第36話 届いた謝罪
帝都を発って三日目の朝、国境が見えてきた。
馬車の窓から外を眺めると、遠くに石造りの門が見える。帝国と王国を隔てる関所だ。七年前、私はあの門を越えて帝国に入った。今、同じ門を逆方向にくぐろうとしている。
「あれが国境?」
カタリーナが身を乗り出して窓の外を見た。
「ええ。あそこを越えたら、王国よ」
「お母様の生まれた国」
「そうよ」
娘の目が輝いている。初めての外国、初めての長旅。七歳の彼女にとっては、全てが冒険なのだろう。
アレクセイが私の手を取った。
「大丈夫か」
「ええ」
不思議と、緊張はなかった。七年前は不安と絶望でいっぱいだった。今は、穏やかな気持ちで故郷に向かっている。
馬車が関所に近づくと、両国の兵士たちが整列して出迎えた。帝国皇帝と皇后の訪問だ。厳重な警備が敷かれている。
関所を通過する時、私は窓の外を見つめた。七年前の記憶が蘇る。あの時は、振り返ることもできなかった。ただ前だけを見て、必死に走り続けた。
今は違う。私は堂々と、顔を上げて故郷に帰る。
国境を越えると、景色が少し変わった。
帝国より緑が濃い。野原には花が咲き乱れ、遠くには丘陵地帯が広がっている。見慣れた風景のはずなのに、どこか新鮮に感じる。
「きれい」
カタリーナが感嘆の声を上げた。
「王国は、花の国とも呼ばれているの。一年を通して、いろいろな花が咲くのよ」
「帝国より暖かいですね」
「ええ。緯度が低いから」
娘と話しながら、私は車窓の風景を眺めた。懐かしい。この道を、幼い頃に何度も通った。父に連れられて王都に行く時、いつもこの景色を見ていた。
「リーゼ」
アレクセイの声に振り向いた。
「沿道に人が集まっている」
言われて外を見ると、確かに道の両側に人々が立っていた。農民、商人、子供たち。彼らは馬車に向かって手を振ったり、頭を下げたりしている。
「帝国の皇帝皇后が来ると聞いて、見物に来たのだろう」
「そうね」
でも、彼らの表情には単なる好奇心以上のものがあった。中には、涙を流している者もいる。
「あの女性、泣いていますね」
カタリーナが不思議そうに言った。
「どうしてだろう」
私にもわからなかった。ただの見物なら、泣く必要はない。何か、別の感情があるのだろうか。
王都に近づくにつれ、沿道の人々は増えていった。
そして、彼らの反応も変わってきた。ただ見物するだけでなく、声を上げる者が現れた。
「皇后陛下万歳!」
「お帰りなさいませ!」
その声に、私は驚いて窓を開けた。
人々が、私に向かって手を振っている。歓声を上げている。まるで、英雄を迎えるように。
「これは……」
アレクセイも驚いた様子だった。
「歓迎されているな。予想以上に」
「でも、どうして」
七年前、私は悪役令嬢と呼ばれていた。民衆からも蔑まれていたはずだ。なぜ今、こんなに歓迎されているのか。
答えは、すぐにわかった。
「鉄の花の皇后様だ!」
「北方を救った方だ!」
「L・Rの魔道具、うちにもあるぞ!」
沿道の人々が口々に叫んでいる。彼らは、私のことを知っていた。悪役令嬢としてではなく、魔道具師として。帝国の民を救った技術者として。
「噂は国境を越えるのね」
私は呟いた。アレクセイが微笑んだ。
「君の功績は、両国で知られている。七年前の悪評など、とっくに塗り替えられたんだ」
胸が熱くなった。七年前、この国を去る時、私は何もかも失ったと思っていた。名誉も、居場所も、未来も。
でも、違った。私は自分の手で、新しい名誉を築いた。そして今、その名誉が故郷にまで届いている。
「お母様、みんながお母様を歓迎していますよ」
カタリーナが嬉しそうに言った。
「ええ、そうね」
私は窓から手を振った。人々の歓声が、さらに大きくなった。
王都の門をくぐると、さらに多くの人々が待っていた。
広場には群衆が詰めかけ、花びらが宙を舞っている。七年前、この同じ広場で私は断罪された。冷たい視線を浴び、罵声を浴びせられた。
今は、全く違う光景が広がっている。
「リーゼロッテ様万歳!」
「帝国皇后陛下万歳!」
歓声の波が、私を包み込む。涙が溢れそうになるのを、必死にこらえた。
馬車が広場を抜け、王宮に向かう道に入った。両側には貴族たちの馬車が並び、彼らも頭を下げている。中には、七年前に私を蔑んでいた者もいるはずだ。今、彼らは私に敬意を表している。
「気分はどうだ」
アレクセイが小声で聞いた。
「不思議な気持ち。でも、嬉しい」
「君は、自分の力でここまで来た。誇っていい」
夫の言葉に、私は微笑んだ。
「あなたがいたからよ」
「俺は、君の隣にいただけだ」
「それが、どれほど大きかったか」
私たちは顔を見合わせて笑った。カタリーナが不思議そうに首を傾げている。
「お父様とお母様、何の話ですか」
「大人の話よ」
「ずるい」
娘がむくれた顔をする。その様子がおかしくて、私たちはまた笑った。
王宮に到着すると、正門前に一人の老人が立っていた。
白髪交じりの髪、厳格な表情。でも、その目には温かさが宿っている。
「父上」
馬車を降りた私は、思わず駆け寄りそうになった。でも、ここは公の場だ。帝国皇后として、礼儀正しく振る舞わなければならない。
「お久しぶりです、父上」
私は優雅に頭を下げた。父も同様に、形式的な挨拶を返した。
「ようこそお越しくださいました、皇后陛下」
でも、その声は微かに震えていた。七年ぶりに見る娘。父もまた、感情を抑えているのだろう。
「こちらが、夫のアレクセイです」
「お初にお目にかかります、ローゼンベルク伯爵殿」
アレクセイが礼をすると、父も深々と頭を下げた。
「帝国皇帝陛下におかれましては、娘が大変お世話になっております」
「こちらこそ、素晴らしい伴侶を得ました。感謝しています」
二人の挨拶を見守りながら、私はカタリーナの手を引いた。
「父上、紹介するわ。娘のカタリーナです」
「初めまして、おじい様」
カタリーナが可愛らしくお辞儀をした。父の表情が、一瞬で緩んだ。
「これは……」
「七歳になりました。父上に会えるのを、とても楽しみにしていたの」
「そうか」
父が膝を折り、カタリーナと目線を合わせた。
「よく来たな、カタリーナ。私がおじい様だ」
「おじい様、お母様にそっくりです」
「そうか。光栄だな」
父の目に涙が光った。慌てて顔を背け、咳払いをする。
「さあ、中へ。長旅でお疲れでしょう」
父が先導して歩き出す。私はその背中を見つめながら、静かに後を追った。
七年ぶりの再会。まだ、ちゃんと話せていない。でも、父の表情を見れば、彼がどれほど私の帰りを待っていたかわかる。
今夜、二人きりで話そう。七年分の空白を、少しずつ埋めていこう。




