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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第2章

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第11話 皇宮の棘

帝国での生活が始まって二週間が過ぎた頃、私は初めて宮廷の茶会に招かれた。


皇后候補として正式に紹介される場だとヴェルナー侍従長から聞いたとき、緊張しなかったと言えば嘘になる。ローゼンハイム王国では社交界の隅で息を潜めていた私が、帝国の貴婦人たちの前に立つ。七年前の自分には想像もできなかった光景だ。


「お嬢様、準備が整いました」


マルタが鏡越しに微笑んだ。帝国式の正装は王国のものより身体の線が出るデザインで、深い青のドレスには銀糸でアイゼンブルーメの刺繍が施されている。


「似合っていますか」


「ええ、とても。帝国の方々も目を見張ることでしょう」


マルタの言葉に少しだけ肩の力が抜けた。この二週間、彼女がいなければどれほど心細かったか分からない。


茶会の会場は、皇宮の東庭園に面したガラス張りの温室だった。外は冷たい風が吹いているが、温室の中は魔道具による暖房で春のように暖かい。色とりどりの花が咲き誇り、その中央に円卓が並んでいる。


私が足を踏み入れた瞬間、会話が止まった。十数名の貴婦人たちが一斉にこちらを見る。その視線の冷たさに、思わず右耳のイヤリングに触れそうになった。けれど手を下ろした。ここで怯えた姿を見せるわけにはいかない。


「ようこそ、ローゼンベルク嬢」


中央の席から立ち上がったのは、銀髪を高く結い上げた壮年の女性だった。エルフリーデ・フォン・シュタインベルク公爵夫人。帝国社交界の頂点に立つ人物だと、事前にマルタから聞いている。


「お招きいただき光栄でございます、公爵夫人」


私は深く一礼した。顔を上げると、公爵夫人は品定めをするような目で私を見ていた。


「噂の魔道具師ですか。陛下がお選びになった方ですから、さぞかし優秀なのでしょうね」


その言葉には、明らかな棘が含まれていた。才能だけで皇后の座に収まろうとしている成り上がり者、そう言いたいのだろう。


「過分なお言葉です。まだまだ未熟者でございます」


「ご謙遜を。では、こちらへどうぞ」


案内されたのは、円卓の端の席だった。皇后候補であれば本来は上座に近い位置のはずだが、あえて末席に座らされているのは明らかだ。けれど私は黙って腰を下ろした。ここで抗議しても、彼女たちの思う壺だ。


茶会が始まると、会話は私を除外する形で進んだ。帝国の社交界の話題、貴族同士の婚姻の噂、今年の流行。全てが私には縁のない話で、口を挟む隙もない。時折、誰かがちらりと私を見て、くすくすと笑う。


「そういえば、ローゼンハイム王国では婚約破棄が流行っているそうですわね」


向かいに座った若い令嬢が、わざとらしく言った。栗色の髪をした、二十歳前後の女性だ。


「王太子殿下に捨てられた令嬢が、我が国の皇帝陛下に拾われたとか。まるで物語のようですわ」


周囲から笑い声が上がった。私は茶器を置き、静かにその令嬢を見た。


「失礼ですが、お名前をお聞かせいただけますか」


「クラーラ・フォン・ヘルムシュタット伯爵令嬢ですわ」


「ヘルムシュタット伯爵令嬢。一つ訂正させていただいてもよろしいでしょうか」


私の声は穏やかだったが、会場が静まった。


「私は捨てられたのではなく、自ら婚約を解消いたしました。七年条項に基づく正式な手続きです。そして陛下に拾われたのでもありません。技術顧問として招聘され、その後、陛下からの求婚をお受けしました」


「それは……」


「事実を正確にお伝えしたかっただけです。誤解が広まるのは、私だけでなく陛下のお名前にも関わりますので」


クラーラ嬢の顔が赤くなった。何か言い返そうとしたが、言葉が出てこないようだ。


「まあまあ」


公爵夫人が扇で口元を隠しながら言った。


「ローゼンベルク嬢は王国のご出身ですから、帝国の習慣にはまだ不慣れなのでしょう。こちらでは、あまり自己主張をなさらない方がよろしくてよ」


その言葉の意味は明らかだった。黙って従えということだ。私は小さく頷いた。


「ご忠告、ありがとうございます」


それ以上は何も言わなかった。今日は様子を見る日だ。彼女たちがどのような人間で、何を考えているのか。それを知ることが先決だった。


茶会が終わり、私は温室を出た。長い廊下を歩きながら、深く息を吐く。疲れた。七年間、王国の社交界で培った忍耐力がなければ、途中で席を立っていたかもしれない。


「お疲れ様でした」


廊下の柱の影から、聞き慣れた声がした。振り向くと、アレクセイが壁に寄りかかって立っていた。


「アレクセイ、どうしてここに」


「君の初めての茶会だったから。様子が気になって」


彼は壁から離れ、私の傍に歩み寄った。


「全部聞いていたのですか」


「途中からだけど。シュタインベルク公爵夫人は手強かっただろう」


「ええ、少し」


私は正直に答えた。隠しても仕方がない。


「でも、想定の範囲内です。外国から来た皇后候補が歓迎されないのは当然ですから」


アレクセイは少し眉をひそめた。


「君は、そういうことを当然だと思うのか」


「当然というか……慣れています。七年間、似たようなことを経験してきましたから」


その言葉に、アレクセイの表情が曇った。彼は何かを言いかけて、やめた。代わりに、私の手をそっと取った。


「君に辛い思いはさせたくない。けれど、私が表立って庇えば、君の立場はもっと悪くなる」


「分かっています」


「だから、陰からしか守れない。それが歯がゆい」


アレクセイの声には、本当に悔しそうな響きがあった。この人は、私のために怒ってくれている。それだけで、胸が温かくなった。


「大丈夫です。私は一人で戦えます」


「知っている。君は強い。でも」


アレクセイが私の手を握る力が、少し強くなった。


「一人で戦わなくていい。私は君の味方だ。いつでも」


その夜、自室に戻ると、マルタが待っていた。彼女の手には何枚かの紙が握られている。


「お嬢様、茶会の間に少し調べてまいりました」


「早いわね。何か分かった?」


「シュタインベルク公爵夫人は、陛下のお妃候補として姪御様を推していたそうです。陛下がお嬢様との婚約を発表されてから、かなりご立腹だとか」


なるほど、と私は頷いた。単なる外国人嫌いではなく、政治的な理由があるわけだ。


「それと、ヘルムシュタット伯爵令嬢ですが」


「あの栗色の髪の方ね」


「はい。公爵夫人の遠縁にあたるそうで、今日の発言も公爵夫人の差し金かと」


「つまり、公爵夫人が中心になって私を追い出そうとしている、ということね」


「そのようでございます」


マルタは淡々と報告したが、その目には鋭い光があった。


「いかがなさいますか、お嬢様」


私は窓の外を見た。帝都の夜景が広がっている。無数の灯りが、星のように瞬いていた。


「まだ何もしない。相手の出方を見るわ」


「賢明でございますね」


「それと、マルタ」


「はい」


「公爵夫人の姪御様について、もう少し詳しく調べてもらえる?」


マルタの顔に、かすかな笑みが浮かんだ。


「かしこまりました。お任せくださいませ」


私は椅子に深く腰掛け、目を閉じた。帝国での戦いは、まだ始まったばかりだ。けれど、七年間待ち続けた私には、彼女たちの小さな棘など、恐れるに足りない。


窓の外で、夜風がアイゼンブルーメを揺らしていた。

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