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ヘテロチャイルド  作者: 半藤一夜
インターローグ
33/59

閑話休題、動物園にて

「ちょっとこっち来てお兄ちゃん、あのサルお兄ちゃんに似てる!」

 ミスズに呼ばれ、カズはひとつ溜息をついてから歩み寄る。僕もその後に続く。

「どれだよ?」

「ほら、あの子」

 美鈴の指差す先に、人生いっちょあがりとばかりに腹を見せて寝そべっている猿がいた。

「やる気なくてだらしないとこがそっくりでしょ?」

 カズが拳で殴るふりをすると、ミスズは逃げるふりをしてケラケラと笑った。

「それじゃ、そのカズモンキーにちょっかいだしてるのが君かな」

 寝そべっている猿の近くをウロウロし、時たま突ついたりしている子猿がいた。親子だろうか。

「じゃあ想介モンキーはあいつだな。隅っこの方でじっと動かないやつ」

「なんだよ、皆の輪に入れない寂しい奴って言いたいのか?」

「そうだ。そんでメスザルの赤いケツを眺めて自分を慰めてるんだ」

「それは言いすぎだろ」

 しばらく他愛のない話をして、なんとなく三人で猿山を見つめているだけの静かな時間が流れた。

 やがてパンフレットを開いて園内マップを確認した美鈴が、

「ねえ、あっちにクマがいるらしいよ! 見に行こう!」

 と興奮ぎみに猿山の奥を指さす。

 だが、カズはちらりと僕を見た後に首を横に振った。

「一人で行って来い。俺と想介はここでもうしばらくサル見てっから」

「えっ、そんなにサルが気に入ったの? クマ見なくてもいいの?」

「ああ。クマとサルだったら断然サルだ」

「そいつはクマったね」

「頼むでごザル」

 そんなくだらない応酬で満足したのか、美鈴は「じゃ行ってくるね」と手を振りながらクマの展示場所へ向かっていった。

 ふいに、身を切るような冷たい風が吹きつける。

 相変わらず動物園には客がおらず、活発に動き回る猿たち以外、辺りに動くものはない。

「かわいい妹さんだな」

「やらねえぞ」

 知ってるよ、と応える。

 そんなことは言われるまでもなく、百も承知だ。

「それで、想介。何か言いてえことがあるんだろ」

 さすがにわかっているようで、カズの方から切り出してきた。覚悟が決まっていないのはどうやら僕の方らしい。

「そっちこそ何か用があったんじゃないのか。今日会おうって言ってきたのはカズだろ」

「たいしたことじゃねえ。あいつをお前に見せびらかしたかっただけさ」

「自慢かよ」

 これだけ仲睦まじさを見せつけられたら羨ましいと言わざるを得ないが、とはいえ、カズに対して嫉妬や羨望の感情は浮かばない。

 僕と似すぎているから。

 内面も姿形もファッションセンスも、血液型から好きな漫画まで全然違うけど、それでもカズは、一人ぼっちのサルと同じくらい、僕にそっくりだった。

 だから僕は、カズになりたいとは思わない。

 それでも——もし僕の考えが正しいのならば。

 傲慢だけど、できることなら変わってやりたいとは思う。

「カズ。話をする前に約束してくれないか。これから僕が何を言っても、僕がおかしくなったと思わないで聞いてほしい」

「そりゃ無理な相談だ。元々おかしな奴だとは思ってるからな。くはは」

 そう言って明るく笑うカズの顔を、僕は見ることができない。

「でもまあ、笑ったりはしねえよ」

「それで充分だ」

 ミスズはあの様子ならしばらく戻ってこないだろうが、あまりゆっくりもしていられない。きっとこの話は長くなる。終わる頃には身体が芯から冷え切っているかもしれない。

 僕は覚悟を決めた。

「カズはさ、夢を見ることはあるか?」

「夢? それは夜寝ている間に見る夢の話か?」

 頷いて返すと、カズは少し考えるようにした。

「そうだな。俺は眠りが浅い方だから、けっこう見るぜ。でも夢ってのは忘れちまうだけで実際は毎晩見てるらしいけどな」

「その通りだ。起きたら忘れる、それが夢だ。でも稀にだけど、夢の内容を覚えていることもある」

「ああ、そーいや前に言ってたっけ。夢の中で誰かに何か言われたってやつ」

 そこで何かに気付いたのか、はっと息を呑んだのが伝わってくる。

「覚えていてくれて嬉しいよ。人の記憶ってのは曖昧ですぐに風化する上に、ありもしない事実をねつ造したり、現実を改変したり混同したりもする。それでも記憶ってのは唯一すがるべきもので、人生そのものだ。だからこそ厄介なものだよな」

 カズは言葉を失っていた。

 僕が話したいのは、忘れもしない、僕の知っている人間が三人も死んだあの日のことだ。自分でも波乱万丈な人生だと自負しているけど、中でもあの日は特別だった。何があろうと曖昧になんかならないし、風化もしない。

 これはホッキョクグマの毛は実は透明で肌は黒いというような話だ。初めてホッキョクグマを発見した人物は絶対にそんなことを想わないだろうし、気付くこともなかっただろう。自分の目で見たものが全てなのだ。

 まったく、この世界というのはなんと不確かなものか。

 記憶が世界を構築しているなら、人間の数だけ世界が存在する。僕たちの存在そのものがパラレル・ワールドだ。

 それでも僕は、僕の世界の誤りを正さないわけにはいかない。それは今となっては僕にしか出来ないことだから。

 そうでなければ、本当に誰も救われないから。

「僕は今日、正解に辿り着くために来たんだ。あの日の結末に僕は納得していない。そのための手掛かりも得た。だから、カズに協力してほしいんだ」

「……ったく、また面倒くせえことを」

 いつもの返事が返ってきた。

「わかったよ。どんと来やがれ」

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