表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/97

76 落札。だが、しかし

 喫茶店でコーヒーを飲みモンブランを食べ終えると、だいたい三十分ほど経っていた。


 これで手持ちは1億4996万8400イエンだ。

 まだ大丈夫。使った内には入らない。


 頃合いかなと思い会場に戻ると、九番目のブロックが終わったところだった。

 まだ少し早かったらしいが、ギリギリ過ぎるよりはいいだろう。

 遅れたりしたら目も当てられない。


「あら、タクトにマオ。どこに行っていたの?」


 信じがたいことにクララメラが起きていた。


「店長こそ昼寝していたんじゃないんですか」


「寝たいのはやまやまだけど……ここ、うるさいじゃない」


 それはそうだ。オークションをしているのだから。

 カレー屋に行ってカレーくさいと文句を言っているようなものだ。


「最後のブロックは、二千四百三十万イエンで落札されたわね。で、次がいよいよ例の本?」


「はい。落札できればアジールの大きな利益になりますよ。もっとも、どんな魔導書なのか見てからですが」


 とは言っても、長老秘蔵の魔導書なのだ。

 雑魚であるはずもなく、むしろ落札したとしたら、その膨大な魔力をどうやって抑え込もうか――そんな声が聞こえてくるほどだ。

 全員が固唾を飲んで檀上を見守る。

 例の本だけは、リストではなく現物がここに出てくることになっているのだ。

 その証拠に、奥の方から気配を感じる。

 おそらく幾重にも結界が施されているはずなのに、魔力が会場に広がりっぱなしだ。


 そして。

 台座に乗せられ運ばれてきたのは、金庫だった。

 大きさはそれほどでもなく、犬小屋程度。

 しかし、かなり頑丈そうにみえる。

 また、その周りには呪符が何枚も何枚も、下手をすれば百枚以上貼り付けられていた。

 なんと厳重な封印だろうか。

 かつて見たギャングの地下倉庫よりも、なお凄い。


 そんな状態であるにもかかわらず、中身が剣呑であると分かってしまうほど禍々しい。

 一体、どんなグリモワールなのだ。

 金庫を開けて直視したら、それだけで死んでしまうのではないか。

 会場は期待と恐怖で、ざわめき始めた。


「ええ、皆さん、ご静粛に。ここで長老から預かった手紙を読ませて頂きます。この金庫の中にあるグリモワールについてです。さて――」


 長老いわく。


 先代がどこかのダンジョンから入手したもので、自分も中身を見たことがない。

 あまりにも魔力が強すぎて、いくら結界を強化しても追いつかない。

 三年に一回、高価な呪符を追加しているが、維持費だけが膨らんで商売あがったり。

 金庫を開けたらどんな厄災が起きるかも分からない。

 怖くてとてもじゃないが試す気にならない。

 こいつのせいで赤字になって店をたたむはめになったんだ。

 既に厄災と言える。

 頼むから誰か買ってくれ。

 なんならタダでもいいぞ。


 手紙の内容は、おおむねこのようなものだった。

 会場がシーンと静まりかえった。

 長老にそこまで言わしめたグリモワールに畏怖し、それ以上に失望したのだ。


「タクト……どうするの? 誰も入札しないみたいだけど……買う?」


「うーん……俺なら自前の魔力で封印できると思うので、呪符代はかかりませんけど……」


 店に並べたとして、欲しがる客がいるのだろうか。

 それが一番の問題だ。

 魔導古書店組合の競売で盛り上がったグリモワールという箔があれば、客の興味も集まる。

 だが、タクトしか入札しなかった不人気な本という評判が広まると、逆効果だ。

 もう少し様子を見よう。


「百万イエンからのスタートですが、誰か入札する人は……では十万イエンからで……えっと、一万イエンでもいいですよ……」


 最低落札金額が下がるとともに、司会役の声も小さくなっていく。

 しかし、長老でも維持できなかった魔導書を、誰が何のために買うというのか。

 益がないだけならともかく、赤字なのだ。


「じゃあ、その……百イエン、で……」


 司会役は蚊の鳴くような声で呟いた。

 それならばとタクトは手を上げる。


「買います!」


 その瞬間、周りから歓声が上がった。


「タクト、お前正気か!?」

「いや、あいつとクララメラ様なら何とかするだろ。魔力の桁が俺らとは五つくらい違うからな」

「くそ……百イエンなら買えばよかったかな」

「馬鹿。維持費だけで死ぬわい」


 良くも悪くも、タクトは注目を集めてしまう。

 少々恥ずかしい思いをしながら、組合のスタッフに百イエン硬貨を渡す。

 始まる前は一億イエン超えは確実と言われていた例の本だったが、意外な結果に終わってしまった。


「よいしょっと。あら、意外と軽いわね」


 金庫はクララメラが受け取った。

 小さいといっても鋼鉄の金庫だ。それを女性が笑顔で持ち上げる構図は、なかなか違和感がある。


「クララメラ様すげぇ……あんな細い腕で」

「いや、それよりも、あんな禍々しい金庫に触れるか普通」

「あと、おっぱいでけぇ」

「ああ、でかいな」

「金庫に押しつけられて変形してやがるぜ」

「ありがたや、ありがたや」


 などと組合員は罰当たりなことを言い出すが、当の女神様は気にした様子もなく、金庫を持ってスキップして出て行った。


「タクト。目的の本が落札できてよかったにゃん!」


「うん。もの凄く安く買えたし、よかった……のかな?」


 タクトはクララメラのあとを追いかけながら、首をかしげてしまう。

 まあ、何はともあれ一段落。

 資金は残り1億4996万8300イエン。

 今夜も美味しいものが食べられるぞ。


        △


 金庫を担いだままご飯を食べに行くわけにはいかないので、ひとまずアジールに帰ってきた。


「んじゃ、開けますか」


「え、もう開けるつもりなの? 私は明日にした方がいいと思うんだけど……」


 クララメラはなぜか気弱なことを言い出す。


「どうしてですか?」


「うーん……運んでくるときに思ったんだけど。やっぱりこれ、中身が相当ヤバイわよ。面倒くさいから、今度にしましょうよぉ」


 店の前に金庫をドンと降ろしたクララメラは、それを手の平でバンバンと叩く。

 乱暴なようだが、グリモワールのマギカも逃さない強力な金庫だ。

 女性の力で叩いたところで、どうということはない。


「面倒って言われても。まだ夕方にもなっていませんし。それに俺は早く中が見たいですね」


「じゃあ、街に被害が出ないように結界強度を最強にしなきゃ」


 それは当然だ。

 金庫の中身が第二種グリモワールなのはほぼ確実であり、それを解放すれば広範囲に破壊や呪いが飛び散っていくのは必至。

 しかし、この森の結界は外敵の侵入を防ぐと当時に、内部のものが外に漏れるのも防いでいる。

 また住人も、タクトとクララメラというこの世界最強クラスの二人なので、何が起きてもへっちゃらというわけだ。

 よって、危険物を広げるには最適な場所といえるだろう。


 と、そこまで考えてから、新しい家族のことを思い出す。


「うにゃあ?」


 世界最強には程遠い猫耳幼女が一人いた。

 むしろ、その辺のクワガタムシにも劣っている。

 この子を何とかしないと、金庫を開けることが出来ない。


「店長。マオを結界で守ってください。あと念のために店もお願いします」


「おっけー。任せて頂戴」


「守られちゃうにゃん!」


 クララメラはマオを抱き上げ、自分の周りに球状の防御結界を張る。

 それから更にドーム状の防御結界も出し、アジールそのものを取り囲む。

 仮に全盛期の魔王が飛び出してきたとしても、十数分は持ちこたえてしまうほど堅牢なものだった。もちろん、森の結界も最強に設定する。

 流石は女神様。

 ぐーたらでも、やるときはやるのだ。


「さて。まずは呪符を焼くか」


 ベタベタと貼られた百枚近い呪符。

 金庫の鍵よりも、こちらのほうが強力に扉を封じている。

 ゆえに、まずは呪符をとらないことには始まらない。

 とはいえ、しょせんは紙だ。

 火を付ければ燃えるはず。


「タクト、かえんほうしゃにゃ!」


 マオはクララメラに抱っこされながら、適当な命令を飛ばしてくる。


「はいはい」


 言われずともそうするつもりだった。

 タクトは指先から炎を出し、金庫の表面をまんべんなく焼く。

 さて、次は鍵を何とかしよう――と思いきや、意外なことに呪符は無事だった。

 内側のものを封印するのと同じくらい、外部からの攻撃にも強いらしい。

 焦げ目すらほとんどついていなかった。

 中のグリモワールを気遣うあまり、手加減しすぎたかもしれない。


「タクト、スペシウム光線にゃ!」


「マオ。君は俺を何だと思っているんだ?」


 マスターは一応タクトなのだ。命令される筋合いはない。

 そもそも『魔族が何のために地球に来たのか』とか『そもそも魔族とは何か』といった大切なことは一向に思い出してくれないのに、なぜ、どうでもいい知識はしっかり思い出すのか。


「まあ、リクエストにお応えして」


 タクトは腕を十字に交差させ、そこから強力な火炎を放つ。

 近くの葉っぱに燃え移るほどだ。

 五メートルくらいのドラゴンなら、これだけで致命傷になる火力だった。


「よし。流石に全部焼けたな」


 隙間がないほど貼り付けられた無数の呪符は、M78星雲人の力の前に敗れ去った。

 いや、実際にはポーズを真似しただけで、ただの炎系魔術なのだが。

 とにかく、金庫の黒い外装が顕わになり、これで魔術的な封印力は消失した。

 よって、グリモワールのマギカが外部へと流出を始める――。


「これは……予想以上ですね……」


「ちょっと……こんなの私も初めて見るわよ」


 金庫を開ける前から、そのマギカにタクトとクララメラは顔を引きつらせた。

 平気な顔をしているのは、女神に守られているマオだけだ。


「にゃにゃ? そんなに凄いのかにゃ?」


 魔術的素養のないマオは、どうしてタクトたちが戦慄しているのか分からないようだ。

 この膨大なマギカの圧を感じずに済むとは、ある意味、幸せといえる。

 もっとも、クララメラに抱きかかえられていなければ、呪符を焼いた瞬間に絶命してただろう。


「マオは店長から離れちゃ駄目だよ」


「大丈夫にゃ。ちゃんとおっぱいにギュッと顔を押しつけるにゃ!」


 それは羨ましい。


「あらあら。マオちゃん、甘えんぼさんね」


「にゃーん♪」


 マオもクララメラも幸せそうだ。

 過去類を見ないほど強力なグリモワールを前にして、何と呑気な。

 やはりマオの『にゃんにゃん力』は全てを超越するのだろうか。

 タクトの気まで抜けてくる。


「それじゃ、開けます」


 金庫の鍵を力任せに壊し、扉を開け放つ。

 すると、内壁にも呪符がびっしりと貼られていた。

 そして、中には古書が一冊。

 その大きさは、A4くらいだろうか?

 表紙の材質は……色は……なぜだろう、よく見えない。

 金庫の中が暗闇というわけでもないのに、タクトはどうしても、その本をはっきり視認することが出来なかった。

 視覚に干渉する術式が組み込まれているのだろうか。


 それとも。

 初めから実体など存在しないのだろうか。


 いやいや。

 そんな馬鹿なこと、あるわけがない。

 ちょっと薄暗くて、見えにくいだけだ。

 金庫の外に出せば、ちゃんと見えるはず。


 と、本を金庫から出した、その刹那。


「にゃにゃんっ!?」


 マオにも分かる、物理的な現象が巻き起こった。

 地震、である。

 グリモワールが放出するマギカが完全解放され、大地すら揺らしたのだ。

 家が崩壊するほどではない。せいぜい震度四かそこら。

 この周辺一帯を揺らす、局地的な規模だ。


 だが、それでも。

 取り出したというだけで、地震を起こしてしまうような本。

 見たことも聞いたこともない。


「タクト、早く封印しなさい!」


 クララメラが声を上げた。悲鳴のような声だった。


「分かっています!」


 タクトは右手の勇者の紋章を浮かべる。

 そして手の平をグリモワールに押しつけ、己のマギカを叩き付けた。

 本から溢れるマギカを押さえつけ、まずは地震を止める。

 それから封印結界を幾重にも構築。

 その厚さは森の結界を凌駕する。

 仕上げに、封印結界がグリモワール自身のマギカを使って永久展開するよう術式を編み上げた。


「ふう……これで、とりあえずは大丈夫でしょう」


 タクトは大きく息を吐いた。

 久しぶりに疲労を実感する。

 グリモワールがピンキリなのは分かっていたが、これほどの代物が出てくるとは予想していなかった。

 もちろん、余裕はまだある。

 事実、右手の紋章しか使っていないのだ。タクトは本気の半分も使っていない。


 それでも、このグリモワールが異常なのは確かだ。

 なにせ、こうして太陽の光のもとに引きずり出しても、いまだその輪郭や色がぼやけたままなのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ