第33話 七歳の誓い
研究所の開所から半年が過ぎ、春が巡ってきた。
窓から差し込む陽光が、工房の床に明るい模様を描いている。私は設計図に向かいながら、隣の小さな机で真剣な顔をしている娘を見守っていた。
カタリーナは今日、七歳の誕生日を迎える。
「お母様、ここの線はこうですか?」
娘が描いた図面を覗き込む。水やり魔道具の改良版。半年前に見せてもらったものより、格段に精密になっている。基礎的な構造は理解しているし、魔力の流れも概ね正しい。
「いい線ね。でも、ここの接続部分をもう少し工夫すると、魔力の損失が減るわ」
「こうですか?」
私が示した修正点を、カタリーナはすぐに理解して描き直した。飲み込みが早い。この子には確かに才能がある。
「お母様」
娘が急に真剣な顔になった。
「どうしたの?」
「今日、七歳になりました」
「ええ、知っているわ。誕生日おめでとう、カタリーナ」
「ありがとうございます。それで、お願いがあるんです」
娘がまっすぐに私を見つめた。その目には、強い決意が宿っている。
「私、ちゃんと魔道具師になりたいです。お母様みたいに、人の役に立つものを作れるようになりたいんです」
「それは前から聞いているわ」
「今までは、時々教えてもらうだけでした。でも、七歳になったから、もっとちゃんと勉強したいんです。正式に、お母様の弟子にしてください」
弟子。その言葉に、私は少し驚いた。
「弟子、ね」
「だめですか?」
カタリーナの目に不安が浮かぶ。私は首を振った。
「だめじゃないわ。ただ、弟子になるということは、遊ぶ時間が減るということよ。お友達と遊べなくなることもある。それでもいいの?」
娘は迷わず頷いた。
「はい。私、本気です」
その真剣な表情を見て、私は微笑んだ。この子は本当に、私に似ている。
「わかったわ。週に三日、研究所で基礎から教えましょう。でも、約束してね。辛くなったら、いつでも言うこと。無理はしないこと」
「約束します!」
カタリーナが飛びついてきた。小さな腕が私の首に回り、嬉しそうな声が耳元で響く。
「ありがとう、お母様。絶対、立派な魔道具師になります」
「楽しみにしているわ」
娘を抱きしめながら、私は窓の外を見た。春の日差しが、研究所の庭を明るく照らしている。
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その夜、皇宮で誕生日の祝宴が開かれた。
といっても、家族だけのささやかな食事会だ。アレクセイと私、カタリーナの三人で、温かな食卓を囲む。
「七歳か。早いものだな」
アレクセイが感慨深げに娘を見つめた。
「お父様、私、今日からお母様の正式な弟子になったんです」
「聞いたよ。頑張れ」
「はい!」
カタリーナが元気よく返事をする。その姿を見ながら、私は幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
「そういえば、リーゼ」
「何?」
「今日、王国から使者が来たそうだ」
私は手を止めた。王国。七年前に去った祖国。今でも、その名を聞くと複雑な感情が湧き上がる。
「何の用件?」
「まだ詳しくは聞いていない。明日、正式に謁見するそうだ」
「そう」
私は静かに頷いた。王国からの使者。七年間、公式な接触はほとんどなかった。何か重大なことが起きたのかもしれない。
「心配か?」
アレクセイの問いに、私は首を振った。
「少し気になるだけよ。明日になればわかるわ」
カタリーナが不思議そうに私たちを見ている。
「王国って、お母様の生まれた国ですよね」
「ええ、そうよ」
「どんなところですか?」
「そうね……。帝国より少し暖かくて、花がたくさん咲く国よ」
「行ってみたいです」
娘の無邪気な言葉に、私は微笑んだ。
「いつか、連れて行ってあげるわ」
その約束が、思ったより早く果たされることになるとは、この時はまだ知らなかった。
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翌朝、私はアレクセイと共に謁見の間に向かった。
王国の使者は、四十代半ばの貴族だった。名をヴィルヘルム・フォン・シュトラウスという。かつて宮廷で見かけた記憶がある。確か、外務を担当する伯爵だったはずだ。
「帝国皇帝陛下、皇后陛下、お目通りいただき光栄に存じます」
シュトラウス伯爵が深々と頭を下げた。
「遠路ご苦労だった。して、用件は」
アレクセイの問いに、伯爵の表情が曇った。
「王国国王陛下の病状についてお伝えするため、参上いたしました」
「病状?」
私は思わず声を上げた。七年前に謁見した国王の姿が脳裏に浮かぶ。あの時は威厳に満ちた壮年の王だった。
「はい。半年ほど前から体調を崩され、最近では寝台から起き上がることも困難な状態です」
「それは……」
言葉が続かなかった。国王陛下は、七年前、私の名誉を回復してくれた人だ。勅令で真実を公にし、王太子の非を認めてくれた。その人が、病に伏せている。
「陛下、実は後継者問題が深刻になっております」
シュトラウス伯爵が続けた。
「七年前、王太子殿下は王位継承権を剥奪され、修道院に送られました。以来、正式な後継者が定まっておりません。国王陛下の病状悪化に伴い、王国内では不安が広がっております」
「それで、帝国に何を求める」
アレクセイの声は冷静だった。政治家としての顔だ。
「直接的なご支援を求めているわけではございません。ただ、ローゼンベルク伯爵殿の助言を仰ぎたいと考えております。皇后陛下のお父上であり、王国でも信頼の厚い方です。可能であれば、皇后陛下からお取り次ぎいただけないかと」
私は黙って考えた。父への取り次ぎ。それ自体は難しいことではない。しかし、王国の政治に関わることになる。
「少し時間をいただけるかしら。父に連絡を取ってみるわ」
「ありがとうございます、皇后陛下」
シュトラウス伯爵が再び頭を下げた。
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謁見を終え、私は自室に戻った。
窓辺に立ち、外を眺める。春の庭園では、花々が咲き誇っている。しかし、私の心は晴れなかった。
「考え込んでいるな」
いつの間にかアレクセイが隣に立っていた。
「王国のこと、気になるか」
「少しね。国王陛下には恩がある。あの方がいなければ、私の名誉は回復されなかった」
「だが、王国の政治に深入りするのは危険だ」
「わかっているわ」
私は溜息をついた。
「でも、父に連絡くらいはしてもいいでしょう。それで父がどう判断するかは、父の問題よ」
「そうだな。君のお父上なら、賢明な判断をするだろう」
アレクセイが私の肩に手を置いた。その温もりに、少しだけ心が軽くなった。
「手紙を書くわ。父に、状況を伝える」
「ああ。俺にできることがあれば、言ってくれ」
「ありがとう」
私は机に向かい、ペンを取った。七年ぶりに、王国の政治について父に相談する手紙。書き始めると、様々な感情が湧き上がってきた。
懐かしさ。不安。そして、かすかな期待。
七年前、私は届かない手紙を書き続けていた。今、私の手紙は届く。父に届き、そして、王国全体に影響を与えるかもしれない。
その重みを感じながら、私はゆっくりとペンを走らせた。




