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第四十四話 酒盛り

 俺達はしばらくの間固く抱きしめ合った後、身を離して顔を見合わせ、それからゲラゲラと笑い合った。


「それにしてもジャック! 今までどうしてたんだ!

 伯爵様の追手に切り殺されたって聞いて、それでてっきり……!」


「ああ、それな──」


 俺はそこで言葉を区切り、あの嫌な気配がないことを確認してから慎重に口を開いた。


「実は、その追手に決闘を持ち掛けられてな。

 勝てば見逃してやるって言われて、どうにかこうにか勝利して見逃して貰ったってわけだ」


 うん、よし。

 大丈夫、何の問題も起きていない。

 どうやら一度かわした約束でも、相手にきちんと取り消して貰えば呪いの対象にならないらしい。


「はへー! 追手を返り討ちに!」


 トムがあんまり素直に感心してくれるので俺はますます嬉しくなった。

 と、その時、後ろから誰かが俺の服の裾を引いた。


「あ、あの、お頭……こちらのお方とはどういうご関係で?」


 エルマーであった。


「よく聞け、エルマー。

 こちらの若旦那こそ俺の親友にして大恩人、お調子者のトム様だ!

 俺が故郷から逃げ出す羽目になった時、こいつは全財産と言っていいあの小銭袋を俺のために譲ってくれたんだ。

 お前らと初めて会った日に、一緒に食べたあのパンだってその金で買ったものなんだぞ。

 つまりお前らにとっても、飢えから救ってくれた恩人ってわけだ。

 おい! エルマー! ビル! セシル!

 ひれ伏せ! お礼をしないか!」


「へ、へへぇ……!

 そんな御恩のあるお方とはつゆ知らず、失礼な態度を……。

 伏してお詫びいたしやす」


 エルマーたち三人組は早速その場でトムに向かってひれ伏した。

 一方のトムはいかにも居心地が悪そうにしている。

 こういうところは昔から変わらないな。


「い、いや、別にいいって……それよりその、境界の方を……」


 おっと、そうだった。

 トムに促されてチラと問題の天幕とやらを見てみると、確かにこちら側にはみ出して見える。

 とは言え、設営に何か問題が出るほどではない。


「なんだお前ら。この程度で揉めてたのかよ」


 そう言ってエルマーたちを睨みつけると、彼らはもごもごと言い訳をした。


「だ、だってお頭、あいつらがあんまり舐めた態度とるもんだから……」


「まあ、気持ちは分かるがな。

 だが相手は俺の大恩人だ。悪いがここは俺の顔を立てると思ってひいてくれ」


「へえ、お頭がそういうんなら」


 エルマーを筆頭に、こちら側の連中はいささか不本意そうな顔をしながらも引き下がってくれた。


「そういうわけだ、トム。

 騒がせて悪かったな」


「あ、いや、こちらこそ悪かったよ。

 それにしてもスゲーな……」


「何が?」


「いや、皆素直に言うこと聞くからさ……」


「ま、色々成り行きがあってな。

 ああ、そうだった! トム、ちょっと待っててくれ。

 ビル! 俺の革袋を持ってきてくれ!」


「へい!」


 足の速いビルがビュンと行ってビュンと帰ってくる。

 俺は彼から小銭袋を受取ると、それを今度はトムに差し出した。


「ありがとうな、トム。

 これのお陰でずいぶん助けられた。

 こいつはもう返すよ」


 ところがトムは小銭袋を受取ろうとはしなかった。


「いいっていいって。

 そいつは旅立つ友への餞別として渡したんだ。

 突き返されちゃ立つ瀬がねえ」


 なるほど。

 そう言われてみればもっともだ。

 俺はしばし考えて、良い解決方法を思いついた。


「それじゃあトム、こいつを使ってさ、再会を祝して一杯やろうじゃないか」


 トムの側は四十人ばかりか。こちらと合わせてザッと百二十人。

 ま、全員に一杯ずつ行きわたる程度の酒は買えるだろう。



 ともかく野営地の設営を終え、トムの隊の連中と一緒に酒盛りと相成った。

 酒保商人が思いの外がめつく、結局追加で金を出す羽目になったがまあいい。


 両隊の友好と武運長久を祈って乾杯し、後はもう適当である。

 俺とトムは互いの分かれた後の出来事を語り合った。


「あの時は悪かった、ジャック。

 後で森婆に聞いたよ。

 嘘がつけなくなってたんだって?」


「いいってことよ。そもそもお前さんは何にも悪くないんだしな。

 俺が対応をしくじっただけだよ」


「それでも……」


「ま、森を出たおかげでこんな風に大勢の仲間も手に入ったわけだし、悪いことばっかじゃねえよ」


「そういや、今はウェストモント公に仕えているんだっけ?

 大した出世だなあ!」


「仕えてるけど、まあそんな大した身分じゃあないのさ。

 森林監督官なんて肩書だが、要はアンガスと一緒だ」


「アンガスだって手下を百人も抱えちゃいなかったろ。

 それに、あんなに揉めてた荒くれ達が一言で従うんだからびっくりしたぜ」


「それについちゃ俺自身が不思議でなんねえんだよ。

 だけど驚いたのは俺も同じさ。

 久々に会ってみたら、あのお調子者のトムが大地主の若旦那みてえになってるんだもの。

 いったいそっちの身には何があったんだ?」


「それがなあ、養子の話が正式に決まってさ、相手の家に連れてかれて驚いたのなんのって。

 跡取りのいない老夫婦としか聞いてなかったからさ、普通の農家と思って行ってみれば、

 うちの地主様のよりも立派な屋敷がドデンと構えてるんだぜ?

 その上、厳つい爺様が出てきて『お前がトムか。早速弓の腕を見せてみい』って。

 弓を持たされたかと思ったら、的を一発でも外したら追い返すなんて言うんだよ。

 まあどうにか当てたけどさ」


 なんでも、トムが養子に入った先は、「古く、誇り高い自由民の戦士の家柄」であったらしい。

 跡継ぎを戦で失った現当主は、その古い家柄にふさわしい弓の名手を養子に迎えようとしたが、近隣の若者は誰一人として爺さんを満足させることができなかった。

 そうして方々に伝手をあたって白羽の矢が立ったのが、密猟で弓の腕を鍛えたトムだったのだという。


「そっからはほんとにもう大変でさ。 

 一日中、農作業もそっちのけで鍛えられてよ。

 もう、ほんと殺されるかと思ったぜ」


 言われてみれば、トムの腕は最後に会った時よりも一回り太くなっていた。

 というか、全身の体つきがどことなく戦士のそれに近くなっている。

 実際、大の男三人を一人で抑えていたのだからよくよく鍛えられているのは間違いない。

 それでも手練れの雰囲気がでないのはまあ、トムの人柄ゆえだろう。

 酒を飲みながらトムの愚痴が続く。


「でさ、伯爵様から軍役の召集がかかったわけよ。

 大旦那様ももう年だから、俺が名代として近所の連中を率いることになったんだけど、

 俺が小作人の出なのはみんな知ってるからさ、あんまり言うこと聞いてくれないんだよ。

 さっきも見ただろう?

 なあ、ジャック、どうやったらみんな素直に言うことを聞いてくれるようになるんだ?」


 さて、俺の場合はどうだったか。

 確か、こいつらの前の親分を真っ二つにしてやったんだよな。

 流石にそれをトムに勧めるわけにはいかないだろうが。


「まあなんだ。実戦経験ってやつが必要なんだよ。

 目の前で敵をやっつけて見せりゃ、みんなお前を見直すって」


「そうかなあ。

 そもそもその実戦ってやつが俺はおっかなくてたまらねえよ。

 大旦那の命令じゃなきゃ、今すぐにでも逃げ出したいところさ」


 そう言って彼はブルリと身を震わせた。

 どうやら、彼の新しい養父殿は戦場よりも恐ろしいらしい。


「ま、お前さんならどうとでもなるさ。

 こういっちゃなんだが、俺はお前よりも弓のうまい奴を他に知らないぜ」


 俺がそんな風にトムを慰めていると、横から割り込んでくる奴がいる。


「へえ、お頭。そいつぁ俺よりも弓が上手いって言うんで?」


 我らが一党の弓名人、ウィルであった。


「おお、ウィルか。

 そうとも、お前はうちの隊じゃ一番の弓名人だ。

 だが残念ながら、俺の知ってる中じゃ二番目だな」


 俺の発言にウィルが鼻白んだ。


「へえ、その一番がそちらのお方ってわけですか。

 それじゃあ、ちょいと弓の引き方ってやつをご教授願いたいものですね」


「おお、丁度いい。おい、トム。ちょいとうちのに指南してやってくれよ」


「え? おい、勘弁してくれよ……」


「いいからいいから」


 悪いがトムのためだ。ウィルにはちょいと泥をかぶって貰うとしよう。

 俺達はさっそく開けた場所に移動すると、百歩ばかり離れたところに的を用意した。


「よし、まずはウィルからだ」


「いいか、よーく見てろよ!」


 ウィルが自慢の大弓を構えると、相手側のやじ馬が少しばかりざわめいた。

 それから彼が立て続けに三本の矢を射るのを見て驚きの声を漏らす。

 もちろん矢は三本とも的の真ん中付近に突き立っている。


「どんなもんだい」


 ウィルはそう言って、俺と、それからトムに自慢げな視線を送る。


「次はトムだ」


 俺に促されて、トムが少しばかり嫌そうな顔をしながら位置についた。

 そして、ウィルと同じように立て続けに三本の矢を放つ。

 彼の弓はトムのそれより軽いから、連射も速い。

 そしてその矢はことごとくウィルの矢よりもさらに内側に突き立った。

 それを見て、トムの側のやじ馬たちが歓声を上げる。


「流石若旦那だ!」


 だが、ウィルはどうしても負けを認められないらしい。


「ま、まだだ! まだ負けちゃいねえ!」


 そう叫ぶが早いか的に向かって駆けだすと、今度は三百歩は離れたところに置きなおしてかけ戻ってきた。


「ハァ……ハア……どうだ、これなら流石のアンタも無理だろう」


 もはや点のように小さくなった的を見て、トムはあきれるように言った。


「当たるも当たらないも、俺の弓じゃあ届きすらしないよ」


「そ、そうだろうとも! だが俺ならできる!」


 そういってウィルは息も荒いまま力いっぱい弓を引き絞ると、まるで空に浮く雲でも射んばかりに角度をつけて矢を放った。


 ビューン! ストン!

 残念ながら一射目は横にそれ、的のすぐわきをすり抜けてしまった。

 が、大弓を見慣れていないトム側のやじ馬からは届いたというだけで驚きの声が上がる。

 二射目は横にこそそれないものの、的のすぐ手前に落ちてしまった。

 そして三射目にしてようやく的に命中。 

 今度は敵味方なく大きな歓声が上がった。


「どうだ!」


 驚くトムの一党の視線を集めて、ウィルが得意げに笑う。


「スゲーな! あんた!」


 トムの素直な反応に気をよくしたのか、ウィルは彼に向って自慢の大弓を差し出して言った。


「あんたもちょっと引いてみるかい」


「いいのか?」


「もちろんさ。弓を粗末に扱うような輩じゃないのは、さっきの腕前を見れば一目瞭然だからな」


 そう言われてトムが照れたような笑みを浮かべる。


「そ、それじゃあ、ちょっと試させてもらおうかな……」


 トムもやはりこの珍しい弓に興味があったらしい。

 照れながらも少しばかり嬉しそうに差し出された弓を手に取った。

 そしてウィルからもらった矢をつがえ、いつもの弓を傾げた姿勢で引こうとして顔をしかめた。


「違うんだよ、こうもっと弓をまっすぐ立てて構えな」


 ウィルが嬉しそうにトムに指導する。

 トムは素直に弓を構えなおすと、ググっと力いっぱい弦を引いた。

 そして放つ。


 ビョウと飛んだ矢は、的の上を少しばかりかすめて飛びこしてしまった。

 トムは力尽きたと言わんばかりに腕をブラブラさせながらウィルに声をかけた。


「スゲーなこの弓! 一発射るだけでも腕がブルブルになっちまう。

 それをあんな風にビョンビョン引くなんて、アンタさては只者じゃないな!」


 興奮気味なトムに対し、ウィルが打ちひしがれた様子で応じる。


「いや、一発目からまともに引けるだけで大したもんさ……。

 あんたならきっとすぐに使いこなせるよ」


「そうなのか? そんなら俺もこんな弓が欲しいなあ。

 でも、こんなのどこで手に入れりゃいいんだ……?」


「ウェストモントの方なら当たり前に手に入るよ」


「へえ。ウェストモントかあ。さすがにちょっと遠いなあ……」


 トムが名残惜しそうに弓を差し出したが、ウィルはそれを押し返した。


「この勝負はあんたの勝ちだ。

 その弓はくれてやる」


「え? 最後の的は外したのに?」


「言ったろ、最初からまともに飛ばせるだけでも大したもんなんだよ。

 いいから持ってけ」


 むすっとしたまま弓を受け取ろうとしないウィルに、トムがますます困惑の色を浮かべる。


「でも、アンタもこれから戦場だろ?

 弓がなきゃ――」


「予備はある」


「でも」


「次に会ったら同じ大弓で勝負するぞ!

 俺も腕を磨いておくから、アンタもその弓に慣れといてくれ」


「いや、野営地が隣じゃないか」


「いや、そうじゃなくて、あれだ。戦の後とか、まあそれぐらいにだよ」


「……そういうことなら有難く頂いとくかな。

 ついでだから、矢も一本もらっていい?」


 こういう時に遠慮をしないのがトムのいいところである。

 トムはウィルから矢を一本受け取ると、ニコニコしながら自分たちの天幕へと戻っていった。

 心なしか、彼を取り巻く兵士たちの視線に、先程までとは違って敬意が混じっている気がする。


 これであいつの気苦労が少しは減ってくれれば嬉しいんだが。


次回は10/18を予定しています

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