父、悩む
三章〈閑話〉凌久、SOS! のあとの円華父の心情。
妻が寝たのを確認してから、紫野航はそっと台所へ向かい、携帯電話をかけた。
「玲志、聞いてよ」
つながった途端、相手が答える前にそう話しかけていた。
『……何時だと思ってるんだよ?』
不機嫌そうに答えた相手に構わず、家族を起こさないように小声で続けた。
「明日休みだから、いいだろ」
『休みだからこそ、ゆっくり休息を取りたいんだが』
「少しは付き合ってくれ」
学生時代からの親友は電話の向こうで大きく溜め息を吐いた。
『……今度はなんだよ?』
「うん……」
そこで、しばらく航は黙ってしまう。
『……おい。そっちがかけてきたんだろうが。話さないなら切るぞ』
「ま、待って。あの、さ」
それでもまだ、逡巡して、言葉を選ぶ。
「……玲志、僕はさ、大学を中退して家を出て、澪さんと結婚したこと、一度も後悔したことはないんだけど」
『のろけか?』
「違う。そうじゃなくて。――あの家を出たことを、間違ってたとは思わないんだけど」
『……ああ。俺も、そう、思う』
「円華がさ、クリストフォロスに行きたいって言い出したとき、反対すべきか少し迷ったけど……、大丈夫だと思ったんだ」
『大丈夫、って?』
「なんでだろう、とは思ったけど。別に、円華が行きたいなら止める必要はないと思ったんだ。学校自体は悪いところではないと思ったから」
『……まあ、そうだろうな』
ポタリ、と蛇口から水滴が落ちる。
ぽつ、と響いた音に航は目をやる。
シンクに手をかけた。ぎゅっと、それを掴む。
「なんだろうな。急に不安になったんだ」
『何かあったか?』
「あったと言えばあったんだけど――内容は話せない」
『なんだよ』
「うん、ごめん。――ただ、僕は予測しとくべきだったのかもしれない。クリストフォロスへ行くっていうことは、そういう輩と関わり合いになるかもしれない、ってことを」
『そういう、輩……』
親友は、ただ繰り返した。それは問い返すのではなく、同意の意味だった。
「あの人、みたいな。――他人を平気で支配しようとする人。目的のためなら、手段を選ばない人」
――今日、まるで昔の僕のような子に会ったよ。
航はそう、口から零れそうになった。すんでのところで口には出さなかった。
――そういう家に縛られていることに気づいていない子に、会った。
「僕は……、円華を守るためにどうしたらいいんだろう」
むしろ、あそこへ戻ることも考えた方がいいのでは、という考えが頭を過ぎる。
父と和解して? ――いや、有り得ない。そう首を振った。
『……親父さんとは、連絡を取ったりしてるのか?』
「まさか。あの人にはずっと会ってない」
『毒をもって毒を制す、とも言うがな』
親友の冗談とも取れない言葉に軽く笑った。
「毒、ね。……確かに、そうなのかもしれない」
『年取って、多少は丸くなったんじゃないか?』
「玲志、人間ってね、年を取っても丸くはならないんだよ。知らないのかい? ――年を取ったら余計に依怙地になるもんなんだよ」
『そういうもんかね。そうとも言えないと俺は思うけどな』
電話口で、親友は笑った。そして、ふと思い出したように続けた。
『あの子はちょっと変わってるな』
「あの子?」
『お前の子ども。――お前が気にしてくれって言うからしばらく眺めてみたけど。目立つな。それにちょっと変だ』
「変って……、人の娘に対して言う言葉か? うちの娘は世界一可愛いぞ」
『そういうの、親馬鹿って言うって知ってるか?』
くつくつと、笑い声が響く。
航はそれには同意しない。
どう思われようとも、娘が可愛いのは間違いがない。
『あの子、お前の若い頃にそっくりだな。だから、まあ、大丈夫じゃないか?』
「何を根拠にそんな」
『間にあの子入れてみたら、案外親父さんも孫可愛さにコロッといくんじゃないか』
「は?」
『――関係性を変えるきっかけになるかもってことだよ』
航は、悩む。
あの家に戻ることも考えねばならないのかもしれない。
家族を守るためなら、より安全な場所へ。
――そう。
ただそれは、きっと、辛さを思い出させる。
そんなにうまくいくとも思えない。
『お前にも手段を選ばない人の血が流れてるんだろ? なら、お前はお前で守りたいもののためなら手段を選ばなければいい』
「玲志……」
『何が一番大事かわかってれば――お前たちは大丈夫だよ』
航はぎゅっと目を閉じた。
「玲志、ありがとう。……もう少し、考えてみる」
『ああ。澪さんにもちゃんと相談しろよ』
「うん。そうする」
航は通話を切り、ぽたぽたと水滴を落とす蛇口をきゅっと閉めた。
何が最適か、考えねばならない、と改めて思った。
本編に入れようかと思ったのですが、明かされていない設定が多すぎて意味不明な上、三章が冗長になりすぎたので、とりあえず番外編に置いておきます。
今後のストーリーに関わるかもしれないし、関わらないかもしれない……。
該当の閑話はこちら(二話あります)↓
https://book1.adouzi.eu.org/n8676hh/77/
https://book1.adouzi.eu.org/n8676hh/78/




