85 点と点
「タクト、お風呂があいたにゃーん」
最近、ようやく一人で頭を洗えるようになったマオが、髪をタオルで拭きながらタクトの部屋にやってきた。
ちなみにマオは、その日の気分によってクララメラと一緒に寝たり、タクトのベッドに潜り込んで来たりする。
昨日はクララメラと一緒に寝たので、今日はきっとタクトの部屋に居座るつもりなのだろう。
「タクト、寝転んで何を読んでるにゃ?」
タクトはベッドにうつ伏せになり本を読んでいた。
その内容が気になったらしく、パジャマ姿のマオが隣に寝転んでくる。
しかしマオは本を覗き込むと、途端に困り顔になり、にゃーんと唸った。
「難しくて何書いているのか話からないにゃぁ……」
「そりゃそうだろう。一応、魔導書だから。世間では認められていないけど」
魔術師の一族であるバルフォア家の書架において、この本はクラゲ・ボクサーなどという訳の分からない本と同じ扱いを受けていた。
つまり、次元回廊は魔術ではない。
まともに語るのも馬鹿馬鹿しい、与太話の類い。
酒の場で笑い話としてする分には楽しいが、本気で研究しだしたら、それは変人に分類されてしまう。
チャーリー・バルフォアの父親は、この本を一つのネタとして買ったはずだ。
実のところ、タクトの目から見ても荒唐無稽。
なにせ冒頭一ページ目から「自分は次元回廊を開くことに成功した」という著者の断言から始まるのだから。
笑わずにはいられない。
安ければ買ってやろうという気分にもなる。
だが、それでも。
不思議と引き込まれる〝何か〟があった。
「マオ。俺はしばらくこの本に集中するから。暇なら店長の部屋に行って遊んでおいで」
「分かったにゃ。けど、お風呂に入らないまま寝落ちしちゃ駄目にゃん!」
「はいはい」
部屋から出て行く猫耳幼女の後ろ姿を目の端で追ってから、タクトは再び本に集中する。
次元回廊の研究――この本の著者は『テルタン・テールフラ』というらしい。
女性、だろうか?
内容からして、しっかりとした知識を持った魔術師なのは間違いない。
しかし、信頼に値するかといえば、これは疑わしい。
知識を持った者が、悪ふざけで作った本と考えるのが妥当だ。
いわく――
『この世界は〝カラビヤウの海〟と呼ばれる空間にたゆたっている。
カラビヤウの海には無数の世界が浮かんでいて、この世界はその一つ。
この世界と他の世界、あるいはカラビヤウの海と繋げる呪文こそが次元回廊である。
次元回廊を開くには、絶対に必要なものがある。
それは超エネルギー同士の激突だ。
その超エネルギーはそれぞれ女神に匹敵するものでなければならない。
それだけのものを用意しても、まだ完全ではない。
たんに次元回廊を開いただけでは、どこへ行ってしまうか分からないからだ。
よって行き先を指定する方法を作らねばならないが、私はそれに成功した。
その方法は、この世界のとある場所に隠してあるので、興味をもった者は探して欲しい』
「本当かよ」と、タクトは声に出して疑いつつ、更に読み進める。
開いた次元回廊を探知する方法とか。
生命が発生している世界は全体の一パーセント以下である、とか。
カラビヤウの海の外側に、更に広大な何かがある可能性、とか。
そんなことが書かれていた。
「……これは明らかに、グラド・エルヴァスティのメモにあった本だな」
タクトは改めて洞窟で見つけたメモを見返す。
すると最後のページに「いまだ次元回廊を開くこと叶わず。夢で出会ったテルタン・テールフラと再会することは無理なのであろうか」と書かれているの発見した。
メモはそこで終わりだ。
「夢で出会った……? グラド・エルヴァスティが、この本の著者と?」
まるで意味が分からない。
やはり、一から十まで嘘なのではないかと疑ってしまう。
あの洞窟でメモを発見してから一連の流れが、全て茶番劇に思えてきた。
性格の悪い魔術師が、後世の者を騙そうとして仕掛けた壮大なイタズラなのでは、と。
だが、グラド・エルヴァスティは次元回廊が開くのを事前に知り、魔王を捕獲し、グリモワールに閉じ込めた。
そのグリモワールが巡り巡ってタクトの元にたどり着き、魔王の魂は猫耳ホムンクルスと融合した。
これは厳然たる事実である。
そして、魔導古書店組合の競売で落札した〝例の本〟の存在だ。
例の本は今でも金庫にしまったまま、タクトの部屋の隅に置いてあった。
とてもではないが、店に並べる気にはならない。
例の本がグラド・エルヴァスティの洞窟から見つかったという一点だけでも、全てを与太話と切り捨てるのは早計だ。
きっと、点と点は繋がる。
その先に次元回路がある。
タクトは故郷への扉を開くことが出来るはずだ。
そう信じながら、タクトはウトウトと眠りに落ちていった――。




