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84 逆転劇

 約三万冊。

 それがバルフォア家にある本の総数であるとシンシアは語る。

 なにせ古くから続く魔術師の家系だ。

 実用的な魔導書だけでも相当数になる。

 加えて趣味で蒐集した本も加えれば、あっという間に五桁になってしまう。

 よってバルフォア家の図書室は、アジールを遥かに凌駕する面積と棚数だった。ざっと六倍くらいだろうか。


「迷子になりそうなくらい広いわね……」


 奥まで続く本棚の森を前にして、セラナは感心と呆れを混ぜたような呟きをする。

 迷子というのは少し大げさだが、本当に凄い。

 この中から手がかりなしに目的の一冊を探すとなれば、ほとんど発掘作業のようなものだ。

 しかし、その心配をする必要はないだろう。

 シンシアが案内してくれる。


「ここが奇書・怪書の棚です。わたくしは子供の頃〝変な本の棚〟と読んでいましたわ」


「本当に変な本ばかりですね……」


 まっさきに目に付いたのは『クラゲ・ボクサー』という本だ。

 手に取ってみると、それは小説だった。

 ある日、突然クラゲになってしまった主人公が、色々あってボクシングを始め、チャンピオンになるまでの日々を描いたスポ根小説のようだ。

 面白そうだが今は関係ないので元の場所に戻す。


 その下の段には『トゥサラガ街道二十三次の井戸』という画集があった。

 元ネタは、かの有名な『トゥサラガ街道二十三次』である。トゥサラガ王国の街道にある二十三個の宿場町の風景を、木版画で描いた有名な連作だ。

 それのひねくれたパロディとして、宿場町にある井戸だけをひたすら木版画にしたのが、この『トゥサラガ街道二十三次の井戸』であるらしい。

 苦労している割にギャグとして滑っている。

 まさに怪書だ。

 作者は何を思ってこの本を作ったのだろう。


 そんな訳の分からない本たちと一緒に『次元回廊の研究』が棚に収まっていた。


 動物の革で装丁されたハードカバー。

 背表紙にタイトルが金箔文字で書かれている。

 見つけた瞬間、タクトははやる気持ちを抑えきれず、反射的に手を伸ばした。

 そしてページをめくる。

 全て羊皮紙に手書きだ。

 多くの人の手に渡ってきたのだろう。

 かなり汚れている。

 何百年前に執筆されたのだろうか。


「タクトくんタクトくん。その本でいいの?」


「ええ、これです。シンシアさん。この本、借りていってもいいですか?」


「おじいさまが許可したのでしょう? なら構いません。どうせ誰も読みませんし」


 シンシアは当然という顔で言う。

 この本に何の価値も認めていないのだ。

 それはチャーリー・バルフォアも一緒だった。

 貴重なグリモワールならともかく、二束三文のトンデモ本などくれてやっても構わない――そんな感じだった。

 しかし、これは価値ある本だ。

 なにせ、長老秘蔵の〝例の本〟とともに見つかった本である。

 中身がデタラメなはずはない。と、タクトは信じたい。


「ではお借りしていきます。ありがとうございました」


 タクトは本を大事に抱え、素早く立ち去ろうとする。

 が、シンシアに肩を掴まれた。


「うふふ、タクトさん。約束をお忘れではありませんか?」


「ぐっ……」


「先程、タクトさんは仰っていましたね。約束は守る、と。逃げ出すなんて、男らしくないですわぁ」


「に、にげたりなんて、とんでもない。約束は、ま、守りますよ」


 タクトは自然と声が震えてしまった。

 覚悟を決めていたはずなのに、いざ挑むとなると、どうしても恐ろしくなってしまう。

 なりふり構わず逃げ出したい。

 しかし、それは本当に男らしくない行いだ。


「え、なになに? 約束って?」


「ふふ。セラナも一緒に鑑賞いたしましょう! さあ、こちらがわたくしの部屋ですわ」


 よく分からないという顔をするセラナと、怖じ気づいたタクトの手を引き、シンシアは図書室を出て廊下を突き進む。

 そして連れて行かれたシンシアの部屋は、図書室ほどではないものの、アジールの店舗などよりは広い場所だった。

 天蓋つきのベッド。白く可愛らしい化粧台。装飾の施された小物入れ。薔薇の花が生けられた花瓶もあり、その香りが漂っている。

 まさにお嬢様の部屋といった感じだ。


「てい!」


 タクトが感心している隙に、シンシアは掛け声とともにその身体をベッドの上に放り投げる。

 ふかふかの布団の上に転がりながら、タクトは「もうどうにでもなれ」という境地に至った。


「さあ、セラナ。手伝って下さいな。これをタクトさんに着せるのです!」


 シンシアが張り切ってクローゼットから出してきたのは、純白でフリフリのブラウス。それと焦茶色のシックなジャンパースカート。レースのついた白のニーソックスに、ワンストラップのパンプス。

 更にスカートを膨らませるためのパニエ。頭を飾るヘッドドレス。ガーターベルトまで出てきた。


 なるほど、素敵な服だ。

 セラナやシンシアのような美少女が着たら、さぞ華やかだろう。

 ゆえにこそ、タクトは着たくない。

 本格的に自殺したくなってきた。


「す、凄い! これをタクトくんに着せるのが約束なの!?」


「そうですわ! ああ、わたくし想像しただけで鼻血が……!」


「私も!」


「ふふふ、タクトさん。怖がることはありませんからね。なぜなら女装は男性にしか出来ない……つまりこの世で最も男らしい行為! さあ、まずは今の服を脱ぎ脱ぎしましょう!」


 二人の美少女はひらひらの服とタクトを交互に見ながら、鼻から一筋の血を垂らす。

 一体、何を考えているのか。

 これは「タクトがいやらしい妄想をしていたこと」を秘密にしてもらうための条件だった。

 しかし、あの服を着るというのは、もはや妄想をバラされてるより遥かに恥ずかしい。

 本末転倒というより他にない。


 つまり、ここは逃げの一手。


「あの。俺、用事を思い出しましたので。失礼します」


 セラナとシンシアが鼻血をハンカチで拭き取っている隙に、タクトは窓を開けて夜空に飛び出す。もちろん『次元回廊の研究』はしっかりと持ったままだ。


「あ、ああ! タクトさん逃げるおつもりですか!? この服を着なければ、本を持ち帰ることは許しませんわ!」


「何を言っているんですか、シンシアさん。この本はチャーリーさんから借りたんですよ。シンシアさんは関係ありません」


 タクトは窓の外にフワフワ浮きながらそう答える。


「ぐぬぬ……では約束を破った罰として、あの秘密をバラしますわよ! いいのですねっ?」


「ああ、俺がいやらしい妄想をしていたって話ですか? あれはむしろ、いたいけな十四歳の少年をベッドに押し倒して、胸を押しつけてきたそちら側に問題があると思いますよ。バルフォア家の皆さんに言いふらそうかなぁ」


「なっ! タクトさんが邪悪な笑みを……それだけは勘弁してください!」


 シンシアは真っ青になる。

 形勢逆転だ。

 初めからこうしていればよかったのだ。

 実際、あの状況に追い込まれたら、男子は誰でもエロいことを考えるだろう。

 後ろめたいことは何もない。

 冷静に考えれば、タクトは年上の女性二人に虐められているという状況なのだ。

 世間はタクトの味方をしてくれるはず。


「タクトくぅん! どうして逃げるの? この服、可愛いよ、タクトくんに絶対似合うわよ! ほら、こっちおいで! 着方が分からないなら、私が着せてあげるから!」


 セラナはまだ自分の立場が分かっていないらしく、窓から顔を出して必死に呼び掛けてくる。

 だが、もう決着は付いていた。

 場の支配権はタクトにある。


「セラナさん。自分の部屋に俺を連れ込んだと学園に知られたくなかったら、大人しくしていることですね」


「ふぁっ!? だって、あれはタクトくんのほうから来たのに……!」


「けど、俺をベッドに押し倒したのは事実ですし。しかも今は軟禁して女装させようとしている……これは言い逃れが出来ないほど酷い行いです。学園だけでなく、セラナさんの実家を調べ上げて、お父さんとお母さんにも教えてあげないと」


「やめて! 何でもするから、それだけはやめて!」


 セラナも恐怖に顔を歪め、大慌てで叫ぶ。

 これで二人とも陥落。

 他愛もない。


「へぇ、何でも? 分かりました。俺も鬼ではないので、セラナさんがその服を着たら許してあげましょう。それからシンシアさん。クローゼットに色々可愛い感じの服が入っていましたね。適当に着替えて俺を楽しませてください。そうしたら秘密は守ってあげましょう」


 こうしてタクトは絶体絶命の危機を乗り越え、逆に眼福を得た。

 二人の美少女に恥ずかしいガーターベルトを装着させて楽しんだタクトは、鼻血を流しながら帰路につく――。

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