119.魔王と化す
119.魔王と化す
「ではこれより、”神に対する誓約”の儀を執り行う!」
新しい大司教が、片手を挙げて声を張り上げる。
この男はグエルに代わり大司教に任命された男で
肥った体で上目遣いにこちらを見ながら
しきりに舌なめずりするその仕草は、
グエルと大差ない低俗なものだった。
この者もしょせん、王妃の息がかかった聖職者なのだろう。
今回の儀を嬉々として進めており、
「これでローマンエヤール公爵家は我々の配下だ!」
と隠すことなく言い放ち、大喜びしていた。
あれから2日経ち、今日はとうとう宣誓の日となった。
相変わらずレオナルドは消息不明だ。
私はどこかに彼がいないか探して、視線をぐるりと漂わせた。
ここは王城近くにある、最も大きな闘技場。
わが公爵家を王家が、完全に掌握する様を見せつけるために、
多くの貴族を呼び集めたのだ。
しかも、いつもの闘技場ではなかった。
周囲と天井を真っ白なバリアでぐるりと覆い、
しっかりと他からの侵入を防いでいるのだ。
見れば数多くの魔術師が、額に汗をかきつつも
交代で必死にバリアを張っているのが見える。
……なんという無茶をさせるのだろうか。
その時、後方で声が聞こえた。
「シュバイツ公爵家は謹慎を言い渡されていらっしゃるのでは?」
ぞろぞろと下位聖職者を引き連れ、
会場に現れたディラン様に対し、
苦々しい顔で大司教が文句を言っている。
「おや? 君は大司教になったばかりで知らないのだな?
高位貴族が”神に対する誓約”を行う場合、
わがシュバイツ公爵家が立ち会うことが、
古来より義務付けられているのだよ」
ムッとしつつも言い返せない大司教に、
ディラン様は肩をすくめて言う。
「でなけりゃ、こんな面倒くさいことに参加するわけないだろ」
他の貴族は、まあそうだろうな、という顔をする。
フィオナと出会う前のディランは、何もかもが馬鹿馬鹿しく
全てにおいて公務をめんどくさそうに行っていたのだ。
それを十分に見てきたからこそ、
今日の参加も家のしきたりに従い、
仕方なく参加しているように見せていた。
……実際はあの中に、”破魔の聖句”を歌える司祭や
ぶかぶかのウィンプルを被ったフィオナがいるのだ。
私は闘技場のほぼ中央に、独りで立っている。
母は横の観覧席におり、父は参加に間に合わなかった。
何故ならいきなり一昨日、この国の北側に
”巨人キュクロープス”が出現したという報があり、
さらには昨日、北東の海には大海獣リヴァイアサンが目撃され
父が急遽、その両方に向かわざるを得なくなったのだ。
あの一つ目巨人は、眠りを覚まさなければ大人しいはずであり
大海獣はこれまで封じられた状態だったのだ。
おそらく父がこの場に来れないように、王妃が仕組んだのだろう。
目の前にぞろぞろと、王族が歩いてくるのが見えた。
国王は侍従たちに両側を支えられ、ゆっくりと椅子に座る。
……まだ、魔道具は大量に身につけているようだ。
私を見下しながら、王妃が命じてくる。
「まずは宣誓書に署名なさい」
王太子がいきなり割り込んで叫んだ。
「俺に誓わせるのじゃダメなのか? 母上!」
私ではなく、母親が即座に否定する。
「ダメよ、カーロス。宣誓は国王に対してでないと意味がないの」
「その通りですわ。
王位継承権をはく奪された者などへの宣誓など
なんの価値もなく、他国は気にも留めないでしょうね」
私の言葉に、王太子カーロスは悔しさに顔を歪ませる。
それに王太子など、誰もがいつでも殺せるのだ。
しかし国王のことは”誰にも、絶対に倒すことができない”、
という自信が王妃にはあるのだろう。
それはどうかしらね? 私は心の中で微笑む。
……さあ、進めよう。
私は”国王の命には全て従う”という文言を書面に記し、署名する。
息を呑む観衆。笑顔が押さえられない王妃と王太子。
「……では、宣誓を行う!」
大司教もニヤニヤを抑えられないまま叫ぶ。
数多くの魔道具を、王妃がひとつずつ取り外していく。
その周囲を魔導士たちと剣士が集まり、
魔法と武力に対する警備を強めていた。
やがて、身につけた魔道具が
全て取り外された国王が椅子に座らされた。
まるで人形のようだったが、
弓だけはしっかりと抱きかかえていた。
「さあ、早く宣誓なさい!」
王妃の怒鳴り声とともに、どこからか歌声が聞こえ出す。
ディランの連れてきた神官たちが”破魔の聖句”を歌い出したのだ。
怪訝な表情でそちらを見る王妃にディランが厳かに告げる。
「……聖なる式典ですので。
神への祈りが確実に、強く届くよう
ご支援させていただきます」
そうなの? という顔で王妃は向き直るが、
大司教は耳を塞ぎながら顔面蒼白となり、怒鳴って制止する。
「いけません! これは”破魔の聖句”です!」
ギョッとした顔で王妃はディランを見た後、
すぐに視線を国王に移した。
国王は微動だにせず、ぼーっと前をむいて座っている。
グエルの時のように錯乱することもなく
見た目にも変化は現れていなかった。
もしかして、効かないの?!
私の心は焦りで一杯になる。
このままだと、宣誓するしかないのに。
歌声が続いても何も起きないことに気付き
王妃は大司教と目を合わせ、
ホッとしたように顔を見合わせる。
そしてディランを見て、冷たく命じた。
「そのような行為は無用です。即刻、歌を取りやめなさい」
「ですが……」
「王妃が不要と言っておるのだ! 今すぐ止めよ!」
大司教の言葉に、歌はピタッと止まってしまう。
王妃は私に向かい、勝ち誇ったように告げる。
「さあ! 宣誓するのです、エリザベート」
私はゆっくりと前に出て、国王に向かって尋ねる。
「……国王様は本当に、私が宣誓することをお望みですか?」
国王は人形のように動かないのだ。
これで返答がなければ、
”宣誓は不要”という意思表示だと主張できる。
「エリザベート! 何を今さら!」
「私は国王様にお尋ねしているのです。
国王様の御言葉がいただきたいのです。
もし代わりに答える者があれば、
宣誓を望んでいるのは国王ではなく、
その者ということでしょう」
王妃はつかつかを歩いてくる。彼を操るつもりなのだろう。
これまでも腹話術師のように、国王が語る時には
王妃が支えるフリをしながら、ぴったりと体をつけていたのだから。
「さあ、国王様、お返事を……」
王妃がそう言いながら国王の背中に手を伸ばした、その瞬間。
「グギャアアアアア!!!」
国王はいきなり立ち上がり、口からものすごい奇声を発した。
そしてそのまま、意味の分からない言葉を吐き続ける。
「グリュギュギャオググギュル……」
そして口の端から、ネバネバした真っ黒な液体を垂れ流している。
「まあ、あなた! どうされましたの?!」
王妃は必死に取り繕うが、すでに時遅しだった。
国王は内部から変化を始めており、それがやっと表に現れたのだ。
口は耳まで裂け、ギザギザとした鋭い歯が見せた。
白目の部分は黒くなり、青かった瞳の部分は赤くなっている。
「キャー! どうなさったの?!」
「国王様が! あれではまるで……」
「まさかグエル大司教と同じ?!」
貴族の間で一斉に悲鳴や動揺が広がっていく。
王妃は彼らに対し、必死に大声を出した。
「違います! エリザベートが国王に呪詛をかけたのです!」
そう言いながら魔道具をふたたび国王に付けようとするが。
「いいえ、違います! みな見ていたでしょう、
エリザベートさんは呪詛などかけていません!」
フィオナが私のところに走りながら叫ぶ。
「控えよ! 下賤な者が近寄るでない!」
彼女が誰か分からず、王妃が叫んだ。
フィオナは乱暴にウィンプルを取り外す。
その姿を見て、王妃だけでなく全員が息を呑んだ。
「……お前は! 元・聖女の……!」
フィオナは王妃をまっすぐに見て言う。
「もう、国民を騙すのはお終いです。
皆さん、国王は人間ではありません……魔族です」
「バカげたことを言うな! この偽聖女め!」
「たいした力もないお前に何がわかるというのか!」
「出来損ないで役立たずの聖女だったくせに!」
大司教が叫び、彼に従える聖職者たちも怒鳴り散らした。
フィオナは王妃に微笑みかけて言う。
「力など無くても、国王様と王妃様に”祝福”を贈ることはできます」
「なんですって!? 止めなさい! 皆の者、こいつを捕らえよ!
いや殺しなさい、今すぐに殺してちょうだいーーっ!」
見守る貴族も兵士も戸惑い、動けずにいた。
たかが”祝福”を贈りたいというだけで、
なぜそんなに怯え、慌てているのだ? という顔で。
それでもノロノロと数人の兵が出てきたが、
ローマンエヤール公爵家とシュバイツ公爵家の兵が立ちはだかる。
「お前たち、何を……」
王妃がそちらに気を取られた瞬間。
フィオナが錫杖を大きく振り、細かな波動が広がっていく。
国王どころか、この闘技場全体にいきわたるほどの
超強力な”破邪の祈り”を発動したのだ。
パーーーーーーン!
何かが弾けるような音がして、
一瞬だけ、辺りが霞で濁った。
それが消え去った後の光景は、異様なものだった。
キャアアア!
うわああああ!
闘技場内に女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が飛び交う。
私の前に立っているのは、千切れた国王の服をまとった化け物だった。
体長3メートルくらいに膨れ上がり、
全身がゴツゴツした赤黒い表面に覆われ、触手が何本も生えている。
腕は異常に長く、ドラゴンのように長い爪を持っている。
頭部はアンバランスに大きく、
羊のように巻かれた大角が生えていた。
巨大な黒い目の中にある赤い瞳は、
くるくるとせわしなく蠢いている。
牙の生えた口から長い舌を伸ばし、
うめき声を上げながら立っている。
魔族というよりも、魔王。
とうとうその正体を現したのだ。




