第55話 引きずられる
チェリーとサリーの身体強化訓練はまず体力向上から始めた。最初は校庭30周も出来なかったが、2週間ほどしたら2人共しっかり走れるようになった。健康で五体満足なら、スピードさえ気にしなければ何とかなるものである。
その間にチェリーは自分が刺した魔法陣の刺繍を教師に見せて、魔法陣士としての道を進みたいから指導して欲しいと頼んでいた。これも俺が勧めたのだ。最初は補修を受けているみたいに見えるからと難色を示していたが、実際は自分の将来のためなのだから手間を惜しんではダメだと伝えた。つまんないプライドのせいでキースと結婚できなくなったらかわいそうだからな。
彼女が習ったのは正確に魔法陣を描く方法だ。魔法陣のほとんどは簡単に何の陣かわからないように装飾を加えている。基本は円形だが正方形や長方形のこともある。そうういう基本的なことすらDクラスでは教えてもらえないし、描くに至っては魔法士科の専門コースにならないと教えないのだ。だが彼女の魔力と刺繍の能力は高いので、特別講習と言うことで習うことが出来たそうだ。どうも最近彼女の父親が国家魔法士に昇格したこともいい流れになったみたいだ。
サリーはと言えば、自衛手段としてハルバードを持つことにしたようだ。軽量にするために精霊銀(たぶんミスリルだと思う)を使っているそうだ。それを塗装で鉄みたいに加工してある。これは武器目当てで冒険者に襲われないためだ。
それで学校では槍を振り回すようになった。すごく楽しそうだ。本当はおてんばで体を動かすことが好きなのだ。だけど家族が反対するから熱心に戦闘を学ばなかっただけだそうだ。
「あたし、これでゴブリンの頭をかち割って見せるわ」
「ああ、ゴブリンだけと言わずオークもオーガも倒してくれ」
2人が自分の訓練に身を入れるようになってから、ダンジョンへも行くようにした。前の時にこの2人とキースで行ったあのちょろちょろゴブリンが出てくるところである。
結果、サリーは見事ゴブリンをかち割り、チェリーもファイアーボールをものにし、食事時には水を出す魔法陣も起動させて見せた。
「この調子なら中間テストでDからCクラスに変われるんじゃないか?」
「そうなの。先生にも期待しているって言われたのよ」
やっぱり自分の力を認められると嬉しそうだ。しかもそれが明るい未来に繋がっているのだ。最初は俺に対してこわばった表情を見せていたが、だんだん打ち解けてくるようになった。音楽の授業の時も俺を見かけると声を掛けてくるようになったしな。
この授業は相変わらずアルのピアノやヴァイオリンを聴く会なのだが、前と違うのは俺が従者でないために全く近寄れなくなったことだ。冒険者ギルドで会えば話が出来るが、今はチェリーたちの訓練でダンジョンも別に回っているからそのチャンスがない。
でも相談したいことがあった。それはこのままではチェリーは勇者パーティーに入る実力にならないことだ。
今の平凡な魔法陣士でしかない彼女に必要なのは魔法陣を自分で描けるようになることだ。俺ほど壊滅的でないにせよ、彼女はあまり絵が得意ではない。いや自由に描く分にはいいんだ。だから花とか動物とかはちゃんと描ける。でも正確に狂いなく製図を引く必要のある魔法陣をうまく描けないのだ。今は教科書に載っていた魔法陣を薄紙に写してそれを布の上に置いて刺繍してから薄紙を外すという方法でなんとかなってる。
でも図書館やキースから借りた資料も同じようにすることは出来ない。写しているときにインクをこぼすなどして原本を損傷したらダメだからだ。
つまり例の複写の魔法陣がいるってことだが、これを頼むことは出来るのかって話だ。これがあるとないとでは大違いだ。どんな複雑な魔法陣でも自動で写し出せるあの魔法陣はこれからの彼女の人生においても大きな宝となるはずだ。
俺がチラチラ見ていたせいかアルは俺の意図に気が付いてくれて、夜にミランダが部屋に来てくれた。久しぶりに会えて嬉しい。
だが彼女は心配そうに俺を見上げてきた。
(リアン、おつかれなの?)
「うーん、ちょっとね。忙しいからご飯を1人で食べることも多いし」
これはハッキリ言ってカイルのせいだ。日々の訓練やダンジョンならチェリーとサリーが一緒なので彼女たちと食事を取れるのだが、週末以外毎日状況を知らせるようにアイリスに命令されている。よって彼女たちと別れて報告に行かなくてはいけないのだ。
そしてある時、俺の報告時にアイリスがポロッとこぼしたのだ。
「わたくしたちに付いてくるほどではないにせよ、彼女たちもだんだん成長しているようね。でもわたくしはこんなに毎日報告は必要ないと思うのだけど……」
「そうなのですか? でしたら週に1度にまとめて報告できますが。アイリス様の貴重なお時間を頂戴しているのですから週に5回も必要ないでしょう」
「いえ、カイルが気にしているから、良かったらこれからも聞かせて欲しいわ」
「……カイル君は一体何を知りたいのですか? 彼女たちの能力なら毎日報告の必要はないはずです。それとも俺の行動ですか?」
「……」
「俺のことが邪魔なら、いつでも仰ってください。俺は彼女たちと組んで試験に臨みますから」
俺としてはこいつらと魔王城へ行かなきゃならないのに。これはきっとリアン君の無意識だ。彼の気持ちに引きずられているのだ。そしてそれはこの後も止まらなかった。
「それも待って欲しいわ。わたくしは即戦力の仲間が必要なの」
「本当はご存じなのでしょう? 彼が俺を嫌う理由を」
「……わたくしはそのようなことを思わないのだけど……あなたの事が気持ち悪いみたいなの」
つまり男の娘になられたら嫌だからってことだな。そんなのするわけないだろうが!
こっちこそ虚勢ばっかり張ってイライラしてるお前に苛々するわ‼
「俺の女顔がイヤなのかもしれませんね」
「確かにどちらかと言えば女性的な顔だと思うけど、身のこなしや体つきからどう見てもなよなよしくは見えないわ。あなたが女……いえわたくしたちに不快な感情を与える装束や言動をするとは思えないの」
「もとよりそのつもりですが、具体的に彼はなんと言ったのですか?」
「その……あなたが女装して彼にベタベタまとわりついてくると言ったかしら」
「あり得ませんね。俺はあなた様のご命令に従っているだけで、別に魔王討伐に行きたくありません。亡くなった婚約者は俺に彼女の残した全てを託して、生きろと言ってくれました。俺にとってはその事の方が重要です。同じ平民である彼からのそのような侮辱に耐える必要もありません。いつでもパーティー入りは辞退いたします。
恐れながら俺の報告にこんな時間を使うぐらいなら、カイル君の訓練に付き合われた方が有益ではありませんか? 彼が俺くらいの剣士に戻れば、俺は必要ないと言ってたのですから」
「わたくしは元のカイルに戻っても、あなたの手は必要だと思っているわ。
それにしても北部出身なのにそのような言いぐさはないのではないかしら?
あなたは故郷が心配ではないの?」
「俺にとって北部は故郷ではなく、忌むべき場所です。
この女ような容姿の男があの地にいると性的な虐待を受けるのです。どんなに強くなっても多勢に寝込みを襲われたらひどい目に遭います。魔王討伐ではなく、兵士たちのおもちゃになって心を死なせることになります。俺は生きるためにこの学校に来たし、もう北部へは帰りません。親にもそう告げてきました。
だから俺は同性のカイル君を好きになることはありません」
アイリスは北部のおかしな風習のことはあまり知らなかったみたいで、絶句していた。
「そんなにひどい目に遭うの?」
「あちらでは女性は貴重で人数も少なく、酌婦でも売春はしません。かわりに弱い男が相手をするのです。とにかく負かせれば相手をさせられるですから手段は選びません。
子どもは免除されるのですが俺はまだ12歳で10人くらいに同時に襲われそうになりました。しかも友達や尊敬する先輩だと思っていた相手からです。
女性たちの助けのおかげでなんとか難を逃れることが出来ましたが、その裏切りは俺を孤立させました。それで年長の婚約者の庇護を受けて16歳になったと同時に結婚するつもりでした。結婚すればその相手をすることを免除されるのです。ですが彼女が亡くなったのでそのままでは危険だと思い、王都へ出てきました」
「そ、そんな恐ろしいことが?」
「こちらの方はわかっていないのです。北部がどんな思いで魔王やデーモンたちと戦っているのかを。その負担を弱い男や見た目の良い男で発散するのです。今のカイル君なら1日に何十人も相手することになるんじゃないですか?」
「まさか魔王討伐に来たパーティーでもそのような扱いを受けるの?」
「たぶん一時的な来客にはしないでしょうが、あちらに拠点を置いて生活を始めると可能性が上がりますね。郷に入っては郷に従えってことです。
カイル君がアイリス様やプラム、他の女性を孕ませてもいつかは1人寝する日が来ます。その時を狙って襲われる可能性が高いですし、その相手を殺すとその場所にいられなくなり、別の拠点に移動しなければなりません。そしてそこでも同じようなことが起こります。
ああ、彼はこの風習を知っていて、俺を男が好きだと思い込んでいるのかもしれませんね。大変不愉快で迷惑な話です」
このようにリアン君が思い出したくもない嫌な記憶を話す羽目になってしまった。まだ同性愛者で恋人となら理解できるけれど、暴力で蹂躙されるなんて本当にゾッとする話だ。
でも戦場ではこういう暴力をこれまでは女性が受けてたんだよな。俺が戻る世界でもそういうことが行われていて、大きな問題として残っている。
リアン君の被害は未遂で終わったけれど、それでもここまで大きな心の傷として残っているんだ。戦争なんて絶対にやってはならないものだと痛切に思う。
ここまでリアン君の気持ちに引きずられるとは思ってなかった。それでも魔王討伐にはいかなければならない。でも北部に行きたくない。いや北部の人間に会いたくないんだ。
このままではもしかしたら体調にも問題が出るかもしれない。そうしたら元の世界に帰れない。これはアルたちに早急に相談する必要があった。
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