第七十九話 偵察
ゼニア人の傭兵隊を打ち破ってから数日後、また〈兎〉がやってきた。
また新しく輸送隊が来たのかと思ったが、少しばかり違った。
今回は、敵の陣中にあって内応の機を窺っているホースヤード伯からの言伝だという話だった。
「はい、それでホースヤード伯がおっしゃるには、
殿にローズポート伯の軍勢を少しの間引き付けておいていただきたいとのことだそうで」
「ローズポート伯を?」
隣で一緒に話を聞いていた〈犬〉が顔をしかめた。
多分俺も同じ顔をしているだろう。
ローズポート伯と言えば当代最強の騎士として知られている人物である。
個人としての武技は言うに及ばず、その軍勢は数倍の敵軍を易々と打ち破ることができるという。
俺の評判がそうであるように、伯爵のそれも誇張されたものに違いないとみる向きもあるが、一度だけ敵として対峙した際に受けた印象はその評判が事実と信じるに足るものであった。
それどころか、それらの噂は事実よりも控えめなのではないかとすら思える。
「はい。なんでも、ホースヤード伯がいよいよ計略を仕掛けるつもりだそうで。
その為にはローズポート伯が邪魔になるって話です」
「なんだ、その計略ってのは」
俺はそう尋ねたが、〈兎〉は首を横に振った。
「そこまでは聞かされておりません」
まあそうだよな。
「しっかし、ローズポート伯を引き付けろだなんて言われても、一体どうすりゃいいんだ?
本陣にちょっかいかけたって、その中からローズポート勢だけ釣り出すなんて無理だろう」
「そこはある程度段取りができておりますんで。
まもなく大陸からの物資の第二便が届くそうです。
今度こそ確実に食料を受け取りたいってんで、伯爵が軍勢の一部を率いて護衛することに決まったそうです。
殿にはこの輸送隊を足止めして欲しい、ってのが今回のお話でして」
「どれぐらいの間だ?」
「いつのも道行に加えて三日は欲しいと」
なるほど。
それならできなくもないかもしれないが……。
俺は〈犬〉に意見を求めた。
「どう思う?」
「まずは戦力がどんなもんか分らんことには……。
おい、〈兔〉。伯爵はどれぐらいの兵を連れてるんだ?」
「騎士が百。歩兵と弓兵がそれぞれ二百で、併せてざっと五百ばかり。
いずれもローズポート伯の直轄部隊と聞いとります。
まもなくローズポートへの移動を開始するそうです」
〈犬〉がうなり声をあげた。
数の上では先のゼニヤ傭兵と一緒だが、脅威度はまるで違う。
それこそ、犬と熊ぐらいの差はあるだろう。
例えばもしあの時と同じようなことをしようとしたならば、背後の森からこちらの騎士が飛び出す前に、丘の上の俺たちは踏みつぶされてしまうに違いない。
もちろん、背後から襲いかかる黒盾勢も返す刀で全滅だ。
「まあ、倒さずに足止めだっていうんならまだやりようはあります」
そう言って、〈犬〉は台の上に地図を広げた。
「足止めをしたいって言うんなら、まず抑えたいのはここです。」
そうして、地図の一点を指したのはローズポートの町からそう離れていないところにある橋だった。
「河はかなり幅が広く、この橋を落とせば大きく迂回せざるを得なくなります。
石で出来た大きな橋ですが、殿の斧がありゃ何とかなるでしょう。
その後は――」
〈犬〉は河に沿って指を動かし、北側にある橋を指した。
「その橋も落とせばいいのか?」
俺が聞くと犬は首を横に振った。
「この橋まで落とすと、次は船を用意される可能性が出てきます。
陸路をさらに北上する可能性もありますが……いずれにせよ、次のルートが読みにくくなってあまりうまくありません」
「じゃあ、こっちの橋は落とさずに足止めしなきゃいけないわけか……おい、橋の幅はどんなもんだ?」
「石橋の方と違って大した橋じゃありません。
荷車を一方通行させるのがやっとといったところでしょう。
何か考えがおありで?」
「そんなら、俺が橋の上で通せんぼするってのはどうだ?
その幅なら数で押されることはねえだろう」
これはなかなかいい案に思えた。
今の俺なら、一対一の戦いであればそうそう負けない。
俺がくたびれるまでは足止めできるはずだ。
「真っ先に伯爵が出てきますよ。勝てますか?」
「無理だな」
諦めてもう一度地図に目を落とす。
「こっちの橋を通る場合は、この北回りのルートになるわけだな?」
俺は橋から北西に向かって伸び、最終的にノドウィッドの森の北を迂回する街道を指した。
このルートは南寄りよりは少しばかり遠回りだが、わざわざ元のルートに戻る程でもない。
「はい。奴らも行きは最短ルートになる南街道を通るでしょう。
そのままだと奴らが通った後に急いで足止めの準備を始めなければなりませんが、
帰り道を北回りに変えさせることができれば、いくらか支度にも余裕ができるはずです」
なるほど。
「あんな奴らに正面から立ちふさがった日には、命がいくつあっても足りません。
最初の内は、できるだけ姿を見せずに嫌がらせをしましょう。
可能な限り消耗させ、移動速度を落とします。
そうして、最後に――」
〈犬〉が地図の一角を指す。
こちらの北寄りの街道は、一部がノドウィッドの森にかかっていた。
「ここで通せんぼと行きましょう」
〈兎〉に足止めについて了承した旨をホースヤード伯に伝えさせる。
去り際に一つ尋ねてみた。
「そういや、エディーはどうしてる?」
エディーは姫様の孤児院にいた盲目の子供だ。
今は〈兎〉の弟子として様々な技術を伝授されていると聞いていたが、今日この場にはいなかった。
「あの子は〈梟〉につけて歌の修行をさせとります。
今頃はローズポートか王都のどちらかで歌っておることでしょう」
「そうか、あまり無理させんなよ。
何かあった日にゃ姫様に叱られるぞ」
「ヒヒヒ、怖い怖い。
でもまあ、大事な弟子ですからねえ。しっかりと育てますとも。
今のところ元気なようです。歌もなかなか上手になりまして。
後はまあ、声が変わった後を乗り切れるかどうかですかね。
もし機会があれば姫様にもそうお伝え下せえ」
「おう」
それは何より。
*
その石橋は三つのアーチからなる非常に立派なものだった。
これをどう壊すか。
小規模ながら警備隊がついており、普通に橋の上から壊そうとすればそいつらが飛んでくる。
かといって、周囲は開けているから警備隊を排除できるほどの人数で接近すればすぐに見つかる。
最悪、ローズポート伯がやってくる。
そこで、元は石工だったという〈大鼠〉に意見を聞いてみた。
「そんならアーチのてっぺんにある大きい石を壊せばいいですよ、殿。
そこさえ壊せば、石のアーチは勝手に崩れます。
だから、その石は要石と言ってとても大事にされますんで。
普段は弟子に指図して自分じゃノミすら握らねえような親方でも、この石だけは自分で削るとか何とか」
「本当かよ」
半信半疑だったが、〈大鼠〉は自信満々の様子である。
物は試しと、森の近くの小さな石橋で試してみたら確かに崩れた。
そこで、俺は〈獺〉と〈大鼠〉を連れて橋の近くに潜み、伯爵の軍勢が通過して町に入った後に船に乗って橋の下から崩す計画をたてた。
大きな橋なのでそのままではその要石とやらには手が届かないから、金の斧を槍の先っぽに括り付けて要石を破壊するんである。
そうして、各種準備は〈犬〉に全部放り投げて俺たちは橋へと向かった。
ローズポート周辺は、森の周りと違い完全に伯爵の勢力圏である。
いったん河の上流に向かい、そこで船を調達。
河を下って橋をギリギリ目視できる位置まで移動し、目立たぬよう釣り人の振りをしながら待つこと二日。
ついに伯爵の軍勢が姿を現した。
遠めに見てもすごい迫力である。
戦時中だからか、あの時以上にピリピリとした気配を感じる。
釣糸を垂らしながら街道を進んでくる軍勢を眺めていたら、斥候らしき騎兵が三騎程こちらにやってきた。
「その方ら、ここで何をしている」
「へえ、魚釣りをしとりやす」
〈獺〉が応じる。
「ほう、何か釣れたか?」
「それがさっぱりで、殿様」
〈獺〉は腰に吊った魚籠を傾けて見せた。
「朝からこうしとりますが、まだ小せえフナが二匹釣れたばかりで。
ウナギの仕掛けの方になんぞかかっとればいいんですが……」
そう言いながら〈獺〉は縄を引いて、小枝を編んで作った仕掛けを引き上げた。
中には餌代わりの小魚が跳ねているばかりで、ウナギはかかっていなかった。
それを確認した〈獺〉は肩を落としてため息をつきながら、また仕掛けを沈めた。
「やっぱり駄目ですな……」
その様子があまりにも哀れに見えたのか、騎士たちはそれ以上追求せずに街道へと戻っていった。
「……おっかねえなあ」
その背を見送りながら、思わずそんな言葉を漏らしてしまった。
彼らの態度が威圧的だったとかそんな話ではない。
こんな離れたところにいる、何の変哲もない釣り人までいちいち斥候を使わして確認していくその慎重さが恐ろしい。
奴らを不意打ちするのは、なかなかに骨が折れそうだ。




