第40話 七年越しの再会
王宮での謁見から三日後、私は修道院へ向かう決意を固めた。
朝食の席で、父とアレクセイにその旨を伝えた。
「修道院に行ってくるわ」
父の箸が止まった。
「本気か」
「ええ。このまま帰国したら、きっと後悔する。区切りをつけたいの」
「俺も一緒に行く」
アレクセイが言ったが、私は首を振った。
「一人で行かせて。これは、私とルドヴィクの問題だから」
「しかし」
「大丈夫よ。護衛は連れていくわ。でも、会うのは私だけ」
アレクセイは渋い顔をしていたが、最終的には頷いた。
「わかった。だが、何かあればすぐに戻ってこい」
「約束するわ」
カタリーナが不安そうに私を見ていた。
「お母様、どこに行くの」
「少し遠くまで用事があるの。夕方には戻るから、おじい様とお留守番していてね」
「はい……」
娘の頭を撫でてから、私は席を立った。
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修道院は、王都から馬車で四時間ほどの山奥にあった。
険しい山道を登り、深い森を抜けると、古びた石造りの建物が見えてきた。質素な造りの修道院。七年前、ルドヴィクが送られた場所。
馬車を降りると、冷たい山の空気が肺を満たした。帝都の北方を思い出す。あの冷たさとは違う、清浄な冷気。
修道院の門前で、一人の修道士が待っていた。
「皇后陛下でいらっしゃいますか」
「ええ」
「お待ちしておりました。どうぞ、中へ」
案内されて修道院に入る。廊下は薄暗く、壁には古い宗教画が掛けられている。どこからか、祈りの声が聞こえてきた。
「ルドヴィク殿は、こちらです」
修道士が一つの扉の前で立ち止まった。
「お一人でお会いになりますか」
「ええ」
「では、終わりましたらお声がけください」
修道士が去っていく。私は扉の前に立ち、深く息を吸った。
七年ぶりの再会。何を言えばいいのか、まだわからない。でも、ここまで来たからには、逃げるわけにはいかない。
私は扉を叩いた。
「どうぞ」
中から、くぐもった声が聞こえた。
扉を開けると、小さな部屋が現れた。簡素な寝台、木の机、一脚の椅子。窓からは山の景色が見える。そして、窓辺に立つ一人の男。
「リーゼロッテ……」
振り返った男の顔を見て、私は息を呑んだ。
七年前の面影はほとんど残っていない。かつては傲慢さを漂わせていた顔は、今は穏やかで、どこか悲しげだ。髪は短く刈り込まれ、粗末な僧衣を身にまとっている。痩せて、頬がこけている。
「本当に、来てくれたのか」
ルドヴィクの声が震えていた。
「ええ。あなたの手紙を読んだわ」
「そうか……」
彼は私から目を逸らした。まるで、正面から見ることを恐れているかのように。
「座ってくれ。椅子は一つしかないが」
「ありがとう」
私は椅子に座った。ルドヴィクは寝台の縁に腰を下ろした。
しばらく、沈黙が続いた。
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「手紙を書くのに、七年かかった」
ルドヴィクが口を開いた。
「何度も書いては破り、書いては破った。お前に何を言えばいいのか、わからなかった」
「そう」
「最初の頃は、自分が何をしたのかさえ理解できなかった。侍従長に騙されていたとはいえ、全ては私の判断だ。私が、お前を断罪した」
彼の声には、深い悔恨が滲んでいた。
「修道院に送られてから、毎日祈った。自分の罪を悔い、お前の幸せを願って。でも、祈りだけでは足りないと、すぐにわかった」
「何をしたの」
「働いた。修道院の畑を耕し、貧しい者に食事を配り、病人の世話をした。王太子として生きていた頃には、考えもしなかったことだ」
ルドヴィクが自分の手を見つめた。荒れた手。労働の跡がはっきりと残っている。
「最初は辛かった。でも、続けるうちに、少しずつわかってきた。人の痛みが。人の苦しみが」
「変わったのね」
「変わらざるを得なかった。でも、それでもお前に謝る資格があるのかどうか、わからなかった。だから、手紙を出せなかった」
彼が顔を上げ、私を見つめた。
「お前が王国を訪れると聞いて、ようやく決心がついた。このまま会わずに終わるのは、嫌だと思った」
「だから、手紙を」
「ああ。もう一度だけ、お前に会いたかった。謝りたかった。それだけだ」
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ルドヴィクが立ち上がり、私の前で膝をついた。
「リーゼロッテ、すまなかった」
その姿に、私は何も言えなかった。
「七年前、私はお前に取り返しのつかないことをした。婚約者として、人間として、最低のことを。どんな言葉でも、償いきれない」
「ルドヴィク……」
「許してくれとは言わない。ただ、知ってほしかった。私が、どれほど後悔しているかを。どれほど、お前に申し訳なく思っているかを」
彼の目から涙がこぼれた。王太子だった頃には、決して見せなかった姿。
私は静かに彼を見下ろした。七年前の記憶が蘇る。断罪の夜、冷たい言葉、嘲笑う声。あの時の痛みは、今でも心のどこかに残っている。
でも。
「立って、ルドヴィク」
私は言った。彼がゆっくりと顔を上げる。
「あなたを許すわ」
「え……」
「七年前のこと、確かに私は傷ついた。でも、あなたを恨み続けても、何も生まれない。過去は変えられない。大切なのは、これからどう生きるか」
ルドヴィクが呆然と私を見つめた。
「本当に……許してくれるのか」
「ええ。あなたは七年間、自分の罪と向き合ってきた。それは、簡単なことじゃない。私は、あなたの変化を認めるわ」
「リーゼロッテ……」
「でも、一つだけ言わせて」
私は彼の目を真っ直ぐに見つめた。
「許すことと、忘れることは違う。あの夜のことは、一生忘れない。でも、それを恨みとして抱え続けるのは、もうやめる」
「ああ……」
「これからは、それぞれの人生を歩みましょう。私は帝国で、家族と一緒に。あなたはここで、自分の道を」
ルドヴィクが深く頷いた。
「ありがとう、リーゼロッテ。お前は……本当に優しい人だ」
「優しくなんかないわ。ただ、前に進みたいだけよ」
私は立ち上がった。
「もう行くわ。家族が待っているから」
「ああ……元気で」
「あなたもね」
扉に向かいかけて、私は足を止めた。振り返ると、ルドヴィクがまだ跪いたままこちらを見ていた。
「一つ、お願いがあるの」
「何だ」
「国王陛下が、後継者のことで悩んでいるわ。あなたに王位を戻す気はないと言っていた。でも、王国のために何かできることがあるなら、考えてみて」
ルドヴィクの目が見開かれた。
「私に、何ができる」
「わからない。でも、七年間の経験は無駄じゃないはず。民の苦しみを知ったあなただからこそ、できることがあるかもしれない」
「……考えてみる」
「それでいいわ」
私は微笑んで、部屋を出た。
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修道院を出ると、午後の日差しが眩しかった。
馬車に乗り込む前に、私は山の景色を見渡した。緑の森、青い空、遠くに見える雪山。美しい風景だ。
「お嬢様、いえ、皇后陛下」
振り返ると、ルドヴィクが修道院の門に立っていた。
「ありがとう。本当に」
その声には、かつての傲慢さはなかった。ただ、純粋な感謝だけが込められていた。
私は小さく手を振り、馬車に乗り込んだ。
走り出す馬車の窓から、修道院が小さくなっていくのを見つめた。ルドヴィクの姿も、やがて見えなくなった。
胸の中で、何かが軽くなった気がした。
七年間抱え続けていた重荷。それが、ようやく下ろせた。許すことで、私自身も解放された。
窓の外を流れる景色を見ながら、私は静かに微笑んだ。
さあ、家族のもとへ帰ろう。




