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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第3章

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第28話 完成の時

母の設計図と向き合い始めてから、三週間が過ぎた。


工房には資料が山積みになり、試作品の残骸があちこちに散らばっている。マルタは毎日お茶を運んでくれながら、呆れたような、心配したような顔で私を見ている。


「皇后陛下、少しはお休みになられませんと」


「もう少しなの。あと少しで完成する」


母の設計図は、私が思っていた以上に緻密だった。二段階変換の基礎理論は私と同じだが、細部のアプローチが異なる。母は魔力を一度「音」に変換し、そこから光へと変える方法を模索していた。私が「熱」を経由するのとは、まったく違う発想だ。


「音から光へ……」


呟きながら、私は試作品を組み立てていた。母の理論を現代の技術で再現する。それは予想以上に難しい作業だったが、少しずつ形になりつつあった。


ある日の午後、カタリーナが工房にやってきた。


最近は毎日のように顔を出し、私の傍らで見学している。時々簡単な作業を手伝わせると、目を輝かせながら取り組む。その姿は、かつての私自身を見ているようだった。


「お母様、これは何ですか?」


カタリーナが指さしたのは、母の設計図の一部だった。複雑な記号と数式が並んでいる。


「魔力の流れを制御する部分よ。ここが一番難しいの」


「難しそう……」


「でもね、おばあ様はここまで一人で辿り着いたの。私より条件が悪かったのに」


母が研究していた時代は、魔道具に関する知識も技術も、今より遥かに限られていた。それでも母は、この複雑な理論を構築した。その執念に、私は心から敬意を抱いていた。


「お母様、質問してもいいですか?」


「なあに?」


「どうして、魔道具を作るのが好きなんですか?」


カタリーナの問いに、私は手を止めた。どうして、と問われると、すぐには答えが出てこない。


「そうね……。作ったものが、誰かの役に立つからかしら」


「役に立つ?」


「ええ。暖房魔道具を作れば、寒い冬に凍える人が減る。結界魔道具を改良すれば、北方の兵士たちが助かる。私が作ったもので、誰かの生活が少しでも良くなる。それが嬉しいのよ」


カタリーナは真剣な顔で聞いていた。


「私も、そういう魔道具を作りたいです」


「きっとできるわ。あなたには才能がある」


「本当ですか?」


「本当よ。おばあ様から私へ、私からあなたへ。才能は受け継がれるの」


娘の顔がぱっと明るくなった。その笑顔を見て、私も自然と微笑んだ。


その夜、ついに突破口が見えた。


母が躓いていた部分、魔力を音に変換する際のエネルギー損失。その解決策を、私はカタリーナ皇女のノートの中に見つけた。


「そうか、共鳴を利用するのね」


魔力を音に変える際、特定の周波数で共鳴させれば、損失を最小限に抑えられる。カタリーナ皇女は光の波長について研究していたが、同じ原理が音にも適用できる。


母の理論と、カタリーナ皇女の発見。二人の研究が、私の中で一つに繋がった。


「マルタ、材料を」


「こんな時間にでございますか?」


「今夜中に試作品を作りたいの。朝までに完成させる」


マルタは溜息をついたが、すぐに材料を揃えてくれた。私は設計図を広げ、作業に没頭した。


夜明け前、試作品が完成した。


手のひらに収まる小さな装置。母が夢見た、音を経由する光生成魔道具。外見は地味だが、中には母の二十年分の想いと、私の技術が詰まっている。


「動くかしら……」


魔石をセットし、起動の印を刻む。装置が微かに振動し、低い音が響いた。そして、柔らかな光が広がった。


「成功……」


光は穏やかで、目に優しい。従来の照明魔道具とは明らかに質が違う。そして、魔石の消費量を確認すると、予想通り大幅に削減されていた。


「お母様、できたわ」


私は試作品を胸に抱いた。二十年越しの完成。母が見ることのなかった、研究の結実。


窓の外が白み始めていた。朝日が工房に差し込み、試作品の光と混じり合う。その光景は、まるで母が微笑んでいるように見えた。


数日後、私は魔道具協会に母の研究成果を報告した。


発明者の名義は「エリザベート・フォン・ローゼンベルク」。私の母の名前だ。協会の技術者たちは、二十年以上前の理論が現代に蘇ったことに驚いていた。


「素晴らしい発想です。当時、これほどの理論を構築されていたとは」


「母は、時代に先駆けていたのかもしれません」


「皇后陛下がこれを完成させたのですね」


「いいえ、私は母の遺志を形にしただけです。発明は母のもの。私は、それを世に出す手助けをしただけ」


協会長は深く頷いた。


「エリザベート・フォン・ローゼンベルク殿の名は、協会の記録に永久に刻まれます。彼女の功績は、後世まで語り継がれるでしょう」


その言葉を聞いて、私は静かに微笑んだ。母の名前が、歴史に残る。それは、私がずっと望んでいたことだった。


帰りの馬車の中で、マルタが話しかけてきた。


「皇后陛下、お疲れではございませんか」


「少しね。でも、良い疲れよ」


「奥様も、きっとお喜びでございましょう」


「そうだといいわね」


窓の外を流れる景色を眺めながら、私は母のことを思った。もし母が生きていたら、どんな顔をしただろう。きっと、照れくさそうに笑いながら、でも嬉しそうに私を抱きしめてくれたに違いない。


「マルタ、父に手紙を書きたいの」


「承知いたしました。帰りましたらすぐにご用意いたします」


「ありがとう」


父に報告しなければ。母の研究が完成したこと。母の名前が協会に刻まれたこと。母の夢が、ようやく叶ったこと。


皇宮に戻ると、アレクセイとカタリーナが出迎えてくれた。


「お帰り、リーゼ」


「お母様、どうでしたか?」


二人の顔を見て、私は微笑んだ。


「成功したわ。母の名前は、協会の記録に残ることになった」


「よかった!」


カタリーナが飛び跳ねて喜んだ。アレクセイも穏やかに微笑んでいる。


「君のお母上も、姉上も、喜んでいるだろう」


「ええ、きっとね」


私たちは三人で庭園を歩いた。春の花々が咲き誇り、甘い香りが漂っている。カタリーナは花壇の間を駆け回り、蝶を追いかけている。


「リーゼ、北方から報告が届いた」


「何かあったの?」


「始原の泉の場所が特定された。森の奥深く、古い遺跡の中にあるらしい」


私は足を止めた。カタリーナ皇女のメモにあった、七十年周期の活性化の源。それがついに見つかった。


「調査隊を送るつもりだ。君も同行してほしい」


「私が?」


「泉の魔力を制御する方法を見つけられるのは、君しかいない。姉上の研究と、君のお母上の技術を組み合わせれば、可能性がある」


アレクセイの言葉に、私は頷いた。


「わかったわ。行く」


「危険かもしれない」


「あなたも一緒でしょう?」


「ああ、もちろんだ」


私たちは目を見合わせて微笑んだ。カタリーナが戻ってきて、私たちの手を取った。


「お父様、お母様、何の話をしているんですか?」


「少し遠くへ行く話よ」


「私も行きたい!」


「だめよ。カタリーナはお留守番」


「えー!」


娘の不満そうな声に、私とアレクセイは顔を見合わせて笑った。


その夜、私は書斎で父への手紙を書いた。


母の研究が完成したこと。協会に認められたこと。そして、母の才能が私を通じて、孫娘にも受け継がれつつあること。


『父上へ


母の研究がついに完成しました。「エリザベート・フォン・ローゼンベルク」の名は、帝国魔道具協会の記録に永久に刻まれます。


母が何者であったか、世界は知ることになります。伯爵夫人としてではなく、優れた魔道具研究者として。


母の日記を送ってくださり、ありがとうございました。あれがなければ、私は母の本当の姿を知ることができませんでした。


カタリーナも、魔道具に興味を持ち始めています。母から私へ、私から娘へ。この絆は、これからも続いていくでしょう。


いつか、カタリーナを連れてそちらを訪ねます。孫娘に、母の故郷を見せてあげたいのです。


あなたの娘より


リーゼロッテ』


手紙を封じ、窓の外を見上げた。月が煌々と輝いている。


明日からは、始原の泉の調査準備が始まる。北方の脅威を根本から解決するために。カタリーナ皇女と母、二人の研究を携えて。


私は一人ではない。先人たちの知恵が、私を支えている。そして、私の後ろには、未来を担う娘がいる。


受け継ぎ、繋いでいく。それが、私たちの使命なのだと、今は確信していた。


月明かりの下、私は静かに目を閉じた。明日への英気を養うために。そして、母とカタリーナ皇女への感謝を胸に刻むために。


完成の時は、同時に始まりの時でもあった。

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