76 落札。だが、しかし
喫茶店でコーヒーを飲みモンブランを食べ終えると、だいたい三十分ほど経っていた。
これで手持ちは1億4996万8400イエンだ。
まだ大丈夫。使った内には入らない。
頃合いかなと思い会場に戻ると、九番目のブロックが終わったところだった。
まだ少し早かったらしいが、ギリギリ過ぎるよりはいいだろう。
遅れたりしたら目も当てられない。
「あら、タクトにマオ。どこに行っていたの?」
信じがたいことにクララメラが起きていた。
「店長こそ昼寝していたんじゃないんですか」
「寝たいのはやまやまだけど……ここ、うるさいじゃない」
それはそうだ。オークションをしているのだから。
カレー屋に行ってカレーくさいと文句を言っているようなものだ。
「最後のブロックは、二千四百三十万イエンで落札されたわね。で、次がいよいよ例の本?」
「はい。落札できればアジールの大きな利益になりますよ。もっとも、どんな魔導書なのか見てからですが」
とは言っても、長老秘蔵の魔導書なのだ。
雑魚であるはずもなく、むしろ落札したとしたら、その膨大な魔力をどうやって抑え込もうか――そんな声が聞こえてくるほどだ。
全員が固唾を飲んで檀上を見守る。
例の本だけは、リストではなく現物がここに出てくることになっているのだ。
その証拠に、奥の方から気配を感じる。
おそらく幾重にも結界が施されているはずなのに、魔力が会場に広がりっぱなしだ。
そして。
台座に乗せられ運ばれてきたのは、金庫だった。
大きさはそれほどでもなく、犬小屋程度。
しかし、かなり頑丈そうにみえる。
また、その周りには呪符が何枚も何枚も、下手をすれば百枚以上貼り付けられていた。
なんと厳重な封印だろうか。
かつて見たギャングの地下倉庫よりも、なお凄い。
そんな状態であるにもかかわらず、中身が剣呑であると分かってしまうほど禍々しい。
一体、どんなグリモワールなのだ。
金庫を開けて直視したら、それだけで死んでしまうのではないか。
会場は期待と恐怖で、ざわめき始めた。
「ええ、皆さん、ご静粛に。ここで長老から預かった手紙を読ませて頂きます。この金庫の中にあるグリモワールについてです。さて――」
長老いわく。
先代がどこかのダンジョンから入手したもので、自分も中身を見たことがない。
あまりにも魔力が強すぎて、いくら結界を強化しても追いつかない。
三年に一回、高価な呪符を追加しているが、維持費だけが膨らんで商売あがったり。
金庫を開けたらどんな厄災が起きるかも分からない。
怖くてとてもじゃないが試す気にならない。
こいつのせいで赤字になって店をたたむはめになったんだ。
既に厄災と言える。
頼むから誰か買ってくれ。
なんならタダでもいいぞ。
手紙の内容は、おおむねこのようなものだった。
会場がシーンと静まりかえった。
長老にそこまで言わしめたグリモワールに畏怖し、それ以上に失望したのだ。
「タクト……どうするの? 誰も入札しないみたいだけど……買う?」
「うーん……俺なら自前の魔力で封印できると思うので、呪符代はかかりませんけど……」
店に並べたとして、欲しがる客がいるのだろうか。
それが一番の問題だ。
魔導古書店組合の競売で盛り上がったグリモワールという箔があれば、客の興味も集まる。
だが、タクトしか入札しなかった不人気な本という評判が広まると、逆効果だ。
もう少し様子を見よう。
「百万イエンからのスタートですが、誰か入札する人は……では十万イエンからで……えっと、一万イエンでもいいですよ……」
最低落札金額が下がるとともに、司会役の声も小さくなっていく。
しかし、長老でも維持できなかった魔導書を、誰が何のために買うというのか。
益がないだけならともかく、赤字なのだ。
「じゃあ、その……百イエン、で……」
司会役は蚊の鳴くような声で呟いた。
それならばとタクトは手を上げる。
「買います!」
その瞬間、周りから歓声が上がった。
「タクト、お前正気か!?」
「いや、あいつとクララメラ様なら何とかするだろ。魔力の桁が俺らとは五つくらい違うからな」
「くそ……百イエンなら買えばよかったかな」
「馬鹿。維持費だけで死ぬわい」
良くも悪くも、タクトは注目を集めてしまう。
少々恥ずかしい思いをしながら、組合のスタッフに百イエン硬貨を渡す。
始まる前は一億イエン超えは確実と言われていた例の本だったが、意外な結果に終わってしまった。
「よいしょっと。あら、意外と軽いわね」
金庫はクララメラが受け取った。
小さいといっても鋼鉄の金庫だ。それを女性が笑顔で持ち上げる構図は、なかなか違和感がある。
「クララメラ様すげぇ……あんな細い腕で」
「いや、それよりも、あんな禍々しい金庫に触れるか普通」
「あと、おっぱいでけぇ」
「ああ、でかいな」
「金庫に押しつけられて変形してやがるぜ」
「ありがたや、ありがたや」
などと組合員は罰当たりなことを言い出すが、当の女神様は気にした様子もなく、金庫を持ってスキップして出て行った。
「タクト。目的の本が落札できてよかったにゃん!」
「うん。もの凄く安く買えたし、よかった……のかな?」
タクトはクララメラのあとを追いかけながら、首をかしげてしまう。
まあ、何はともあれ一段落。
資金は残り1億4996万8300イエン。
今夜も美味しいものが食べられるぞ。
△
金庫を担いだままご飯を食べに行くわけにはいかないので、ひとまずアジールに帰ってきた。
「んじゃ、開けますか」
「え、もう開けるつもりなの? 私は明日にした方がいいと思うんだけど……」
クララメラはなぜか気弱なことを言い出す。
「どうしてですか?」
「うーん……運んでくるときに思ったんだけど。やっぱりこれ、中身が相当ヤバイわよ。面倒くさいから、今度にしましょうよぉ」
店の前に金庫をドンと降ろしたクララメラは、それを手の平でバンバンと叩く。
乱暴なようだが、グリモワールのマギカも逃さない強力な金庫だ。
女性の力で叩いたところで、どうということはない。
「面倒って言われても。まだ夕方にもなっていませんし。それに俺は早く中が見たいですね」
「じゃあ、街に被害が出ないように結界強度を最強にしなきゃ」
それは当然だ。
金庫の中身が第二種グリモワールなのはほぼ確実であり、それを解放すれば広範囲に破壊や呪いが飛び散っていくのは必至。
しかし、この森の結界は外敵の侵入を防ぐと当時に、内部のものが外に漏れるのも防いでいる。
また住人も、タクトとクララメラというこの世界最強クラスの二人なので、何が起きてもへっちゃらというわけだ。
よって、危険物を広げるには最適な場所といえるだろう。
と、そこまで考えてから、新しい家族のことを思い出す。
「うにゃあ?」
世界最強には程遠い猫耳幼女が一人いた。
むしろ、その辺のクワガタムシにも劣っている。
この子を何とかしないと、金庫を開けることが出来ない。
「店長。マオを結界で守ってください。あと念のために店もお願いします」
「おっけー。任せて頂戴」
「守られちゃうにゃん!」
クララメラはマオを抱き上げ、自分の周りに球状の防御結界を張る。
それから更にドーム状の防御結界も出し、アジールそのものを取り囲む。
仮に全盛期の魔王が飛び出してきたとしても、十数分は持ちこたえてしまうほど堅牢なものだった。もちろん、森の結界も最強に設定する。
流石は女神様。
ぐーたらでも、やるときはやるのだ。
「さて。まずは呪符を焼くか」
ベタベタと貼られた百枚近い呪符。
金庫の鍵よりも、こちらのほうが強力に扉を封じている。
ゆえに、まずは呪符をとらないことには始まらない。
とはいえ、しょせんは紙だ。
火を付ければ燃えるはず。
「タクト、かえんほうしゃにゃ!」
マオはクララメラに抱っこされながら、適当な命令を飛ばしてくる。
「はいはい」
言われずともそうするつもりだった。
タクトは指先から炎を出し、金庫の表面をまんべんなく焼く。
さて、次は鍵を何とかしよう――と思いきや、意外なことに呪符は無事だった。
内側のものを封印するのと同じくらい、外部からの攻撃にも強いらしい。
焦げ目すらほとんどついていなかった。
中のグリモワールを気遣うあまり、手加減しすぎたかもしれない。
「タクト、スペシウム光線にゃ!」
「マオ。君は俺を何だと思っているんだ?」
マスターは一応タクトなのだ。命令される筋合いはない。
そもそも『魔族が何のために地球に来たのか』とか『そもそも魔族とは何か』といった大切なことは一向に思い出してくれないのに、なぜ、どうでもいい知識はしっかり思い出すのか。
「まあ、リクエストにお応えして」
タクトは腕を十字に交差させ、そこから強力な火炎を放つ。
近くの葉っぱに燃え移るほどだ。
五メートルくらいのドラゴンなら、これだけで致命傷になる火力だった。
「よし。流石に全部焼けたな」
隙間がないほど貼り付けられた無数の呪符は、M78星雲人の力の前に敗れ去った。
いや、実際にはポーズを真似しただけで、ただの炎系魔術なのだが。
とにかく、金庫の黒い外装が顕わになり、これで魔術的な封印力は消失した。
よって、グリモワールのマギカが外部へと流出を始める――。
「これは……予想以上ですね……」
「ちょっと……こんなの私も初めて見るわよ」
金庫を開ける前から、そのマギカにタクトとクララメラは顔を引きつらせた。
平気な顔をしているのは、女神に守られているマオだけだ。
「にゃにゃ? そんなに凄いのかにゃ?」
魔術的素養のないマオは、どうしてタクトたちが戦慄しているのか分からないようだ。
この膨大なマギカの圧を感じずに済むとは、ある意味、幸せといえる。
もっとも、クララメラに抱きかかえられていなければ、呪符を焼いた瞬間に絶命してただろう。
「マオは店長から離れちゃ駄目だよ」
「大丈夫にゃ。ちゃんとおっぱいにギュッと顔を押しつけるにゃ!」
それは羨ましい。
「あらあら。マオちゃん、甘えんぼさんね」
「にゃーん♪」
マオもクララメラも幸せそうだ。
過去類を見ないほど強力なグリモワールを前にして、何と呑気な。
やはりマオの『にゃんにゃん力』は全てを超越するのだろうか。
タクトの気まで抜けてくる。
「それじゃ、開けます」
金庫の鍵を力任せに壊し、扉を開け放つ。
すると、内壁にも呪符がびっしりと貼られていた。
そして、中には古書が一冊。
その大きさは、A4くらいだろうか?
表紙の材質は……色は……なぜだろう、よく見えない。
金庫の中が暗闇というわけでもないのに、タクトはどうしても、その本をはっきり視認することが出来なかった。
視覚に干渉する術式が組み込まれているのだろうか。
それとも。
初めから実体など存在しないのだろうか。
いやいや。
そんな馬鹿なこと、あるわけがない。
ちょっと薄暗くて、見えにくいだけだ。
金庫の外に出せば、ちゃんと見えるはず。
と、本を金庫から出した、その刹那。
「にゃにゃんっ!?」
マオにも分かる、物理的な現象が巻き起こった。
地震、である。
グリモワールが放出するマギカが完全解放され、大地すら揺らしたのだ。
家が崩壊するほどではない。せいぜい震度四かそこら。
この周辺一帯を揺らす、局地的な規模だ。
だが、それでも。
取り出したというだけで、地震を起こしてしまうような本。
見たことも聞いたこともない。
「タクト、早く封印しなさい!」
クララメラが声を上げた。悲鳴のような声だった。
「分かっています!」
タクトは右手の勇者の紋章を浮かべる。
そして手の平をグリモワールに押しつけ、己のマギカを叩き付けた。
本から溢れるマギカを押さえつけ、まずは地震を止める。
それから封印結界を幾重にも構築。
その厚さは森の結界を凌駕する。
仕上げに、封印結界がグリモワール自身のマギカを使って永久展開するよう術式を編み上げた。
「ふう……これで、とりあえずは大丈夫でしょう」
タクトは大きく息を吐いた。
久しぶりに疲労を実感する。
グリモワールがピンキリなのは分かっていたが、これほどの代物が出てくるとは予想していなかった。
もちろん、余裕はまだある。
事実、右手の紋章しか使っていないのだ。タクトは本気の半分も使っていない。
それでも、このグリモワールが異常なのは確かだ。
なにせ、こうして太陽の光のもとに引きずり出しても、いまだその輪郭や色がぼやけたままなのだから。




