第八十四話 会戦
殿下のお言葉の通り、敵の軍勢は開けた平地で俺たちを待ち構えていた。
平地とはいっても、戦場はこちらから敵に向かって緩やかな登り傾斜となっており、地勢そのものは敵に利がある。
その総数はこちらの倍近くおり、ホースヤード伯の二千をこちらに移しても敵側が優勢。
ただし、最大の脅威となるはずだったローズポート伯は、双子の片割れの討伐に向かっており不在。
これはホースヤード伯の策略の成果らしい。
対するこちらの軍は、敵軍からだいぶ距離を置いた場所に軍勢を展開させ、そこに簡易陣地を構築し始めた。
この陣地で敵の足を止めさせたところに、ご自慢のウェストモント大長弓兵によって土砂降りのような矢を浴びせるのが殿下の得意とする戦い方であるらしい。
間抜けなことに、敵軍は高所の優位に固執してか、こちらの陣地が出来上がっていくのをぼんやりと見下ろしている。
とは言え、こうしてにらみ合っているばかりでは勝てないというのはこちらも同じだ。
昼頃になって、一部の弓兵隊が前方に送り出された。
敵を挑発し、高所から引きずり下ろすためである。
我々フォレストウォッチ勢も、黒盾勢の弓兵と共にそこに加わった。
ちなみにジェラルドはお留守番である。
矢戦では高所が有利とは言っても、ここの傾斜は弓の性能差を覆すほどではない。
射程では依然としてこちらが勝っている。
こちらの弓兵指揮官の号令に合わせ射程ギリギリから射ち出してはみたものの、大部分は盾や鎧に阻まれて大した効果は出ない。
射撃のペースも随分とゆるゆるとしたものだ。
最初の内は無視されていたが、さすがに敵もうっとおしく思ったのかしばらくして弓兵を前に出してきた。
トムとウィルが示し合わせていたかのように同時に矢を放ち、これまた同時に敵の弓隊の指揮官らしき男の胸に突き立った。
それをみたこちらの指揮官が全力での射撃を指示した。
先程までとは打って変わって、ものすごい勢いで矢が射ち出されていく。
盾を持たない敵の弓隊はバタバタと倒れていき、指揮官の不在も相まってあっという間に潰走した。
俺たちの指揮官が声を張り上げた。
「射ち方やめー! 鬨の声をあげるぞ!
それ、エイ! エイ!」
「オー!」
「エイ! エイ!」
「オー!」
俺たちの任務は挑発である。
背後の味方も喝采の声をあげた。
ぶおー、と敵陣から角笛の音が響く。
盾を構えた歩兵の隊列が割れ、その間から騎兵が押し出されてきた。
数はさほど多くない。俺たち挑発隊を蹴散らして失点を取り返そうというのだろう。
こちらの指揮官が再び叫ぶ。
「それ逃げろ! ここで死んでも褒美はねえぞ!」
俺たちはさっと敵に背を向けるとわき目も振らずに逃げ出した。
地面が揺れ、背後から蹄の音が迫る。
俺たちの前に展開していた本隊が矢を一斉に放った。
数千の矢が空を覆うように俺たちを飛び越えていく。
一瞬、周囲が暗くなったような錯覚すら覚える程の密度だ。
すぐ後ろで馬が悲鳴を上げながら転倒する重い音。鎧がぶつかり、潰れる耳障りなかん高い金属音。
そしてなおも続く蹄の轟き。
振り返ると、人馬ともに装甲で覆われた騎士が一騎、明らかにこちらに狙いを定めて突っ込んでくるのが目に入った。
全身に矢を受けて毛虫の怪物のようになったその姿は、まるで物語に出てくる異形ような禍々しさを放っている。
このままでは追いつかれる。
そう判断した俺は振り向きざまに銀斧を投げつけた。
が、流石突撃の先頭をかけるだけの事はあり、俺の斧は難なく盾で防がれた。
騎士が手綱を引いて馬を棹立ちさせながら叫ぶ。
「その盾の切り株の紋章、〈木こり〉のジャック殿とお見受けする! 尋常に勝負!」
手元に呼び戻した銀斧を金に変えながら「来い」と応じる。
「いざ!」
騎士は槍を構えなおすと、拍車をかけてまっすぐに突っ込んできた。
騎士の構えは左側だ。
俺は身を低くして被るように傾げた盾でその槍を弾き、すれ違いざまに金の斧で馬の後ろ脚を切りつけた。
背後で嘶きと共に馬が派手に転び、味方の側から歓声が上がる。
立ち上がり、また味方に向かって走る。
先ほどの騎士が馬の下敷きになって藻掻いているのが目に入った。
捕虜にしたかったがそんな余裕はない。
仕方がないので、頭に金斧を一発打ち込んでおいた。
敵側に向け斜めに打つ困れた杭の脇を通り抜け、どうにか味方のところまでたどり着く。
ずらりと列を作った騎馬騎士たちが自身の盾に得物を打ち付けながら何やら叫んでいる。
先程の一騎打ちを見て、俺を讃えてくれているらしい。
彼らが盾の壁に作ってくれた隙間に身を押し込む。
戦列の後ろに戻ると、挑発隊の生き残りが肩で息をしながら思い思いに座り込んでいた。
ざっと見た限りでは三分の二といったところだろうか。
うちの兄弟たちも〈犬〉を中心に固まって休んでいた。
俺たちに限って言えばさほど被害は出ていない。
普段から逃げ足を鍛えておいたかいがあったというものだ。
「先手衆あつまれーい!」
挑発隊の指揮官が声を張り上げているので、のそのそと集まる。
「敵は未だ動かぬ!
もう一度やるぞ!」
生き残りたちが一斉にうめき声を上げたが、やれと言われれば仕方がない。
どこかの隊から引き抜かれた射手がさらに二百ばかり加えられ、再度味方の陣の前面に整列する。
「先手衆~! 進めー!」
指揮官の合図で俺たちが最初の一歩を踏み出したその時、敵陣から角笛が大きく鳴り響いた。
先ほどとは違い、左右に広がるように角笛の音が連鎖する。
敵の隊列全体がゆらりと動き、先ほどとは比べ物にならない数の騎兵が前に出て来た。
「先手衆、戻れ! 急げ! 急げ!」
慌てて隊列の後ろに逃げ帰る。
もう一度角笛が吹き鳴らされ、敵軍の騎兵がゆっくりと前進を開始した。
傾斜を下り切ったあたりでさらに角笛が鳴らされ馬が駆け足を始めた。
こちらの弓兵が一斉射撃を開始し、ものすごい量の矢が騎士たちに向かって浴びせかけられる。
一部の馬が矢に当たって暴れ、倒れ、後続に混乱を巻き起こすも全体としては勢いを止めるには至らない。
植えられた杭の防御帯によってさらに何割かが脱落。
生き残りがバラバラと下馬騎士たちの分厚い戦列に突入し、下馬騎士を跳ね飛ばしながら戦列の中ほどに突き刺さっていく。
突出した彼ら第一陣は、足が止まると同時に全く間に馬から引きずり降ろされ人垣の中に姿を消した。
が、乱れた戦列を整えなおす間もなく後続する騎馬たちが次々とその隙間に入り込み、あるいは第一列の生き残りを蹂躙し、第一線は引くも進もままならぬ乱戦状態へと移行していく。
数の上ではまだこちらが優勢に見えるが、騎馬による衝撃を受けてか怯みがちに見える。
幸いというべきか、敵の歩兵部隊はまだ後方に置き去りにされていた。
左右に展開した我が軍の弓兵は、猛烈な射撃を彼らに浴びせていたが、その歩みを止めるには至っていない。
彼らが前線に到着すれば状況はいよいよ危うくなる。
そのさらに後方では、敵軍の両翼部隊がこちらの弓兵の射程外で停止し、不気味な沈黙を保っていた。
どうやら、ホースヤード伯は内応への賛同者をずいぶんと集めることに成功したらしい。
だが、未だ動かないのはどういうことだ?
この期に及んでこちらを裏切るつもりだろうか?
あるいは、内応そのものが罠で殿下をウェストモントから引きずり出すための策略だったか?
だが、それならあんな風に待つ必要はない。
中央の部隊と一緒に突撃していればもう勝負はついているはずだ。
ともかく、備える必要がある。
〈犬〉を呼び寄せ、逃げ道の確保について相談しようとしたところで、敵の左翼軍が動き始めた。
彼らが、中央軍の後列に向けて矢を放ち始めたのである。
一拍遅れて右翼軍もその攻撃に加わる。
優勢から一転、味方と思っていた軍勢に背後から攻撃を受けて、敵の中央軍は一斉に敗走へと移った。
何ともあっけない幕切れだった。
*
戦闘が終わって厄介な事実が判明した。
なんと、あのギョーム王を取り逃がしていたんである。
このまま大陸領に逃げ込まれてしまえばもはや戴冠式どころの騒ぎではない。
最悪、パリシアを始めたとした大陸諸国の干渉を受けながらの長期戦になってしまいかねない。
殿下は近衛隊を除く、寝返り諸侯を含めた全騎兵にギョーム王の捜索と追撃を命令した。
王を捕縛すればこの戦の一番手柄であるからには、不平を言う者もなく、騎士たちはこぞって馬を駆けさせていった。
もっとも、まともな騎兵のいない俺たちには、少なくとも今この時に限って言えばあまり関係のない話だった。
俺たちは残された他勢の歩兵隊と共に、戦場掃除やら野営地の設営やらといった仕事を漫然とこなしていた。
大規模な戦、それも勝ち戦との後とあって、全体的に弛緩した雰囲気が漂っている。
普段の襲撃では皆殺しにしてから本番といった風があるのだが、こうして大勢の味方に囲まれているとどうにも気が抜ける。
とりあえず、激戦のあった戦列中央で敵味方の死体を分ける作業をしていたところ、〈兎〉の護衛につけていたビルがこちらに駆けて来た。
足が速いので、近頃では〈疾風のビル〉などという似合わない二つ名で呼ばれているらしい。
「と、殿ー!」
「どうした?」
「そ、それがー、〈兎〉が北から軍勢が来てるから知らせろってぇ……」
「どっかの捜索隊が戻ってきたのか?」
「よくわからんですけれども、とにかく知らせて来いっていうんで」
「分かった。〈兎〉のところに戻って、また何かあったら知らせてくれ」
「へい!」
ビルは大急ぎで駆け戻っていった。
「おい! 〈犬〉! ちょっと来てくれ」
「はい、殿。どうしました?」
「〈兎〉が言うには北から軍勢が来てるらしい。
よくわからんが、念のため斥候を出しといてくれ。
あと、殿下にも連絡を頼む」
「はっ!」
〈犬〉の指示で、馬に乗れる奴らが十人ばかり北に向かっていく。
程なくして、殿下の陣からも騎兵が送り出された。
それを見送りながら死体を並べる作業を再開する。
一応、兄弟たちにはなるべく近くに集まっておくよう周知しておいた。
どうにも胸がざわつく。
しばらくして、北から角笛の音が響いた。
斥候に送り出した兄弟に持たせておいた奴だ。
何か異常が起きたらしい。
「〈犬〉! 全員集めろ!」
「はっ!
フォレストウォッチ勢は集まれ! おい! 作業は終わりだ!
殿のところに集合しろ!」
兄弟たちはすぐに集まってきた。
俺たちの動きからただならぬものでも感じ取ったのか、周囲の部隊も集合の合図を出し始める者がいた。
殿下の本陣からも危急を告げる角笛が吹き鳴らされた。
伝令があわただしく行き来を始め、各隊に戦闘準備の指示が飛ぶ。
が、動きが鈍い。
斥候に出ていた兄弟たちが戻ってきた。
三人しかいない。
「おい! 何があった!」
「た、大変だあ! ローズポート伯だ!
ローズポート伯の騎兵隊だあ!」
兄弟がそう叫んだ途端、その背後にその通りの存在が土埃とともに姿を現した。




