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不死王と七つの誓い  作者: 秋野 錦
第一部 王都召喚篇

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「胡蝶の夢」

 ふらふらと、足元が抜け落ちたかのような感覚を感じながら、俺は動かない体を引きずられるようにして牢屋へと連れて来られていた。再び手錠を入れ替えられ、壁に繋がれる。

 その間俺はされるがままの状態だった。

 正確には、何かをしようというだけの気力が湧いてこなかったのだ。


「それじゃ、また『明日』な」


 ガチャン、と無機質な音が響き、牢屋に錠がかけられた。

 手に繋がれた鎖と、牢の門。二重に俺を捕らえるこの厳重さに、俺は漠然と考える。

 俺はもう、逃げられないのだと。

 リンドウの趣味に散々付き合わされたせいで、体を動かす気力すら湧かない。これでは逃げようもない。


「…………たす、けて」


 ポツリと、言葉が漏れた。

 それは半ば以上無意識のことだった。

 俺は人生でここまで真剣に祈ったことがないだろうと思うほど、強く祈った。


 助けて、助けて、助けてよ。


 何で俺がこんな目に遭わないといけないのか。俺が何をしたというのか。

 原因は分かっている。アイツ等だ。あの裏切り者が、俺を……売りやがったからだ。


「クソが!」


 思わず地面を叩きつける。それでどうなるものでもないが、この感情を抑え切れなかった。ドロドロと、例えるなら真っ黒な溶岩のような感情が俺の中から湧き上る。


 よくも……裏切ったな、と。


 見れば手の先も指の先も俺の血でべったり汚れていた。どうやら俺の体から切り離された部位も、そのまま残るようでいつまで経っても血は落ちてくれなかった。こういう回復系の能力だと、切り飛ばされた部位は霧となって消えてくれたりするのに。霧のように消えてくれれば、この気持ち悪さもいくらか軽減できていただろうに。


 けれど……今ばかりはそのことに感謝しても良かった。

 消えない血に、俺は誓う。

 絶対にここから出ると。そして、俺を裏切った代償を必ず奴らに払わせてやると。


「絶対だ、絶対に……許さない」


 ブツブツと、俺は言葉を繰り返す。

 迫り来る恐怖を押し殺すように。




 次の日の朝。

 あんなことがあったというのに、俺は暢気にも眠りに付いていた。とはいえ半分覚醒しているような意識の中、俺はうつらうつらと夢と現実の合間を行き来する。


 思うのは昔抱いた夢のこと。

 誰だって一度くらいは夢見たことがあるだろう。

 剣と魔法のファンタジー。そんな世界の登場人物として活躍する自分の姿を。

 国を救った英雄でも、一人孤高な旅人でも、仲間に慕われる冒険者でも何でもいい。誰だって一度くらいは夢想したことがあるだろう。


 夢の世界を。

 ロマンに溢れた世界を。


 他の誰にもない特殊な能力を使って物語の主人公になる。

 そんな、空想を。


「…………ぅ」


 ゆっくりと意識が覚醒していく。

 俺は想い瞼を持ち上げて、立ち上がろうとして。


 ──ジャラリ。


 手足に繋がれた鎖のことを思い出す。

 ああ、そうだった。俺は……捕らえられていたのだった。ぼーっとして定まらない意識の中、俺は夢の内容を思い出す。


 そして、日の光も届かないこの暗闇で、俺は夢想する。

 何の変哲もない、現実の世界を。

 朝起きて、急いで支度して、学校へ行き、友達と駄弁って、適当に授業を受け、家に帰る。その繰り返し。詰まらないと思っていたあの日常を、俺は夢想する。


 それは余りにも輝いて見えた。

 それは余りにも遠くに見えた。

 失ってしまった過去の残滓を抱いて、俺は今日も生を全うする。

 この……地獄のような現実で。


 ……ギィ……


 扉が開いて、一人の男が姿を見せる。

 どこまでも醜悪な笑みを浮かべたその男……手には大きな鋏を持っている。

 これから何が起きるのか何て、言われるまでもなく分かっていた。俺は髪の毛を乱暴に掴まれて、無理やり移動させられる。やがて辿り着いたのは同じように薄暗い部屋。


 中央にポツンと置かれた椅子が寂しげに佇んでいた。

 まるで俺のようだ。たった一人、この冷たい世界に取り残された俺の。


「…………嫌だ」


 ポツリと、声が漏れる。

 何でこんなことになったのか。何でこんなことになってしまったのか。


「嫌だ、嫌だ……嫌だ!!」


 手足を振って、その場を逃げ出そうと試みるも、俺の髪を掴んだ男の力が余りにも強くて抜け出せない。

 男は俺の狂態を実に楽しそうな瞳で見ていた。口元も、三日月型に歪んでいる。

 それが怖くて怖くて、俺は涙ながらに懇願するのだ。


「もう……やめてくれ……」


 涙で顔をくしゃくしゃにして、必死に願いを告げる。

 もしかしたら、願いが届くのではないかと微かな期待を込めて。

 しかし……


「座れ」


 そんな期待は、男の無情な一言で粉砕される。

 もう、限界だった。


「ほら……お楽しみの時間だぞ?」


 力ずくで椅子に固定された俺に、逃げることなんて出来なかった。

 ジョキン……ジョキン……

 鋏を鳴らしながら男が迫る。

 そして……


 ──狭い部屋に、絶叫が響き渡った。





 神様なんてものがいるのだとしたら、それは一体どんな形をしているのだろう。

 これといった宗教に入っているわけでもなく、毎日ダラダラ過ごしていた学生の俺にとって、それは考えたこともない議題だった。


 やはり神々しさに満ち溢れているのだろうか、それとも静謐な雰囲気を漂わせているのだろうか。羽は生えているのだろうか、男と女どちらに近いのだろうか、身長は高いのか、太っているのか、そもそも人の形をしているのか。


 いくら考えても、その答えは見つからない。

 考えても、分かるわけがない。

 ただ……一つ言える事があるとすれば……


 この小さく広い部屋の神は、二メートルを越す大男だと言うことだけだった。




「ひひ、ひひひっ」


 リンドウは口元から涎をたらしながら、気持ちの悪い笑い声を零していた。再びこの部屋に連れて来られてから、すでに三時間以上が経過している。

 前回の初めと違って、目的のない拷問というのは地獄に近い。


 俺が情報を持っていて、それを聞き出すと言う目的があるのならまだ分かる。理解も納得もしたくはないが、その行動自体に合理性は見出せる。しかし、今のリンドウは完全に娯楽のために拷問を行っていた。そこに合理性も、必然性も、無謬性も存在しない。

 ただ、理不尽。不平不満に塗れた、不平等の理論がそこに横たわっていた。


「……ぅ、く」


 すでに声は枯れた。ガラガラだ。口の中には痛みと、強く噛み締めすぎて砕けた歯の欠片が含まれている。ぺっ、と血唾混じりに吐き出すと、その破片は地面に散らばった俺の指にぶつかる。


 俺の指。


 すで十や二十ではきかない数の指が地面に転がっている。

 これもあれも、全て不死の天権のおかげ。この天権の、せいだった。


「ちっ、刃毀れしたか。少し待ってろ、替えを持ってくる」


 突然リンドウが何かを言ったかと思ったら、俺を置いて部屋から出て行った。

 一人になった世界で、俺は視線を彷徨わせる。


「……あ、れ……ここ、は……」


 不思議に痛む頭を必死に使って、何があったのか思い出そうと試みる。おかしい。俺がこんなところにいるなんて、絶対におかしいのだから。


「あぁ……そうか……知ってるぜ、これドッキリなんだろ? ……そうだよなあ、あり得ないよなこんなこと……」


 そのうち、仲間達が『ドッキリ大成功!』なんて抱えたプラカードを提げてやってくるのだろう。そうに違いない。


「……し、主犯は紅葉か? あぁ、そうだよな。お前はこういうの好きだもんな……」


 小学生のとき、俺の誕生日にサプライズをしかけてくれた紅葉のことを思い出す。昔は今と違ってかなり大人しい性格だったが、俺と一緒に居るときだけはそういうお茶目な一面を見せることがあった。

 だから、今回もそうなのだろう。


「今なら怒らないからさ……出てこいよ……どうせ奏も付き合って、楽しんでるんだろう? い、委員長の癖に意地が悪いぞ……」


 紅葉の親友である奏がこの事態を知らないわけが無い。クラスメイトを盛り上げたいということも言っていたし、これもそういうイベントの一種なのだろう。


「……ぅ、く……はぁ……はぁ……」


 ズキリと、即頭部が酷く痛んだ。偏頭痛なんて持っていないはずだが……おかしいな。ずきずきと痛むこめかみを押さえようにも、手が動かせない。ジャラリと、無機質な鉄の音が聞こえるだけだ。


「そ、宗太郎……お前は、分かってるよな……これ、外してくれよ……な? 助けてやったろうが。お前が虐められてた時、助けてやったろうがァ!」


 荒い声に、滲む視界。

 誰かの姿が見えた気がした。


「っ……い、行くな……俺を一人にしないでくれ……た、拓馬ぁ、俺達友達だろう? 色々一緒にやったもんな。お前は俺のこと、裏切ったりしないよな?」


 こつこつと、視界に写ったその人物がこちらに近寄ってくる。

 ああ……これでこの性質の悪い冗談も終わる。

 助けてくれるなら、誰でも言い。


 紅葉でも、奏でも、宗太郎でも、拓馬でも。なんだったら藍沢でも良い。助けてくれたら何だってしてやるのに。


「くくく……ああ、いいぜ。安心しろ」


 ぬっ、と顔を近づけたその男。


「お前を一人にはしねぇからよぉ」


 リンドウが、実に実に愉しげに、笑みを浮かべていた。




 何かの冗談だと思いたかった。

 夢なら覚めろと、幾度となく祈った。

 しかし、この地獄は鮮烈な痛みを伴って、此処が現実だと俺に告げるのだ。

 いつか仲間が助けに来てくれる。

 そんな幻想を抱いて、俺は生きた。




 それから一週間。

 いまだ、夢は覚めない。

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