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エピローグ ”帝都”リチアンドブルク

2027年8月13日 クロスネルヤード帝国 ジットルト市


 日本から派遣された医療団によるペスト撲滅事業によって、ペストの脅威が程なくして去ったジットルトの街には再び活気が戻りつつあった。元々並みの国家の首都と変わらない規模を誇るその街並みは、活気が戻ったことにより益々栄えて見えた。

 そんな街の一角、辺境伯フォレイメン家の屋敷に近い場所に、中近世ヨーロッパ風の街並みであるジットルト市の風景には合わないプレハブで出来た建物があった。


「トモカズ先生! ありがとうございました!」


 プレハブから子供が出て行く声がする。そこは日本より派遣された医療団によって設立された診療所である。


「ああ、お大事に!」


 ぺこりと頭を下げるその子供に、先生と呼ばれた男は言葉を返した。子供の脇ではその子の母親が男に向かって頭をさげながら手を合わせていた。


(肺炎1つ治せば神様の使いか・・・抗生物質様々だ)


 元気に退院してこちらに手を振る少年と、診療所に向かって拝む母親の姿を見ながら、彼は心の中でつぶやいた。男の名は柴田友和。海上自衛隊の一等海尉/大尉であり、8ヶ月前、対アテリカ帝国使節団と共に「いずも」に乗ってジュペリア大陸を訪れ、紆余曲折あって邦人拉致被害者奪還の旅に同伴することになった医官である。

 使節団は日本へ帰国したが、柴田はこの地に蔓延していたペストの撲滅の為にジットルト市に残り、ペスト対策の指揮を執っていたのだ。ジットルト辺境伯領政府の依頼を受けて日本より派遣された医療団が到着して以降は、現地の事情・状況を最も良く知っているということで、医療団の指揮も執っていた。

 その後、元々はペスト撲滅事業の為に建てられた診療所には、今や様々な症状や病を抱えた患者たちが訪れるようになっていた。”ジットルトを流行病から救い、さらには奇跡の薬と治療の数々であらゆる病を瞬く間に治すニホンの医術士が建てた療養所”の噂は、ジットルト辺境伯領を越えて伝播しており、領地を持つ貴族が訪れることもしばしばあった。


(まあ・・・俺の出世は絶たれたも同然だし、異世界の地の診療所で余生を過ごすのもいいかも知れないな)


 去りゆく2人の母子の姿を見ながら、柴田は自らの身の上を自嘲する。彼には日本に帰りたくないと思わせる後ろめたい過去があったのだ。




同日・夜 ジットルト診療所 所長室


 柴田は自室で今までこの地で見てきた患者のカルテを眺めながら、8月における日本への薬品発注について考えていた。


「また、抗生剤と駆虫剤を本国へ発注しなくては・・・。それに今後は、ジットルト政府と保険料について交渉して、現地で治療費を賄う体制を作ってもらわなければな」


 柴田はつぶやく。ここを訪れる患者の医療費は、貧困層でも払える様にODAとして日本政府からほぼその全てが出され、日本本土と比較してかなりの低料金となっていた。尚、診療所の開設期間はあくまでペストの終息が確認されるまでという期限付きで、ODAとしての医療費の拠出もそこまでであると決められていたのだが、ジットルト政府はペスト終息後における診療所の継続を強く求めていた。

 しかしそのためには、日本政府のODA無くして現地の患者が医療費を払える体制、すなわち公的保険制度をこの地に作らなければならない。診療所のスタッフや公使館の役人たちは、そのための交渉をジットルト政府と行っていた。


「・・・」


 自分1人だけの空間の中で、彼はここに来てからの8ヶ月間を思い返す。医学が遅れた異世界の地にて、駆け込んで来る患者たちの病状は日本とは大きく異なるものであったのだ。

 普段から日本にて医療業務を行っている彼らを驚かせたものの1つは、「寄生虫感染率の高さ」である。しかし、日本でも戦前では回虫症は国民病とも言うべき感染率を誇っていたのだから、この世界でその感染率が高いのはある意味当然である。

 以前、慢性的に続く下痢症に悩む少女が診療所を訪れた際に、診察のため彼女の腹部を触診していた時、その子がくしゃみと同時に回虫を白衣へぶちまけてくれたのには、さすがの柴田も悲鳴を上げた。結局その少女に対してはコンバントリンを処方することで虫下しを行ったが、再感染するのは時間の問題だろう。


 2つ目は「聖アントニウスの火」である。イネ科植物の穂に寄生する「麦角菌」が産生する麦角アルカロイドによって起こり、正式には「麦角中毒」と呼ばれる食中毒の一種である。海外産の小麦からの麦角菌の除去が徹底している上に、この菌は米には寄生しないため、日本では見ることが無いこの疾患に、医療団の面々はかなり苦慮した。とりあえず血管の収縮による手足の壊疽を防ぎ、血液の循環を良くする為に、血管拡張剤を投与することで難を逃れたが、それが今後も上手く行くとは限らない。


(まあ、今まで専門外だった分野の良い復習にはなるか・・・)


 柴田は所長室の本棚の方へ視線を移す。そこには消化器系、循環器系、泌尿生殖器系、耳鼻咽頭系、呼吸器系等々・・・あらゆる器官の疾病について記された医学書や、寄生虫学や微生物学、薬理学、生化学、感染症学などの基礎医学について綴られた医学書が並べられていた。

 彼の本来の専門は脳外科である。しかしこの診療所では専門分野だけではおさまりきれない、多岐に渡る知識が必要とされる。そのためにあらゆる分野の医学書を、柴田はこの部屋に集めていたのだ。


〜〜〜〜〜


翌日 診療所


 この日も診療所の医師たちは、訪ねてくる患者たちを診察していた。


「うん・・・、ただの感冒(かぜ)だね。総合かぜ薬を出しておきます」


 1人の男児を診察していた柴田は、その患者に処方箋を出す。タダで病を看て貰えるというその診療所には、噂を聞きつけた患者たちがほぼ毎日訪れていた。




同日 午後1時


 診療所のスタッフたちは午前の診療を終え、休憩室でコーヒーを飲みながら休息を取る。この診療所には現在、5人の医師と12人の看護師、そして4人の薬剤師、計21人の医療スタッフが在籍していた。医療スタッフのメンバーは2ヶ月ごとに日本から送られてくる者たちと順次交代していたのだが、柴田だけはジットルトの地に残り続け、現地民の診療を続けていた。

 パイプ椅子に座ってコーヒーを飲む柴田の下に、歩み寄る人影がある。


「柴田先生、お疲れ様です」


 柴田の目の前に現れたのは、2ヶ月前に日本国から派遣された消化器外科医の谷内正である。


「ええ、お疲れ様です。谷内先生」


 柴田は労いの言葉を返しながら、谷内が自身の隣に座る様子を見ていた。両者は互いに一息つく。先に口を開いたのは谷内である。


「間も無くスタッフの入れ替わりですね。柴田先生はやはりここに残られるのですか?」


 谷内が尋ねる。彼は間も無く日本から派遣される別の医師と交代する予定であった。ここを離れることに対する物寂しさを少なからず感じると同時に、何時までも日本へ帰ろうとしない柴田のことを疑問に感じていた。


「ええ、そのつもりですが」


 柴田は率直に答える。


「・・・何と言いますか、日本が恋しくならないのですか?」


 さっぱりとした印象を受ける柴田に、谷内は最大の疑問をぶつける。


「いえ・・・あまり思い出したくないことを思い出してしまいますから」


「・・・?」


 柴田はうつむくと少し暗い表情を浮かべる。谷内はその言葉の意味が気になったが、これ以上の追求は柴田の触れられたくない部分に障ってしまうということを瞬時に理解した彼は、口をつむいだ。


ガンガン!


「・・・!?」


 突如、休憩室の窓を叩く音がする。音がする方の窓を見れば、窓を叩いている人影があった。


「先生! シバタ先生!」


 その正体は、フォレイメン家に仕える1人の若い兵士であった。慌てた様子で診療所を訪ねて来た彼の様子に驚きながらも、名を呼ばれた柴田はその兵士がいる窓の方へ近づき、窓を開ける。


「良かった! いらっしゃった! 実は・・・?」


 柴田は興奮気味の兵士の姿を冷めた目つきで見つめ、右手で「2」を示しながらゆっくりと口を開いた。


「・・・2つ、言うことがある」


「は・・・はい」


「1つ。せめて玄関から入って来い。2つ。どうしたんだ一体? そんなに慌てて」


「!」


 1つ目の忠告にドキっとした様子の兵士は、頭を下げながら2つ目に問われた内容について説明を始める。


「も、申し訳ありません。しかし本当に急を要する要件でして!」


「?」


 顔を見上げた兵士の言葉を聞いて、柴田は不安感を抱きながら首を傾げる。


「ロクフェル様のお屋敷に、皇帝領政府からの使いの方が来ております! 貴方に要件があると! 至急我々と共に来てください!」


「・・・! 何だって!」


 兵士の口から発せられたその報告を聞いて、柴田と谷内、そしてその場にいる全員が驚愕した。兵士の知らせを受けた柴田はすぐさま、首都リチアンドブルクから来たという使者が待つ辺境伯ロクフェルの屋敷へと向かうのだった。




同市 辺境伯ロクフェルの屋敷 応接間


 若い兵士に辺境伯ロクフェルの屋敷へ連れられた柴田は、ちょうど8ヶ月前に日本国使節団が通されたものと同じ応接間の扉の前に立っていた。扉を開けるとその中には、ジットルト辺境伯であるロクフェル=フォレイメンとその第一子息であるヴィルドの姿があり、彼ら2人が緊張した面持ちで座る応接用のソファとは、テーブルを1つ挟んで反対側のソファに役人と思しき初見の男が座っていた。


「貴殿がニホン国軍医、トモカズ=シバタか?」


 男は柴田に対して素性を尋ねる。


「はい、そうですが・・・」


「!」


 柴田は答える。その言葉を聞いた男は片眉を吊り上げた。


「シバタ殿、良かった! よくいらっしゃった! どうぞ、こちらへ」


 ヴィルドはそう言うと、柴田に対して自身の隣に座るように促す。柴田は促されるがままに彼の隣に座した。その様子を見ていた役人風の男は、自身の素性について述べ始める。


「申し遅れた。私はクロスネルヤード帝国皇帝領政府より派遣されたルドック=シュタイアーと言う者だ」


 ルドックは自己紹介を済ませると、懐に手を入れてその中から1つの書状を取り出す。


「私がジットルトへ派遣された要件は1つ。この書状を貴殿に届けに参った」


 ルドックは書状をテーブルの上に置くと、それに書かれている内容について説明をするために口を開く。隣を見れば、ロクフェルとヴィルドがかなり緊張している様子が見て取れた。


「クロスネルヤード帝国皇帝ファスタ=エド=アングレム3世より、貴殿に招聘状が出されている。我々と共に”帝都”リチアンドブルクにお越し頂きたい」


「!!」


 柴田は驚愕する。同時に若い兵士があれほど焦っていた理由、そしてロクフェルとヴィルドが緊張している理由も理解した。クロスネルヤード帝国皇帝・・・世界最大の版図を持つ帝国を統べるその存在が、外国人である柴田を直々に帝都へと呼び寄せているのだ。


「出発は明日の昼だ。それまでに準備をされると良い」


 呆然としていた柴田に、ルドックは首都への出発の時刻を告げた。




診療所


 ロクフェルの屋敷から帰った柴田は、そこで何があったのかを診療所のスタッフに説明する。


「ええ!? 首都の皇帝陛下からお呼びが掛かった!?」


 診療所のスタッフたちは驚きを隠し切れなかった。


「ええ。公使館からの許可も頂きました。明日、皇帝領から来た馬車に乗り、首都リチアンドブルクへ向かいます」


「それは・・・何とも急な話ですね」


 医療スタッフの1人である看護師の田端は、随分急な呼び出しに困惑した様子でつぶやいた。


「ということで私が留守の間、診療所の業務の方、宜しくお願いしますよ」


「任せてください。それより、道中気をつけてくださいね・・・」


 柴田から診療所を託された谷内は、心配そうな表情を浮かべながら答えた。

 その翌日の昼、荷物を持って再びロクフェルの屋敷を訪れた柴田は、ルドックが乗ってきた馬車に乗り込み、同じく首都から派遣されていた護衛の兵士たちに護られつつ、ジットルトから北東に約1,900kmの地点にあるクロスネルヤード帝国の首都リチアンドブルクへ出発した。ジットルトから離れる馬車は、診療所のスタッフ、そして街の住民たちによって見送られたのだった。


〜〜〜〜〜


9月3日 首都リチアンドブルク


 約3週間後、柴田は日本人として初めてクロスネルヤード帝国の首都入りを果たした。彼の前に姿を現したもの、それは120万の人々が住まう中近世ヨーロッパ風の巨大城砦都市だった。

 街の大通りを抜け、一行を乗せた馬車は街の北側にある皇宮へと向かう。城の門を抜け、宮中庭園を抜けると、世界最大の権勢を誇らんとばかりに巨大な皇宮が姿を現した。程なくして、柴田とルドックは皇宮の正面玄関の前に停まった馬車から降りる。玄関扉へと続く階段の両脇には、彼らを出迎える侍女と近衛兵たちが並んでいた。


「外務庁大臣ルドック=シュタイアー様と、ニホン国軍医トモカズ=シバタ様がお着きになりました」


 2人の到着を告げるアナウンスが、何処からともなく聞こえてくる。階段を登り、正面玄関を抜けると、豪華絢爛な内装が柴田の目に飛び込む。柴田はそんな皇宮の様相に、思わず呆気に取られていた。


「・・・うわ」


 そんな状態の彼の前に1人の侍女が現れる。


「トモカズ=シバタ様、遠路遙々良くお越し下さいました。皇帝陛下は貴方様の到着を玉座の間にて心待ちにされております。早速ですがこちらへ・・・」


 侍女の案内を受け、柴田は皇帝の待つ玉座の間へと通されるのであった。




皇宮 玉座の間


 玉座の間の扉を開けると、そこには皇宮の中でも一際豪華な空間が広がっていた。玉座へと続くレッドカーペットの両脇には、皇帝の盾たる近衛兵や執務を行う文官たちが立ち並び、その1番奥には玉座と思しき椅子の上に座る1人の男、皇帝の姿があった。


(緊張されずとも、私のするようになされれば良い・・・)


 再び呆気に取られていた柴田に、ルドックは小声で耳打ちをする。その言葉に柴田は小さく頷いた。その後、玉座に向かって歩みを始めるルドックの右隣について行く様にして、柴田も玉座に向かって歩み始める。そして玉座まであと20mと言ったところで足を止めるルドックに倣って、柴田も足を止め、片膝を床に付けるルドックに倣い、柴田も片膝を床に付けて頭を垂れた。


(名を名乗られよ・・・)


 宮中のしきたりに慣れない柴田に、ルドックは再び小声で指示を出す。その言葉を聞いた柴田は自身の素性を述べる。


「お初にお目にかかります、陛下。ジットルトより参りましたニホン国海軍軍医、柴田友和と申します」


 柴田が名乗る。その刹那、一息間が開く。


「うむ・・・遠路遙々ご苦労であった。予がファスタ=エド=アングレムである。面を上げよ」


 皇帝は顔を上げる様に命ずる。2人は言われた通り、目線をファスタ3世の方へ向ける。その様子を確認したファスタ3世は、側に立っていた宰相のヴィルヘン=リンフォイドに何やら耳打ちをした。皇帝の言葉を聞いた宰相ヴィルヘンはその後、口上を述べ始める。


「トモカズ=シバタ! ジットルト辺境伯領において流行病から民を救った貴公の働きに敬意と感謝を示す。よって皇帝陛下より一代限りの”名誉侯爵”の地位と、この帝国領内における貴族としての”姓”を授ける!」


「・・・! え」


 ヴィルヘンの口から発せられたその言葉を聞いて、柴田は思わず間の抜けた声を出した。


「不満か・・・?」


 呆気にとられている柴田に皇帝が尋ねる。


「・・・いえ! ありがたきお言葉、謹んでお受け致します」


 気を取り直した柴田は再び頭を垂れると、皇帝に対して感謝の意を示した。


「では、証書の授与式を執り行う!」


 宰相が声を張り上げる。皇帝から”近くに寄れ”と言われた柴田は立ち上がり、玉座の方へと近づく。同じくファスタ3世も立ち上がると、脇に居た文官から差し出された”名誉侯爵の認証書”を手に取り、それを柴田へ授与するのと同時に”姓”の授与を行う。


「”ファルウォール”・・・それがそなたの”貴族”としての名だ・・・。これからはトモカズ=シバタ・ファルウォールと名乗るが良い・・・」


「・・・は!」


 ファスタ3世から”認証書”と”姓”を受け取った柴田は、一礼すると玉座の前から下がり、再び片膝を付く体勢を取る。その様子を見ていた宰相ヴィルヘンが再び口を開いた。


「また我らは、かねてよりジットルト辺境伯領政府及び在ジットルト日本公使館より打診されていたニホン国との国交樹立にも応じることを決定した。すぐに母国に報告をなされよ!」


「・・・は! ではその様に」


 世界最大の版図・・・即ち世界最大の市場規模を誇るクロスネルヤード帝国との国交と交易の樹立は、日本政府のかねてからの悲願であった。その悲願が叶ったことに柴田は思わず笑みをこぼす。

 ”爵位の授与”と”日本国との国交樹立”、柴田に伝えるべき事項を全て伝え終わった宰相ヴィルヘンは、その場を締めようと口を開いた。


「では、謁見の儀をこれにて終了す・・・」


「少し待て・・・」


 ファスタ3世はそう言うと、謁見の儀を終えようとした宰相ヴィルヘンの言葉を遮る。


「・・・?」


 当初の予定には無かった皇帝の行動に驚き、玉座の間が少しざわつく。そんな周りの動揺を余所に、皇帝ファスタは柴田に話しかける。


「もう1つ、そなたには頼みたいことがある・・・」


「・・・はい、何でしょう?」


「ニホン国に要請し、この帝都にそなたの母国と遜色ない医療技術を受けられる医院を建設する様に取り計らって欲しい」


「!?」


 柴田とルドック、そしてその場に居た全員が皇帝の言葉に驚く。ファスタが柴田に依頼したこと、それは「リチアンドブルクでの病院設立」であったのだ。


「つまり、この地に我が国の”病院”を作れと・・・。それにはかなり費用が掛かると思われますが」


 柴田は懸念を述べる。ジットルトに設置している診療所の様な簡易的な医院ならともかく、日本から遠く離れたこの地で日本国内と遜色無い医療を受けられる病院を建てるとなると、CTやレントゲンはもちろん、MRIや本格的な手術室、PCRや遺伝子検査を行うための実験室などが必要になってくるし、更にはそれらを動かす為の専用の発電設備も必要になる。何より、日本から医療スタッフを異動させなければならない。


「かまわぬ。医院設立に際して貴国が求める資金と人件費は、我が国の国庫から出す」


 費用については心配いらないだろう、と述べる皇帝に対して、柴田は自身が感じた更なる不安点を述べ始める。


「・・・我が国の純粋な医療費は、大病となるとかなりの高額になります。故に我が国のように、国家や公的機関が患者の保険料を負担する制度が存在しないこの国では、例えこの地に病院を建てたとしても、そこにかかることが出来るのは一部の富裕層の方々だけとなってしまいます。しかし、それでは多くの患者を救うことは出来ません」


 彼は思ったままを皇帝へ伝える。日本の様な国民皆保険制度など存在するはずのないこの国、そしてこの世界では彼の指摘は最もなことである。かといって日本国が遠き外国の国民の保険料まで出す訳にはいかない。


「ニホンでは国が民の治療費を払うのか!?」

「ばかな! そんな金など、どのようにして捻出すると言うのだ」

「左様! 国民1人1人に治療費など出していては、国庫はすぐに貧窮してしまいますぞ」

「そもそも何故、貧民の為に国家から治療費など出さねばならない!」


 国民皆保険制度の存在について言及した柴田の言葉を聞いて、周りの文官たちが口々に叫ぶ。この世界には健康保険というものは一応存在する。しかしそれは”ギルド”などの職人組合の中で運営される言わば民間の共済保険の様なものであり、国家が国民1人1人の健康に関与するという発想はまだ存在しなかった。そもそもこの世界における民間の共済保険組合が出せる程度の保険料では、日本が要求する医療費は到底賄えないだろう。やはり、日本がこの地に病院を建て、その医療を全ての人々に施すには、クロスネルヤード帝国政府が公的な医療保険制度を整える他は無い。


「成る程、医院を建てるなら貴族から貧民までか・・・、貴国は随分と民を愛しているのだな」

 

 柴田の言葉を聞いていたファスタ3世は、小さな微笑みを見せながらぽつりとつぶやいた。


「保険制度の如何については一考しよう。病院の設立は問題無いか?」


「本国からの返答次第故、私からは今の段階では答えかねます」


 皇帝からの問いかけに柴田は答える。ファスタは”そうか”とつぶやくと、一呼吸間を置いて再び口を開いた。


「実はもう1つ、これはそなた自身に頼みたいことがあるのだが」


「はい、何でしょう?」


「・・・この帝都で宮中付医術士として勤める気は無いか?」


「・・・!!」


皇帝の申し出に再びその場にいた全員が驚く。


「陛下! それは・・・!」


 宰相ヴィルヘンは非常に驚いた様子で、皇帝に対し、諫めるようにして声を上げる。しかしその刹那、ファスタ3世から冷たい視線を向けられた彼は、すぐさま口を紡いだ。直後、ファスタは視線を前に戻す。


「まあ、これについては今すぐ返答は求めぬ。結論が出たら答えを聞かせてくれ・・・」


 皇帝は柴田に対して決断の猶予を与えると、玉座から立ち上がり、片膝を付いている2人に語りかける。


「儀を終了する。本日はご苦労だった。今宵はこの皇宮でその心身を癒すがよい・・・」


 ファスタ3世はそう言うと玉座の間から退出した。しばらくして謁見を終えた柴田とルドックの2人も玉座の間を退出し、その後、柴田は皇宮の中の来賓宿泊用の部屋へと案内された。

 柴田は持参していた通信機でジットルト辺境伯領の診療所、そして在ジットルト公使館へ今回の顛末について伝えた。その後、公使館から日本政府へ、クロスネルヤード帝国皇帝領政府との国交樹立交渉を取り付けることに成功したこと、そして病院設立の依頼があることが伝えられた。報告を受けた日本政府は、直ちに使節団を組織してリチアンドブルクに派遣すること、そして病院設立を受諾することを決定したのだった。


〜〜〜〜〜


日本国 首都東京 首相官邸 総理執務室


 3人の男がジットルト公使館から送られてきた報告に喜んでいた。


「ようやくクロスネルヤードとの国交樹立交渉までこぎ着けましたね!」


 そう言って喜びを顔に現すのは外務大臣の峰岸だ。


「ええ、1つ肩の荷が降りた気持ちです」


 首相の泉川がほっとした表情で述べる。


「これで国交が成立した七龍は3カ国、残りはあと4カ国ですが・・・1カ国気になる国がありますね」


 防衛大臣の安中は喜びの傍ら、1つの不安点を指摘する。


「神聖ロバンス教皇国ですか・・・」


 泉川は眉間にしわを寄せながらつぶやく。


「彼の国が直接何か行動を起こしている訳ではありません。しかし、イルラ教の関係者と思しき者たちによる妨害工作は落ち着いてはいるようですが、未だ時折起こっているそうです」


「・・・対立する気なんですかねぇ」


 安中の説明を聞いていた峰岸は、やや呆れた様な声でつぶやいた。


「しかし、イルラ教国家の中で最強であるクロスネルヤード帝国が、我が国との国交樹立を表明した以上、彼の国も態度を変えざるを得ないのではないですかね」


 泉川が述べる。


「とりあえず様子を見てみましょうか」


 2人は峰岸の言葉にうなずいた。


〜〜〜〜〜


神聖ロバンス教皇国 首都”総本山” 教皇庁 会議室


 此処「神聖ロバンス教皇国」は、イルラ教の総本山が存在する国であり、ジュペリア大陸の広範に広がる信徒たちの聖地である。その国の首脳たちが“ある議題”について話しあう為に円卓を囲んでいた。


「クロスネルヤードの皇帝が、ある愚かな決断をした」


 参加者の1人である教皇庁長官グレゴリオ=ブロンチャスは、リチアンドブルクから届けられた知らせについて伝える。


「帝都にニホン国の医術士たちによる医療所を建てることを決めたそうです。それどころか宮中医にニホン人を登用しようとしているとか・・・」


「何と・・・!」


 グレゴリオの報告を聞いた参加者たちは騒然とした。


「ばかな! 我らがイルラ教を信奉する各国の王家皇家付医術士は、この”総本山”より派遣された者だと決まっている!」


 教皇庁外交部長のレオン=アズロフィリックは、その報告内容に憤っていた。


「いよいよ袂を分かつ気なのかも知れませぬぞ、あの男は・・・!」


「!」


 内務部長のヴェネディク=メデュラは、ファスタ3世がイルラ教圏から離脱する可能性を示唆する。彼の言葉に会議がどよめく。クロスネルヤード帝国は一般に最強の七龍との呼び声が高い。神聖ロバンス教皇国の大陸における権勢は、この国の軍事力に裏打ちされているも同然だった。そんな状況下でクロスネルヤード帝国がイルラ教圏から離脱すれば、神聖ロバンス教皇国はその権威を大きく失うことになってしまうだろう。


「かねてより進めている策を進めよう・・・。この国とイルラ教の地位を落とすことだけはあってはならない」


 会議の長、そして国家元首である第53代“教皇”イノケンティオ3世が口を開く。参加者たちは一様に頷いた。


「全ては絶対の神“ティアム”の為に!」


 その一言に参加者たちは呼応する。そんな彼らの様子をイノケンティオ3世は満足気に眺めていた。いずれこの国が起こす数々の事件は、ジュペリア大陸、そして世界を巻き込んだ新たな戦いの引き金となるのだが、それはまだ誰も知らない物語。

ようやく第2部を締めることが出来ました。ほっとしております。

この後は第3部「異界の十字軍篇」へと入ります。その後の第4部は、また戦争の話では無くなり、日本が議会制民主主義国家である以上避けられないあの一大国家イベントが絡んだ話になる予定です。ただこれについては話の内容がほとんど纏まっていないので、場合によってはカットするかも知れません。


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