「焦燥」
「さ、さ、さ寒い……ッ!」
がちがちと口元が音を立てて震えている。こうして震えていないと本当に凍死してしまいそうなほど寒い。この国に本格的な冬が到来しようとしていた。日本にいたころより寒い気がする。クロの話ではまだ本格的に冬入りはしていないということなのでこれからどんどん寒くなっていくだろう。
着ている服も学生服の使いまわし、外套も薄っぺらい安物なので防寒性なんて欠片もありはしない。何か対策を考えなければ。
「おい、クロ。ちょっと抱きついてくれ。寒くて凍えそうだ」
「いいよー。クロもちょっとだけ寒かったところだし」
俺たちはまるで仲の良いカップルのように腕を組み歩き続ける。これで少しはマシになったが、もうすぐ暗くなるし今日の拠点をそろそろ見つけないとな。
「くっそ、凍えそうだぜ……おい、クロ。お前だけなんでこんなに温かいんだよ。まるでカイロが引っ付いてるみたいなんだけど」
「かいろ、ってのが何か分からないんだけど、クロがあったかいのは当然だよ。この服、防寒術式が組み込まれてるからね。ちょっと魔力込めるだけですぐ温もるんだー」
「え? そんな便利なもんがあるの?」
知らなかった驚愕の事実。文明的にはまだまだ未発達のくせにこういうところで日本より進んだ利便性があるから魔術というのは侮れない。
「クロ、それちょっと貸せよ」
「いくらお兄さんの頼みでもこればっかりはいやだよー。クロだって寒いのは嫌いなの」
「俺は寒いのが大嫌いなんだよ。いいから5分だけ貸してみろって」
「いーやー!」
ぐいぐいと服を引っ張る俺、そして必死に抵抗するクロ。傍目から見たら女の子に狼藉を働く不埒者にしか見えんな。
「ちっ、この馬鹿力が……」
しかも、結局力負けして諦めるという。何もこんな時にまで剛力の天権を使わなくてもいいだろうに。まあ、本気の本気でひったくるつもりもなかったけど。
「お兄さん」
「ん?」
「また"来た"よ」
ぽつりと漏らすクロの目が細く鋭くなっていく。さっきまでの長閑な雰囲気から一転、痛いほどの緊張感がクロから滲み出る。
「どっちの方角だ」
「お兄さんから見て右前方。恐らくウルフの類だと思うんだけど……ちょっと数が多いかも」
「はあ……」
俺はため息をつきながらベルトに差していたナイフを取り出す。
クロの言った通り、抜群の探知能力でクロが探し出した狼の群れがゆっくりと俺の目にも視認できる距離まで近づいてくる。一体どうやって探しているのか、クロは俺が見つけるよりも圧倒的に早く敵を察知することが出来た。
「ウルフは知能が高いから伏兵にも気をつけて」
「はいよ」
軽く答え、俺は足元の地面を蹴るようにして駆ける。それに続く形でクロが動くのが俺たちの基本的なフォーメーションだ。
俺はまず手始めに一番近くにいた狼へ向け、ナイフを投げつける。元々投擲用に集めていたナイフだ。直接斬りつけて使うには刃渡りが足りなさ過ぎる。
飛来するナイフを狼は野生の勘なのか、独自の反射神経なのかうまいことかわしていく。だが、それでいい。懐に入りさえすれば、
「こっちのもんだッ!」
魔力は最小限に、右足の踵に集中させた炎舞の威力により、まるでサッカーボールのように目の前の狼を蹴り飛ばす。狼は体が小さいから、蹴りやすいぜ。
「ちょっとお兄さん。今日は狼鍋にするんだからあんまりぐちゃぐちゃにしないでよっ!」
「狼鍋!? 何それ食えるの!?」
狼まで食べようとするクロのバイタリティには頭が下がる。犬好きの俺としてはちょっと遠慮したいところではあるがな。俺にとって犬鍋ってのはちっちゃな犬が鍋の中でくるまってるあの可愛らしいやつが基本イメージなんだ。そのイメージがぶち壊されそうな飯は勘弁してほしい。
「まあ、犬食だって元の世界にはあったみたいだし、なくはない食文化……なのか?」
「何、お兄さん狼好きなの?」
「好きか嫌いかで言われれば好きだな。ただし、襲ってこなければだが」
目の前で獰猛な牙をこちらに向け飛び掛ってくる狼の喉元へナイフを突き立てながら答える。
悪いな。俺だってただ食われてやるわけにはいかないんだ。
血飛沫を上げながら倒れるウルフ。数匹がやられたことで、こちらに勝てないと判断したのか一斉に引き上げて行く狼達。どうやら戦闘はこれで終わりのようだ。
「しかし、最近野生の動物が襲ってくること多くないか? 前に旅したときはこんなに襲われなかった気がするんだが」
「それはもうすぐ冬に入るからだよ。冬になったらもう簡単には食料も手に入らないからね。今のうちにたらふく食べておこうって考えでしょ」
「ふーん……それなら俺達も今のうちにしっかり食べとかないとな」
「うん! 狼鍋!」
「いや、それはちょっと……」
何でも食べるクロこそ旅人としては正しい姿なんだろうが……どうもなあ。
「やっぱり俺はやめとく」
「そうなの? でもさっき狼肉大好きって言ってなかった?」
「誰も肉が好きなんて言ってねえ! 好きなのは狼そのもの! あのモフモフした毛の感触が好きなの!」
どうやらクロからしてみれば動物をペット的な感覚で見ることはないらしい。食えるか、食えないか。それだけが基準。いっそ清々しいほどの真っ直ぐさだ。
でも確かにこの世界での動物って家畜化されてるものはあっても、ただ単純に愛玩用として飼われているものってあんまいないんだよな。そういうところも元の世界との常識の差って奴なのかもしれない。
「さて、それじゃあお兄さん拠点探そっか。この辺はまたウルフが出るかもしれないからもう少し進んだ辺りで」
「ああ、そうだな。この辺の土地勘はあるか?」
「うーん。あんまりないかも」
「それなら俺がこの前使った洞窟が近くにあるからそこへ行こう。なにも住んでない安全な場所だ」
「あ、でもこの時期は冬眠用の住処を探して熊とかが根城にしてるかも」
「マジか……まあ、それなら一応入る前に注意だけしておこう。もしいたら熊鍋だ。それなら俺にも食える」
「……何だかんだ言ってお兄さんも結構アレだよね」
お喋り好きなクロに付き合って色々と話しながら洞窟へと向かう。この場所は俺が前回イリス達と王都を目指している途中に見つけた根城だ。それほど時間も経っていないので、前回と変わらぬ姿のまま見つけることが出来た。
「とりあえず焚き火を用意しよう。話はそれからだ」
「だね。クロは燃えるもの探してくるからその間にお兄さんは火をつける準備しておいて」
「分かった」
俺に指示を残して洞窟を出て行くクロはやはり旅慣れている感じだ。ひとつひとつの判断に無駄がない。一緒に旅していて本当に楽だから助かる。
「さて、俺も俺に出来ることをやりますかね」
焚き火を焚くスペースを作り、クロから預かっていた携帯燃料を設置。周囲に燃え移りそうなものがないかを確認して、ついでに洞窟内の簡単な探索も行っておく。
「入り口の風通しも悪くないし、変な匂いもしない。危険性はないか」
洞窟で火を熾すにあたって気をつけるべきは換気がきちんとできるか、ガスなどの噴出物がないかどうかだ。どちらも一酸化炭素中毒、引火の危険があるからな。現代日本人としてどうしても気になるところだ。
「お兄さーん。準備できてるー?」
洞窟の入り口付近で俺を呼ぶクロの声が聞こえる。そちらに向かうと両手一杯に小枝を抱えたクロの姿があった。
「おう。すぐにでも火をつけてやるよ」
「ありがとー。お兄さんといると楽だね。火種の必要もないし」
「俺は火種役かよ、っと」
灼熱の剣をライター代わりに俺は準備していた焚き火を熾す。その間にクロが料理の準備。一人旅をしていたクロはもちろん料理も出来るため、旅の間は任せっきりになっている。
たまに手伝うこともあるのだが、どうやらクロの頭の中で、料理は女の役目と思っているところがあるらしく俺にはじっとしているように言うことが多い。
「何もしなくても出てくる飯って最高だよな」
しみじみと口から漏れるのはこれまでの苦労。なんで俺はあんなに色々やらされていたのか。本当に謎だ。
「…………」
そんなことを考えていたせいか、二人のことを思い出してしまう。
今頃イリス達は何をしているだろうか。無事、王都の追っ手を撒けているだろうか。だとしたら今頃俺と同じようにどこかで夕餉の支度でもしているのだろうか。イリスは料理なんて出来ないからな。ステラが四苦八苦しながら作っている姿が目に浮かぶようだ。
「……大丈夫に、決まってるよな」
料理に苦戦している姿は浮かぶが、あいつらが殺されている姿なんて欠片も想像できない。だから大丈夫。あいつらはこんな簡単にやられるようなタマじゃない。
「どうかしたの……お兄さん?」
「え? あ、ああ。なんでもない」
考え込んでいたせいで、クロに心配されてしまった。いつの間にか料理も出来上がっており、二人で夕餉にとりかかる。それから先はすぐに就寝。たった二人しかいないのだから休息も簡単には取れない。まずは俺が見張りをすることになり、先にクロに寝るように伝える。
一人で月夜を眺めているとどうしても考えてしまうことがある。俺を嵌めた連中のこと、王都の騎士の動き、イリス達の安否。考えてもどうしようもないことだと分かってはいても。
同行人がクロで良かった。彼女のお喋りに付き合っている間は少なくともこれらの考えを頭から忘れることができるから。
「……何なんだろうな。この気持ちは」
自分で自分の感情が分からない。
イリス達に向けるべき自分の感情が。
今、この胸を締め付けるのは焦燥感だ。それは分かる。だが、その気持ちの出所は何だ? 俺はイリス達に何を求めている? 彼女達を……どう思っているんだ?
以前森に聞かれたイリス達との関係性。あの時は誤魔化したが、あれ以来どうも気になって仕方なくなっていた。俺とイリス達の間柄を示す、その言葉が欲しかった。
「……やっぱり、家族ってのが一番近いのかね」
俺は物心ついたときから母親しかおらず、家族というものを良く知らない。兄弟もおらず、仕事でなかなか家に帰らない母親と暮らしていた俺はどうしたって一人で生きているような錯覚に襲われることがあった。
そんな俺が、生まれて初めて自覚したこの感情に名前を付けるとするのならば……そんな感情が最も的確なのかもしれない。家族愛、なんて。俺には似合わない感情だけどな。
「なあ、イリス……何なんだろうなこの気持ちは。お前なら分かってくれるか? 俺と同じようにお前も感じてくれているのか? なあ、イリス……お前は俺のこと、どう思ってるんだ?」
なんて、まるで恋仲にある男女のように。決して面と向かっては聞けない台詞を宵闇に浮かぶ月へと問いかけてみるが、返る言葉はなく、ただ優しく月光だけが俺を照らしていた。




