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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第3章

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第32話 鉄の花は咲き続ける

秋の風が帝都を吹き抜ける頃、待ちに待った日がやってきた。


エリザベート・カタリーナ魔道具研究所の開所式。母の名と、アレクセイの姉の名を冠した研究所が、ついに完成したのだ。


朝から空は晴れ渡り、式典にふさわしい穏やかな陽気だった。私は鏡の前で身支度を整えながら、不思議な感慨に浸っていた。


「お母様、きれい」


カタリーナが部屋に入ってきて、目を輝かせた。今日のために仕立てた深い青のドレスは、アイゼンブルーメの色だ。この国に来た日のことを思い出す。


「あなたもとても素敵よ、カタリーナ」


娘は淡い紫のドレスを着ている。七歳になった彼女は、日に日に美しくなっていく。私に似た金の髪、アレクセイに似た灰青の瞳。二人の血を受け継いだ証だ。


「今日は、私も一緒に行っていいんですよね」


「もちろんよ。あなたにとっても大切な日だもの」


マルタが入ってきて、準備が整ったことを告げた。私はカタリーナの手を取り、部屋を後にした。


研究所は、皇宮から馬車で十五分ほどの場所に建てられていた。


白い石造りの三階建て。正面には大きな窓が並び、中には最新の設備が整っている。入り口の上には、金色の文字で「エリザベート・カタリーナ魔道具研究所」と刻まれていた。


「立派な建物ね」


「君の希望を全て取り入れた。工房、図書室、実験場、講義室。若い技術者たちが学ぶのに必要な全てが揃っている」


アレクセイが誇らしげに説明した。


式典の会場には、多くの人が集まっていた。魔道具協会の技術者たち、貴族、政府の高官。そして、特別な招待客として、父の姿もあった。


「リーゼロッテ」


父が歩み寄ってきた。数年ぶりに見る父は、少し白髪が増えていたが、背筋は相変わらずまっすぐだ。


「父上、来てくださったのね」


「エリザベートの名を冠した研究所の開所式だ。来ないわけにはいかない」


父の目が、建物の名前を見上げた。そこに刻まれた母の名前。父の表情が、一瞬だけ柔らかくなった。


「エリザベートも、喜んでいるだろう」


「ええ、きっと」


私たちは並んで建物を見上げた。母が夢見た世界。研究に打ち込み、発明で人々を助ける。その夢が、形になってここにある。


式典が始まった。


壇上に立った私は、集まった人々を見渡した。技術者、貴族、市民。様々な立場の人が、この日を祝うために集まってくれている。


「本日は、エリザベート・カタリーナ魔道具研究所の開所式にお集まりいただき、ありがとうございます」


声が広場に響く。緊張はない。ただ、感謝の気持ちでいっぱいだった。


「この研究所の名前には、二人の女性の名が刻まれています。一人は、私の母、エリザベート・フォン・ローゼンベルク。もう一人は、陛下の姉君、カタリーナ・フォン・ヴァルトシュタイン皇女殿下」


会場が静まり返った。


「二人とも、魔道具の研究に生涯を捧げた女性でした。時代に先駆けた発想を持ち、人々の暮らしを良くするために研究に打ち込みました。しかし、どちらも志半ばで世を去りました」


母のこと、カタリーナ皇女のことを思い出す。会ったことのない母。直接話したことのない皇女。でも、二人の遺した研究は、私の中で生きている。


「私は、二人の研究を引き継ぎ、完成させることができました。北方の結界を強化し、始原の泉を制御する装置を作りました。しかし、それは私一人の力ではありません」


私は会場を見渡した。アレクセイ、カタリーナ、マルタ、父、公爵夫人、技術者たち。私を支えてくれた全ての人がいる。


「この研究所は、受け継ぐ場所です。先人の知恵を学び、新しい発想を加え、次の世代に伝える。そうやって、知識は途切れることなく続いていきます」


私は深く息を吸った。


「若い技術者の皆さん。ここで学び、成長してください。そして、いつか皆さん自身が、次の世代に知識を伝える立場になってください。それが、この研究所の使命です」


拍手が起こった。最初は控えめに、やがて大きなうねりとなって広場を満たした。


式典の後、研究所の内部を案内した。


一階は工房と実験場。最新の設備が整い、若い技術者たちが既に作業を始めている。二階は図書室と講義室。母とカタリーナ皇女の研究ノートも、ここに保管されている。三階は管理部門と、私専用の研究室だ。


「お母様、ここがお母様の部屋?」


カタリーナが三階の研究室を覗き込んだ。窓からは帝都の街並みが一望でき、机の上には設計図を広げるスペースが十分にある。


「そうよ。でも、私だけの部屋じゃないわ」


「え?」


「いつかあなたも、ここで一緒に研究するでしょう。その時のために、机を二つ用意してあるの」


カタリーナの目が大きく見開かれた。部屋の隅に、確かにもう一つの机がある。小さめの、子供用の机だ。


「私の机……?」


「約束したでしょう。あなたが準備できたら、一緒に研究するって」


娘が飛びついてきた。小さな腕が私の腰に回り、顔を押し付けてくる。


「ありがとう、お母様。絶対、立派な技術者になります」


「焦らなくていいのよ。ゆっくり、自分のペースで」


娘の頭を撫でながら、私は窓の外を見た。帝都の空は高く、雲一つない青が広がっている。


夕暮れ時、式典の全ての行事が終わり、招待客も帰っていった。


私は一人で研究所の屋上に上がった。そこからは、帝都全体が見渡せる。夕日に染まる街並み、遠くに見える皇宮、そして北の方角に広がる森。


「ここにいたか」


アレクセイが階段を上がってきた。


「少し、一人になりたくて」


「邪魔だったか?」


「いいえ。あなたなら、いつでも歓迎よ」


アレクセイが隣に立ち、私と同じ景色を眺めた。


「いい式典だった」


「そうね。母も、カタリーナ皇女も、喜んでくれているといいわ」


「間違いなく喜んでいる。君が二人の遺志を継ぎ、こんな立派な研究所を作ったんだ」


私は夕日を見つめた。オレンジ色の光が、街を柔らかく包んでいる。


「ねえ、アレクセイ。私たちが出会ってから、もう何年になるかしら」


「七年と少しだな。君が国境を越えてきた日から数えれば」


「あの日、私は何もかも失ったと思っていた。婚約者に捨てられ、祖国を追われ、見知らぬ国で一からやり直さなければならなかった」


「今は?」


私は微笑んだ。


「今は、全てを手に入れた気分よ。愛する夫、可愛い娘、やりがいのある仕事。そして、たくさんの仲間たち」


アレクセイが私の肩を抱いた。


「俺も同じだ。君と出会えて、本当によかった」


「私もよ」


私たちは並んで夕日を眺めた。空の色が、オレンジから紫へ、紫から藍へと変わっていく。最初の星が瞬き始めた。


その夜、カタリーナを寝かしつけた後、私は書斎で日記を書いていた。


今日の出来事を記録しておきたかった。研究所の開所式、父との再会、カタリーナの喜ぶ顔。全てが、大切な思い出だ。


ペンを置き、窓の外を見た。月が煌々と輝いている。


七年前の今頃、私は一人で手紙を書いていた。届かない手紙を、それでも書き続けていた。あの頃は、こんな未来が来るとは想像もしなかった。


「お母様」


小さな声に振り返ると、カタリーナがドアの隙間から顔を覗かせていた。


「どうしたの? 眠れない?」


「お母様と一緒にいたくて」


私は微笑んで、娘を招いた。カタリーナが駆け寄ってきて、私の膝に座る。


「今日、楽しかった?」


「はい。私の机があって、すごく嬉しかったです」


「いつか、あの机でたくさんの設計図を描いてね」


「はい。約束します」


娘を抱きしめながら、私は静かに語りかけた。


「カタリーナ、あなたに伝えたいことがあるの」


「何ですか?」


「人生は、思い通りにいかないことばかりよ。辛いことも、悲しいことも、たくさんある。でも、それでも前を向いて歩き続ければ、きっといいことがある」


娘が私を見上げた。


「お母様も、辛いことがあったの?」


「たくさんあったわ。でも、諦めなかった。だから今、あなたと一緒にいられる」


「私も、諦めません」


「いい子ね」


娘の頭を撫でながら、私は目を閉じた。


母から私へ。カタリーナ皇女から私へ。そして私から、娘のカタリーナへ。受け継がれるものは、知識だけではない。生き方も、想いも、全てが次の世代に伝わっていく。


それが、私たちの絆。それが、私たちの強さ。


翌朝、私は研究所に向かった。


新しい一日が始まる。若い技術者たちが、既に工房で作業を始めている。彼らの目は輝いていて、未来への希望に満ちている。


「おはようございます、皇后陛下」


「おはよう。今日も頑張りましょうね」


私は自分の研究室に入り、机に向かった。新しい設計図を広げ、ペンを取る。まだ作りたいものがたくさんある。まだ、やりたいことがたくさんある。


窓の外では、秋の風がアイゼンブルーメの花を揺らしていた。あの小さな青い花は、厳しい寒さの中でも咲き続ける。鉄の花と呼ばれるほど強く、美しく。


私もそうありたい。どんな困難があっても、咲き続ける花でありたい。そして、その種を次の世代に蒔きたい。


七年前、届かなかった手紙を抱えて、私は国境を越えた。今、私の言葉は届いている。私の想いは、形になっている。そして、これからも届け続ける。


鉄の花は、咲き続ける。

第4章も近日投稿予定です!!

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