくわかったから、だからと言って、私達の信念まで疑わないでちょうだい。お願いだから』


 ヴィリーさんの念には切実な響きが籠っていた。それでいて、それ以上は踏み込んでくるな、と警告しているようでもあった。


『……ならばなんとする。あやつらが戻ってきた際の沙汰は』


 その心意気を汲んでか、しぶしぶ反論を我慢したハヌが改めて問い直すと、ヴィリーさんは顎を引くようにして頷いた。


『もちろん鏖殺おうさつよ。一人も生きては帰さないわ。当然でしょ?』


 しれっ、と肝が縮み上がるような言葉が発される。


 ――み、鏖殺みなごろし……!?


 あまりにも不穏すぎる単語に、思わず耳を疑ってしまった。


 けれど。


『彼らはエクスプローラーとして破ってはならない掟を破った連中よ。〝追剥ぎ〟ハウエルだって、誰一人として手にかけていないとは言えないはずよ。全員が全員、間違いなくエクスプローラー殺しだわ。ここで見逃す理由なんて微塵もないわね』


 ヴィリーさんの顔つきは、かつて故ダイン・サムソロという元部下に誅を下した時と、まったく同じだったに違いない。


 デイリート王国の剣号所持者は、別名『正義の剣』とも呼ばれている。悪を前にして背を向けるのは〝剣嬢〟の辞書にはない――つまりはそういうことなのだろう。


『勘違いしないでちょうだい、小竜姫。私は【怖気づいて戦いを避けた】わけではないの。ただ単に、人質の安全確保が最優先だっただけ。『放送局』には今のうちに帰ってもらって、万全の状態で彼らを迎え撃つわ。もちろん、彼らが無事に生還できたら、の話だけど』


『……ふん、ならばよい。おぬしの手並み、とくと見させてもらおうではないか』


 意外にも苛烈だったヴィリーさんの方針に流石のハヌも納得したのか、彼女にしてはすんなりと矛を収めた。


 僕は驚きすぎて絶句していたのだけど、ふと見ると、カレルさんやアシュリーさんが『むべなるかな、我らが団長』という感じでうんうんと頷いていたので、これがヴィリーさんのデフォルトなのだろう。多分。


 ヴィリーさんがハヌと合わせていた視線を外し、『NPK』メンバーの顔を順に眺めやる。それから、気合いの入った肉声が放たれた。


「さぁ、総員戦闘態勢に入って! 奴らが戻ってきたら、その鼻っ面を叩き潰すわよ!」


『――はっ!!』


 ザッ、と音を立て、一糸乱れぬ動作で一斉に敬礼の姿勢をとる『蒼き紅炎の騎士団』。


 その姿はさながら、青い海がうねり、波打つ光景のようにも見えた。






 短い打ち合わせの結果、足の速いゼルダさんが護衛兼見送り役として『放送局』の人達をルナティック・バベルの外へ連れて行くことになった。


 その間に、僕らも『NPK』も完全に戦闘態勢へと移行し、対人戦闘に最適であろう布陣を済ませた。


 後はオレンジのバリアを抜けてハウエルたちが還ってきたところを、問答無用で強襲するだけだ。


 容赦も呵責も必要ない。


 無辜の人を殺したものは、やはり死を以て罪を裁かれなければならない。


 これから戦う相手はゲートキーパーだと思え――カレルさんは僕にそう言った。


 僕の役目は、ハウエル達が戻ってきたその瞬間に支援術式を発動させること。


 フルエンハンスで仲間みんなの能力を上昇させ、〈ハイドスモークスクリーン〉で『探検者狩り』の視覚を奪う。


 後は、カレルさんが言った通り、ゲートキーパーを相手にする時とまったく同じだ。全体を俯瞰して、必要な場所に必要な支援術式を。それが僕の役割である。


「…………」


 緊張していないと言えば、真っ赤な嘘になる。


 対人戦闘が初めてというわけではない。かつてはシグロスと、そして最近ではロムニックを相手に、僕は命懸けの戦いを繰り広げたことがある。


 だけど、そう――それらはあくまで『一対一』の戦闘だった。


 こうして『多対多』の戦闘は、何気に初めてだったりするのだ。


 そりゃ確かに、SBの群れ相手になら何度でもあるのだけど……アレとコレとは流石に別物だろう。組み込まれたアルゴリズムに従って動くSBと、自身の持つ脳というCPUで常に情報を更新しながら戦う人間とでは、脅威の度合いはそれこそ次元からして違う。


 そして何より――僕には【殺人の経験がない】。


 改めてこんなことを言うと物騒に聞こえるかもしれないが、いくら弱気な僕とて、殺意を覚えることぐらいあるのだ。


 実際、シグロスを相手にした時は心の底から『殺してやる』と思ったものだし、ロムニックの時だって剣を突き出すことに躊躇いや迷いはなかった。


 けれど結局のところ、僕はどちらにも止めを刺すことができなかったのだ。


 シグロスは本気で殺そうと思って、重複〈ドリルブレイク〉で体内のコンポーネントを全て削りきってやったけれど、畢竟その命を奪うところまでは届かなかった。


 ロムニックの時は、奴が『身代わりの加護』をたくさん持っているのをいいことに〝アブソリュート・スクエア〟状態で殴ったり蹴ったりを繰り返したが、最終的には息の根を止めることに躊躇いが生じ、ギリギリの直前で手を止めてしまった。


 つまり、何が言いたいのかと言うと――僕は、人を殺めた経験が皆無なのである。


 だけど、これから始まるであろう戦闘においては、間違いなく人死にが出る。それもたくさん。少なくともヴィリーさんは敵を皆殺しにすると下知した。


 この戦いで、おそらく僕が直接手を下すことはほぼないだろう。ここまでのルーム戦でずっとそうだったように、今回も後方に位置して、皆を支援するエンハンサーとして参戦するのだから。


 いつかの『ヴォルクリング・サーカス事件』の犠牲者に比べれば遥かに少ないけれど、それでも百を超える命が散ることになる。


 これは大いなる矛盾だ。


 誰かが目の前で死ぬ――僕はその光景を見たくなくて、少しでも強くなろうと決意して、努力してきたはずなのに。


 だけど、その僕が今、悪人とはいえ大勢の人間を殺そうとしている。


「――。」


 正直、心の整理が追いついていない。


 人の死に触れたことがない、とは言わない。エクスプローラーは危険な生業だ。ネットを覗けば毎日のようにエクスプローラーの訃報は流れているし、有名な人がある日突然死ぬ、なんてことはざらにある。実際、目の前でダイン率いる『スーパーノヴァ』がヘラクレスに虐殺されていった光景は、未だ鮮明に記憶している。


 こんなことを仕事にしておいて、今更人殺しがどうのこうのと言う方がおかしい――そんな正論が脳裏によぎる。


 だから、ただの気分の問題――なのだろう。多分、きっと。


 シグロスやロムニックに対しては、強い憤りがあった。激しい敵意があった。だから彼らの命に対して頓着することはなかった。


 けれど、これから殺すことになるであろう人達に対して、僕は大した悪感情を持っていない。


 ヴィリーさんの言を信じるならば、やはり彼らは人殺しで、強盗で、悪なのだろう。それはわかっている。


 頭では。


 ただ、心だけが納得できていないのだ。


 これでいいのだろうか?――と。


 このままヴィリーさんの言う通り、彼ら『探検者狩り(レッドラム)』の殲滅に手を貸す――それはきっと正しいことで、間違っていなくて、素晴らしいことなのだろう。


 誰かに迷惑をかける悪漢を退治する、世の中にとって善なることを行うのだ。


 ここで彼らを見逃せば、また誰かがコンポーネントを奪われ、殺されてしまうかもしれない。


 未来における犠牲を考えれば、今の内に彼らを倒すのは誰にとっても利のあることである。


 故に、ヴィリーさんが間違っているとは思わないし、むしろ圧倒的に正しいとすら思う。


 しかし、だと言うなら、僕のこの迷いは一体何なのだろうか?


 わからない。


 ――どうしよう……こんな気持ちで戦っていいのかな……


 出口のない迷宮に足を踏み入れてしまったような気分。


 ふと周囲を見れば、誰もが臨戦態勢で気を高めている。ロゼさんもフリムも遊撃の位置について、武器を構えて真剣な眼差しをオレンジのバリアへと向けている。最後方にいるハヌだって、きっと戦意を高揚させてハウエル達が出てくる瞬間を今か今かと待ち受けているに違いない。


 こんな風に迷っているのは多分、僕だけだ。


 それがまた情けなくて、恥ずかしくて、いつまで経っても成長しない自分が疎ましく思えて――


「……はぁ……」


 体の中にある重い気分を吐き出すように、溜息を一つ。


 ――駄目だ駄目だ! クラスタリーダーの僕がこんなじゃ! みんなはもう覚悟を決めているんだ。僕だって、一人のエクスプローラーとして覚悟を決めないと……!


 頭をブンブンと振って、頭の中から雑念を追い出す。一度大きく深呼吸をすると、ふんっ、と腹の底に気合いを入れた。


「――よしっ……!」


 いつでも来い! と神経を尖らせて、近く訪れるであろう〝その瞬間〟を待つ。


 しかし。


 ――結論から言おう。


 僕達が五分待っても、十分待っても、そして十五分待っても、ハウエル達は戻ってこなかったのである。






 結局、待てども待てどもハウエル達『探検者狩り』の集団が戻ってくる気配がなかったので、僕達は次なる手を打つこととなった。


 最大限の警戒をもって、バリア内へ突入する。


 特に防御力は最大に。可能な限り支援術式を重ね掛けして、不意打ちに備える構えだ。


 ヴィリーさんをして〝かなりの実力者〟と言わしめたハウエルが、配下の者達も含めて全員還ってこなかったのだ。中で何が待ち受けているのかわからないが、相当まずいものが出てくることだけは間違いない。


 最終的に『放送局』を街まで送ってきたゼルダさんが合流するのを確認してから、僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』と『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』の合同クラスタは、時間差を置いてオレンジのバリア内部へと突入した。


 ルーターによって形成されたローカルネットワークは、当然のようにバリアを境にして遮断された。


 故に、後から特別セキュリティルームへ侵入した僕達は、実際に足を踏み入れてみるまで内部の様子を知ることはなかった。


「――!?」


 薄い蜘蛛の巣を突き破るような感触を抜け、踏み込んだ先にあったのは――白。


 これまでの漆黒を裏切るような、真っ白な空間だった。


「こ、ここは……?」


 黒から白への急激な変化に目がチカチカする。急激に増えた光量に一瞬だけ視界が塞がれるけど、そこは既に発動し、周囲に散らばらせている〈イーグルアイ〉の視覚情報で補完した。


 周囲に危険はないことを素早く確認する。


「なんじゃ……? 妙にキラキラしておるの……」


「普段のルナティック・バベル内とは微妙に違う色合い、ですね……?」


「そうねぇ、コレ、白いっていうよりは……真珠?」


 僕の後ろからセキュリティールームへ入ってきたハヌが呟くと、逆に僕より先行していたロゼさんとフリムが、首を傾げながら同意する。


 真珠、というフリムが口にした単語が実にしっくりと来た。


 そう、白いのは白いのだが、全体的に虹色に揺らめく油分のような膜が透けて見える。


 この室内の壁や床は、純白ではなくパールホワイトだったのだ。道理でやけに目に痛いわけである。


「――って、それよりヴィリーさん達、は……?」


 遅れて、何の音もしないことに気付く。ここに敵がいるなら、とっくに戦闘音が響きまくっていてもおかしくないぐらいの時間差で入ってきたのだ。


 だけど、無音。


 物音ひとつせず、不安になるほど静かで、


「――ちょっと、待ってよ……な、なんで誰もいないのよ……?」


 呆然としたフリムの呟きが耳に届く頃、ようやく僕の目も色合いの変化に慣れ、正常な視力が戻ってきた。


 そして見た。


 フリムの言う通り、誰もいない、だだっ広い空間を。


「……………………えっ……?」


 がらん、とした真珠色の大きな部屋には、何もなかった。


 誰もいなかった。


 十五分以上も前に入ったハウエル達『探検者狩り』も。


 僕達より十秒だけ早く入ったヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』も。


 誰一人、影も形も残っていなかったのだ。


「……どういうことじゃ……?」


 背後から、警戒するハヌの声。


「皆さん、全方位に気を配ってください。何か【いる】はずです」


 淡々と、けれど早口なロゼさんが警鐘を鳴らす。


 残された僕達四人は自然と寄り集まり、互いに背中を預け合った。


「ハルト、アンタがヴィリーさん達につけてた〈イーグルアイ〉は?」


「の、残ってる、残ってるよ!? でも――」


 この部屋へ入った途端、セッションが切れていた三体の〈イーグルアイ〉は、真珠の部屋の中央あたりを旋回していた。だけど、あちらから来る俯瞰視覚情報には、やっぱり何も映っていない。


「――だ、ダメなんだ……どこにも誰も見当たらなくて……」


「それって、映像記録とか残せない奴なの?」


「う、うん、接続が繋がっている時はこっちの〝SEAL〟に録画することは出来るけど、通信セッションが切れてた間のことは……」


「わかんない、ってことね……」


 溜息を堪えるようなフリムの声音に、不可抗力とはいえちょっとだけ罪悪感を覚える。


 迂闊だった。自分はエンハンサーだったのに。この合同クラスタの要だったのに。エンハンサーの自分だからこそ、こういった事態を想定して予防策を張っておくべきだったのに。


 やり方なんていくらでもあった。ケーブルを使った物理回線だったら、ヴィリーさん達との通信も遮断されなかったかもしれない。もしくは、どれだけヴィリーさんに拒まれようとも、僕だけは一緒に『NPK』と一緒に入ればよかったのだ。


 妙な気遣いをした結果がコレだ。目も当てられない。


「――っ……!」


 口の中に苦味を感じ、僕は口元を歪める。


 だけど今はとにかく、自分達のことだ。ヴィリーさん達の行方も気になるけど、こっちまで同じ轍を踏んでハヌやロゼさん、フリムを同様の目に合わせるわけにはいかない。


 ヴィリーさん達につけていた三体、自分達につけていた三体に付け加え、さらに三体の〈イーグルアイ〉を召喚する。深紫の鳥が飛び回り、三六〇度の死角のない視野を確保した。


 ――さぁ、どこからでも来い……みんなは、僕が絶対に守り抜いてみせる……!


 全神経を尖らせて覚悟を決めた時だった。




「ああ、やっと来たね。待っていたよ、マイマスター」




「――!?」


 広い真珠の空間に反響するように響いた不思議な声に、電撃のような緊張が走る。


 音の発生源が特定できない。だから自分の目と、九体の〈イーグルアイ〉の視野を振り回して音源を探す。


 いた。


 それも、とんでもない場所に。


「オレは少々待ちくたびれてしまったよ――なんて言うと手厳しいかな? まぁ、一時間も待ってないのだから、大した待ち時間ではなかったのだけれど」


 天井である。


 部屋の中央あたり――そう、ヴィリーさんにつけていた〈イーグルアイ〉が旋回していた場所――の頭上、真珠色の天板から、脚のようなものが生えていた。


 否、違う、生えているのではない。


 すり抜けているのだ。


 立体映像のようなそれはゆっくり、ゆっくりと下へと降りてくる。足先から、膝、腰と出て――


「しかし君も意地が悪い。まさか一番最後に入ってくるだなんてね。今度のご主人様は慎重派なのかな? いや、それも悪くない。猪突猛進の馬鹿でないということは素晴らしきことさ」


 上半身が現れ、やがて頭の天辺までもが現れた。


 僕はその姿を見上げ、呆けたように口を開けてしまう。


 真珠色に煌く天井から幽霊のように現れたのは――どう見ても、僕らと同じ年頃の少年だったのである。


 それも、上に〝美〟という文字が付きそうな。


「――。」


 すわ天使か悪魔か――ゲートキーパーのような怪物が出てくるものと思っていた僕の目には、彼はそのように映った。


 細くしなやかな肢体を、黒いタイトな服が包んでいる。体の線が丸わかりの格好は、同性である僕から見てもかなりセクシーだ。服に覆われていない手首や足首、首から上は、まるで透き通るような白皙の肌で。


 そして何より目立つのは、燃える炎のような真っ赤な髪。


 赤い宝石を糸にしてまとめたら、こんな風になるのだろうか。まるでハヌの髪のようだ。キラキラと輝いていて、とても美しい。


「…………」


 こうして見惚れているのは、僕だけではない。ハヌも、ロゼさんも、フリムも、何も言わずに彼の様子を眺めていた。


 真珠色に囲まれた空間の中で、その姿は身に着けた黒によってキリリと引き締まり、ひどく浮いて見えた。いや、実際にふわふわと浮きながら、ゆっくりと下降しているのだけど。


 カッ、と音を立てて少年が床に着地する。不似合い――と言うよりはむしろ似合っているのだけど、何故か靴は女性もののハイヒールだった。


 そうと気付いてみれば、髪の長さも肩に届くか届かないかぐらい。


 ぱっと見の印象で男の子だと思ったのだが、実は違うのかもしれない。だけど、間違いなく女の子だ、と断言できるような部分も見当たらなくて、判断に困る。


「おや、何をおかしな顔をしているんだい? そんなにオレの顔を見つめて。この顔に何かついているのかな?」


 彼――彼女?――は、クス、と笑い、囁くように言った。


 口調は男じみているけど、声音は中性的で微妙なところだ。男でも女でも、どちらでも納得できるし、納得できないかもしれない。


 ただ、おかしなことに、彼とも彼女とも言えないこの人物は、何故か僕のことをまっすぐ見つめていた。


 さっきから〝マイマスター〟だの〝君〟だのいった代名詞は、間違いなく僕に向けられている。


 薄く淹れた紅茶の色、としか形容できない色の瞳が、まるでハヌもロゼさんもフリムもいなくて、この場に存在するのが僕だけかのように、じっ、とこちらを見据えていた。


「――何も答えてくれないんだね、君は。もしかして警戒されているのかな? それとも驚いている? まぁどちらでもいいさ。オレはオレの言うべきことを、まずは述べよう」


 爽やかに嘯くと、赤髪の人物は優雅な所作でボゥ・アンド・スクレープ――右手を腹に当て、左腕を横に広げ、右足を後ろへ引くお辞儀をした。


 頭を下げ、上目遣いにこちらを見つめ、片目を瞑って、茶目っ気たっぷりに――




「今この瞬間から、オレは君の忠実なる下僕さ。どうか末永くよろしく、マイマスター」




 そう、心の底から嬉しそうに宣言したのだった。






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