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ずる賢い狼と可憐な小うさぎの、顛末 5



 一昨日くらいから、時折思い出したかのように頭の奥が鈍く痛む。

 かといって、熱やだるさなどの他の症状はなく、食欲も落ちていない。

 仕事ができないほど痛むわけでもないし、少し集中力が途切れやすくなる以外、支障もない。不調と呼ぶほどのものでもなかった。


 日々鍛錬し、不定期に現れる魔物を殲滅する……だけでは、もちろん砦の運用は立ち行かない。

 建物や備品の維持修繕に衛生管理。食糧や消耗品の補充数の決定。隊員の勤怠管理や、給料の支払い。役職持ちともなれば、必要な書類仕事は山のようにある。

 急を要する修繕の予算申請の書類を書き終えたところで、少し休憩にしようとペンを置く。

 ぼんやりと視線を向けた先には、応接テーブルに置かれた昼食があった。


 食事はいつも、ハニーナが執務室まで運んでくる。

 キリのいいところまで仕事を片づけてからと脇によけておいたそれが、すっかり冷めきっているのをお茶を淹れにきた彼女に発見されて渋い顔をされたのは一度や二度じゃない。

 小言を毎回忘れないのは、お世話係としての責任感か、ハニーナの元々の性質か。

 子どもにするような注意を受けるのは妙におかしくて嫌いじゃないけれど、今日は聞くことなく済みそうだ。


 流し込むように食事を取ったあと、鎮痛剤を飲めば頭痛は多少改善した。

 朝から夜まで働きづめで、短い睡眠時間に不規則な食事。加えて最近はあまり外にも出ていない。

 身体を壊しかねない仕事の仕方だということは、誰に言われずとも自分が一番理解していた。

 けれど、隊長のいない今、その穴を埋めるには多少の無茶は致し方ない。

 使用人頭もそれくらいはわかっているだろうに、ハニーナを寄越したのはせめてもの情けか、もしくは逆にニンジンをぶら下げられているのか。

 どちらにしろ、現状ハニーナのストレス増加以外の効果はなさそうだ。


 惚れた弱みで言いなりになるような腑抜けでも、彼女との時間を励みに仕事の進みが早くなるような単純バカでもない。

 オレがそんな人間だったら、そもそも隊長も直属の小隊長には選ばないだろう。

 隊長の補佐として、隊長の苦手な数字などの部分を補うことにばかり長けた身では、最終決定権を持たされるのは少々重い。

 けれど、任された以上は、隊長の帰還まで大きな問題なく砦を維持したいところだ。

 それは責任感ではなく、隊長への忠誠心などでもなく、単純に自分のプライドが許さないから。

 だから、頭痛くらいで音を上げるわけにはいかなかった。




 昼過ぎ、紅茶を淹れに来たハニーナは、テーブルの上の空になった食器を見て目をまたたかせた。


「今日はちゃんと食べられたんですね」


 仕事の邪魔にならないよう、執務机の脇にそっとカップを置きながら意外そうに言う。

 その声音にも表情にも、少しの安堵が隠されているのは気のせいじゃないだろう。

 嫌いな人間相手でも気遣いを忘れない彼女は、本当にお優しい(・・・・)


「お小言が言えなくて残念だったね」

「言いたくて言っているわけじゃありません! あたたかいうちに食べてもらわないと作ってくれた人に申し訳ないですし、おいしい食事は気分転換にも最適だと思うんです」

「ハニーナが一緒に食べてくれたら、もっとおいしく感じると思うけど。オレのやる気向上に貢献する気は?」

「しょ、食事は休憩時間ですから……!」


 休憩時間にまで一緒にはいたくない、と。あくまでこれは仕事だと。

 明確なラインを引いたのは、ハニーナにしてみれば無意識でのことだろう。

 もちろん、仕事以外の何物でもないことは百も承知だけれど。今さらそれくらいで傷ついたりもしないけれど。

 疲れがたまっているせいか、少々癪に障った。


「まあ、ハニーナが目の前にいたら食事よりそっちをいただきたくなっちゃうか。しょうがないから諦めるよ」

「い、いただ……っ!」


 わざとらしくニッコリ笑顔を向ければ、ハニーナは言葉を失って口をぱくぱくとさせる。

 頬と言わず顔と言わず、首までおいしそうに色づいていく。

 ハニーナの白い肌は、動揺も恥じらいも隠せない。


「これくらいで真っ赤になっちゃって、本当に子どもだね。そんなところもかわいいけど、悪い狼に食べられないか心配になるな」


 座ったまま彼女の頬に伸ばした手はあっさりと避けられる。

 羞恥からか怒りからか、ハニーナは小さく震えながらも睨み返してきた。

 悪い狼はあなたでしょう、とでも言いたげな顔だ。

 オレの言葉が、ハニーナにまっすぐ届くことはない。

 それはオレの過去の言動が招いた結果で、オレ自身が望んだことでもあったはずなのだけれど。


 最近、なぜか。

 無性に苛立つときがある。


「男はみんな狼だって、前も似たようなこと言ったと思うけど。悪い狼といい狼を一緒に飼ってるのが男って生き物だよ」

「マラカイルさんもそうだって言いたいんですか?」

「さあ? それはハニーナ次第じゃないかな」

「どういうことですか」


 さて、どういうことだろう。

 どんな言葉を選べば相手に望んだ影響をもたらすか、常に計算しながら話しているオレには珍しい自問だ。

 いつもよりも動きの鈍い思考は、治りきっていない頭痛のせいにしておこうか。


「男を克服したいなら、まずはオレで慣れれば?」

「慣れ、る……?」

「ハニーナは男が怖いんじゃなくて、知らないから怖いんだよ。だから、オレで男を知ればいい」


 まあ、無理だろうけど。

 と、オレは心の中でこっそり呟く。

 知らないから怖い、なんて詭弁でしかない。知ろうと思えない時点で、すでに苦手意識は確実にあるのだから。

 そしてもし、知りたいという気持ちがあったとして。

“試しに知る男”がオレである必要性だって、どこにもないのだ。


「…………」


 けれど、予想していた拒絶の言葉がハニーナの口から出てくることはなく、返ってきたのは長い沈黙だった。


「ハニーナ?」


 声をかけても、ハニーナは微動だにもせずじっとオレを見下ろしている。

 もちろん顔に出すことはないけれど、オレは密かに動揺していた。

 ――初めて、彼女が何を考えているか読めなかったから。


「それなら、わたしが知ろうとすれば、マラカイルさんは教えてくれるんですか?」


 どうやらハニーナは、『男を知る』という言葉を額面通りに受け止めたようだ。

 もちろん、深読みが必要な意味は込めていないけれど、過剰反応してくれればそれはそれで楽しかったのに。


「いいよ、なんでも教えてあげる。ハニーナが逃げ出さないならね」


 問いの意図を掴みきれないまま、余裕の笑みは崩さずに答える。

 どこか普段と雰囲気が違うからといって、ハニーナは変わらずハニーナだ。

 反応がおもしろくて、からかいがいのある、かわいいかわいいオレの獲物(小うさぎ)

 少し突つけば、また顔を真っ赤にして逃げ出そうとするだろう。


 そう、思っていたのに。


「……なに、してるの」


 隠しきれない動揺に、声が掠れた。


「やわらかいんですね」

「答えになってないんだけど」


 ハニーナの白く繊細な手が、オレの髪に触れている。

 ゆっくりと表面を撫でたかと思うと、指で挟むようにして軽く引っ張る。

 痛くはないけれど遠慮も感じない。

 まるで、初めて手にした人形を触って確かめる子どものような手つき。

 色気なんて露ほども含まれてはいないのに、思考が乱される。

 吐こうとしたため息も、口の中で消えてしまった。


「男の人の髪はかたいイメージがあったんですけど、マラカイルさんの髪は前からやわらかそうだなと思っていたので」


 ハニーナの行動も、発言も、何一つ理解不能だった。

 なんとか文脈を読み取ろうと、オレはひどく動きの鈍い頭で先ほどまでのやり取りを思い返す。

 そして、まさか……と一つの考えにたどり着く。

 たしかにオレは、『オレで男を知ればいい』と言った。

 言った、けれども。


「……まず最初に知りたいことが、髪質?」

「へ、変でしたか……?」

「変というか……」


 いや、もちろんハニーナも変だと思う。そこは否定しない。

 しかし……彼女以上に変なのは、オレだ。

 思考がうまくまとまらない。感情がぐちゃぐちゃに散らかっている。

 落ち着け、と自分に言い聞かせてみたところで、少しも効果はなかった。

 大物の魔物を前にしたときだってもっと冷静に対処できたのに。

 常にない事態に、今すぐこの場から逃げ出したいような気持ちにすらなってくる。


 だって、はじめて、だ。

 はじめて、ハニーナから手が伸ばされた。

 手を払われたり、身体を押し返されたり、これまで彼女から与えられたぬくもりはすべてオレを拒絶するものでしかなかった。

 触れられている髪、一本一本が悲鳴を上げているような気がした。

 全身に広がっていく熱は、むずがゆさは、なんと名前をつければいいのか。

 こんなもの、オレは知らない。


「今日はもう下がっていいよ。夕食は休憩がてら自分で取りに行くから」


 髪に触れていた手を掴んで止め、なんとかそれだけ告げる。

 今は、これ以上傍にいないほうがいい。

 どうしてか、そんな予感がした。


「いえ、今のわたしの一番のお仕事は、マラカイルさんのお目付役ですから」

「いきなり開き直りすぎじゃない……?」


 現在、砦の最高責任者の代理であるオレは、使用人頭よりも権限は上だ。

 昨日までのハニーナなら、仕事への責任感があるからこそ、オレの決定におとなしく従ったはずだ。

 けれど、今の彼女はキラキラとやる気に満ちた瞳をまっすぐに向けてくる。

 出会った当初の好意を宿した眼差しに少し似たそれが、ただただ眩しい。


「目を背けていたら、ずっとわからないままなんだって。わからないなら、知ろうとすればいいんだって。そんな当たり前なことに、今さら気がつきました」


 いつも、その瞳は弱々しくオレを睨んでいた。

 人を癒やし、人を包み込む、どこまでも深く優しい宵闇の色の瞳。

 今、そこに輝く星に魅入られたように、オレは目をそらすことができずにいた。


「マラカイルさんに教えてくれる気があるなら、受けて立ちます。これから、改めてよろしくお願いします!」


 掴んだままだったハニーナの手に、逆に握り返される。

 やわらかなぬくもりに、心臓ごと握られたような錯覚を覚えた。


 純粋な小うさぎが自ら皿の上に乗ってきた。

 真っ当で、曲がったところのない、いっそ危ういほど健全な精神。

 そのきれいな心を、汚してしまいたいような、丸ごと守りたいような。形の定まらない感情に『恋』という名札を下げて、まるで人形遊びのように楽しんでいた。

 けれど。


『気づいたときには主導権なんてそっくり明け渡してるもんだよ、恋ってのは。ミルト、今ほんとに主導権持ってる?』


 たった数ヶ月前の、レットの言葉。

 オレの脳内で、彼はそれはそれは楽しそうに笑っている。

 ほら、言わんこっちゃない、としたり顔で。


「……参ったなぁ」


 何にこれほど参っているのか。

 自分でもよくわからないままに、そう呟く。

 今はもう、オレが握っているのか彼女に握られているのか、わからなくなってしまった。

 それは手のことだけではなくて……ずっと自分が持っていると思っていた、主導権も。




 身体の不調とはまた別の頭痛がする。

 妙な甘さを伴う痛みに効く薬は、きっとどこにも存在しないだろう。







コミカライズ記念連載、第三部中の脇カプサイド、お付き合いありがとうございました。

本編裏で起きていた二人の顛末としては、ひとまずこれで完結です。

第三部終了後のおまけも予定していますが、気長にお待ちいただければと思います。

食べられコミックス版1巻もよろしくお願いします!

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[一言] とても楽しく拝読しました! ココリアさんとフロウさんのお話もとても素敵そうですね^^たとえ二人に子供が生まれなくても(立場的に大変ですが)、しあわせになってほしいなぁ、と思います! 砦に帰っ…
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