第32話 鉄の花は咲き続ける
秋の風が帝都を吹き抜ける頃、待ちに待った日がやってきた。
エリザベート・カタリーナ魔道具研究所の開所式。母の名と、アレクセイの姉の名を冠した研究所が、ついに完成したのだ。
朝から空は晴れ渡り、式典にふさわしい穏やかな陽気だった。私は鏡の前で身支度を整えながら、不思議な感慨に浸っていた。
「お母様、きれい」
カタリーナが部屋に入ってきて、目を輝かせた。今日のために仕立てた深い青のドレスは、アイゼンブルーメの色だ。この国に来た日のことを思い出す。
「あなたもとても素敵よ、カタリーナ」
娘は淡い紫のドレスを着ている。七歳になった彼女は、日に日に美しくなっていく。私に似た金の髪、アレクセイに似た灰青の瞳。二人の血を受け継いだ証だ。
「今日は、私も一緒に行っていいんですよね」
「もちろんよ。あなたにとっても大切な日だもの」
マルタが入ってきて、準備が整ったことを告げた。私はカタリーナの手を取り、部屋を後にした。
研究所は、皇宮から馬車で十五分ほどの場所に建てられていた。
白い石造りの三階建て。正面には大きな窓が並び、中には最新の設備が整っている。入り口の上には、金色の文字で「エリザベート・カタリーナ魔道具研究所」と刻まれていた。
「立派な建物ね」
「君の希望を全て取り入れた。工房、図書室、実験場、講義室。若い技術者たちが学ぶのに必要な全てが揃っている」
アレクセイが誇らしげに説明した。
式典の会場には、多くの人が集まっていた。魔道具協会の技術者たち、貴族、政府の高官。そして、特別な招待客として、父の姿もあった。
「リーゼロッテ」
父が歩み寄ってきた。数年ぶりに見る父は、少し白髪が増えていたが、背筋は相変わらずまっすぐだ。
「父上、来てくださったのね」
「エリザベートの名を冠した研究所の開所式だ。来ないわけにはいかない」
父の目が、建物の名前を見上げた。そこに刻まれた母の名前。父の表情が、一瞬だけ柔らかくなった。
「エリザベートも、喜んでいるだろう」
「ええ、きっと」
私たちは並んで建物を見上げた。母が夢見た世界。研究に打ち込み、発明で人々を助ける。その夢が、形になってここにある。
式典が始まった。
壇上に立った私は、集まった人々を見渡した。技術者、貴族、市民。様々な立場の人が、この日を祝うために集まってくれている。
「本日は、エリザベート・カタリーナ魔道具研究所の開所式にお集まりいただき、ありがとうございます」
声が広場に響く。緊張はない。ただ、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「この研究所の名前には、二人の女性の名が刻まれています。一人は、私の母、エリザベート・フォン・ローゼンベルク。もう一人は、陛下の姉君、カタリーナ・フォン・ヴァルトシュタイン皇女殿下」
会場が静まり返った。
「二人とも、魔道具の研究に生涯を捧げた女性でした。時代に先駆けた発想を持ち、人々の暮らしを良くするために研究に打ち込みました。しかし、どちらも志半ばで世を去りました」
母のこと、カタリーナ皇女のことを思い出す。会ったことのない母。直接話したことのない皇女。でも、二人の遺した研究は、私の中で生きている。
「私は、二人の研究を引き継ぎ、完成させることができました。北方の結界を強化し、始原の泉を制御する装置を作りました。しかし、それは私一人の力ではありません」
私は会場を見渡した。アレクセイ、カタリーナ、マルタ、父、公爵夫人、技術者たち。私を支えてくれた全ての人がいる。
「この研究所は、受け継ぐ場所です。先人の知恵を学び、新しい発想を加え、次の世代に伝える。そうやって、知識は途切れることなく続いていきます」
私は深く息を吸った。
「若い技術者の皆さん。ここで学び、成長してください。そして、いつか皆さん自身が、次の世代に知識を伝える立場になってください。それが、この研究所の使命です」
拍手が起こった。最初は控えめに、やがて大きなうねりとなって広場を満たした。
式典の後、研究所の内部を案内した。
一階は工房と実験場。最新の設備が整い、若い技術者たちが既に作業を始めている。二階は図書室と講義室。母とカタリーナ皇女の研究ノートも、ここに保管されている。三階は管理部門と、私専用の研究室だ。
「お母様、ここがお母様の部屋?」
カタリーナが三階の研究室を覗き込んだ。窓からは帝都の街並みが一望でき、机の上には設計図を広げるスペースが十分にある。
「そうよ。でも、私だけの部屋じゃないわ」
「え?」
「いつかあなたも、ここで一緒に研究するでしょう。その時のために、机を二つ用意してあるの」
カタリーナの目が大きく見開かれた。部屋の隅に、確かにもう一つの机がある。小さめの、子供用の机だ。
「私の机……?」
「約束したでしょう。あなたが準備できたら、一緒に研究するって」
娘が飛びついてきた。小さな腕が私の腰に回り、顔を押し付けてくる。
「ありがとう、お母様。絶対、立派な技術者になります」
「焦らなくていいのよ。ゆっくり、自分のペースで」
娘の頭を撫でながら、私は窓の外を見た。帝都の空は高く、雲一つない青が広がっている。
夕暮れ時、式典の全ての行事が終わり、招待客も帰っていった。
私は一人で研究所の屋上に上がった。そこからは、帝都全体が見渡せる。夕日に染まる街並み、遠くに見える皇宮、そして北の方角に広がる森。
「ここにいたか」
アレクセイが階段を上がってきた。
「少し、一人になりたくて」
「邪魔だったか?」
「いいえ。あなたなら、いつでも歓迎よ」
アレクセイが隣に立ち、私と同じ景色を眺めた。
「いい式典だった」
「そうね。母も、カタリーナ皇女も、喜んでくれているといいわ」
「間違いなく喜んでいる。君が二人の遺志を継ぎ、こんな立派な研究所を作ったんだ」
私は夕日を見つめた。オレンジ色の光が、街を柔らかく包んでいる。
「ねえ、アレクセイ。私たちが出会ってから、もう何年になるかしら」
「七年と少しだな。君が国境を越えてきた日から数えれば」
「あの日、私は何もかも失ったと思っていた。婚約者に捨てられ、祖国を追われ、見知らぬ国で一からやり直さなければならなかった」
「今は?」
私は微笑んだ。
「今は、全てを手に入れた気分よ。愛する夫、可愛い娘、やりがいのある仕事。そして、たくさんの仲間たち」
アレクセイが私の肩を抱いた。
「俺も同じだ。君と出会えて、本当によかった」
「私もよ」
私たちは並んで夕日を眺めた。空の色が、オレンジから紫へ、紫から藍へと変わっていく。最初の星が瞬き始めた。
その夜、カタリーナを寝かしつけた後、私は書斎で日記を書いていた。
今日の出来事を記録しておきたかった。研究所の開所式、父との再会、カタリーナの喜ぶ顔。全てが、大切な思い出だ。
ペンを置き、窓の外を見た。月が煌々と輝いている。
七年前の今頃、私は一人で手紙を書いていた。届かない手紙を、それでも書き続けていた。あの頃は、こんな未来が来るとは想像もしなかった。
「お母様」
小さな声に振り返ると、カタリーナがドアの隙間から顔を覗かせていた。
「どうしたの? 眠れない?」
「お母様と一緒にいたくて」
私は微笑んで、娘を招いた。カタリーナが駆け寄ってきて、私の膝に座る。
「今日、楽しかった?」
「はい。私の机があって、すごく嬉しかったです」
「いつか、あの机でたくさんの設計図を描いてね」
「はい。約束します」
娘を抱きしめながら、私は静かに語りかけた。
「カタリーナ、あなたに伝えたいことがあるの」
「何ですか?」
「人生は、思い通りにいかないことばかりよ。辛いことも、悲しいことも、たくさんある。でも、それでも前を向いて歩き続ければ、きっといいことがある」
娘が私を見上げた。
「お母様も、辛いことがあったの?」
「たくさんあったわ。でも、諦めなかった。だから今、あなたと一緒にいられる」
「私も、諦めません」
「いい子ね」
娘の頭を撫でながら、私は目を閉じた。
母から私へ。カタリーナ皇女から私へ。そして私から、娘のカタリーナへ。受け継がれるものは、知識だけではない。生き方も、想いも、全てが次の世代に伝わっていく。
それが、私たちの絆。それが、私たちの強さ。
翌朝、私は研究所に向かった。
新しい一日が始まる。若い技術者たちが、既に工房で作業を始めている。彼らの目は輝いていて、未来への希望に満ちている。
「おはようございます、皇后陛下」
「おはよう。今日も頑張りましょうね」
私は自分の研究室に入り、机に向かった。新しい設計図を広げ、ペンを取る。まだ作りたいものがたくさんある。まだ、やりたいことがたくさんある。
窓の外では、秋の風がアイゼンブルーメの花を揺らしていた。あの小さな青い花は、厳しい寒さの中でも咲き続ける。鉄の花と呼ばれるほど強く、美しく。
私もそうありたい。どんな困難があっても、咲き続ける花でありたい。そして、その種を次の世代に蒔きたい。
七年前、届かなかった手紙を抱えて、私は国境を越えた。今、私の言葉は届いている。私の想いは、形になっている。そして、これからも届け続ける。
鉄の花は、咲き続ける。
第4章も近日投稿予定です!!




