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第六十五話 褒美

 おっさんの後についてカチュエ市街の城門をくぐる。

 これまでと違うのは、俺の後ろには護衛の騎士が更に十騎もついてきていることぐらいか。


 既に先触れが出ていたものらしく、市街の大通りには大勢の野次馬が集まっていた。

 俺たち一行は、その人混みを馬体で押しのけるようにして進んでいく。


「国王陛下ばんざーい!」


「よくぞご無事で!」


「陛下のご帰還だ―!」


「ノルディア公に栄光あれ!」


 集まった野次馬たちは揃って歓声を上げている。

 意外なことに、おっさんことエリック国王はこの街においては大変な人気者であるらしい。

 おっさんが片手を上げて歓声に応じると、人々はますます声を張り上げ、花びらまで投げつけてくる。

 よく見れば群衆の背後には浮浪児たちが籠いっぱいに集めた花びらを持ってうろついていた。

 それが飛ぶように売れていくのだから彼らもニコニコだ。


 ちなみに、ノルディア公というのもおっさんのことなんだそうな。

 スティーブン殿下が王子であると同時にウェストモント公であるのと同じように、このおっさんは国王であると同時にノルディア公でもあるらしい。

 まあ、細かいことはよくわからん。


 そんなことよりも俺には重大な懸念事項があった。

 これまで聞いてきた話によれば、このおっさんは王位を簒奪した極悪人で、姫様の敵なんである。

 それをホイホイと助け出し、連れ帰ってしまった。

 お手柄どころか大失態である。

 姫様に会ったら一体何と言われることやら。


 俺の重たい気分とは無関係に、馬の足は蹄の音も軽くカチュエの城へと進んでいく。

 城は小高い丘の上に港と市街を睨み下ろすように聳えていた。

 姫様は無事にスティーブン殿下と合流し、今はあの城に滞在しているという。

 背の高い、真っ白な主塔から大小の尖塔がニョキニョキと伸びる様は髪の毛を逆立てて怒り狂う姫様を連想させ、俺の気持ちはますます沈んだ。


 丘を登り、城門をくぐる。今までに見たどの城門よりも背が高く、分厚かった。

 攻城戦という奴を経験した今だからわかる。

 この厳つい城門はただ大きいだけではない。殺意に満ちている。

 二重の落とし格子に挟まれた城門通路の高い天井には殺人孔、左右の壁には矢間がずらりと並んでおり、ここを攻めることを想像するだけでもぞっとさせられる。

 先頭切って殺人孔の下を駆け、抜け落とし格子を切り裂ければあるいは……いや、それだって一人分の穴をあけたところで大した意味はあるまい。

 大きな穴を開けようとすればその間に天井やら壁やらから攻撃を受けるし、落とし格子の向こうからだって槍や矢が飛んでくるだろう。

 それなら、仲間に盾で援護してもらいながら――


「おい、どうした?」


 おっさんこと国王陛下に話しかけられて思考が中断した。


「あ、いや、その――」


 まさか、お前の城をどう攻めようか考えていました、などと答えるわけにもいかない。


「フフン、容易には落とせまい」


 おっさんは笑ってそう言った。

 見抜かれていたらしい。


「騎士の習いだ。わしもよそを訪ねる時にはよくそういうことを考える。

 そなたは良き騎士になるだろう」


 俺はかしこまって答えた。


「そのような立派な身分ではありません」


「今はな」


 城の中庭で馬を降り、先ほどの殺意に満ちた門とは違った、豪勢な威圧感が溢れる大扉を通って城の大広間に入る。

 そこには一見して高貴な身分と分かる煌びやかな格好をした人々がひしめいていた。

 唯一、扉から、広間の奥に一段高い位置に設えられた仰々しい飾りの椅子、そこへとまっすぐに敷かれた幅広の赤い絨毯の上だけは空けられている。

 王の通り道なのだ。

 俺は事前に聞かされていた通り絨毯の縁で立ち止まり、跪いて声がかかるのを待った。

 おっさんは一人堂々と玉座へ進むと、そこにどっしりと腰を下ろす。

 そうして侍従が恭しく差し出した王冠を無造作に頭に載せると、ゆったりとした動作で軽く片手を上げた。

 つい先ほどまでざわめいていた広間がすっと静まり返り、同時に広間にひしめいていた貴顕達が一斉に片膝をつき、頭を下げた。

 全く驚くべき光景だった。

 これが王の持つ権力というやつか。


 おっさんはすっかり平らかになった広間の様子に満足したらしく、うむと一つ頷いて口を開いた。


「皆のもの!

 余が不在の間、よく我が王国を守ってくれた!」


 思いの外、厳かで重みのある声だ。

 今玉座に座る男の中に、あの気さくなおっさんを見出すことはできなかった。

 なるほど、こいつも姫様達と同じような人間なわけだな。

 さて、どちらが本当の姿なのか。

 そう考えかけたところで、俺はその思考を頭の隅に追いやった。

 つまるところ、この問題は姫様にも当てはまる話だ。

 俺たちに普段見せているあの顔が、俺たちに向けた仮面でないとは誰にも言い切れない。

 だが、そんな風に何もかもを疑って生きることは俺には無理だ。


 そんなことを考えている間にも、おっさんの話は続いていく。


「此度の戦が敗北であったことは、率直に認めねばなるまい。

 だが、こうして余が戻ったことにより、我々は小さいながらも一つの勝利を手に入れた!

 まずは、囚われの余を救い出した、一人の豪傑を讃えようではないか!

 〈木こりのジャック〉よ! 余の前に出でよ!」


「はっ!」


 俺は応じて立ち上がると、王と、王に呼ばれた者だけが歩くことを許される赤絨毯の上を進む。

 姫様とスティーブン殿下は玉座の背後に並ぶ、五つの簡素な椅子の両端に配されていた。

 今は王女としての仮面をかぶっているらしく、その顔つきからは一切の感情が読み取れない。

 中央三つの椅子に座っているのは、俺よりも三つばかり年上らしい男が二人と、スティーブン殿下と同じぐらいの年頃の女が一人。

 姫様と並んでいるからには、おそらく王の実子たちだろう。


 それにしてもなんと剣呑な場であることか!

 一歩進むごとに、本来であれば畏れ多くて口すらきけないであろうお偉い様方からの視線がこちらに突き刺さってくる。

 誰も彼もが俺の隙を窺っていた。

 ひとたび失態を演じれば、この視線が瞬く間に俺を刺す刃に変わるだろうことが肌で感じられる。

 盾でも防げず、金の斧でも切り裂けない、身を押し包む不可視の刃だ。

 なるほど、いつか姫様がボヤいていた「窮屈な宮廷」とはこのことを指していたのだろう。

 戦場にいる時とは異なる脅威を前に足がすくみそうになるのをぐっとこらえ、どうにか前へ前へと踏み出す。

 やっとの思いで所定の位置――群臣最前列の一歩先――まで進み、片膝をついて首を垂れる。


「ジャックよ! 面を上げて立つがよい!

 そして、場にいる一堂にその雄姿をとくと見せてやれ!」


 言われた通りに立ち上がり、振り返って場にいる皆様方に一礼した。

 ……この後どうすりゃいいんだ?

 今まで経験した中で一番この状況に近いのは、ロバート親分に会うため盗賊のアジトに乗り込んだ時である。

 あの時は舐められないように大声で叫び返したりしたものだったが、この場も同じように振舞えばいいのだろうか?

 いや、いいわけないよな。

 だが、舐められるわけにはいかないのは同じだろう。

 そもそも雄姿を見せろと言われた以上、頭を下げたままでいるわけにもいくまい。

 俺は頭を上げると、まっすぐに背筋を伸ばし、胸を張りながら広間を眺めまわした。

 反応はあの時と同じだ。殺意に近い視線が方々から飛んでくる。

 しくじったか?

 救いを求めて知っている顔はいないかと目だけを動かす。

 ローズポート伯ことリチャード卿は最前列右手、絨毯のすぐ横――つまり玉座に最も近い位置――に見つかった。

 ホースヤード伯は左手、前寄りの中央付近。

 ローズポート伯は嬉しそうにニコニコと、ホースヤード伯も面白そうにこちらを観察するばかりで助けてくれない。

 姫様は背後にいるから、どんな顔をしているやらさっぱりわからない。


「うむ、もうよいぞ」


 背後からの王様の声に内心ほっとしながら、王様の方に向き直り、再び片膝をついた。


「さて、ジャックよ。改めて礼を言う。

 国王たる余を、敵城の真っただ中より救出してのけた其方の知恵と勇気、そして功績は比類なきものである。

 まさに、此度の戦における第一功とするに相応しい。

 そなたの為したことを讃え、相応しき褒美を与えねばならぬ。

 余が自らの手で騎士に任じ、領地を与えるものとする。

 今後も王国の平和と繁栄のため、しかと励むがよい」


 領地持ちの騎士だって!?

 確か、〈犬〉にそんな身分になれと言われたような気がする。

 つい最近の事だ。

 ずっと、ずっと先の目標として、そんなことも頭の隅に入れてはいる。

 それがもう目の前にぶら下がってしまった。


 だが、受け取ってしまっていいのだろうか?


 おっさんは、国王陛下は、姫様が玉座を取り戻そうとしていることを知っている。

 そして俺が姫様に仕えていることも知っている。

 これは何かの罠である可能性がある。


 俺はおっさんの企みを見抜こうと、表情を窺った。

 が、何もわからなかった。

 今のおっさんからは国王としての威厳以外何も感じられない。


 仕方がないので、俺はちらりと姫様の表情を確認する。

 しかし、今の彼女は完璧な王女の顔つきをしており、その冷たい表情は欠片も揺らがない。


「どうした、ジャックよ。これでは不服か?」


 人の顔色を窺っていたせいで不自然な間が開いてしまったらしい。

 もはや考える間もない。


「お、お受けするわけには参りませぬ」


 とっさに出た答えがこれだ。

 背後の群衆にざわめきが広がるのを感じた。


「ふむ、やはりこれだけでは不足であるか。

 何を望む?」


 その言葉には、なんであれ褒美を拒否することは許さんという圧が微かに含まれていた。

 どこか覚えのあるやり取りに、俺は思わずニヤつきそうになった。


 だが、あの時と比べれば、いや比較にすらならないな。

 あの神らしき存在の威圧に比べれば、こんなのは森に吹くそよ風のような物だ。

 なにより今の俺は、もう少しましな言い訳を持っていた。


「既に私はヴェロニカ殿下に仕える身にございます。

 私の功績は、殿下の功績。

 褒賞は殿下にお与えください」


 おっさんの口端が微かに上がった。

 面白がっているのだ。


「ふむ、道理である。

 そなたの功績はヴェロニカのものである。

 ヴェロニカには日を改めて褒賞を与えるものとしよう」


 俺はほっと一息ついたのもつかの間、おっさんが言葉を続けた。


「だが、しかし」


 げ、まだ何かあるのかよ。


「忠義のために己が功績までも差し出す様はまさに騎士の鑑である!

 斯様な者に相応しき身分が与えられておらぬのでは、世に正義がないも同然だ。

 これは直ちに正されねばならぬ。

 おい、ヴェロニカ、我が愛しい姪御よ、前に出よ」


 姫様が席を立ち、おっさんの斜め前に出てきて跪いた。

 こいつ、いったい姫様に何をさせる気だ?

 考える間もなく、おっさんが立ち上がりスラリと剣を引き抜いた。

 脱走時に衛兵から奪った、王がその腰に佩くにはいささか不釣り合いな剣である。


「ヴェロニカ、まずはそなたに剣を与えよう。

 余が認め、許可を与える。

 その剣をもって、この者をそなたの手で騎士に任ずるがよい。

 そして己が家臣として取り立て、相応しき褒美を与えるのだ」


「はい」


 姫様は跪いたまま頭を少し下げ、捧げ持つようにして両手で剣を受け取った。

 俺は姫様が手を怪我するんじゃないかと冷や冷やしたが、もちろん王家に連なる両名はそんなヘマはしなかった。

 姫様は立ち上がると刃の部分を捧げ持っていた剣を柄に持ち替え、俺の前にやってきた。

 その表情はまっ平らで、相変わらず感情が読みとれない。


「ジャック、私の親愛なる気高き戦士よ。

 貴方の剣を私に捧げ、命を惜しまぬことを誓いなさい」


「誓います」


 バシンと、姫様が剣の平で俺の肩を叩いた。

 思っていたより痛かった。

 痛かったが悲鳴を上げるわけにもいかないのでぐっと飲みこむ。


「正しき者、善き者、弱き者を護るため、気高く振る舞うことを誓いなさい」


「誓います」


 バシンッ!


 ああ、これやっぱり怒ってるな。

 そうでなけりゃ、ただの儀式でこんなに思いっきりひっぱたく必要はないはずだ。


「主君のため、忠義を尽くすことを誓いなさい」


「誓います」


 バシンッ!


 後いくつ誓えばいいんだ?

 果たして俺の肩は持つだろうか?


「よろしい、たった今から貴方は騎士となりました。

 以後は、騎士として私に仕えなさい」


「はっ!」


 どうやらもう叩かれる心配はないらしい。

 俺はホッと一息ついた。


「この剣は、誓いの証として下げ渡します。

 騎士として誰かに誓いを立てる時には、この剣に誓いなさい。

 もし恥ずべき振る舞いをすれば、私はこの剣をあなたから奪い、その首を斬り落とすでしょう」


 俺は剣を受け取るため、肩の痛みに耐えながら両手を差し出した。

 姫様が、俺が差し出したその手にそっと剣を乗せる。

 剣の重みで肩が一層痛み、思わず顔をしかめてしまった。

 姫様がそれを見て一瞬だけ楽しそうに表情を崩したのを、俺は見逃さなかった。


 俺に剣を渡した姫様が元の席に戻っていく。

 この剣はどうすればいんだろうか?

 鞘に納めようにも、俺は鞘なんて持っていない。


「柄を陛下の方に向け、左手側に横たえておけ」


 すぐ近くにいたローズポート伯が小声で教えてくれたのでそのようにする。

 王様が再び口を開いた。


「さて、騎士ジャックよ。

 騎士となったからには身を証立てる印が必要だろう。

 共に戦った友への祝いとして、余が直々にその印を証してやろう。

 なに、そう疑い深い目をするな。誓って、単なる名誉以上の意味はない。

 なにか希望の意匠があれば申してみるがいい」


 要は、俺のために紋章を作ってくれるらしい。

 敢えて「戦友として」と明言するからには、これは素直に受け取ってもよいものなのだろう。

 大したことは思いつかないので、真っ先に閃いたものを口に出した。


「斧を……交差する二本の斧でお願いいたします」


「なるほど、そなたの得物は斧であったな。

 だが、余の記憶が確かなら、似た意匠が北国の伯家にあったはずだ。

 もう一つ、そなたの血筋や由来を示す図像を付け加えるがよかろう」


 俺は首をひねった。

 血筋や由来を示すなんぞと言われたところで、元は小作人の産まれである。

 古い家柄にあるような伝説や逸話なんてありやしない。

 俺はつい最近までただの木こりに過ぎ――そうだ、それでいこう。


「では陛下、私は元はと言えばただの木こりに過ぎない身でありました。

 それにちなみ、斧と切り株を我が印とさせていただきとうございます」


 そう言ったとたん、大きなざわめきが起きた。

 王族たちの表情に変化はないが、背後からは明らかに動揺する気配が伝わってくる。

 あれ? もしかしてやっちまったか?

 思わず振り向いて、見知った二人の表情を確認してしまった。

 ローズポート伯はもうとんでもなく渋い顔をしているし、ホースヤード伯はと言えば明らかに面白がっている。

 これはもうやらかしたことは確定だ。

 具体的には分からないが、俺は何かとんでもないことを口走ってしまったに違いない。

 すぐに言い訳しなければならないのだろうが、何が悪かったのかすらわからない。


「フハハハハ!」


 俺が慌てふためくのをよそに、王様が大声で笑った。


「よい、よい。

 その様子を見るに、他意があっての事ではあるまい。

 そなたの希望通りの印を認めよう。

 近日中に準備させる故、楽しみに待っているがいい。

 そなたへの話はこれで全て済んだ。

 退出してよろしい」


 よく分らないが、王様は上機嫌だった。

 俺は陛下のお言葉に有難く乗じて、逃げるように大広間を退出した。


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