第八十話 足止め
いざ橋を崩そうという段になって、あまりに情けないトラブルが発生した。
斧をくくりつけた槍の長さが足りず要石に届かなかったんである。
できるだけ長く持って手を伸ばしても足りない、背伸びをしても足りない、船の上で跳ねても足りない。
じゃあ肩車でもするかと〈大鼠〉の上に乗ったら転倒。ずぶ濡れになった。
なお腹立たしいことに、船から落ちたのは俺だけだった。
ようやく船のへりに上がったところで〈大鼠〉が「まあ、別に天辺じゃなきゃ崩れないわけじゃないんで……」などと言い出した。
そう言うことは先に行ってくれ。
手を伸ばせば届く高さの輪石に〈大鼠〉の指示に従って斜めに、橋を横断するように金斧の刃を入れる。
上手いこと輪石の一つが真っ二つになり、ボチャンと水面に落ちた。
後はそこから連鎖的に組石が崩れていき、瞬く間に橋が崩壊していく。
あまりに早く橋が崩れたので、船が巻き込まれて沈みそうになったのはご愛敬。
慌てて距離をとって振り向くと、既に橋の大部分が崩壊していた。
「おおぉ……すげえ……」
そう呆けたように呟いたのは〈大鼠〉である。
なんでお前が一番驚いてるんだよ。
*
北側の街道へ戻り、兄弟たちと合流する。
そこでは、方々で兄弟たちが道の破壊活動に勤しんでいた。
岩があれば道の真ん中に転がす。
木があれば塞ぐように倒す。
路面が柔らかければ穴を掘る。
土手道があれば崩す。
橋はできる限り落とす。
そうした細かな嫌がらせを、できる限り多くの地点で行う。
兵隊だけならよけて歩けばいいが、荷車はそうはいかない。
いちいち隊列を止めて道を修復せねばならないのだ。
無理やり道を外れて避けようとしても、その分だけ時間を食う。
敵の勢力圏内であるので、見つかれば留守役の騎士たちが兵を率いて邪魔をしに来る。
そうなったらさっさと退散。
そいつらが修復作業を始めたところで、ちまちまと襲撃。
場合によっては黒盾勢をぶつけて追い散らす。
奴らが退散したところでまた破壊活動を再開。
そんなことを繰り返す。
そうこうしている内に、船からの積み替えを終えた伯爵の軍勢がローズポートを発ったとの連絡を受ける。
川ぞいに放った斥候の報告によれば、敵は予定通り北の橋を目指しているとのこと。
いよいよ本格的な戦いの始まりである。
まずは手始めに、馬に乗れる兄弟を二十人ばかりつれてご挨拶に向かった。
場所はあらかじめ見繕ってある。
橋を渡って少しばかり進んだ先にある小さな茂みだ。
大長弓ならギリギリ街道を射程に収められる位置にあり、小さな森には少しばかりの兵を馬と共に隠すことができる。
連れてきた兄弟のほとんどはその森の中に潜ませ、俺はウィルともう一人の弓上手の兄弟と共に茂みの中に伏せる。
やがて、伯爵の軍勢の騎馬斥候がやってきた。
実にマメな奴らで、弓が届きそうな位置にある藪を馬上から一つ一つ覗き込み、時折槍で突いたりかき回したりしながら進んでくる。
だが、その捜索範囲は普通の弓の範囲までだ。
それよりもずっと外側にある俺たちの茂みまではやってこない。
そうして斥候をやり過ごして少しすると、いよいよ本隊が姿を現した。
「いいか、一番前の荷車の馬だぞ」
俺が声を抑えて念押しすると、ウィルともう一人の兄弟が頷いた。
目標が大長弓の射程に入った。
ウィルたちがさっと身を起こして弓を引き、矢を放つ。
俺も斧を銀に変えて放り投げる。
俺の狙いは荷車の車輪だ。
そのまま命中も確認せずに三人揃って駆けだした。
一拍置いて、背後で騒ぎが起きた。
直ぐにローズポート伯のものと思しき怒声が追いかけてくる。
チラリと振り返れば騎兵が五騎、隊列を離れてこちらを追いかけてくる。
反応が早い。二射目を、などと欲張らなくて正解だった。
俺は二人に向けて叫んだ。
「来たぞ! 走れ! 走れ!」
叫びながら、後ろに向かって斧を投げる。
ガツンという音の響きから察するに、盾に命中したのだろう。
魔法の斧だから投げればとりあえず当たるが、狙いがいい加減だと当たる場所もいい加減になる。
しっかり狙って投げれば騎手の頭なり馬の脛なりを狙えたかもしれないが、そのために立ち止まるわけにはいかない。
全力で走っても瞬く間に騎兵との距離が詰まってくる。
森まではあと百歩程か?
だというのに、蹄の音はすぐ後ろまで迫っていた。
あと少し、あと少しだというのに、俺の足ときたらまるで悪夢の中にでもいるかのように進みが遅い。
残り六十歩、馬の鼻息まで聞こえる。
残り五十五歩、騎士の濃厚な殺気を感じた。
その槍先が狙いを定めるのを感じる。
残り五十――
「伏せろ!」
森に伏せさせていた兄弟たちが一斉に矢を放った。
地面に身を投げ出した俺のすぐ上を槍の穂先がかすめるように過ぎていき、俺たちを追い越した騎馬の内二騎が矢を受けてもんどりうって倒れた。
「待ち伏せだ! 引け!」
その言葉を合図に、残った騎兵たちがくるりと馬首を返す。
俺たちも大急ぎで起き上がり、森に飛び込んだ。
大成功だ。
だが、喜んでいる暇はない。
「お前ら、ずらかるぞ! 急げ!」
「へい!」
ちょっとつつかれたぐらいで逃げ出すような甘い奴らじゃあるまい。
直ぐに増援を引き連れて戻ってくるに決まっている。
その前に森の奥に隠しておいた馬にまたがり、全力で逃走。
予想通り、重装備の騎士二十騎ばかりが真っ直ぐこちらに駆けてくるのが見えた。
だがこちらは防具も持たない身軽な体である。
馬の質の差はあれど、どうにか追撃を振り切って味方と合流できた。
「どうでした? 伯爵の軍勢は」
出迎えに来た〈犬〉がいつも通りにニヤニヤ笑いながら聞いてきた。
「隙がほとんどねえ。これまでで一番手ごわい」
「でしょうな」
「どうすんだよ、これ。
多分、同じ手はもう通用しないぞ」
少なくとも、今回のように見晴らしのいい場所では二度と弓の射程まで近づけさせてはくれないだろう。
「それでいいんです。
敵は今後より慎重になりますが、それは行軍速度の低下と同義です。
今回の目的は撃破ではなく足止めですからね」
なるほど、今のところ作戦は順調ということか。
「とは言え、もう襲撃はこれっきりと言うわけにもいかんでしょう。
待ち伏せはもう少しマシな場所でやるとして、次は――」
「夜襲か」
「おっしゃる通りで。
決定的な戦果をあげる必要はありません。
ただ、睡眠時間を削ってやればいいだけです」
そうやって少しずつでも体力を削り、弱らせていくわけか。
「そういうわけなんで、殿。
夜襲隊はこっちで選んでおきますんで、少し休んだらそいつらを連れて行って下せえ」
またかよ、と思わないでもないが、どんなに暗くても必ず当たる俺の斧は夜襲ではすこぶる便利なんである。
しかし、こんな感じで酷使させられちゃ敵よりも俺が先に倒れちまうんじゃないか?
*
今度引き連れてきたのは、〈獣〉と古い兄弟からなる十人ばかり。
フォレストウォッチ勢が誇る精鋭中の精鋭である、
〈狐〉を先頭に、夜の闇に紛れて伯爵の野営地を目指す。
雲一つない空には細い月が浮かび、その頼りない光がぼんやりと地面を照らす。
伯爵の軍勢は見晴らしの良い丘の上に陣取っていた。
柵や堀こそないものの、周囲をグルリと荷車で囲っており、その内側に潜り込むことはできそうにない。
おまけに野営地中心にした同心円状に燭台を配置し、周囲から完全に闇を払っている。
「よく見てくだせえ」
〈狐〉に言われて目を凝らしてみれば、燭台の外側にところどころうずくまる影がある。
「光に目をやられんように、灯りを背にして見張っとるんでしょう」
どの影もじっとして動かないが、あのローズポート伯の配下に居眠りするような不届き者がいるとは思えない。
身動き一つしないのは、目と一緒に耳もよく済ましているからだろう。
これでは見つからずに接近することすら困難だ。
「忍び込んで火を放つのは無理だな」
「ひとまず、火矢でも打ち込みますかね」
他に手はなさそうだ。
早速準備に移る。
まずは、十分に離れた場所に天幕を立て、光が漏れぬようよく囲ってから火を起こす。
あらかじめ用意していた炭にその火を移し、蓋付きの鍋に放り込む。
それから影のようにうずくまる見張りにできるだけ接近し、斧を投げる。
ここからはスピード勝負だ。
燭台を蹴倒しながら一気に弓の射程まで接近。
鍋の中に火矢を突っ込み点火。
発射。逃げる。
俺も銀斧に油のしみ込んだ布を巻き付け、火をつけて投げた。
効果の程は知らない。
既に野営地では警告の声がいくつも上がっているから、火はすぐに消し止められるだろうが。
逃げながら振り返ると、何人かが武器を振りかざしながら丘を駆け下ってくるのが見えた。
こちらは既に半ば闇に中にいるが、奴らは丘を囲む松明に明々と照らされている。
「やるぞ!」
周りの奴らに促し、銀斧を投げる。
兄弟達も振り返って各々素早く矢を放った。
ギャアと悲鳴が上がって幾人かが倒れる。
流石に少数で闇に踏み込むのは不利と見たのか、追撃はそこで止まった。
野営地の方から馬のいななきが聞こえた。
どうやら騎兵を出してくる気らしい。
これ以上接触し続けるのは危険だろう。
さっさと闇の奥へと引っ込んで、戦場から離脱した。
夜通し歩いて再び仲間と合流。
〈犬〉はすでに後退の準備を始めており、俺たち夜襲組は荷車に載せられて眠った。




