第8話 断罪の総会
魔道具協会の総会当日、私は鏡の前でアイゼンブルーメ色のドレスに袖を通した。深い青が肌に映え、銀糸の刺繍が光を受けて煌めく。マルタが丁寧に髪を結い上げ、仕上げに右耳の翻訳イヤリングを確認してくれた。
「お嬢様、お美しゅうございます」
「ありがとう、マルタ。今日で全てが決まるわ」
鏡に映る自分の目は、七年前より強い光を宿していた。もう俯いて歩く必要はない。今日、私は堂々と正面から、奪われたものを取り戻す。
大使館の玄関では、アレクセイ様が待っていた。帝国皇帝の正装である黒と金の軍服に身を包み、胸には勲章が光っている。私の姿を見た瞬間、彼の目が僅かに見開かれた。
「……よく似合っています」
「ありがとうございます、アレクセイ様」
「青は帝国の色です。今日から君は、名実ともに帝国の一員となる」
差し出された手を取り、馬車に乗り込んだ。窓の外を流れる王都の景色を眺めながら、私は今日の段取りを頭の中で確認した。まず登録証の授与式、次に手紙の公開、そして王太子への最後の決別。全てが計画通りに進めば、日没までには終わる。
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魔道具協会の本部は、王都の中心部にある石造りの荘厳な建物だった。大扉をくぐると、既に大勢の人々が集まっている。貴族、技術者、商人、そして各国の外交官たち。私とアレクセイ様が姿を現すと、会場がざわめいた。
「帝国皇帝陛下だ……」
「隣にいるのは、例の令嬢か?」
「L・Rの正体だという噂の……」
囁き声が波のように広がっていく。私は背筋を伸ばし、アレクセイ様と共に会場の中央へ進んだ。壇上には魔道具協会の会長と、数名の理事が並んでいる。そしてその隅に、見慣れた顔があった。王太子ルドヴィクと、その傍らに寄り添うミレーヌ・バロン。ミレーヌの顔色は青白く、目の下には隈ができていた。先日の夜会での失態から、まだ立ち直れていないらしい。
「では、本日の総会を始めます」
会長の宣言で、会場が静まった。
「まず、本年度最も優れた功績を残した魔道具製作者への登録証授与式を執り行います。L・Rこと、リーゼロッテ・ローゼンベルク嬢、壇上へお願いいたします」
私は一歩を踏み出した。会場中の視線が集まる。かつてなら足が竦んでいただろう。でも今は違う。私の隣には、五年間私を探し続けた人がいる。私の後ろには、七年間支え続けてくれた人々がいる。
壇上に立つと、会長が羊皮紙の登録証を差し出した。
「リーゼロッテ・ローゼンベルク嬢。貴女の魔道具は、王国のみならず帝国、そして大陸全土の人々の生活を豊かにしました。ここに、正式な製作者登録証を授与いたします」
私は登録証を受け取った。そこには、私の本名が金文字で刻まれていた。L・Rではなく、リーゼロッテ・ローゼンベルク。七年間隠し続けた名前が、ようやく日の目を見た。
「ありがとうございます」
私は会場を見渡した。貴族たちの好奇の目、技術者たちの尊敬の眼差し、そして王太子の苦々しい表情。全てを受け止めて、私は口を開いた。
「この場をお借りして、皆様にお伝えしたいことがございます」
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会場がざわついた。予定にない発言だったからだ。しかし会長は制止せず、私に続きを促した。事前にアレクセイ様から話が通っていたのだろう。
「私は七年前、王太子殿下と婚約いたしました。しかしその七年間、殿下とお会いする機会は数えるほどしかありませんでした。なぜなら、私からの連絡は全て握り潰されていたからです」
会場が静まり返った。王太子の顔が強張るのが見えた。
「証拠がございます」
私は合図を送った。マルタが会場の扉から入ってきて、あの古びた木箱を運んでくる。
「これは、私が七年間、王太子殿下に宛てて書き続けた手紙です。一通も開封されておりません。殿下のご命令により、王宮の侍従長が握り潰していたものです」
木箱の蓋が開けられ、中から何十通もの手紙が姿を現した。会場に衝撃が走る。
「嘘だ!」
王太子が叫んだ。顔が紅潮している。
「そのような命令を出した覚えはない! でっち上げだ!」
「では、侍従長を喚問なさいますか?」
私は冷静に返した。
「この手紙は、王宮の侍従長の私室から発見されました。処分される直前だったそうです。なぜ処分する必要があったのでしょうか。殿下がご命令されていなかったのなら」
王太子が言葉に詰まった。周囲の貴族たちが囁き合う声が大きくなっていく。
「七年間です」
私は会場全体に向けて言った。
「私は七年間、婚約者からの返事を待ち続けました。会いたいと願い続けました。でも殿下は、私の存在すら見ようとしなかった。そして七年が経ち、私が自ら婚約解消を申し出た途端、殿下は『復縁しろ』とおっしゃいました」
「それは……」
「私に選ぶ権利などないと、おっしゃいましたね」
王太子の顔から血の気が引いた。あの日、侯爵邸で言った言葉を覚えていたらしい。
「殿下。私は貴方の所有物ではありません。七年間待った女でも、婚約者でも、もうありません。私は私の意志で、私の人生を選びます」
会場が水を打ったように静まった。そして、誰かが拍手を始めた。それは徐々に広がり、やがて会場全体を包んだ。
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総会が終わった後、私は会場の外で深く息を吐いた。終わった、全てが終わった。七年間の重荷が、ようやく肩から下りた気がした。
「見事でした」
アレクセイ様が隣に立った。
「君の言葉は、この場にいた全ての人の心に届いたでしょう。王太子の評判は地に落ちました。これ以上、君を脅かすことはできないはずです」
「ありがとうございます。アレクセイ様のおかげです」
「私は何もしていません。全て君自身の力です」
そう言って、アレクセイ様は穏やかに微笑んだ。その笑顔を見て、私は不思議な安心感を覚えた。この人の隣にいると、自分が自分でいられる。強がらなくても、背伸びしなくても、ありのままの自分を受け入れてもらえる。
「リーゼロッテ嬢」
「はい」
「帝国に発つ前に、一つ聞いておきたいことがあります」
アレクセイ様の表情が真剣になった。私は少し身構えた。
「私は君を技術顧問として迎えました。それは事実です。しかし私の本心は、それだけではありません」
「……どういうことでしょうか」
「君を、妃として迎えたいと思っています」
息が止まった。周囲の音が遠くなる。アレクセイ様は真っ直ぐに私の目を見ていた。
「今すぐ答えを求めているわけではありません。君には七年間、待たされ続けた過去がある。また同じ思いをさせたくはない。だから、君が望むなら、いくらでも時間をかけて構いません」
「アレクセイ様……」
「ただ、私の気持ちだけは伝えておきたかった。私は君を愛しています。五年前から、ずっと」
心臓が大きく鳴った。五年前、L・Rの魔道具を初めて手にした時から。彼は私を探し、私を見つけ、私を守り、そして今、私を愛していると言った。
「私は……」
言葉を探した。でも、すぐには見つからなかった。嬉しいはずなのに、怖かった。また信じて、また裏切られたらどうしようと、心のどこかで思ってしまう。
「今は、答えられません」
正直に言った。アレクセイ様は頷いた。
「構いません。君が答えを出すまで、私は待ちます。君を待たせた王太子とは違う形で」
その言葉に、胸が熱くなった。この人は、私のペースを尊重してくれる。急かさない、強制しない。ただ、隣にいてくれる。
「……ありがとうございます」
それだけ言うのが精一杯だった。アレクセイ様は微笑んで、私の手をそっと取った。
「帰りましょう。今日は疲れたでしょう」
「はい」
馬車に向かいながら、私は自分の心に問いかけた。私は彼をどう思っているのだろう。答えはまだ分からない。でも、一つだけ確かなことがあった。彼の隣にいる時、私は幸せだと感じている。
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その夜、大使館の自室で、私は窓の外を眺めていた。月明かりに照らされた中庭で、アイゼンブルーメが静かに揺れている。
「お嬢様、お休みにならないのですか」
マルタが温かいミルクを持ってきてくれた。
「少し、考え事をしていて」
「陛下のご求婚のことでございますか」
私は驚いてマルタを見た。彼女は涼しい顔をしている。
「お嬢様の表情を見れば分かります。それに、陛下のお気持ちは以前から明らかでしたから」
「そうなの?」
「ええ。お嬢様だけがお気づきでなかったのです」
マルタは小さく笑った。私は少し恥ずかしくなって、ミルクを一口飲んだ。
「私、怖いの」
「何がでございますか」
「また信じて、裏切られることが。七年間、ずっと信じていたのに、結局何も届かなかった。同じことを繰り返すのが怖い」
マルタは静かに私の隣に座った。
「お嬢様。王太子殿下と陛下は、全く違う方です。殿下はお嬢様の手紙を読みもせず、会おうともなさらなかった。でも陛下は、五年間お嬢様を探し続け、見つけ、そして今もお嬢様の傍にいらっしゃいます」
「……そうね」
「それに、お嬢様ももう七年前のお嬢様ではありません。待つだけの女ではないと、ご自分でおっしゃったではありませんか」
マルタの言葉が、心に染みた。そうだ、私はもう、待つだけの女ではない。自分の意志で選び、自分の足で歩く。それができるようになったのだ。
「マルタ、ありがとう」
「お休みなさいませ、お嬢様。明日もきっと、良い日になりますよ」
マルタが部屋を出ていった後、私はベッドに潜り込んだ。目を閉じると、アレクセイ様の顔が浮かんだ。真剣な目で「愛している」と言った、あの表情。答えはまだ出せない。でも、少しずつ、私の心は動き始めていた。




