第八十五話 迎撃
「た、大変だあ! ローズポート伯だ!
ローズポート伯の騎兵隊だあ!」
兄弟がそう叫んだ途端、その背後にその通りの存在が土埃とともに姿を現した。
その数ざっと五百ばかり。
歩兵がいないところから見て、騎兵だけ切り離して強行軍をしてきたに違いない。
「急げ! 整列だ! 並べ並べ!」
〈犬〉が声を枯らして兄弟たちに陣を組ませる。
その背後、殿下の本陣では角笛が狂ったように吹き鳴らされていた。
ローズポートの騎士たちは行軍隊形から左右に展開し、一列の横隊に組み替えた。
それから隊列中央から順に速度を上げていき、楔形の突撃隊系に移行。
そのまま最も近くにいた味方の集団に向けて突進を開始した。
彼らは急ごしらえの隊列で騎馬集団の進路を塞ごうと試みていたが、藁人形のように吹き飛ばされた。
それを見た他の集団は右往左往しながら敵の進路から逃げ出していく。
あっという間に奴らと殿下の本陣の間にいるのは俺たちだけになってしまった。
がら空きの戦場を、騎馬の群れは並足に落として悠々と進んでくる。
逃げ出した奴らの意気は完全にくじけており、側面からですらだれも手を出そうとしない。
〈犬〉が叫んだ。
「殿! 退避しましょう!」
「殿下を置いて逃げ出せっていうのか!?」
「我々じゃあれを食い止められません!
やり過ごして、本陣の近衛隊が食い止めたところに背後から加勢するのが最善です!」
理屈はわかる。
敵は五百騎ばかり。こっちは歩兵と弓兵が合わせて百人ちょっと。
このまま踏みとどまったって、最初の連中みたいに吹き飛ばされて終わりだ。
そして吹き飛ばされてしまえば、後から加勢することすらできなくなる。
だが、加勢するにしたって近衛隊が持ち堪えられればの話だ。
その数は千人ばかり。あのローズポート伯に真正面から立ち向かうにはいささか心もとない。
「少しでも奴らの勢いをそぐ必要がある。
踏ん張るぞ」
「殿! それじゃ俺らは確実に全滅です!
危ぶねえ任務と自殺は違います! どうかご再考を!」
俺は兄弟たちの顔つきを見回した。
皆、青い顔で目を見開きながら俺と〈犬〉の議論を見守っている。
その目は、一様に救いを求めていた。
それを見て俺は悟った。踏みとどまるのは無理だ。
城を守るのとはわけが違う。逃げられる状況で踏みとどまるには特別な覚悟がいる。
俺たちはそういう戦い方をしたこともなければ、そのための訓練を施したこともない。
危ないときには逃げるのが俺たちの正しい戦い方だ。
「……全員退避しろ。俺は残る」
「なに言ってるんですか!?」
「伯爵だけは仕留める。
あの御仁が本陣に突入したら終わりだ。
最低でも落馬させて足を止めなきゃなんねえ」
殿下の近衛隊の主だった面々ならある程度知っている。
だが、その中にローズポート伯に対抗できそうな奴はいなかった。
であれば他の奴はともかく、伯爵の剣だけは確実に殿下、そして姫様に届く。
「死にますよ!」
「わかってる」
あの伯爵に一騎打ちで勝てると思う程驕ってはいない。
「呪いのせいですか?」
〈犬〉が、青ざめた顔ですがるように聞いてきた。
「違う。呪いがなくても、俺はやりたいようにやる」
あの本陣には姫様がいる。守らねばならない。
「正気じゃない!」
俺は笑った。
「正気の木こりが騎士なんかになれるかよ」
ドロドロと足に伝わる蹄の轟はますます強くなりつつある。
もう時間がない。
「おい、〈犬〉。お前が正しい。兄弟団はここで蹴散らされるより、殿下への加勢として使うべきだ。
だから急げ、間に合わなくなるぞ」
〈犬〉はもう目の前にまで迫りつつある騎馬の群れに目をやり、それからまた俺を見た。
「殿、俺は――!」
〈犬〉がぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばった。
「早くいけったら!」
これ以上号令が遅れれば、兄弟たちはてんでバラバラに逃げ出す羽目になる。
そうなれば、再集結には時間がかかり殿下への加勢も遅れる。
〈犬〉が血走った目を見開いて号令を発した。
「頭ぁ右! 隊列を維持したまま全力で走れ!」
ふと見ると三人組が残ろうとしていたので、〈犬〉に目配せしながら「連れてけ」と命じた。
「そ、そんな、お頭! お供させてくだせえ!」
「俺じゃなくて姫様を守れ。いいな?」
エルマーが残り二人に引きずられるようにして去っていく。
もちろん、俺もカッコつけてこんなことを言ったわけじゃない。
伯爵だけを狙うなら、一人で決闘もどきの態をとった方が釣れる確率が高いと踏んでいる。
兄弟たちが去り、たった一人。
俺は誰の眼にも俺の存在が分かるよう、金斧と〈切り株と斧〉の紋が描かれた盾とを掲げて雄叫びを上げた。
さあ、勝負だ伯爵。俺はここにいるぞ! かかってこい!
楔隊形の先頭にいた騎士が微かに進路を変えて俺を真正面に捉えてきた。
あれが伯爵だろうか?
まずは馬の足を止めないことには話にならない。
手の斧を銀斧に変える。
俺は以前やったように、馬鎧から唯一はみ出した馬の脛を狙って斧を投げた。
が、伯爵はくるくると回りながら飛んで行ったそれをあっさりと槍で弾き飛ばしてしまった。
伯爵が馬に拍車をかけた。
騎馬と、騎馬の群れが速度を上げてこちらに迫ってくる。
今までの敵とは明らかに一線を画す圧力。
盾で槍を防ぎながら、金の斧で切り付けてみるか?
いや、無理だ。伯爵の槍の間合いに入れば確実に死ぬ。
ならば。
俺はギリギリまで敵を引き付けてから再び銀斧を放った。
狙いは伯爵の隣の騎士。槍を振るい辛い左手側。
それが転倒してできた隊列の隙間に、横っ飛びに転がり込んだ。
ギリギリのところを伯爵の槍がかすめていく。
再三銀斧を呼び寄せて後ろから伯爵の馬の脛を狙って投げる。
流石の伯爵も背後からの攻撃には対応できず、脚に銀斧の一撃を受けた馬が転倒した。
伯爵が馬から投げ出され転がっていったが、他の騎士たちはそれには目もくれずに殿下の本陣目掛けて駆け抜けていった。
さては前と同じように囮に引っかかったか?
まず馬の下でもがく先に転倒させた方の騎士にとどめを刺し、それから伯爵らしき騎士の方に駆け寄った。
が、すぐにその足は止まった。
ゆらりと立ち上がったその男は、左腕をだらりとさげ、少しばかり足を引きずっているように見えた。
にもかかわらず、尋常ならざる闘気を放っていた。
伯爵でまず間違いないだろう。あんな奴がそう何人もいてたまるか。
俺は、無事に敵をやり過ごしてこちらに駆けつけようとしていた〈犬〉たちに身振りで「来るな」と指示した。
最優先は姫様と殿下のいる本陣の安全だ。
それから、男に向かって呼びかけた。
「ローズポート伯とお見受けします」
男は片手で兜の緒を解き、脱ぎ捨てた。
やはりローズポート伯本人だった。
どんな恐ろしい表情をしているかと思いきや、思いの外穏やかな顔つきだ。
これなら話が通じるかもしれない。
「既にギョーム王の軍勢は敗走しました。
追撃に出ていた騎士たちもすぐに戻ってきます。
戦はもう終わりです。降服してください」
それを聞いて伯爵が二ッと笑った。
「いいや、終わらん。
大陸領の諸侯は無傷。陛下が逃げ切りさえすれば、まだ再起可能だ。
追手がこちらに引き返してくるというなら上々。
それどころかここでスティーブンの首を取れれば、貴様らは戦を続ける大義を失う。
陛下の勝利だ」
「だが、アンタは死ぬぞ」
「それが何だというのだ。我らは騎士ではないか」
「忠義だっていうんなら、なおの事だ。
エリック王が殿下に王位を譲ろうとしてたのは知ってるだろうが」
「もちろん知っている。
スティーブンの方がよほどマシな国を作るだろうこともな」
「だったら――」
「だが、それでも王はギョームだ。
義務が、血縁が、様々なしがらみがわしを縛る。
友との約束もその一つだ。
息子たちを頼むと言われた。
もはや選択肢はない」
ローズポート伯がスラリと剣を抜いた。
「いつぞやの決着と行こうか。
世間に流布するホラ話を真実にしてみせよ!
無論、手加減はせぬぞ」




