●3 〝剣嬢〟の思惑
大変だったらしい。
それはもう、とてつもなく大変だったらしい。
「ほんっっっっっっっっっっとぉーにっ! 大変だったんだからっ!!」
力一杯、全力全開で愚痴を投げつけてくるのは、僕の従姉妹で幼馴染――フリムことミリバーティフリムである。
彼女は自慢の黒髪ロングツインテールを猫の肩のように怒らせて――付き合いの長い僕でもどういう原理なのかよくわからない――、はぁ、と疲れた溜息を吐く。
「ほんっと、ヴィリーさんには困ったもんだわー。アレ絶対わざとよね。絶対わかってやってるわよね。綺麗な薔薇には棘があるっていうけど、ありゃとんだ食わせ者だわ、ほんと」
やれやれ、とツインテールがクルクルと動く。この髪というか触手というか、最近やたらと動作が活発になってきている気がするのだけど、もしや僕の従姉妹は人間ではなく新種の生物なのではなかろうか。
「小竜姫はもちろんブチ切れ状態だし、ロゼさんもロゼさんで、いつもの無表情のままピッキーンって凍り付いたみたいに動かなくなるし。ああ、あとアシュリーが飛び出してきてものすごい勢いで喚き出したのよ。ヴィリーさんに向かって。風紀がどうとか世間体がどうだとか。あの子も大概大変よねー、上司がああいう人だと」
自分も同じように、アシュリーさんから風紀がどうとか世間体がどうのと叱られることが多いのを棚に上げて、フリムは他人事のように笑ってみせる。
僕は病院のベッドから、備え付けの椅子に腰掛けているフリムに問う。
「それでその、ハヌとロゼさんは……?」
「あー、うん。あんまりにも小竜姫がイライラしてるもんだから、ロゼさんが気を利かして甘いもの食べに連れてってくれてるわ。ほんとにもー、可愛い顔が台無しになるぐらいすごかったんだから」
「な、なるほど……」
話を聞くに、僕がヴィリーさんのキスで気を失った後は、それはもうえらい騒ぎだったらしい。
まず、当然のことながらハヌがキレた。
なにせ親友である僕を失神させたのである。彼女が激怒するのも無理はない。しかも、それがたとえ頬であろうと、僕にキスすればこういう風にぶっ倒れることをヴィリーさんは知っていたのだ。
知らずに行った初犯であれば情状酌量の余地もあったかもしれないが、こうなるとわかってやったのであれば、それはもう有罪大確定である。
『なにをしておるかこのくそたわけがァ――――――――ッッ!!』
放たれたのは、空気を切り裂くほどの大音声だったという。
その怒声を皮切りに、いくつものことが同時に進行した。
ハヌ以外の人達も我に返り、口々に騒ぎ出した。『蒼き紅炎の騎士団』のメンバーはもちろんのこと、『放送局』のスタッフも悲鳴にも似た声を上げた。多分、カメラのレンズの向こうにいる視聴者もそうだっただろう。
さもありなん。
あの〝剣嬢〟が、『放送局』公式の映像で、どこの馬の骨かも知れない奴にキスしたのである。
いやまぁ、僕の素性というかプロフィールについてはヴィリーさんがちゃんと紹介してくれていたのだけど、そこは問題ではない。
数いるエクスプローラーの中でも一、二を争うほど人気のあるヴィリーさんが、同性ではなく【異性】にキスしたというのが問題なのである。
「まー小竜姫の気持ちもわからなくないのよね、アタシ。別にあの子ほどヴィリーさんのこと毛嫌いしているわけじゃないんだけど、ほら、だってあの人、見かけによらず結構あざといじゃない? まぁアタシ好みの超美人だから許せるんだけどね。でも凛とした見た目とは裏腹にかなりの曲者じゃない? すんごい美人だから別にいいんだけど。それにしたってまぁ、人によっては鼻につくと思うわよーそりゃあもう。なにせ【自分が美人で人気者だってわかった上で行動しているんだもの】。全部理解した上で【敢えて】やってんだから、そりゃ効果も絶大ってものだし、端から見たら狡猾にもほどがあるってものよねー」
今更言うでもないが、危険と隣り合わせで社会のインフラを支えるエクスプローラーという職業は、現代の花形である。
その人気は、いわゆる職業アイドルのそれを凌駕することが珍しくない。
中でも、美貌といい、強さといい、若さといい、出自といい、全ての点において文句なしなのが〝剣嬢ヴィリー〟ことヴィクトリア・ファン・フレデリクスなのである。
その出身は『剣王国』とも名高い〝デイリート王国〟。
王族に連なる大貴族フレデリクス家の一人娘にして、その名も高き〝剣聖ウィルハルト〟が実子。
そして、〝剣嬢〟の名を継ぐ稀代の女剣士。
実は最近知ったことなのだが、なんと初代の〝剣嬢〟は、ヴィリーさんのお母さんだったらしいのである。
デイリート王国に所属する優秀な剣士に贈られる称号――〝剣号〟。
今でこそ当たり前のようになっているが、少し前までの〝剣号〟は男性に与えられるのが普通で、女性に贈られるものでないというのが常識だった。
もちろん歴史上、女性でありながら〝剣号〟を与えられた人物がいないこともないのだけど、その人達は全員〝剣号〟と一緒に【男性名】を与えられ、公の場ではそちらを名乗ることが義務付けられていた。そして当然、歴史上には男性としての名称しか刻まれず、本名は闇に葬られてきた。
そんな環境の中、しかし『彼女に男性名を名乗らせるのはいかがなものか』と異を唱えられたのが、初代〝剣嬢〟――〝剣嬢ソフィー〟こと、ソフィア・ファン・フレデリクスなのである。
〝剣嬢ソフィー〟は剣士と呼ぶには、あまりにもたおやかな女性だったという。躍動する白皙の四肢はしなやかな雪豹を想起させ、剣士にあるべき武骨さとはまるで縁がなかった。その麗しい立ち姿は白百合に喩えられ、老若男女を問わず視線を釘付けにした。
美しすぎる剣士――そんな風に呼ばれていた時期もあったらしい。
そして、彼女はひたすらに強かった。
並み居る剣豪を鎧袖一触し、剣術の盛んなデイリート国内で常勝無敗を誇ったという。
実際、少なくとも公式記録に『敗北』の二文字はない。
夫にして〝剣聖〟であるウィルハルト・ファン・フレデリクスすら、彼女と手合わせすることを頑なに拒んだという。それは無論、愛する人であったから、というのも理由の多分なのだろうけれど。
そんな〝無敗の女剣士ソフィー〟には当然〝剣号〟が贈られる運びとなったが、いざ授与する段階になって問題が生じた。
剣王を含め、誰もが首を捻ったのである。
ソフィア・ファン・フレデリクスに相応しい【男性名】などあるのだろうか――と。
男の名を与えるには、彼女はあまりにも美しすぎた。
似合いそうな天使や女神の名ならばすぐに出てくるのに、男の名前となると、誰もピッタリなものを思いつけなかった。
答えが出ない会議を何度も重ねていく内に、誰かが言った。あるいは、全員がそう思いつつも口に出さなかったことを、その人物は言葉にした。
――今こそ古い慣習を見直すべき時なのでは?
発言者の名前は記録に残っていない。おそらく、その場にいる全員の総意だったからだろう。
かくして、デイリート王国の歴史上初めて、女性に贈られる〝剣号〟が創られた。
それこそが〝剣嬢〟。
候補としては〝剣姫〟なるものもあったらしいが、こちらは響きからして王族、特に王女が剣に秀でた時に使用するべきだという意見もあり、次点の〝剣嬢〟が採用されたという。
女性剣士が美しすぎて男の名を与えるのが憚れる、という、よく考えればちょっとどうかと思う理由から織り込まれた女性用の〝剣号〟。
だったらこれまで〝剣号〟を受けてきた女性剣士はどうだったのか――と思わないでもないが、初代〝剣嬢〟の華麗さとは、つまりそれほどのものだったということだろう。
残念ながら〝剣嬢ソフィー〟は〝剣聖ウィルハルト〟と結婚した後、ヴィリーさんを産んでから十年ほどで病没してしまった。
そして空位となってしまった〝剣嬢〟の号を、時を経て愛娘であるヴィリーさんが受け継いだというのも、これまたドラマチックな話である。
――話が少し脱線してしまった。
要するに、〝剣嬢〟という称号は成り立ちからして美談めいていて、それを受け継いだヴィリーさんという女性剣士は、僕のような人間からすればいかにも『選ばれた人間』としか言いようがなく、つまりはそれが一般的な見方というものであって、僕なんかとは生きている次元そのものが違うと言っても過言ではないのである。
だというのに。
そんな御仁が。
あろうことか、ここ最近ポッと出てきた新参のエクスプローラーに、頬とはいえ公の場でキスしたのである。
世界中に何万、何十万、いや下手をすれば何百万という単位で存在するヴィリーさんのファンはどう感じるだろうか。何を思うだろうか。
「アンタの顔見たら何聞きたいかわかったから教えてあげるけど、かなり【ヒドイ】ことになってるわよ」
「……や、やっぱり……?」
目敏く察したフリムが、苦笑い未満の表情で囁くように言う。
実を言うと、僕が目覚めたのは今から小一時間ぐらい前なのだけど、反応を見るのが怖くてまだCCNにアクセスできていなかったりする。目が覚めてからしばらくは記憶を反芻し、ああああ一体どうしたものかああああああ、と懊悩しつつベッドの上でゴロゴロしていたのだけど、そこに病院のカフェで一服してきたフリムが戻ったのである。
「あったりまえじゃない、『放送局』の公式チャンネルで世界中に配信されちゃったのよ? あっちもこっちもすんごい勢いで燃え上って大炎上よ、ファイアーダンスよ、アンタもヴィリーさんも。ま、ついでにアタシら全員に飛び火してるけど」
「ううっ……想像しただけでお腹が痛くなってくるよ……」
「まぁ、見方を変えればアンタの顔と名前が売れたってことでもあるし、別に悪いことばかりでもないんじゃない? ある意味、歴史に残るわよ。ヴィリーさんの〝新時代到来宣言〟と一緒に」
「まったくもって嬉しくないんだけど……」
ヴィリーさんの爆弾発言は、早くもネット上で大激論へと発展していた。
当然だ。これまでのエクスプロールを丸ごと否定してしまったようなものなのだから。
思い返してみれば、使っていた言葉もそれなりに過激だったように思う。聞きようによっては侮辱されたと感じるエクスプローラーだっているだろう。嵐のような反発も無理はない。
ヴィリーさんは有名人だ。以前から多くのファンと同時に、数えきれないほどの敵も抱え込んでいる。その人達が荒れ狂うには、今回の件はまたとないチャンスだっただろう。
中にはもちろん、好意的な意見だって少なくない。むしろ『よくぞ言ってくれた!』的な声が圧倒的に多いのだ。それぐらい、現状に閉塞感を抱いていたエクスプローラーもまた多かったということだろう。
とはいえ、たった一人のエクスプローラーの発言がこれだけ世間を騒がせるあたり、流石はヴィリーさんと言ったところだろうか。
ちなみに、ヴィリーさんの発言はフリムが言っていたように『剣嬢の新時代到来宣言』と銘打たれ、本当に歴史に刻まれることとなる。ついでに、その時その場にいて、ヴィリーさんからキスされてひっくり返った間抜けなエンハンサーも端っこに小さく刻まれてしまうのだけど、それは別の話だし思い出したくもないし封印したいし早く忘れてしまいたいのでもう触れないで欲しい。
「まぁ実際問題? ちょっとだけヤバイのも本当よね。見てみなさいよ、こことか」
フリムが指先にARスクリーンをポップアップさせて、すいっ、とスライドさせた。空中を滑って僕の眼前で広がった平面ディスプレイに、恐る恐る目を向ける。
「――うわぁ……」
そんな声しか出なかった。
もはや驚きを通り越して呆れるしかない。
そこに表示されていたのは、数えきれないほどの怨嗟の声。
『殺す』だの『死ね』だの『爆発しろ』と言った端的なものに始まり、やけに通ぶった言い方や畏まった口調、果てには無駄に上手い言い回しなどを含め、要約すると『ベオウルフ死すべし』となるメッセージが所狭しと並んでいたのである。
「ほらほら、これとか秀逸よねー、〝あの世で俺らに詫び続けろベオウルフゥゥゥゥ!〟とか。いやー、ちょっとほっぺたにキスしたぐらいでここまで他人を恨める神経がすごいわよねー。ほんと感心しちゃうわー」
言葉とは裏腹にフリムの口調は平坦で、まるで心が籠っていない。アメジストにも似た瞳は常の輝きをひそめ、どこか曇っているようにも見える。
「……なんというか……想像以上だね……うん……」
目の前を占める罵詈雑言の嵐。それはどれだけスクロールさせても尽きることはないように思える。もはや一つ一つの文字列を読み込むまでもないし、その気にもなれなかった。
ネット越しに渦巻く、無限にも思える悪意――だけどそれは、不思議なことに先日『ベオウルフ・スタイル被害者の会』なる集団からぶつけられたものに比べれば、随分と可愛いらしいもののように感じられた。実際に目の前に存在しないからだろうか?
「大丈夫よ、別に直接襲い掛かってくるわけでもなし。無視するのが一番よ、こういうのは」
フリムの言うとおり、確かに金網の向こうで小鳥がピーチクパーチク囀っているものと思えば、何てことはない。おかげで精神的なダメージは軽微だった。
「しっかし、ほんと〝剣嬢〟の名は伊達じゃないって感じね。男どもを中心にアンタへの怨恨と殺意が無尽蔵に湧いてるわけだし。ああでも、ヴィリーさんは女の子にも人気だから、そっちでも嫉妬の炎が燃え盛ってるみたいよ?」
新しいARスクリーンを何枚も同時に展開させながら、フリムは内訳を解説してくれる。
「あ、でも、悲報だけじゃなくて吉報もあるのよ?」
「――えっ? 吉報?」
「いわゆる〝女の習性〟って奴かしら? アンタのアンチが盛り上がれば盛り上がるほど、逆にアンタのことを気に入る人達がいるみたいなのよ。だってほら、見方を変えればこうなるわけじゃない? 〝勇者ベオウルフ〟は【あの】〝剣嬢ヴィリー〟にキスされるほどの男なのか――って」
「…………」
素で驚いて固まってしまう。いや、その発想はなかった。でも、それって……
「き、吉報なの……?」
そう問い返すと、僕の幼馴染は、にやり、と小悪魔的に笑った。
「一応は悪くない話でしょ? 特にヴィリーさんと同じ年代の女性層からの人気がうなぎ登りみたいよ? ――へぇ、アレがあの〝剣嬢ヴィリー〟が気にかけてる男の子? どれほどのものかわからないけど、なかなか可愛い顔してるじゃない? あの子を横からかっさらったら、私が〝剣嬢ヴィリー〟に勝ったことになるのかしら? ――みたいな?」
「み、みたいなって……」
無駄に声に艶を出して謎の演技をしたフリムに、僕は力のない突っ込みを入れる。どう贔屓目に見ても、僕が評価されているのではなく、ヴィリーさんへの当てつけに利用されようとしているだけではないか。
「いるのよねー、相対的にしか物事を測れない人間って。自分じゃ価値があるかどうかわからないから、有名人とか権威のある人が『これはいいものだ』って言ったものに群がっちゃうの。自分が本当にそれを欲しがってるのかも関係なくて、ただただ周りに流されてるだけの主体性のない奴」
「? なんだか、随分と実感が籠ってる感じだね?」
溜息交じりに吐き捨てるフリムに聞くと、彼女はつまらなさそうに唇を尖らせた。
「いたのよ、実際に。アタシの武器を欲しがる奴で、そういう人間が」
手持無沙汰なのか、その右手が自身のツインテールの一本を掴み、クルクルといじくり始める。
「有名な〝光り輝く翼〟の愛弟子〝無限光〟――そのブランドだけが欲しいって輩がわんさかね。あいつらが欲しいのはアタシの作った武具じゃなくて、その武具にくっついている名声よ。タグって言ってもいいわ。要はステータスよステータス。まったく、武器や防具はアクセサリーじゃないつーの」
あらぬ方向を見て、遠い瞳をするフリム。当時に抱いた不快感を反芻しているのだろうか、顔つきや声音までもが険を帯び始め、刺々しい空気が生まれる。
「大体ね、そういう奴に限って『どんな武器が欲しいのか?』って聞いたら間違いなく『何でもいい』とか抜かしやがるのよ? ――何でもいいわけないでしょうが! 自分が戦場で使うものなのよ!? そこにこだわんなくてどーするってぇのよっ!? ええっ!?」
「お、落ち着いてフリム!? どうどうどう!?」
突然キレた幼馴染みを慌てて宥める。思い出していく内に怒りが再燃してしまったのだろう。自慢のツインテールが、ピン、と鬼の角のようにいきり立った。
ぐぐっ、と拳を握ったフリムはやがて、ふーっ、と深い息を吐く。
「……ま、そういうわけで、めでたくアンタにもとんでもなく豪勢なブランドのタグが引っ付けられたってわけよ、ハルト」
「豪勢なブランドの、タグ……?」
きょとん、とする僕に、フリムは何とも言えないシニカルな笑みを見せた。
「決まってんでしょ? 〝剣嬢〟ブランドの〝お気に入り〟ってタグよ」
僕は想像する。ヴィリーさんの似顔絵が書かれた〝剣嬢〟ブランドのロゴマーク。多分、色はゴールド。その下に記された〝本ブランドのデザイナーのお気に入り〟というキャッチコピー。それらが一緒くたになったタグが、空からゆっくり地上へ降りてきて、僕の額に、ピタリ、と張り付くのだ。
――おお、なんということだろうか……
起こってしまった出来事の壮大さに、僕は頭を抱えそうになる。
世界中の人々が、その〝お気に入り〟タグに注目することだろう。そしてフリムが言ったように、僕自身を見定める人なんてほとんどいない。
動物園の珍獣――そんなイメージが一瞬だけ脳裏をよぎった。
「斯くしてアンタも一夜――じゃなくて、一昼にしてヴィリーさんと同じレベルの有名人ってわけね。元々エクスプローラー業界じゃ悪評込みでそこそこ名が通ってたわけだけど、今回の件で以前にもまして〝勇者ベオウルフ〟の勇名が轟いたって感じかしら。ま、それもヴィリーさんの狙い通りなんでしょうけど……」
「? ヴィリーさんの狙いって……?」
フリムが呆れ気味に呟いた中で、気になったワードをオウム返しにする。すると、
「は? え、ちょっと、なによアンタ、気付いてなかったの?」
急に素のテンションに戻ってフリムが驚いた。紫の瞳をパチクリさせて、
「そんなの決まってるじゃない。アンタを含めたアタシ達が、『NPK』から逃げられなくするためよ」
「に、逃げられなくする……?」
いや、意味が分からない。僕は首をかしげて頭に疑問符の花を咲かす。
フリムは面倒くさそうに、右手で握ったツインテールの一本をプロペラのようにブンブン回しながら、
「だーかーらー、ヴィリーさんの宣言のおかげで、世間的には『BVJはいずれNPKに吸収合併される』って認識が広まっちゃったのよ。わかる?」
「え、えっ? わ、わかんない……な、なんで……?」
何がどうなってそんな結論が導き出されるのか、さっぱり理解できなかった。
「ヴィリーさん、別にそんなこと言ってなかったと思うんだけど……?」
「そうね、直接的にはね。でも、間接的にはそう言ったも同然よ。公衆の面前であんなこと言って、アンタにキスまでしたのよ? どう考えても【そういう流れ】を作ろうとしている気満々じゃない」
フリムは椅子から立ち上がり、ベッドへと歩み寄る。体を捻ってベッドの端に腰かけると、何故かツインテールの先っちょを、ずびし、と僕に差し向けた。
「わかる? どういうわけか知らないけど、世論を誘導して、外堀から埋めにかかってきてるのよ。正直、そのあたりはヴィリーさんらしくなくてちょっと意外なんだけど……ま、それはともかくとして。いい? 思い出してみなさいよ。ヴィリーさんはこう言ってたじゃない。『私は諦めない。〝剣嬢〟の名にかけて、必ずあなたを手に入れてみせる』――って。これがどういうことだか本当に理解してないの、アンタ?」
「え、えーと……?」
空中に視線を泳がして考える振りをしてみるけれど、全く以てさっぱり何も思い浮かばない。
流石と言うか何と言うか、付き合いが長いだけに、フリムは僕の表情から全てを察したらしい。はぁ、と短く溜息を吐く。
「……アンタも知ってると思うけど、〝剣号〟ってそんなホイホイかけられるほど軽いもんじゃないのよ。実際、〝剣号〟をかけて失敗して、返上する羽目になった例だってあるんだし」
「あ、うん、それは知ってるけど……〝柔剣〟の人だよね?」
フリムが例に出したのは『〝柔剣ルスラン〟の失敗宣言』という、わりと有名な歴史的逸話である。
「そ。他国じゃあんまり意味ないけど、デイリート国内に限ったら〝剣号〟には実際的な権力があるし、これを剥奪されたり返上するってのは割と大きな損失なわけよ。特にヴィリーさんみたいな貴族筋の場合だと、名誉とか面子的にかなりヤバイことになるんだけど、それは流石にわかるわよね?」
「う、うん……」
〝剣号〟持ちというのは、いわゆる『栄誉職』である。人によって役割はまちまちだが、中には軍の司令官になったり、他国へ派遣される大使を任じられたりすることもあるそうだ。
僕が頷くと、ずい、とフリムの顔がさらに近付いてきた。天井の照明が陰を作り、彼女の顔に不穏なグラデーションをかける。
「そのヴィリーさんがよ? よりにもよって〝剣嬢〟の名をかけてアンタを手に入れるって世界中に宣言したのよ? ニコニコしながら軽く言ってたから実感湧かないかもしんないけど、これって相当ヤバイ案件よ。あの人、ああ見えてかなりの本気だわ。冗談抜きでアンタを引き抜くか、アンタごとアタシ達全員を傘下に収める気百二十パーセントよ」
「ふぇっ……!?」
最後の一言と共に、フリムの右手にあったツインテールの毛先が、こちょこちょこちょ、と僕の鼻をくすぐった。そんなことをすれば当然、一瞬のムズムズの後、鼻孔の奥から衝動がやってきて、
「ふぁ、ふぁっ――っくしゅんっ!」
僕は盛大にくしゃみをしてしまうわけで。咄嗟に身を引いて撒き散らされる飛沫を華麗に避けるあたり、こうしたフリムの悪戯には無駄に年季が入っている。
「――って、なにするのさフリム!」
「ごめんごめん、アンタがあんまりにも間抜けな顔してたもんだからつい」
にゃは、と笑って誤魔化す我が従姉妹である。彼女は昔から、こういう意味のないちょっかいをかけてくることが多いのだ。
「そういうわけで、ヴィリーさん的には結構〝背水の陣〟なわけ。あそこまで言って『断られました』じゃ、それこそ〝柔剣ルスラン〟の二の舞なわけだし。わりと冗談抜きでヤバイ状況なのよ、アタシ達は」
抑え目な声音で言いながらも、すーっ、とまたぞろ毛先を近付けてくるので、僕は身を引いて距離を取る。真面目な話をしているのなら、そういう悪童みたいなキラキラした目は止めて欲しい。
「でもって、万が一にも失敗したくないヴィリーさんは、全世界の前でアンタを傘下に入れるって宣言をした。そうすることで、アンタやアタシ達が勧誘を断りにくくする空気を醸造するのが目的ね。実際、ネットの一角じゃ既にアタシ達『BVJ』がヴィリーさんの『NPK』に吸収されるのが既定路線だと勘違いして、やれ仕込みだ、やれ陰謀だ、って怒り狂ってるおバカさん達もいるくらいよ。これでアタシ達が入団を断った日には、ヴィリーさんの〝剣嬢〟としての名声も『NPK』の評判も、とんでもない勢いで地に落ちるわ。……うん、自分で言っててなんだけど、ほんとにヤバイわよねコレ」
「…………」
徐々にテンションの落ちていくフリムの口調に合わせて、サーッ、と血の気が引いていくのがわかった。僕も遅まきながら、やっと現状の危うさを理解したのだ。
――まさか、あの場での宣言がそんな意味を持っていたなんて……!
「――でも、それにしてはちょっとおかしなところがあるのよねー?」
「おかしなところ……?」
小首を傾げて不思議がるフリムに、僕も同じ角度に首を傾ける。端から見たらベッドの上で同じようなポーズをとっている二人組に見えて、さぞかし間抜けに見えるだろう。
「アタシ考えてみたんだけど、こういう作戦をとる時って、当たり前だけど周囲の理解とか協力も必要になってくると思うのよね」
「うん……それはそうだね……?」
「けど、おかしくない? ヴィリーさんの宣言を聞いた時の『NPK』メンバーの反応。アレ、どう見ても『そんなの聞いてない』って面だったわよ?」
「あ……」
言われてみれば、確かに。あの時、カレルさんですら愕然としていた。
「アシュリーなんて特にすごかったじゃない。目と口をかっ開いて、なんか世界の終わりでも見たような顔して。やだ、思い出したらちょっとウケるわアレ」
ぷぷっ、と小さく噴き出すフリム。僕は自分のことに必死すぎて見ていなかったけど、大体の想像はつく。真面目なアシュリーさんのことだ。きっと我が耳を疑って、それはもうすごい勢いで驚愕を露わにしていたに違いない。
「――って、話がズレたわね。だからアタシが考えるに、アレはヴィリーさんから何のお達しも出てなかったってことだと思うのよ。でも、それって何か変じゃない? ふつー相談ぐらいするでしょ。例えばほら、相棒のカレルレンさんなんかには特に」
「……あっ」
カレルさんの名前が出た瞬間、僕は全てを察してしまった。
――そうだ。そうだった……!
フリムの推察はもっともで、ヴィリーさんには、事前に自クラスタのメンバーに周知徹底することができない事情があったのである。
「なによハルト、『あっ』って? アンタ何か知ってるの?」
「う、うん……えっと、実はね……」
僕は思い出したことをフリムに語る。
それは先日のこと。そう、僕らがまだロゼさんと出会う前、『ヴォルクリング・サーカス事件』が起こる以前の話である。
当時、僕とハヌはヴィリーさん自ら『蒼き紅炎の騎士団』へと勧誘されていた。
だがそれを、側近であるカレルさんに『なかったことにして欲しい』と頼まれたのだ。
理由は知っての通りである。僕とハヌの力が規格外に過ぎる、このままでは『NPK』が空中分解を起こしかねない――それがカレルさんの主張だった。
強硬に僕らの加入を拒絶するカレルさんに折れる形で、一度はヴィリーさんも勧誘断念を承服した。
といっても、その場ではほとんど最後まで仏頂面だったし、別れる間際には『絶対に逃がさないから。覚悟しておきなさい』と告げられたのだけど――しかし正直、僕はヴィリーさんの言動を負け惜しみの一種だと捉えていたし、まさかアレが本気の発言だとは夢にも思っていなかったのである。
「――あー、なるほどねぇ……そういうことねー」
僕の説明を聞き終えたフリムは腕を組み、しみじみと納得した。
「そういうことならヴィリーさんの行動にも筋が通るし、理解できるわ。アレ、むしろカレルレンさんの意向をひっくり返すための行動だったのね……公の場であそこまでやられたら、立場的にはもう反対できなくなっちゃうもの。そりゃアシュリーだって別の意味で慌てて大騒ぎするわけね」
ふっ、と遠い目をして皮肉気に笑うフリム。当時のアシュリーさんの姿を思い出しているのだろう。よほどの狼狽ぶりだったに違いない。
「――あーもう、ほんっっっっっっとーにっ! 面倒なことになったわねぇ……」
フリムが突然、がーっ! と両手を上げて爆発したかと思ったら、そのまま全身の力を抜いて僕に倒れかかってきた。ふにゃ、とだらけた猫みたいに溶けて、僕の膝の上で腹這いになる。
「……これから、どうしたらいいんだろう、僕……?」
ぽつり、と僕の口から自然とそんな問いが漏れていた。
多分、というか間違いなく、今この瞬間も僕らをとりまく世界は激動している。あちこちの炎上案件はしばらくは収まることはないだろう。何故なら僕らと『NPK』は、明日からもしばらく合同エクスプロールを続けることが決まっているのだから。
「どうしたらって、そんなの簡単じゃない」
「え?」
ベッドの上でうつ伏せになっているフリムは、こちらを見ないまま軽く言った。
「これまで通り、普通にやっていくのよ。言ったでしょ? ネットで騒いでる奴らなんて、ただ陰に隠れてイキってるだけよ。実際にこっちへ手を出してくるわけでもなし、ほっとけばいずれ沈静化するわよ。こればっかりは時間薬だわ」
「で、でも、ヴィリーさんの誘いは……」
「それもこれまで通り、上手く受け流して現状維持するしかないわよ。それともナニ? アンタ、ヴィリーさんのところ行きたいの?」
「そ、そんな……! む、無理だよ、だって僕達はもうクラスタを作ってるし、第一カレルさんが反対してるのに、僕があっちに入ったところで上手くいくなんて思えないし……」
「でしょ? だったらイエスでもノーでもない状況を保って、ヴィリーさんが諦めるか自然消滅するかを待つしかないじゃない。ま、言うのは簡単だけど、実際には超面倒よねー、コレ。小竜姫もまーたキレるだろうし……ったく、どう考えても〝調整役〟のアタシが頭使わないといけない流れじゃない。ああもう……」
ぐでー、と昼寝中の犬のように僕の膝上でだれるフリム。
彼女が自らを〝調整役〟と称したことにちょっと違和感を覚えたけれど、しかし考えてみれば実際にそうである。
僕はもちろんのこと、実を言うとハヌもロゼさんも対外的なコミュニケーション力に乏しい。
これはハヌが現人神としての身分を隠していて、ロゼさんもまた『ヴォルクリング・サーカス』の関係者であることを伏せているからなのだけど。
でも、フリムだけは別だ。彼女は既に武具作成士〝無限光〟としての名声があるし、お客さんとやりとりをしつつ武具を作るという職業柄、対外能力は人並み以上にある。
今回の合同エクスプロールにおいても、基本的なやりとりではフリムが矢面に立ってくれていた。ハヌはヴィリーさんを毛嫌いしているし、ロゼさんは同じ〝神器保有者〟ということで微妙な距離感があるしで、性格的相性もあってか、フリムが一番の適任者だったのである。
「ま、そのあたりはカレルレンさんとも相談するわ。あの人だってヴィリーさんを止めたがってるだろうし、アタシ達にもその気がないってことを伝えたら、陰ながら助けてくれるでしょ、多分……ん? ――ちょっと、なんか変な音しない?」
「え? 変な音?」
急に、がばっ、とフリムが身を起こした。両手を耳に当て、羽のように広げる。聞き耳を立てているのだ。
「……言われてみれば……声、かな……? 変な声が……?」
僕も耳を澄ましてみたところ、遠くからおかしな声が聞こえてくることに気が付いた。
複数の人の声。それも、叫ぶような大声だ。いくつもの怒声が入り混じり、窓の向こうから微かに聞こえてくる。
――まさか……?
嫌な予感が脳裏を過ぎる。
「「…………」」
僕とフリムは無言のまま、互いに見つめ合った。どうやら彼女も僕と同じ予想をしたらしい。
騒ぐ声はどんどん近付いてきていた。
僕ら二人は同時に、病室の窓へと視線を向ける。どうやら音はあの向こうからやって来ているらしいのだ。
「……開けるわよ?」
フリムが僕に聞いたので、仕方なく頷いた。
病室の窓は自動式だ。フリムは〝SEAL〟からコマンドを飛ばして、ロックの解除とフレームのスライドを連続で行った。
ほんの少しの隙間ができた途端、外からがなり声が飛び込んできた。
『出てこいベオウルフッ!』『てめーふざけてんじゃねえぞ!』『死ね死ね死ね死ねぶっ殺してやる!』『ビビってんじゃねーぞゴルァ!』
と、ある意味予想通りの声はもちろんのこと。
『こんなところでデモなんかやって迷惑じゃないのよ!』『情けない男どもね! ガキみたいなことしてんじゃねーよ!』『ビビってんのはテメェらだろうが! 群がってイキってんじゃねー!』『あの子には絶対に近づけさせないわよ!』『ベオくん頑張ってぇー!』
と、どことなく僕を擁護するような声とが混ざり合って、ここまで響いてきたのである。
「な、なにが……?」
起こっているのだろう? と僕とフリムはどちらからともなくベッドから降りて、窓に近付いた。
途端、音圧を増す騒動の声。
そう、聞こえてくるのはまぎれもなく『喧嘩』の音声だった。
そして、窓から外の光景を見た僕達は、言葉を失って立ち尽くす。
「……ごめんハルト、アタシちょっと……ヴィリーさんの人気、なめてたかもしんない……」
「うん……ごめん……それ、僕もだよ……」
呆然と呟くフリムに、僕も力なく同意することしかできなかった。
認めるしかない。僕達は油断していたのだ。
事の大きさを甘く見ていたと、そう言わざるを得ない。
だって、こんなことになろうとは、夢にも思わなかったのだから。
僕達二人が窓から見下ろす光景。
それは――
病院の前に何千人という群衆が集まっているという、途方もない光景だった。




