77 本の形をしたナニカ
「タクト。もう大丈夫かしら?」
「ええ。危険は去りました……けど、この本を見て下さい。いえ、見えますか?」
タクトがそう言うと、クララメラは不安そうな顔のまま、マオを抱っこして近づいてくる。
そしてタクトが突きだした本を見て、幾度も瞬きをする。
マオも一緒になって本を眺めたが、やはり見えないらしく、目をゴシゴシと擦った。
「どうなってるの、これ。ここに本があるってことは分かるんだけど……どうしてもハッキリと認識できないわ。大きさも色も形も。幻惑魔術でもかかっているのかしら?」
「ええ、俺もそう思います。しかし、色や形を誤魔化すための幻惑ではなく、むしろ逆ではないかと」
「逆? どういうことかしら」
クララメラはマオを地面に降ろしながら、そう尋ねてきた。
彼女の疑問はもっともだ。
普通、幻惑魔術といえば、その姿を偽装するのが目的だ。それの逆といわれても意味不明だろう。
「つまりですね。ここに本など存在しないのに、あたかも存在しているかのように見せかけているのではないか。俺はそんな印象を受けたのですが」
タクトの手には、しっかりと一冊の本が握られている。
そこから放たれていたマギカは、第二種グリモワール級。あるいはそれ以上のものだった。
しかし、マギカを放つ存在というだけならば、別にグリモワールである必要はないのだ。
それこそ、タクトたち魔術師だってマギカを放っているし、魔物だって同じだ。
この物体は――いや、そもそも物体なのかどうかすら不明なコレは、本に擬態しているのではないか。
「何を言っているにゃ。どう見ても本にゃん。ぼんやりしているけど、本は本にゃん。マオは前にもこんな感じの本を見たことがある気がするにゃ!」
マオは自信たっぷりに言って、ジィィッと本らしき存在を見つめる。
が、すぐに首を捻り、自信を消していく。
「もしかしたら本じゃないかもにゃぁ……」
「私も自信ないわね。タクト、とりあえずページをめくってみたら? 本ならめくれるはずよ。本じゃなくてもめくれるかも知れないけど。そこまで本に似せてるなら、もう本ってことでいいじゃない」
そう言いながらクララメラは再びマオを抱き上げて、遠くまで歩き、木の陰に隠れてしまう。
「……なんで逃げるんです?」
「だって。金庫から出しただけで地震が起きたのに。開いたら何が起きるか分からないじゃない」
「同感にゃん!」
「はぁ。すると、俺はどうなってもいいんですか?」
「だって、タクトは私より強いし。何が起きても何とかするでしょ」
「それはまあ……」
何とかする自信はある。
あるが、こうも露骨に押しつけられると困惑してしまう。
もっとも、このグリモワールはタクトが買うと判断したものだ。
クララメラやマオからすれば、巻き込まれた状況である。
ならばタクトが危険を背負うのは道理に適っているのだ。
「タクト、ファイトにゃん」
「あとでクッキー焼いてあげるから!」
無責任な二人の声援を背に受けて、タクトは怪しいグリモワールを開いた。
ページは適当。
なにせその姿をハッキリ見ることすら出来ないのだ。
一ページ目なのか、それとも真ん中辺りなのかすら分からない。
しかし開くことは可能だった。
幸いなことに、地震も何も起こらない。
ならば次にすることは当然、読むことである。
読めない本など意味がない。
「うーん……やっぱりボンヤリしてて、何か書いてあるような、書いてないような……」
顔を近づけたり、遠ざけたり。
目を見開いたり、細めてみたり。
実際は何か見えているのに、脳が見えないと思っている。
あるいは。
実際は何も見えていないのに、脳が見えていると思っている。
もはやタクトは、自分が何を眺めているのかすら分からなくなってきた。
やがて、足元が融けるような感覚に襲われ、次第にそれが全身に広がっていく。
――なん、だ?
景色が、ぼやける。
五感も、薄れていく。
マオもクララメラも、森もアジールも、それどころか自分自身も。何もかもが薄くなっていく。
なのに、何かが――情報が流れ込んでくる。
断片的な。とりとめのない。
支離滅裂で。てにおはの狂った。
とんでもない悪文を読まされているような。
名状しがたい感覚。
だけど、視える。
それは、十万年以上の昔の記録。
それは『彼ら』の終わりの物語。
超古代の地上を治めた、人ならざる種族。
次元回廊を開く実験と、暴走による混沌の流入。
その混沌と、超古代文明との戦い。
敗北し、滅びた超古代文明。
彼らはわずかな希望を託すため、五大女神システムを大地に刻む。
そこに命の種子をまき、力尽きた。
ゆえに我らに代わり――
進化せよ、進化せよ。
混沌はこの世界を侵食し続ける。
女神システムはいずれ限界を向かえる。
その前に進化せよ。
混沌を倒せるまで進化せよ。
さもなくば、この世界は滅びるのみ――。
「っ!」
強烈なイメージの数々に圧倒されたタクトは、慌てて本を閉じた。
今、確かに、タクトはこの本を読んだ。
文字など見えないし、絵があるわけでもない。
それでも脳に直接、流れ込んだ。
「ちょっとタクト……大丈夫? 汗かいてるけど」
「にゃー、走り回ったあとみたいにゃぁ」
クララメラとマオが戻ってきて、心配そうに声をかけてくる。
だが、体に異常はない。意識もハッキリしている。
記憶も、ある。
「大丈夫です。ただちょっと疲れただけで」
「疲れた……? 本を開いて、閉じただけじゃない」
やはり、あのイメージはタクトにしか見えなかったのか。
あれは間違いなく創世記。
エルフたちに伝わっていたものと、酷似している。
しかし、この本を作ったのはエルフでも人間でもない。
「店長。聞いてください。信じられないかもしれませんが……この本。いえ、本の形をしたコレは、人類発祥以前に作られたものかもしれません」
端的に言い表せば、そういうこと。
第二種でも、第三種でもない。
タクトの予感があたっていれば、これは第一種グリモワール。




