第5話 聖女の嘘
L・Rの正体を公表してから五日が経った。社交界での私の評価は一変し、「哀れな令嬢」から「天才発明家」へ。手のひらを返したような称賛の嵐に、正直なところ戸惑いの方が大きい。
「お嬢様、調べがつきました」
朝食後、マルタが私の部屋を訪ねてきた。手には数枚の紙を持っている。
「ミレーヌ嬢の『聖女の奇跡』についてです。本日、王都中央広場で公開イベントが行われます。ミレーヌ嬢が病人を癒す『奇跡』を披露するとのことで、民衆にも公開されるそうです」
「公開イベント……」
私は眉をひそめた。L・Rの件で評判を落としたミレーヌ嬢が、「聖女の奇跡」で挽回を図ろうとしている。タイミングが良すぎる。
「さらに、王宮の侍女から聞いた話ですが——」
マルタが声を潜めた。
「ミレーヌ嬢の『奇跡』は、ここ二年ほど前から始まったそうです。それ以前は、目立った癒しの力は見せていなかったと」
二年前。私が医療用診断魔道具の改良版を完成させた時期と重なる。
——やはり。
あの晩餐会で見た魔道具は、私の設計の模倣品だった。もし「聖女の奇跡」も同じ原理なら——ミレーヌ嬢の「聖なる力」は、最初から存在しなかったことになる。
「マルタ。今日のイベント、私も行くわ」
「……お嬢様?」
「見届けたいの。あの『奇跡』が、本物かどうか」
* * *
王都中央広場は、人で溢れていた。貴族も平民も、聖女候補の「奇跡」を一目見ようと集まっている。広場の中央には臨時の舞台が設けられ、白い天幕の下にミレーヌ嬢が立っていた。
「本日は、聖女候補ミレーヌ嬢による癒しの儀式を執り行います」
司会役の神官が、朗々と宣言する。
「女神ローザリアの祝福を受けし者の力を、皆様の目でお確かめください」
私は人垣の後方から、舞台を見つめていた。隣にはマルタ、そして——いつの間にか、アレクセイ陛下も立っていた。
「来ると思っていた」
陛下が、小声で言った。
「君なら、黙って見ているだけでは済まないだろう」
「……お見通しですね」
「わかりやすいからな」
舞台では、車椅子に乗った老人が運ばれてきた。足を患っているらしい。ミレーヌ嬢が、その前に跪く。
「女神よ、どうかこの者に癒しを……」
ミレーヌ嬢が両手を老人に翳す。淡い光が、彼女の手から放たれた。
——あの光。
私は目を細めた。見覚えがある。魔道具特有の、魔力変換時の発光パターン。純粋な光魔法とは、微妙に波長が違う。
「聖女様の奇跡だ!」
「素晴らしい……!」
民衆が歓声を上げる。老人の顔に、安堵の表情が浮かんだ。痛みが和らいだのだろう。ミレーヌ嬢が、別の患者に手を翳す。また一人、また一人。連続して「奇跡」を披露していく。
そして——五人目に差し掛かった時だった。
異音がした。ミレーヌ嬢の手元で、光が不規則に明滅し始めた。彼女の顔が引きつる。
「あ……あれ……?」
光が暴走している。晩餐会の時と同じだ。連続使用で魔道具が限界を超えたのだろう。私の設計では、連続使用は三回までが安全範囲。五回は、明らかに超過している。
「きゃあっ!」
ミレーヌ嬢が悲鳴を上げた。光が膨張し、周囲に熱を帯びた風が吹き荒れる。民衆がパニックを起こし始めた。
「危ない! 下がれ!」
護衛の騎士たちが叫ぶ。だが、暴走する魔道具を止められる者はいない。
——いや、一人いる。
私は人垣をかき分け、舞台に駆け上がった。
「何を——」
ミレーヌ嬢が目を見開く。私は彼女の手首を掴み、隠されていた魔道具を引き剥がした。指輪の形をした、小さな装置。私が五年前に設計した医療用魔道具の——やはり、模倣品だ。
「返して! それは私の——」
「黙って」
私は魔道具の裏側に指を当て、緊急停止の術式を発動させた。設計者だけが知っている、隠しコマンド。模倣品でも、基本構造が同じなら効くはずだ。
光が、収まった。広場が、静まり返る。
私は立ち上がり、手の中の魔道具を掲げた。
「この魔道具は、私の設計です。五年前に完成させた医療用診断具の、模倣品です。『聖女の奇跡』は——魔道具の効果でした」
ざわめきが、波のように広がる。
「嘘よ!」
ミレーヌ嬢が叫んだ。顔が蒼白で、声が震えている。
「これは私の聖なる力よ! あなたが嫉妬で嘘をついているだけ!」
「では、鑑定していただきましょう」
私は、人垣の中に立っていた人物に目を向けた。魔道具協会の紋章をつけた鑑定士——夜会にもいた、あの白髪の老紳士だ。偶然ではない。公開イベントと聞いて、協会が派遣したのだろう。
「鑑定士殿。この魔道具の製作者署名を、ご確認いただけますか」
鑑定士が舞台に上がり、魔道具を受け取る。魔法の光をかざし、数秒後——
「……製作者署名を確認しました。L・R——リーゼロッテ・ローゼンベルク嬢の作品です。模倣品ではありますが、基本設計は間違いなくL・R殿のものです。この魔道具による効果を『聖女の奇跡』と称していたのであれば——それは、虚偽と言わざるを得ません」
ミレーヌ嬢の膝が、崩れ落ちた。桃色の瞳から、涙が溢れている。
「違う……私は……私の力は……」
王太子殿下が舞台に駆け上がり、ミレーヌ嬢を支えた。私を睨みつける緑の瞳には、怒りと——困惑が入り混じっている。
「聖女候補」の虚飾が、白日の下に晒された瞬間だった。
* * *
イベントの後、私は侯爵邸の工房に戻っていた。模倣品の魔道具を分解し、内部構造を確認する。やはり、私の設計を元にしている。ただし、安全機構の理解が不十分で、連続使用に耐えられない粗悪な作りだ。
「失礼する」
ノックの音と共に、聞き覚えのある声がした。振り向くと、アレクセイ陛下が工房の入口に立っていた。
「陛下……? なぜここに」
「君が一人で抱え込んでいると思ったからだ」
陛下が、工房の中に入ってくる。作業台の上に散らばった部品や設計図を見回し、かすかに目を細めた。
「今日の件、見事だった。だが——君は、少し無茶をしすぎる」
「……すみません」
「謝る必要はない。ただ——」
陛下が、私の手を見た。作業で荒れた手。タコだらけの指。かすかな火傷の痕。
「この手が生み出すものを、俺は守りたい」
陛下の手が、私の手を取った。心臓が、大きく跳ねた。
「陛下……?」
「七年間、君は一人で作り続けてきた。誰にも認められず、誰にも守られず。——もう、一人にはさせない」
紫の瞳が、私の手から顔に移った。まっすぐに、私を見ている。
「俺が守る。君の才能も、君自身も」
返す言葉が、見つからなかった。手を握られている。温かい。大きい。七年間、誰にも触れられなかった手を——この人が、握っている。
「……あ、あの、陛下」
「アレクセイと呼べと言ったはずだ」
「あ、アレクセイ様……」
声が震える。顔が熱い。どうしていいかわからない。陛下——アレクセイ様が、かすかに笑った。初めて見る、柔らかい笑顔だった。
「とりあえず、今日は休め。明日からまた、忙しくなる」
手が離れた。名残惜しい、と思った自分に驚く。
「……はい」
アレクセイ様が工房を出ていくのを、私は呆然と見送った。
* * *
日が暮れて、マルタが部屋に来た。
「お嬢様、お客様です」
「……こんな時間に?」
「王太子殿下の使者が。明日、殿下がお越しになるとのことです。伝言があるそうです。『考え直せ。お前の才能は王国に必要だ』と」
——復縁要求。やはり、来たか。
私は窓の外を見た。夜空に、星が瞬いている。王太子殿下は、まだ諦めていない。「聖女」を失いかけている今、私の技術を取り戻そうとしている。
でも——もう遅い。
七年間、待ち続けた。誰かが認めてくれるのを。誰かが手を差し伸べてくれるのを。今日、その手が——ようやく、私の手を握ってくれた。
「マルタ。明日の準備をしておいて」
「かしこまりました。どのような」
「王太子殿下を、お断りする準備よ」
マルタが、かすかに微笑んだ。
「承知いたしました、お嬢様」
明日、また戦いが始まる。でも——もう、一人ではない。その事実が、胸の奥を温かく灯していた。




