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35:意味のわからない提案をされました



 それからは、代わる代わるお貴族様が挨拶しに来て本当に大変だった。

 隊長さんは変わらず死にそうな顔をしていたけど、そのままどうにか対応してくれた。

 私はボロが出ないよう、ずっと笑ったままでほとんど話さなかった。

 まさかこんな展開になるとは思ってなかったけど、何があっても隊長さんに任せてただ笑っていること、というタイラルド家の教えを忠実に守ってやり過ごした。

 一応、一言も話さないわけにはいかなくて、祝福の言葉に対してお礼を告げるくらいはしましたよ!


 慣れないドレスで立ちっぱなしの笑いっぱなし。加えて、食事どころか水だって一滴も口にできない。

 そんな状態で疲れが出るのは早くて、私たちはほどほどのところで切り上げさせてもらった。

 でも……タイラルドの家に帰るときにも、一悶着あった。

 カーディナさんと合流したら、きつく睨まれて無言の抗議を受けてしまった。

 私たちの関係を秘密にしたことを怒っているんだろう。自業自得だけど、胸が痛んだ。

 馬車の同乗まで拒否されてしまって困っていると、エッシェさんが自分の馬車でカーディナさんを送り届けると気を回してくれた。


 そうして、隊長さんと二人で馬車に乗り込み帰路についているわけなんですが。

 沈黙が、重い……。


「あの、グレイスさん」


 言わなきゃいけないことが、ある。

 でも、ここまで空気が重すぎると、何から言葉にしていいのかわからなくなってしまう。

 きっと隊長さんはこう思っているはずだ。

『待つと約束したのに待てない状況になってしまった』、と。

 私はもう、選んだのに。

 パーティーが終わったら、なんて考えていたのが裏目に出てしまった。

 まったく王太子め、本当に勝手なことをしてくれるんだから。


「サクラ……」

「はい?」


 相変わらず死にそうな顔で、死にそうな声で名前を呼ばれた。

 返事をしながら、覗き込むようにして隊長さんと目を合わせる。

 暗く沈んだ灰色の瞳には、妙な覚悟が浮かんでいた。


「もし……もしも、この婚約に不満があれば、重荷に感じることがあれば、秘密裏にお前が国を出られるよう俺が手はずを整える」

「へ……?」


 ぽかんと私は口を開けたまま固まってしまった。

 隊長さんが何を言い出したのか、全然まったく理解できなかった。


「他の国でも精霊の客人は丁重に扱われる。国の保護を受ければこの国も手は出せない」

「ほ、他の国って……何言ってるんですか!? 私はどこにも行きません!」

「……そうだな。また新たな地で一から関係を育むのは、覚悟と気力のいることだ」

「そうじゃなくて! そもそもどうして私が他の国に行く必要があるんですか! さっきからなんの話をしてるのか全然わかりません!」


 話の流れも、隊長さんの心の動きも掴めない。

 焦った私は隊長さんの腕を引っ張った。

 よくない方向に走っていってしまいそうな隊長さんを、引き止めるように。


「あれだけ大勢の前で公表された婚約を、今さら覆すことはできない。お前は……俺と、結婚するしかない」


 低く、うなるような声。

 手負いの獣のよう、とはこういうことを言うのかもしれない。

 隊長さんは腰を丸めて、くしゃりと前髪を握り込んだ。


「お前に逃げ道がなくなって、安堵している自分が一番許せない」

「グレイスさん……」


 隊長さんの、深い、深い愛が伝わってくるような懺悔だった。

 どうやら私が考えていた以上に隊長さんは現状を重く受け止めていたようだ。

 的外れな提案は、私への罪滅ぼしのようなものだったのか。

 どこまでも真面目で誠実な隊長さんに、私はたまらない気持ちになってしまった。


「そこは、素直に喜んでくださいよ。大好きな人と結婚できるー、やったーって」

「……お前の気持ちが伴っていなければ意味がない」

「伴ってます。伴ってるんです」


 思わず告げた本心に、隊長さんはゆっくりと顔を上げた。

 でも、その表情にはまだ色濃い陰が残っている。


「もしかして、こんな状況になっちゃったから私が渋々あきらめた、とか思ってますか?」


 私の指摘に、隊長さんは一層顔を歪める。

 ……図星らしい。


「手放すつもりはないって、言ってたじゃないですか」

「それは……」


 隊長さんは口を開いたけど、すぐにまた閉じてしまった。


『俺は、お前を手放すつもりはないからな』


 隊長さんが、初めて私に『愛してる』と直球に気持ちを告げてくれたときの言葉。

 あのときはまだ未練を捨てきれていなかったから、勝手にも程があるのはわかってる。

 それでも、それだけ隊長さんに求められていることがうれしかった。

 ずっと、放さないでほしいと思った。


「愛してるって、手放す気はないって、見返りを求めてるって。いっぱい、グレイスさんの気持ちも望みも聞きました。でも、グレイスさんはいつもいつも、私の気持ちを優先しようとします。グレイスさんは私に優しすぎます」

「……優しいんじゃない。臆病なんだ」

「知ってます! どれだけ一緒にいたと思ってるんですか! どれだけ、私がグレイスさんのこと好きだと思ってるんですか!」


 前に王太子にも啖呵を切ったように、実際の年月は関係ない。

 出会いは春で、今は秋。

 たった半年かもしれないけど、これまでの二十年間よりずっと濃い半年だった。

 最初はただ格好いい人だと思って、すぐに真面目で優しい人だと知って、それが恋になって。

 隊長さんはどんな私でも受け入れてくれたから、どんどん、どんどん、私の気持ちは育っていって。

 今まで私が恋だと思っていたものとは比べられないくらい、重くて面倒なものになっていった。


「私がいつか後悔するかもしれないのが怖いですか? 気持ちが離れてしまったらどうしようって思ってますか?」


 私の問いに、隊長さんはうなだれるように小さくうなずく。

 そうやって弱い面も見せてくれるから、私のせいで弱くもなってくれる人だから、誰より大事にしたいと思う。

 隊長さんの頬を両手で包み込むようにして、顔を上げさせる。

 青みを帯びた灰色の瞳を、まっすぐ見つめた。


「私に嫌われるのが怖くて、自分の望みを殺してまで私を優先しようとする優しくて臆病なグレイスさんが、私は好きなんです。こんなに私のことを想ってくれる人なんて、きっと全世界探したっていません」


 私にとって、恋はただ楽しむものだった。

 恋のドキドキを楽しんで、寂しいときには慰め合って、楽しくなくなったらお別れする。

 ずっと、そういうものだと思っていた。

 この人と出会うために、この人を愛してこの人に愛されるために生まれてきたんだって、そう思えるような恋はフィクションにしかないと思っていた。どこか、達観していた。

 でも、私はこの世界で“唯一”を見つけることができた。


「今まで散々グレイスさんの優しさに甘えてきた私が言えることじゃないけど……私は、グレイスさんのわがままが聞きたい」


 隊長さんは私のわがままを聞いて、気持ちが固まるまで待っていてくれた。

 決して私を急かすことなく、意識が混濁するまで酔わないと弱音も吐けないくらい自分を押し込めて。

 だから、今度は私が彼のわがままを聞く番だ。


「私にしか叶えられないわがままを、言ってくれませんか?」


 私にすがりつくように触れてきたあの夜と同じように。そして、そのときとは違って正気で。

 お酒の入っていない口から、隊長さんの本心を聞かせてほしい。


「俺は……」


 隊長さんの口は何度も開いて閉じてを繰り返す。

 辛抱強く待ってみたけれど、一向にそこから言葉が発せられることはなかった。

 ついにため息がこぼされたところで、私の忍耐力は限界が来た。


「よーし、わかりました!」


 パチン、と私は手を合わせて声を上げる。

 隊長さんは虚をつかれたように目をまたたかせた。


「グレイスさん、私ちょっとやりたいことがあるんです。忙しいとは思うんですけど、グレイスさんの一日をください。見晴らしのいい場所に連れて行ってほしいんです」


 自分の言いたいことだけを一方的に捲し立てる。

 お付き合いというものがあるとしても、隊長さんは休暇中なんだからそもそも休めないほうがおかしいんだ。

 長期休暇中の一日を独占するくらい、恋人改め婚約者なら許されるはず。


「やりたいこと……?」

「そのときまで内緒です! 首を洗って待っててくださいね!」


 果たし状を叩きつけるような気持ちで、ビシッと人差し指を突きつける。

 隊長さんは何度か目をまたたかせていたけど、勢いに押されるようにしてうなずいた。



 これで、私ももうあとには引けない。

 もちろん、引くつもりは少しもなかった。







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