40.夏休み開始
七月二十五日。夏休み直前となる、最後の登校日。
ヒマワリの所属する1年A組は、朝から熱気に包まれていた。夏なので気温が高いという話ではなく、生徒たちがそわそわとしつつ、やる気でみなぎっていたのだ。
そして、授業が全て終わり、最後のホームルームで担任教師の諸注意を受け、とうとう放課後が訪れた。夏休みの開始である。
さあ、今日からダンジョンの夏の始まりだ。拳をにぎって心の中でそうつぶやいたヒマワリ。
気合いを入れるそんな彼女のもとに、クラスメートの女子が三名ほどやってきた。彼女たちは、なぜかヒマワリの幼馴染みであるサツキの肩に腕をまわし、ニヤニヤと笑っている。
何事かと、内心で身構えるヒマワリだが、そんな彼女に向けてクラスメートたちは、明るい声で言葉を投げかけた。
「ヒマワリー。カラオケ行こうぜっ!」
「えっ、カラオケ?」
「そうそう。ヒマワリって、いつも放課後はダンジョンじゃん? たまには一緒に遊ぼうぜ!」
「うーん、別にいいけど……」
ヒマワリがそう返事をすると、女子たちは一瞬で盛り上がり、「カラオケだー!」と叫んだ。
すると、教室にいた他の女子生徒たちも振り返り、そしてワラワラと集まってきた。
「カラオケ? 私も行く!」
「芝谷寺さんと磯花さんも来るの? 珍しー」
「へっへっへ、おいらの美声を聞きたくねえかい?」
一瞬で、カラオケ行きを希望する女子生徒が十名ほどに膨れあがった。クラスメートの女子ほぼ全てだ。普段は部活動で忙しい生徒も交じっている。どうやら、今日ばかりはクラスメートとの交流を優先する流れであるようだ。
「ヒマちゃん……」
と、そんな女子たちの中心になぜかいるサツキが、ヒマワリにすがるような目を向ける。
「サツキちゃん。今日はカラオケで良いよね?」
ヒマワリがそう返すと、サツキは眉尻を下げ、そして言った。
「私、カラオケ行くの初めてかも……」
その言葉に、ヒマワリはハッとした。
ヒマワリとサツキは、高校に上がるまで村にある小さな小中学校に通っていた。放課後に街へ繰り出してカラオケに行く機会など、存在しなかったのだ。ちなみに、芝谷寺家は父親が家族サービスをしたがる性質なので、一家全員でカラオケに行った過去はある。
まさかの高校一年の夏にカラオケデビュー。
サツキは不安で仕方がないだろう。そんな彼女に、ヒマワリは言った。
「でえじょうぶだ、なんとかなる」
「なんとかならないよー……」
すると、サツキと肩を組んでいたクラスメートの中心的存在である女子生徒が、満面の笑みを浮かべながら言った。
「サツキの初めては、私がしっかりエスコートしてやるよ! 手取り足取り喉取り……」
「喉取りってどんなの……?」
思わずといった様子で、サツキが突っ込みを入れる。
そんなサツキに、女子は言う。
「喉輪」
「お相撲さんなの!?」
サツキの突っ込みに、女子は笑みを深くして「アハハハハ」と笑った。突っ込みがお気に召したらしい。
そして、その女子を中心としてハイテンションのまま、1年A組女子一同は街に繰り出し、カラオケボックスの二室を占拠した。
さらに、同じ高校から別の組や学年の生徒もやってきているようで、制服姿の生徒がカラオケボックス内であふれていた。
ヒマワリがサツキと一緒に入室したカラオケルームでは、早速とばかりに女子たちの手で、楽曲がカラオケ機器に入力されていく。 やがて、一曲目のイントロが始まり、順番に女子たちがマイクを片手に歌い出す。
ドリンクバーは全員が頼み、料理も注文され、ルームの中にあるローテーブルの上に料理が次々と乗っていく。
やがて、サツキを除く全員が一曲ずつ入力し終え、サツキに入力機器が手渡される。いわゆるデンモクである。
見慣れたタブレット端末の姿をした、見慣れぬ入力機器を前に、サツキは思わず硬直。そして、彼女は言う。
「流行りの歌が、分からない……!」
カラオケ初心者のサツキは、流行りの歌に興味がないオタクであった。そのため、周りで盛り上がっているクラスメートたちが、それぞれ幅広いジャンルの楽曲を歌っているという事実には、気付けない。
そんな彼女にヒマワリは、ドリンクバーで入れてきたメロンソーダを飲みながら言った。
「アニソン歌えば? 私たちが小さいころと違って、今はオタクだからって、そう悪く言われることってないよ?」
「ヒマちゃん、私は確かに、漫画オタクでゲームオタクだよ。でも、アニメオタクじゃないの」
「えー……。違いが分からん……!」
「あっ、でも、ボカロなら、なんとか歌えるかな……」
「最近の電子音声って、すごく自然だよね」
「ゴーレム技術を応用しているらしいよ」
「へー、思わぬところでダンジョンの恩恵が!」
そうして、サツキはなんとか一曲目を入力し終えた。
と、そこへ、ハイテンションのまま歌い終えたクラスの中心的女子が戻ってきて、サツキの隣を確保する。
「へいへーい、ヒマワリ。今日こそは、サツキを独り占めさせないぞー」
「えー……。なんで今日のサツキちゃん、こんなに人気なの?」
「だって、可愛いじゃん」
「私も可愛いが?」
「ヒマワリとのツーショットは、SNSに流すと大騒ぎになりすぎるから、ちょっと……」
「かーッ、有名人は、つれーわ」
「おめえ、そういうとこだぞ。その点、サツキは大和撫子って感じでいいよね……。あっ、『ヤマトナデシコ七変化』歌おうかな」
そんな軽快なやり取りを繰り広げた二人に挟まれたサツキは、「『ヤマトナデシコ七変化』って、ものすごく古い歌じゃない?」と首を傾げた。
「おっと、サツキ。カラオケは、最新の流行曲だけを歌う場所じゃないぞー?」
「ええっ、そうなの?」
「そうだぞー。おっ、ほら、次はヒマワリの番だが、『恋のマイアヒ』とか歌うつもりだぞ。あいつも、私たちが生まれる前の流行りじゃねーか」
「ヒマちゃん……」
そんな会話に見送られ、私の選曲に何か問題が? という顔でヒマワリがマイク片手に歌い出す。
もちろん、カラオケルーム内の女子たちがその選曲に文句を言うことはなく、普通に場は盛り上がっている。
皆が同じアーティストを好み、ヒットチャートの曲ばかりを聞く時代は、すでに過ぎ去っている二十一世紀。
ヒットチャートを逐一チェックして流行を追う若者の文化は廃れて久しく、その影響はカラオケ文化にも波及していた。
現代の若者にとってのカラオケボックスは、各々が己の趣味に合わせた曲を自由に歌う場となっている。
そもそも「若者のカラオケ離れが……」などとも世間で言われているが、ここは田舎町。ボウリングで有名なアミューズメント施設もこの町には存在しないため、このカラオケボックスは地元の中高生に今でも愛されていた。
そんな事情を全くもって知らないサツキ。その彼女の隣に位置取った女子は、サツキの操作を助けながら、積極的に会話を試みる。
「私、この間の『大研修』で『メイクアップ・アーティスト』になれたんだ」
「メイクさんの『ジョブ』なんだね」
「そうそう。将来は、その方向に進めるといいなーってぼんやりと思った。サツキはもう、将来はダンジョンシーカーって決めてる感じ?」
「うん、ヒマちゃんと一緒に、村のダンジョンへ潜るつもり」
「将来をもう決めてるって、すごいなー。サツキって、医療系の『ジョブ』なんだよね?」
「そうだよ。『メディカル・スペルキャスター』っていうの」
「手荒れとか肌荒れとか治せるー? 『アビリティ』を鍛えるために薬品とか触ってたら、手が荒れてきたんだよね」
「治せるけど、そういうのは『アビリティ』なんて使わなくても、家庭用ポーションでも治るよ?」
「えー、薬で治すほど本格的じゃないっていうかぁ……」
「そうだね。その気持ちも分かるよ。じゃあ、≪応急手当≫を使いながらクリーム塗ろっか」
サツキは、カラオケルームの隅に置いていた通学鞄のところに行き、そこからハンドクリームを取り出した。
そして、『アビリティ』を使用しながら女子の荒れた手を取り、丁寧にクリームを塗り込んでいく。すると、女子の手は、みるみるうちにつややかさを取り戻した。
「うひょー、ママの手だ! サツキママだ!」
優しいサツキの手つきに、思わずといった様子でそんな言葉をもらした女子。すると、ヒマワリの歌を背景にして、事態をこっそり見守っていたクラスメートの一人が、横から言った。
「あんた、自分の親のことおかんって呼んでるのに、磯花はママかよ」
「ママみのレベルが段違いだ! 私、磯花家の娘になる!」
そんなやり取りに、クスリと笑ったサツキは、綺麗になった女子の手を離した。
女子は、「あー……」と名残惜しそうにしたが、サツキはそれをあえて無視して、ハンドクリームを鞄にしまいにいった。
それからもとの席に戻ったサツキは、ヒマワリの歌声を聞きながら、自分の周囲に集まってきたクラスメートたちと雑談に興じる。
「ダンジョンの外で医療系の『アビリティ』使うのって、何かルールに違反しない? 大丈夫?」
「程度によるかな。みんなも普段、擦り傷を消毒したり、ポーション塗ったりするよね? これは、その延長。でも、医療行為は医師免許が必要だよ」
「線引きがわからんのう」
「治療用の『アビリティ』を覚えると講習を受けられるから、そこで教えてもらえるよ」
「磯花さんは受けたの?」
「うん、ダンジョンで『アビリティ』を使うときのコツを教えてもらえたし、外での緊急避難の心得とかも身に付けられるよ」
「はー、ええ子や……もうヒマワリなんて見捨てて、女医を目指しちゃいなよ」
と、そこで『フッフー』と一人気持ちよく歌っていたヒマワリが、マイクを持ちながら叫んだ。
『勧誘禁止ーッ!』
「そっちこそサツキの独占禁止だー!」
そんな一幕を経て、ルーム内の雰囲気は盛り上がっていく。そして、誰かの歌声を背景にして、雑談を繰り広げる場へとじょじょに変わっていく。
彼女たち高一女子の間で最もホットな話題は、七月の頭で全員が得たことになる『ジョブ』についてだ。
各々がどんな『ジョブ』を得たか、あらためて『ステータスウィンドウ』を共有し合う。
ヒマワリも、ダンジョンシーカー志望ではない一般人が、どのような『ジョブ』を得ているか興味深げに見た。
なお、一番『レベル』が高かったのは、積極的にダンジョンへ潜っているサツキだ。
そんな彼女は、カラオケでは最新の流行曲を歌わなくてもいいと知って、プレイしたことのあるゲームソングを中心に歌っていった。
二曲目が回ってきたサツキが歌う曲名は、『カルマ』。
「おっ、バンプじゃん」
「ああー……。これは、サツキちゃんのトラウマの曲だね」
「何それー」
「衝撃の展開を迎えるゲームのオープニングソングなんだよ。生まれた意味を知るRPGだよ」
ちなみに、サツキは可も無く不可も無くといった歌唱力であった。一方、ヒマワリは≪歌唱≫の『スキル』が歌う最中にも成長しており、それを周囲に告げると「ズルい」と女子たちから一斉に言われてしまった。
そんな放課後の一時は、サツキが帰宅するためのバスの時間に合わせて終わりを告げた。
なお、こんな日でもヒマワリは自転車での通学であった。
帰宅後、ヒマワリとサツキは、他のクラスメートを交えてスマホのアプリでやり取りをしながら、夏休みの前日を楽しく過ごした。
そうして、明くる日、七月二十六日。夏休みが訪れた。
とは言っても、すぐに村での夏合宿が始まるわけではない。
女子ダンジョン部のメンバーは、合宿開始日まで物資をそろえるために、休みを利用して本格的な準備を開始したところである。
その間に、ヒマワリとサツキは夏休みの宿題を早々に終わらせ、青熊村ダンジョンの六階を探索しきった。
次からは七階の攻略、といったところで、ようやく夏合宿が始まる日を迎えることになる。
少女たちの待ち望んだ夏が、いよいよ過疎村にて始まる。
本作の世界ではコロナ禍がそもそも発生していないので、割とカラオケ文化は生き残っている、そんな裏設定。




