第八十一話 五日目
伯爵の軍勢がローズポートを発ってから五日目の朝である。
本来ならばもう自称国王の軍勢と合流している頃合いのはずだから、足止めは今のところ順調と言っていい。
最も、最初の方にうまくいっていただけで最近はどうも風向きが怪しい。
最初の襲撃では銀の斧で車輪のスポークを破壊してやった。
車輪を壊せば、荷車ごと荷物を放棄するんでない限り敵の足は止まる。
放棄する場合でも、荷車をどかす間は全体が止まる。
効果はあったようで、次の日には全ての車輪に盾や板を打ちつけて補強されていた。
同じ手は食わないということだ。
地形を見ながら待ち伏せできそうなところがあれば少人数の襲撃隊を送り出しているが、帰ってこない奴らが時々出る。
おそらく追撃を振り切れずに全滅したのだろう。
運よく追撃から生き延びてきた兄弟が言うには、奴らは森の中でも平野と変わらないような速さで馬を駆けさせてくるらしい。
多少の誇張はあるだろうが、元より腕利きの騎士たちは森の中でシカやイノシシを追っかけるのだから、人間なんぞに追いつくのは簡単だろう。
街道の破壊は一定の成果を上げているが、奴らは奴らで修復の手際がどんどん良くなっている。
夜襲も引き続き毎晩やっているが、こちらは一人二人削るのがやっとで対した効果は出ていない。
元が疲労を増させるためにの嫌がらせでしかないので、目的は果たしているのかもしれないが。
ともかく、敵の行軍ペースは徐々に上がりつつあった。
ホースヤード伯から依頼された足止め期間はあと三日。
残りの道のりは何もせず素通リさせれば二日行程といったところ。
最後の一日行程分は敵の本隊に近すぎて手を出せないだろうことを考えれば、目標の達成はかなり厳しい。
「ここの陣地が、最後の抵抗線になります」
〈犬〉がそう言って背後に築き上げた陣地を指した。
街道は丸太の城壁で完全に塞がれている。高さはミュール城のそれより少し高いぐらい。
城壁の上には射手のための胸壁があり、身を隠しながら迫る敵兵を射ることができる。
その左右には櫓でまで備えられており、殆ど砦のような様相でそれが三線に渡って準備されている。
森の中にもぐるりと囲いを施してあるから側面からの攻撃にもある程度は対処可能だ。
この北街道はその一部が、俺たちの本拠地であるノドウィッドの森を通っているのだ。
そしてそこは当然のこと、王領の中にありながら俺たちの勢力圏である。
だからこんな真似ができる。
とは言え、相手はあのローズポート伯率いる精鋭部隊である。
まるで安心できない。
「こんなので食い止められるのか?」
ミュール城ではあっという間に城壁を突破されてしまった。
今回の敵はあの時よりも強いだろう。
〈犬〉が肩をすくめる。
「目的を忘れないでください。
時間がかせげりゃいいんです。もう半日ぐらいならいけるでしょう。
前の時とは違って、最後には森に逃げ込めばいいんだから気楽なもんです」
なるほど、そんなものか。
まあ、既に三日の内二日も稼いでいるのだ。
相手がローズポート伯なんだから、一日分ぐらいは十分に言い訳もきくだろう。
それにしてもまあ、姫様と初めて会ったあの日に比べると俺たちも随分と立派になったものだ。
……などと感慨深く思っていたら、後方で何やら騒ぎが起きた。
「騎兵だ!」
そんな叫びが聞こえた。
さては挟み撃ちにあったか?
状況を確認すべく、〈犬〉とともに大急ぎで声のしたところに向かう。
着いてみると、兄弟たちは殺気立ってはいるものの既に騒ぎは収まっている様子。
「何があった」
〈犬〉が手近な兄弟を捕まえて聞いた。
「へえ、それが騎士が三騎ばかリ西の方から駆けてきまして、無理やり押し通ろうとしたもんで仕留めたんでさあ」
「正確には馬をやったんです。
でも、乗り手は落馬するなりその場で自害しちまって……」
と、違う兄弟が補足する。
なるほど、見れば少し離れたところに馬と人間が倒れている。
死体は一騎だけである。
「伝令か? おい、誰何はしたろうな?」
「へい、もちろんです。無視されましたが」
「残りは?」
「森の中に逃げ込まれました」
「ふむ」
〈犬〉は下のところに屈みこむと懐を探る。
「何も持ってねえか……」
横たわる死体を見てふと思い出すことがあった。
「こいつ、見覚えがあるな」
確か、俺が王様と一緒に逃げ帰ってきた時に遭遇した味方の騎士だ。
「名前は憶えていないが、ローズポート伯家中の者とか言ってたはずだ」
「ってことは、やはり伯爵への伝令ってことですな」
〈犬〉が唸った。
「手紙も持たねえのに即自害したってことは、余程の情報を、
それもこっちには絶対に知られるわけにはいかないような話を持っていたに違いありません」
「だな」
だが、一体なんだ?
おそらく、敵の内部で何か変事が起きたのだろう。
可能性が一番高いのは、ホースヤード伯の策に関係することだろうが……。
「ま、考えても仕方がねえ。
今は伯爵の軍勢の迎撃に集中するぞ」
「はっ」
ともかく、今日を生き延びないことにはどうにもならないのだ。
それはさておき、やっておくべきこともある。
「とりあえず、後の警戒は強化しとくか」
「であれば、黒盾勢の騎兵を背後に配置するのがよいかと」
現状、黒盾勢の騎士たちも下馬させて陣地の守備に充てている。
これを騎乗させて少しばかり離れた見晴らしのいい場所に配置し、後背の守りに充てるという提案だ。
そうすれば背後からの攻撃にも機動力を生かして柔軟に対処できるし、いざとなれば迅速に防衛に復帰させることもできる。
「よし、それでいこう。
黒盾勢へ伝えといてくれ」
「嫌ですよ」
〈犬〉が本当に嫌そうな顔で答える。
「そう言うのは、一番偉いお方の仕事でしょう」
「言い出しっぺはお前だろ」
結局、コインを投げて決めることになった。
俺が負けた。
*
配置転換を終え、早めの昼飯を腹に詰め込む。
今日のメニューは、焼いた厚切りベーコンと師匠直伝の戦場鍋だ。
酒は出していない。
いつもと比べると豪勢な部類には入るのだが、皆口数が少ない。
まあ、これから当代最強と謳われるローズポート勢と真正面からぶつかろうというんだから無理もなかった。
飯も食い終わり、そろそろ騎馬斥候が姿を現してもおかしくない頃か、などと考えていたら見張りの叫び声が聞こえた。
「東より騎兵接近!」
来たか。腰を上げて伸びをしようとしたところで追い打ちにとんでもない言葉が飛び込んでくる。
「あ、おい! なんだあの数! やばいぞ!」
何がやばいのかはよくわからんが、異常だと言うならやることは一つ。
「全員配置につけ! 急げ!」
そう叫びながら俺も壁に上がった。
見張りはもう混乱してしまっていて、この目で見ないことにはどうにもならない。
見えたのは騎兵の大群だ。
具体的な数は分からないが、斥候ではないことは確かだ。
恐らく今伯爵が連れている騎士を全部連れてきているんじゃなかろうか。
歩兵と荷車は見当たらない。
置いて来たか。
こちらの射手たちもわたわたと壁に上がってきている。
突然の事で気持ちが切り替わっていないのか、普段より落ち着きがなさそうに見える。
「なんのつもりかは知らねえが、騎兵だけじゃこの壁は越えられねえ!
でかい分だけいい的だ! よく狙えよ、ここが手柄の稼ぎ時だ」
「お、応!」
皆が少しばかり落ち着きを取り戻す。
ミュール城では押し切られたが、あれだって梯子があった上に数でもこちらを圧倒していた。
今回はそうじゃない。十分行けるはずだ。
「殿! 先頭を見てください!」
遅れていた仲間の尻を叩きながら隣に上がってきた〈犬〉が、集団の先頭を指した。
見ると、見覚えのある鎧を着た騎士がいる。
あのバケツみたいな兜はローズポート伯その人である。
なるほど、騎士の中の騎士と讃えられるあのお方なら先頭は誰にも譲るまい。
「好都合だ」
俺は手の内の斧を銀に変え、狙いを定める。
当人はもちろん馬もきっちりと装甲で守られてはいるが、足元は丸出しだ。
騎馬の一団は駆け足でこちらに向かってくる。
そろそろ届くか?
投擲。
銀斧は見事に馬の足元に吸い込まれ、転倒させた。
「射ち方始め!」
一斉に矢が放たれた。
殆どの矢は伯爵の周囲に刺さるか鎧に阻まれるかしたが、何本かは鎧の隙間に突き立った。
よし、最大の脅威は排除した。
これならいける。
そう思ったところで妙なことに気づく。
前の方にいる騎士たちが右手に何か持っている。
盾の陰に隠れて見えにくいが、剣や槍ではない。
小壺?
仲間が次々と矢を放つが、騎士たちの突進は止められない。
このまま城壁に体当たりでもする気か?
が、その直前で奴らは手にしていた何かを壁に投げつけると、二手に分かれて森の中に飛び込んでいった。
壁に当たった何かが割れた。中身は油か。
とすると次は――火か!
続く騎士の一団が松明を壁に投げつけながらまた森に飛び込んでいく。
「消火だ! 砂もってこい!」
〈犬〉が叫んだ。
火への備えも当然用意してある。
すぐに待機していた兄弟が、水を含んだ砂を桶に詰めて上がってきた。
こちらが消火に追われている間に、残る騎兵たちも次々と森へと消えていく。
何が目的だ? 陣地の側面に回り込む気だろうか?
郷士隊と黒盾勢の歩兵が陣地の側面に配置されているが、そちらで騒ぎが起きた様子はない。
前方に残ったのは矢にやられた数騎の死体だけ。
火はすぐに消し止めた。後続しているはずの歩兵たちも姿を現さない。
どうなっている? 戦上手で評判をとっているあのローズポート伯がこんな真似をするか?
「おい、ちょっと確認してくる」
〈犬〉に声をかけて、俺は城壁を飛び降りた。
「確認って、あ、殿!」
最初に仕留めたローズポート伯の元に駆け寄り、兜を外す。
思わず舌打ちが出た。
「クソ、替え玉だ!」
〈犬〉が壁の上から叫ぶ。
「殿! 騎士どもが後ろに現れました!
奴らここを素通りする気です!」
まずい。
「角笛だ! ジェラルドに警告しろ!」
すぐに〈犬〉が指示を出し、角笛が吹き鳴らされた。
俺は壁に駆け戻り、〈犬〉が垂らしてくれた綱を使ってよじ登る。
「おい、伝令用の馬をよこせ」
「どちらへ?」
「ジェラルドたちがやばい」
あれはスティーブン殿下から預かった大事な人質だ。
ここで死なれるわけにはいかない。
「一人じゃだめです!
何人か連れてってください! おい!」
すぐに声をかけられる位置にいた五人ばかりを引き連れて馬の繋ぎ場に急ぐ。
途中でトムの奴が合流してきた。
走りながら話す。
「うちの大将のところか!?」
「そうだ!」
「連れてってくれ!
死なれたら大旦那に叱られる!」
どんだけ怖いんだよ。
「馬乗れるか?」
「おう! 乗るだけなら!」
「ついてこい!」
大急ぎで馬に飛び乗り、敵の一団を追いかける。
森を抜けて少し走ったところで、戦の音が聞こえて来た。
嘶き、怒号、悲鳴。
既に黒盾勢の騎兵隊は壊乱していた。
兄弟たちは馬から飛び降りて、矢を番える。
俺はジェラルドを探して視線を走らせた。
まだ生きているか?
いた。
落馬し、よろよろと起き上がろうとしている。
その背後から、槍を構えた騎士が突進していた。
とっさに銀斧を投げ、槍の穂先を逸らす。間に合った。
斧を追いかけるように兄弟たちの矢が混乱の中に突き立つ。
効果の程は知らないが、とにかく援軍が来たと双方に知らしめることができれば十分。
敵の注意がこちらに向いた。
俺が邪魔をしてやった騎士が、こちらに向かって突撃してくる。
真正面から相手をしてやる必要はない。
俺は馬から飛び降りて木の陰に身を隠した。
これで初撃はやり過ごし、木のすぐそばをかけていくその馬体に横合いから金斧で斬りつける。
騎手は馬諸共に足を切られて転がっていく。
トムが馬に乗ったまま乱闘の中に飛び込んでいくのが見えた。
兄弟たちにトムを支援するよう指示。
俺はトムを追いかける。
ジェラルドの横に乗り付けたトムが、引っ張り上げようと手を伸ばし、どうにかジェラルドを鞍.の上に引き上げて自分は反対側に落っこちた。
少し遅れて駆け付けたヒューバート殿が角笛を吹き鳴らすと、馬に乗ってる奴、既に落馬した奴、とにかく黒盾勢の生き残りがワラワラと集まってくる。
集まってきた黒盾勢に向けて、ジェラルドが剣を振り上げながらなにかしらを叫んだ。
黒盾勢が合わせて鬨の声を上げ、気勢を盛り返す。
「円陣を組め!」
ジェラルドの指示で、騎士たちが盾を連ねて武器を構える。
俺もその中に組み込まれている。
混沌とした乱戦の中に、小さいながらも秩序だった陣が出来上がった。
敵勢は少しの間、遠巻きにこちらを囲んでいたが、頃合いと見たのか背を向けて西へと駆け去って行った。
「ジャックよ」
ジェラルドが声をかけて来た。
「なんだ?」
「……救援、感謝する」
「気にすんな」
こっちは仕事だ。
「それよりも、さっさと陣地に引き上げるぞ。
奴らが気まぐれで引き返してきた日にゃ今度こそ全滅だ」
騎士たちは朝の半分も残っていなかった。
*
〈犬〉が送り出していた斥候が戻ってきたので、その報告を聞く。
それによれば、敵の輸送隊は残る歩兵部隊に護衛されながら後退。
ここを大きく迂回するルートに入っていったとのこと。
「こっちの道ならあと三日は余計にかかるでしょう」
と〈犬〉。
「ってことは、ひとまず目的は達成か?」
「いや、最初の話じゃあローズポート伯本人が邪魔って話でしたからねえ。
伯爵はここを突破した騎兵に紛れていたとみていいでしょう。
三日ってのも多少の余裕は見込んでの事でしょうが、はてさて……」
「あとは情報待ちか」
「そうなりますな。
ひとまず、拠点に戻りましょう」
いったい西では何が起きているのやら。




