20話 その男、間違った魔術を止めに入る。
――そして、三日後。
その日は、ついにやってきた。
5年前に歩いた教室までの道と同じ順路をたどりながら、出来上がったばかりの講師用制服の裾を整える。
さぁ今日からが再スタートだ。今度こそ、魔術の有用性を、それから安全性を世界に知らしめてやらねばならない。
俺がその一歩目に気持ちを新たにしていると、
「アデル君。君は元教授だそうだけど、ブランクもあるだろ? だからまずは、ワシの授業を大人しく見ていてくれ」
……邪魔が入った。
魔術再興への道は決して平坦ではない。
過去に勤めていたとはいえ、俺は規定により新任として扱われるらしく……
そこで俺に与えられた仕事は、魔術学の副講師。
つまり、授業をする教授のサポートから始めなくてはならないのだ。
教師の役職順は、実績を積むことで「副講師」→「講師」→「准教授」→「教授」の順に上がっていく。
前に在籍していたときは、魔術の指導者がいなかったため、早くから教授扱いだったが……今回は一応、先任者がいる。
それを無視して、俺をいきなり「教授」に据えるのは、さすがに反対の声が強く、実現しなかったらしい。
リーナも「しきたりに敵いませんでした」と、言っていた。
「アデル君、分かったかい? とにかく余計な口出しは無用だ」
先任者――レイブル教授がひげをさすりながら、そう念を押す。
年齢は50前半で、五年前に俺が辞めたあとに属性魔法の講師として学校に採用されたそうだ。
最近、属性魔法の学会で日陰に追いやられて、魔術に手をだしたという話もある。
そのため、俺が前に勤めていた時の様子についてはあまり知らないらしい。そう、リーナからは聞かされていた。
俺は彼の言葉に一つ頷き、それに従った。
実際気になっているところではあったのだ。
リーナ曰く「一応、最低限の魔術は使えるし教えられる」とのことだったから、どの程度の実力で、どんな指導をするのか。
まずは、そのお手並みを拝見したい気持ちもあった。
それに単に、名のある教授の授業を見るのは勉強にもなる。
教室へと入る。
固定式の机がずらり並ぶなか、生徒が間隔をあけて座っている光景がまず懐かしかった。
授業の前に軽く時間をもらって、自己紹介をする。
ほとんどの生徒はただ聞いているだけだったが、
「うちのお兄ちゃんが受けてたよ、この人の授業」
「俺も聞いたことある。たしか、かなり凄腕だったとか」
一部では、ひそひそと噂話が交わされていた。
中には、「一回追放されたらしいよ」なんて声も聞こえてくる。
実際、胡散臭そうな目で見られているのを感じる。
本当ならすぐにでもその印象を払拭したかったが、俺の役割はあくまでも副講師。
すぐに、教室の後方へと下がった。
最後尾の席で授業を見守ることとなる。
口を出すつもりは、まったくなかった。
新任教師らしく、メモを取る程度のつもりだったのだけれど…………
「魔術というのは、書いた式と魔術陣がすべて。それは前に話したな。
そして、属性魔法の補助的な使い方をするのが基本だ。さぁ今日はまず、そのうちの一つ、【浮遊】の魔術をおさらいする」
すでに雲行きが怪しい。
魔術は決して式だけでどうにかなるようなものではないし、属性魔法の下位にあるものでもない。
さらに、レイブル教授は続ける。
「文字は古代語で記されており、君達には到底読めないものだ。だから、紋様ごと、このまま記述して対象物を念じて魔力を流せばそれでいい」
レイブル教授はそうバッサリと雑にまとめ、黒板に式の入った魔術サークルを書き写していく。
……実に下手くそなものであった。
線もぐにゃぐにゃとよれているし、古代文字も模写しただけで書き順はめちゃくちゃときた。
一応、それでも発動するのだから魔術は偉大だ。
彼が指定したもの=教卓に置いていたチョークがかたかたと音を立てながら、浮き上がる。
だが、不完全な魔術式とサークルのせいだろう、すぐに落ちてきてしまった。
「どうだ、見たか。このように浮かせるのだ。はじめはここまで綺麗には浮かないだろうが、やって見ろ。大事なのは反復練習だ」
つたなすぎる魔術にもかかわらず、発動者本人は満足げだ。
レイブル教授は得意そうにひげをさすりながら言う。
俺が思わず口を挟みかけたところで、
「…………えー」
先に一人の女子生徒がこんな不満そうな声をあげた。
机にひじをつきながら、はっきりと大きい溜息をつく。しかも、クリーム色のショートヘアを指先で弄びながらという大胆ぶりだ。
「なんだね、ルチア・ルチアーノ。聞きたいことがあるなら、聞いてみるがよい」
レイブル教授のこの問いに、彼女は仕方なくと言った感じで続けた。
「レイブル先生の教える魔術って、ほんとに形式だけじゃないですか? もっと、本質的なことが知りたいんですけど。一つ一つにどんな意味があるんだー、とか。だいたい、浮遊したって数秒だけじゃん。浮遊ってか、揺れただけ?」
……正直、もっともな意見だった。
あんな授業であれば、魔術サークルの形さえ知っていれば、誰でもできる。
そんな生徒の指摘に対してレイブル教授がとった行動はといえば、
「ルチア・ルチアーノ。君には特別な教育が必要なようだね。ワシのなにが間違っているっていうんだ。わざわざかみ砕いて、簡単に教えてやってるのに……!」
逆ギレだった。
その恫喝するような大きな声に、教室中がぴりっとした空気に包まれる。
レイブル教授はもともと、属性魔法で名をなした人で、出身の家柄も侯爵家と高い。
そのため、生徒たちは委縮しているのだ。
そんな中でも一人、ルチアという生徒は頬杖をつき続けているから、その精神はかなり強固だ。
「だいだい、君のようなクソガキがこの学校にいること自体が――」
なんてレイブル教授はなおも、怒声をまき散らす。
……さすがに、割って入ってもよさそうだ。
副講師として、この状況を放置するのもよくないだろう。
それに、このまま間違った魔術が指導されるのも、見過ごせない。
自分の保身を考えずに、「先生」として正しい行動を考えるならば、実に明白であった。
「レイブル教授、少々お待ちを」
「な、なんだね、アデル君。君まで私に文句があるのかね」
「そんなまさか。文句ではありませんよ。ただ、一応、間違いをただしておこうかと思っただけのことです」




