48 小さな研究ノート
「ここにゃ!」
マオに案内され辿り着いた先は、滝壺だった。
この滝の裏に洞窟があり、それこそが魔術師のアジトだと言う。
しかし、洞窟の裏まで通じる道はなく、垂直に切り立った岩山があるだけだ。
それでも目をこらすと、本当に滝の裏に洞窟が見えた。
そこで何が待っているのかは知らないが、行くしかないだろう。
「仕方がない。ホウキで突っ込む。マオ、乗って」
「了解にゃ!」
タクトはマオが自分にしがみついたことを確認すると、一気に加速し、滝を突き抜けた。
防御結界によって、滝の水は弾き飛ばされる。
しかし洞窟に入った瞬間、結界がビリビリと震えた。
どうやら洞窟の入り口には、侵入者を排除する結界が設置されていて、それがタクトの結界と衝突したようだ。
もちろん、誰が施したどんな結界であろうと、タクトの行く手を遮ることなど不可能。
一瞬で貫いて、洞窟に着地する。
「奥が真っ暗だにゃー」
「ちょっと待って。明かりを出すから」
タクトは手の平から光の球を出し、それをマオの頭の上に浮かべる。
光の玉はボンヤリとした、しかし遠くまで広がる光を放ち、洞窟を隅々まで照らし出した。
「にゃにゃ! マオの頭が光ってるにゃ!」
マオは頭をブンブンと動かす。
光の玉もそれに合わせて動き、影の形が変化する。
これで万が一、マオとはぐれても、どこにいるか一発で分かるだろう。
「それにしても入り口に張ってあった結界……出力が弱かったな。誰かが一度破ったような形跡がある……? ああ、そうか。魔王を封印したグリモワールが出回っていたってことは、この洞窟はもう誰かに荒らされているんだ」
ダンジョン探索を生業にしている者たちは、本当にどこにでも出向く。
金や名誉、好奇心を満たすためなら死んでもいいという酔狂な連中だ。
もちろん、そんな生活を送っていては長生きなど出来るはずもなく、セラナの両親のように転職でもしない限り天寿はまず全うできない。
いまだ深部まで探索されていないダンジョンも数多く、志半ばで散り白骨化してしまった冒険者の死体がゴロゴロ転がっていたりする。
だが、この洞窟は死体の気配がない。
なのに結界が破られている。
更に、奥から持ち出されたらしいグリモワールがアジールまで回ってきた。
つまりは探索済みのダンジョン。
下手をすれば、何も残っていない、ということすら有り得る。
「……ここで考えていても始まらないな。行こうマオ。もちろん、俺から離れちゃ駄目だよ」
「はいにゃ。手をギュッとするにゃん」
こんな得体の知れない場所なのに、マオは元気一杯だ。
魔王の記憶とは無関係に、彼女と出会えて良かったと思う。
妹と娘と友達がいっぺんに出来たような気分だ。
「撫でられちゃったにゃー、耳がくすぐったいにゃー」
「ああ、ごめん。マオが可愛かったから、つい」
「はにゃにゃ。可愛いいにゃ? それなら仕方がないにゃ。タクトだから特別、くすぐったいのも我慢してあげるにゃ!」
お言葉に甘えてタクトが撫で続けると、マオの耳と尻尾がピクピクと揺れ動いた。
くすぐったいとそうなるらしい。
本当に可愛いので、いつまでも撫でていたかったが、そうすると完全に目的を見失ってしまう。
ここらでやめておこう。
誘惑に負けずに洞窟の奥へと進む。
そして十分ほど歩くと、人工的に削り取られたような部屋があった。
広さは十畳ほど。
ベッドがあり、本棚があり、机があり、金庫もある。
そして壁には扉があって、それを開くと、実験室のような場所があった。
試験官。天秤。干からびた植物。何かの動物の骨。
如何にも魔術師が住んでいたような雰囲気ではあるが――しかし雰囲気しか残っていなかった。
実用的なもの。金目のもの。そういった品はごっそり抜け落ち、色々と収まっていたであろう棚は、すっかり空になっていた。
「うーん。やっぱり荒らされてる。もう何も残っていないか……」
「でも、見覚えがあるにゃ。魔王が封印されてた本は、この本棚に飾られていたにゃ。そして必要なときはホムンクルスに憑依させられて、雑用してたにゃん」
「……みんな考えることは似てるんだなぁ」
魔王を閉じ込めた大魔術師と同じ行動を取った自分を誇るべきか。
あるいは、似たようなことしかしない魔術師の発想力のなさを嘆くべきか。
「けど。その魔術師……えっと、名前は思い出せた?」
「うにゃーん……たしか……グラド・エルヴァスティ? そんな名前だったにゃ」
「グラド・エルヴァスティ? 聞いたことないなぁ。けど、魔術師って偏屈な人が多いから。優秀だからって名を残せるとは限らないし。そもそも俺自身がこの世界に来て十四年しか経ってないから、魔術の歴史を把握してきているとは言えないからなぁ」
「ついでに言うと、マオの記憶も怪しいにゃ!」
猫耳幼女は大声で主張する。
「そこは威張ることじゃないけど……とりあえず、そうだね。探せばまだ何か出てくるかもしれない。適当に漁ってみよう」
「漁るにゃ漁るにゃ」
マオは張り切ってベッドの下にゴソゴソと潜り込んでいった。
まるで本物のネコのようだ。
タクトも負けじと、棚や机の引き出しなどを漁る。
金庫も開けてみたが、すでに鍵が壊されており、中身は空だった。
「うにゃぁ、ホコリまみれにゃ……」
ベッドの下から帰ってきたマオの体には、ホコリどころかクモの巣までついていた。
せっかくの綺麗な黒髪や、買ったばかりのメイド服が台無しだ。
「大丈夫? タオルも何もないから……ちょっと我慢して。外に出たら水魔術で洗ってあげるから」
「我慢するにゃ。マオはよい子なのにゃ」
そんなよい子のマオは、手に手帳のような物を持っていた。
「それは……なんだい?」
「ベッドの下に落ちてたにゃ。よく分かんにゃいけど、色々書いてあるにゃ」
差し出された物をタクトは受け取る。
それは手の平に収まるサイズの、小さなメモ帳だった。
この部屋の持ち主のものだろうか?
あるいは、タクトたちの前にここを探索した人が落としていったのか?
それを確かめるためにも、タクトはメモ帳を開く。
「これは……!」
そこには小さな文字がぎっしりと。
魔術回路の理論。儀式の方法。参考文献の索引。
空間の歪みについて。
異世界が存在する確率。
宇宙の外には何があるのかという考察。
全ての疑問を解くには、次元回廊を開くしかない――。
メモ帳にはそんなことが走り書きされていた。
そう。これは次元回廊にかんする研究ノート。
間違いない。
この部屋の主は、タクトと同じく次元回廊を開こうとしていたのだ。
しかも、その研究は遥かに先を行っている。
タクトは珍しく興奮した。
動悸が激しくなる。
だが、残念なことに。
いくら探しても、このメモ帳以上のものは出てこなかった。
参考文献としてメモされている本も。完成した魔術回路の設計図もなし。
研究ノートだってもっと沢山あっただろうに、どこへ行ったのか分からない。
「魔王を封印したグリモワールが現存している以上、ここにあった研究資料だってどこかにあるはずだ。うん、そうだ。あきらめる必要はどこにもない」
今日、ここに辿り着いた。
そして自分以外にも次元回廊を研究していた者がいたと分かった。
しかもメモ帳まで手に入れた。
これは立派な成果であり、希望なのだ。
嘆く必要は微塵もなく、むしろ大きな一歩だと喜ぼう。
「よし、帰るぞ、マオ。今夜はちょっといい物を食べようか」
「それは楽しみにゃ! お腹ペコペコだから沢山食べるにゃん!」
マオは耳と尻尾をピコピコと動かす。
タクトがマオのように耳を動かせたら、きっと更に激しくピコピコさせていただろう。




