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狩人の調理

 


 女は都心のビルの影に身を潜めていた。

 ベージュのロングコートを羽織って────

ポケットからは今、銀色に光る鋭利な刃物が取り出された。その柄を震える手で握りしめて、彼女はハアッと大きく息を吐く。


 ビルから出てくる男女をしっかりと見据(みす)えた。

 マフラーにスーツ姿の男とワンピースにコート、ブーツの若い女。

 2人は並んで歩いてきて、そして腕を組んだ。


(殺してやる! 殺してやるわ…………!! )


 血走った眼で狙いを定める。かつて愛した男の笑顔。今は、それは自分ではなく他の女に向けられている。


(殺してやる────! )


 刃を向けて飛び出した!その時────


藤咲(ふじさき)さん、やめた方がいい」


 声がして、同時に大きな手につかまれた。振り返ると……


「……夜岸(やぎし)さん」


 黒いトレンチコートに身を包んだ、かつて一緒に仕事をした背の高い男性の姿がそこにはあった。

 女は何も言えずに、ただその夜岸と呼んだ男を見つめた。

 彼の()は優しく、やはり言葉は発しない。だが力強く(うなず)くと、彼女のナイフを持った手を優しく握った。


 ────途端に女は糸が切れたかのようにその場に崩れ、彼の足元で泣き出した。




             ◇




 夜岸連(やぎしれん)係長は部署は違ったが、以前請け負ったイベントプロジェクトのリーダーだった。端正な顔立ちと高身長で人目を惹く。私の周りの女性達も何人かがチラチラと彼を盗み見てはキャッキャと騒いでいる程だ。

 だが、私は違った。私はあの頃、あの────館石俊也(たていしとしや)に夢中だったから。今は、副社長の娘の婚約者となったあの男に。



「館石くんと付き合っていたの?藤咲さん」



 夜岸さんと私は、深夜のファミレスに来ていた。彼は、頼んでいたコーヒーが2つ来てから私に聞いた。


「彼の子供を身籠(みごも)っていました」


 コーヒーカップに口をつけたまま、夜岸さんは一瞬動きが止まった。それから、彼はカップをソーサーに戻した。

 何もかもがどうでも良くなって、私は(せき)を切ったように話し出した。


「私は……結婚するものだと信じていました。でも、どうしても、今は海外研修を考えているからとか、もう少し実力をつけるまで入籍は待ってほしいとか言われて…………中絶を勧められたんです。私……私は産みたかったけれど言う通りにしてしまいました。彼が好きだったんです」


 夜岸さんはテーブルに置いていた両手の指を組み、ただ聞いてくれた。


「馬鹿みたいですよね、私。あの人がまだ望まないなら、と諦めたんです。嫌われるのが怖くて。────でも、子供がいなくなったらすぐ捨てられました。ゴミみたいに。私と付き合っている頃から、大城(おおしろ)副社長のお嬢さんとも二股だったみたいです」


 話しながら自分は本当に間抜(まぬ)けだと思った。何故気づかなかったのだろう。彼はただ赤ちゃんも妊娠した私も厄介(やっかい)だったんだ。妊娠していなければ、きっともっと早く別れを切り出されていたのだろう。


「馬鹿()()()じゃないですね。私って……馬鹿ですね、凄く」


 黙っていた夜岸さんは、おもむろに置かれていたシュガーポットの蓋を取ると、私のコーヒーにお砂糖を5杯入れ、それからミルクも注いだ。

 私は少し驚きながらも、私のコーヒーをスプーンでかき回す彼の指先を見ていた。

 しっかりとかき混ぜてから、その人は私の前にカップを差し出してハッキリと言った。


「そんなことはないと思うよ」




              ◆




 ただ愚かだと思った


 しかし、そんな考えは微塵(みじん)も悟らせず藤咲真里に真摯(しんし)眼差(まなざ)しをおくる。

 彼女はびっくりしていたが、私の作った甘いコーヒーを手に取ってくれた。

 一口 飲んで


「……甘いです、凄く」


 と、ようやく普通の微笑みを見せた。


「館石くんはね、使い込みしていたようだよ、藤咲さん。今日経理から課長に話が言ったようだ。もう副社長や社長の耳にも届いているかも」


「え?!」


 寝耳に水だったのだろう。彼女は瞳を大きく見開いた。


「数百万にも上るようだよ。考えようによっては、結婚して夫や父親にしなくて良かったのかもしれない」


 藤咲真里は少しだけ笑い、そして泣きそうな瞳で私の方を見つめた。


「ありがとう、夜岸さん」


 彼女の表情に私は舌舐めずりする想いだった。

 なんと美味そうな女だろう。

 重く厄介で純粋で、深い────

 軽めの味わいも良いが、時には濃厚なものも喰らいたくなる。この女性はそれを提供してくれるだろう。


「私、もうしばらく恋はいいかな」


 藤咲真里は私の作ったコーヒーを飲みながら呟いた。

 私は少し顔を傾けて彼女を覗き込むようにして言った。


「残念、私達は上手くいく気がしたのに」


 本当だ。どれだけ想っても私はそれを消せるから。


「え…………?」


 彼女は頬を赤らめて────そして、コーヒーを全て飲んだ。


 私は恋心を喰らう人外の者。恋を狩る者。

 時には調理も楽しむ


「まだ次の恋は早すぎるんだろうね、君には」


 心底 切なさと渇望を込めた口調で私はそれを告げた。


 真里の平凡な顔がこちらに向けられる。


 瞳を()らさず熱く見つめ返した。





 ハヤク ウマクナレ

 ハヤク ウマクナレ

 ハヤク ウマクナレ…………





読んで頂きましてありがとうございました。

夜岸連の出る作品は約1700字短編『狩人の食事』もございます。

興味を持たれましたら、そちらもどうぞ宜しくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
なるほど、じっくりと恋心を育てようという事ですか。 そして副社長令嬢の大城さんもまた被害者(何しろ父が重役を務める会社の金を使い込んでいた訳ですから)である事を考えますと、彼女もまた傷心している可能性…
今作も面白かったです、このままシリーズ化を是非 (設定的に難しいかもしれませんが)
面白かったです。 夜岸連は弱き立場の女性の背後にいつもいるような……。 このキャラクターはミステリアスで魅力的。 こうしてショート・ストーリ的にシリーズ化して読みたい作品ですね。 2000文字で作品書…
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