第六十九話 大喜び
控えの間に戻ってからの姫様の喜びようったらなかった。
浮かれに浮かれてクルクルと回りながら部屋中を行ったり来たり。
文字通りに浮かび上がりそうな様子であった。
「やったわねジャック! あなたのお陰よ! 本当にありがとう!」
「あの口ぶりじゃあ俺が居なくたって何とかなってただろ」
「そうね。だけどそうだとしても、だいぶ予定を前倒しにできたんじゃないかしら?
なんにせよ大手柄よ、ジャック。
あなたを領主にしてあげるわ! それも大きな領地のね!
欲しい領地はある?」
「いらねえよ」
俺がぶっきらぼうに答えても、姫様はニコニコとまるで気にした様子がない。
「欲がないのね」
「領主なんて王様が小さくなったようなのだろ。
あの王様のしょぼくれ具合を見た後じゃ、面倒だなとしか思えねえ。
今のまま、棒給もらってやりくりする方が気楽だな」
やりくりもそれなりに大変なのかもしれないが、今のところは〈犬〉に丸投げしているので苦労はない。
俺にしてみれば、むしろ姫様がどうしてこんなに気楽でいられるのかが理解できない。
「それはそうでしょうけどね。
手に余るものでなければ領地はあった方がいいわ。
棒給と違って、自分で収入を増やすことだってできるんだもの。
その上、善政を布けば感謝と敬意を受けられるし」
「そんなこと言われたって、領地の治め方なんて何にもわからねえしなあ」
「全部自分でやる必要はないわ。
代官を置いて細かい仕事は任せておけばいいのよ」
代官、ねえ。
真っ先に思い浮かぶのはオクスレイ城の代官だ。
賄賂をとって好き勝手に私腹を肥やした挙句、城の倉庫からありったけ着服して雲隠れしたらしい。
俺の顔つきから頭の中身を見て取ったのか、姫様が付け足すように言った。
「もちろん、信用のおける人に任せなきゃだめよ。
うちのエドワードみたいに」
エドワードは姫様の土地を治めている代官である。
元々はあの土地に古くから住んでいる郷士であるらしく、地元の人間からも尊敬されている。
姫様、というか王家には祖父の代から仕えているとのことで忠義も篤い。
あの真面目な仕事ぶりは故郷への愛着と姫様への忠誠心の合わせ技だろう。
そんな便利な人材が、そこら辺にゴロゴロ転がっているものなのだろうか?
「そういわれてもなあ……そこまで信頼できる奴なんて――」
ふと、〈犬〉の顔が浮かんだ。
あの晩のセリフが耳に蘇る。
(出世してください、お頭。そんで、俺をお頭に仕える騎士に取り立ててくださいよ)
「――あいつには苦労ばっか掛けてるしなあ」
そろそろ、少しぐらいは報いてやらにゃなるまい。
頭を掻きながら漏らした呟きに姫様が首を傾げた。
「何のこと?」
「こっちの話だ。
ま、貰えるっていうなら貰っとこうかな」
いずれはあいつ自身の領地を持たせてやれるような身分にならなきゃいけないのだ。
これはそのための第一歩だ。
「いい心がけね、ジャック」
姫様が嬉しそうに笑う。
こんな風に嬉しそうにされれば、こっちだって嬉しくなってしまう。
「ところで俺の兄弟たちは今どこにいるんだ?」
「そう言えば、まだ顔を合わせていないんだったわね。
みんなあなたのことを心配していたわよ。
今日はもう遅いから、明日の朝にダニエルに案内させましょう」
*
姫様から借りた馬に乗って、ダニエルの先導で仲間たちのもとへと向かう。
ご丁寧に護衛の兵士までつけられた。
何もこんな大げさにせずとも、と思ったがすぐに考えを改めさせられた。
町を囲む城壁から出て、軍勢の宿営地に俺が姿を現すなり、ものすごい数の野次馬がわっと集まってきたのだ。
先頭を進むダニエルが馬体で強引に人垣をかき分け、そうしてできた隙間を兵士たちが盾の壁でもってどうにか維持している。
何事かと思っていると、ダニエルが騒ぎにおびえる馬を必死に操りながら教えてくれた。
「滞在が長引いたおかげで、皆娯楽に飢えていてな!
貴殿の歌が大流行りしている!」
なるほど。
少しばかりいたずら心が湧いたので、背嚢に手を突っ込んで金の戦斧を取り出し、高々と掲げて見せた。
明らかに尋常のものとは思えぬ輝きを目にし、野次馬たちの間にどよめきが走る。
その反応にすっかり気をよくした俺は、斧を更に高くつきあげながら雄叫びを上げる。
応じてむくつけき男共が声を揃えて応じる。
まるで戦の鬨の声である。
皆も楽しそうだ。
とてもいい気分になったので、続けて三度叫ぶ。
その都度、野次馬たちが応じて鬨の声を上げる。
予想以上に場が盛り上がってきてしまった。
これはまずいと思ったところで、騒ぎを聞きつけたのか完全武装の騎士と兵士の一団が駆けつけてきた。
外縁部で野次馬と、それを押しのけようとした兵士の間でもみ合いが起こる。
一気に険悪な雰囲気が漂い始めた。
怒号が飛び交い、今にも乱闘が始まりそうな勢いだ。
慌てたダニエルが周囲に静まるよう呼びかけるが、騒がしすぎて到底外縁部までは声が届かない。
あ、やばい。
兵士と揉めていた野次馬の一人が剣を抜いた。
とっさに斧を銀に変え、抜かれた剣めがけて投擲。
キーンという高い音ともに弾き飛ばされた剣は、運よく誰もいない地面に突き立った。
それを見た野次馬たちが再び歓声を上げる。
こちらにしてみれば冷や汗ものである。
流血沙汰ともなればさすがに収拾がつかなくなるところだった。
「さあみんなどいてくれ! 道を空けろったら!」
俺は馬を降りると、再び斧を手に呼び戻し、ブンブン振り回しながら警ら隊の指揮官らしき騎士のもとに向かう。
ようやくの思いでたどり着き、ダニエルと一緒になって騒ぎを起こしたことを詫びた。
見回りの騎士殿が話の通じる人物だったのは幸い。
こってりと絞られはしたが、そのまま護衛に加わって俺たちを仲間のところまで送り届けくれることになった。
まあ親切というよりは、また騒ぎを起こされてはたまらないといったところが本音だろう。
どうにかこうにか仲間たちのキャンプに到着。
真っ先に飛び出てきたのはいつもの三人組だ。
「お頭ぁ! よくご無事で!」
「一人だけ敵に捕まっちまったって聞いて心配してたんですよー!」
「本当に、本当に無事でよかったあ!」
大の男三人が縋り付いてオイオイと泣くものだから、傍から見れば何ともむさ苦しい光景であったに違いない。
だが、俺自身は不思議と不快な気持ちにならなかった。
ようやく家族と再会できたような安心感がある。
それから、残った仲間を従えて〈犬〉がやってきた。
ニヤニヤとした意地の悪い、それでいて心から嬉しそうな笑みを浮かべて彼は言った。
「聞きましたぜ、とうとう騎士になられたとか。
これからは”殿様”とお呼びせにゃなりませんな!」
「勘弁してくれよ」
「いやいや、そうはまいりません。
何しろ、殿様にゃあこれからもっと偉くなってもらわんとなりませんので。
最終的にゃあそうですな、閣下とお呼びできればもう言うことはありませんな」
「うへえ……」
俺の心底イヤそうな顔を見て皆がワハハと笑う。
「まあ、そんな話はさておいて宴とまいりましょう。
みんな、殿様が戻ってくるのを首を長くして待っておりましたのでね。
さあ酒を持ってこい! つまみも忘れるな!」
わっと歓声が上がって、仲間たちが宴の準備に取り掛かる。
「そういや、ホースヤード伯の軍勢はどのあたりにいるんだ?
折角だからトムのやつも呼びたいんだが」
俺が何気くそう尋ねると、〈犬〉が少しばかり難しい顔をした。
「伯爵の軍勢はだいぶ離れたところに配置されとります。
どうも少しばかり問題が起きたようで」
「また揉め事か?」
確か前回は、天幕がはみ出したとか何とかで喧嘩になりかかっていたのだ。
今なら互いに顔も通しているし、余程のことがなければ大した問題にはならないと思うのだが。
いや、別の隊と揉めたならまた違ってくるか。
「私らのところじゃありません。もっと上の方です。
まあ、めでたい席でする話でもありませんし、後ほどゆっくりと」
気にするなとは言わないようだ。
どうやら面倒なことになっているのは確からしい。
準備が整ったので、焚火を囲んで酒盛りをする。
酒は一人一杯。つまみの方もチーズ一欠けらずつだ。
寂しいことだが、何しろこの街にも長く大軍勢滞在しているため、特に食料の類が高騰しているらしい。
「酒保商人共に文句を言ってもこればっかりはどうでもならんようで。
早いとこ軍勢を解散してもらわねえと、せっかくの儲けが全部ふっとんじまいます。
噂じゃあ、既に悪い病気まで流行り始めてるとか」
王様が捕まったおかげで、生き残りの上層部の間で主導権争いが発生したようだ。
うちの殿下のいったん休戦を申し入れるべきとの主張に、あの仲の悪い兄弟が結託して抵抗。
あろうことか再度決戦を挑んで国王陛下を奪還すべし、などと主張したらしい。
勝利者とはいえ宮廷中枢に味方のいないスティーブン殿下は休戦案を押し通すことができす、議論は平行線。
そのせいで誰も軍勢の解散を決定できず、だらだらと今に至るとのこと。
「まあ、殿のおかげで陛下も戻りましたしね。
近いうちに解散命令が出るでしょうが……」
「そういや、戦利品はどんなもんだったんだ?」
ミュール城で降伏した際に、その時点で持っていた荷物はほとんど没収されてしまっている。
ちなみにブレセンヌ公の配下と決闘した際に得た鎧と馬は、その時に巻き上げられてしまった。
それはさておき、それ以前に手に入れた分については、ホースヤード伯のところのヒューバード殿に預かってもらっていたのだ。
「捕虜の方は殿下に預けちまって、代わりに報奨金をいただきました。
宝石や小銭の類は、半分を生き残った人数で分配して残りは隊の運営費として残しています。
騎馬傭兵どもから奪った馬は、まあ大半が駄馬とはいえそこそこの額になりました。
武器や防具の類は……まあいいヤツは自分たちで使いますんで、後はガラクタです」
「一番いい防具をミュール城でなくしちまったのが痛かったかな……使わずに置いていきゃよかったか?」
「まあそこは命あっての物種ですからなあ。
こればかりはどうしようもない話で」
「そりゃ、確かにそうだな」
俺は、チビチビと、しかし楽しそうに酒を飲む兄弟たちの顔を見回す。
俺も合わせてたったの四十三人。ずいぶん減ってしまった。
ここに上陸したときには八十人からなる仲間たちがいたのだ。
「殿、今は祝いの席ですぜ。
そんなにしけた顔はしないでください」
「お、おう……」
そんなことを言われたって、自在に顔色を変えられるほど器用な人間ではない。
仕方がないので、残り少ない酒を一口含む。
するとどこからか楽し気な音楽が聞こえてきた。
いったい何事かと音のする方に目をやってみれば、〈兎〉と〈梟〉、それから弟子のエディーが楽器を鳴らしながらこちらにやってくるのが見えた。
見慣れない子供もいる。
〈兎〉もとい旅芸人のアルフは、俺の前に来ると竪琴を鳴らしながら一礼した。
〈兎〉や弟子達もそれに続いて頭を下げる。]
どうやら、また何人か孤児を拾ってきたらしい
「お久しぶりでございます、〈木こり〉の殿様。
この度は騎士におなりになったとのこと、まことにおめでとうございます」
「おう、ありがとう。そっちもだいぶ名が売れてるみたいじゃないか」
少しばかり皮肉を込めてそういうと、〈兎〉はニッコリと笑った。
「ええ、お陰様で。殿様の歌がたいそう評判を呼んでおりまして。
皆様が出陣される前の宴に招かれまして、国王陛下の前で一曲披露する栄誉をいただきました。
その際には『ローズポート伯との決闘』と題する一幕を歌わせていただきましたが、陛下も伯爵も大層お喜びで凱旋の折にはまた新しい歌を聞かせろと、そのように申されておりますところで」
こいつ、あの与太話を王様に直接吹き込みやがったのか!
それも事件の当事者であるあのローズポート伯を目の前にしてやってのけたんだから大した度胸である。
俺がいかにも嫌そうな顔をして見せたのが面白かったらしく、兄弟たちがどっと笑い声をあげた。
まあ、俺の心情はさておいてこれはいい報せだ。
〈兎〉の一団の名声は、今や高名な吟遊詩人として王家の宴にまで出入りできるほどに高まっている。
そこで得られる情報は決して少なくないだろう。
笑いが収まるの待って、〈兎〉が再び恭しく頭を下げる。
「そこで、陛下に新しい歌を披露いたしますために、此度のジャック様のご活躍についてお話を聞かせていただきたく、こうして厚かましくも陣を訪ねさせていただきました次第にございます」
なるほど、新作の歌があれば、それを口実にまた宮廷の宴に出て情報収集ができると、そういうわけだな?
「そういうことなら仕方がない。
おい、ブレセンヌ公に捕まるまでの話はもう皆から聞いたか?
そうか、じゃあその続きだ。
俺がいかにして国王陛下をお救いしたか、その一部始終を聞かせてやろう」
俺の自慢話が聞けると聞いて、兄弟たちがヤンやヤンやとはやし立てる。
ひとまずまあ、宴会を盛り下げずには済みそうだな。




