叛逆 (前)
瑞葉は住江の言葉に満足したように、会見を切り上げた。
酒の誘いにも乗らずに、そそくさと退散した瑞葉を見送ると、住江は馬狩に声をかけた。
「一刻を争う状況……ということだな?」
馬狩は、はい、と応じた。
「おそらく、近日中に木花開耶様は皇后様の許に向かわれるでしょう。その前に手を打たねばなりますまい」
「だが、そうなれば、東宮や瑞葉との争いは避けられぬ。あるいは、それこそがそなたの望むところ、ということか。ならば、そなたの正体にも、思い当りがあろうというものだ。……大舘の縁者と見たが、どうか」
住江の詮索に、馬狩はかしこまった声で答えた。
「先帝は、たしかにわが父の仇敵。奴をこの手で斃すことは叶いませんでしたが、伊穂親王と瑞葉親王を討つことができれば、いささかでもわが父の恨みが晴れましょう」
「この私は、仇から除外すると言うのだな。その言葉に、偽りはあるまいな?」
念を押すような住江の問いに、馬狩は押し殺した声で答えた。
「貴方様は、志を共にする御方ですので」
住江は、ふん、と鼻を鳴らした。
「まあいい。最後まで私の役に立てば、そなたの望みも叶うのだからな。……吉備の軍勢が到着してから事を起こしたいところだが、やはりこれ以上は待てぬか。それで、木花開耶の居場所はつかんでおるのだろうな?」
「八坂東院におられると、調べはついております。ご命令とあれば、今夜にも決行できるよう手筈は整えてございますが」
住江は躊躇なく頷いた。
「よかろう。……やれ」
日没を待って、馬狩は行動を起こした。
手勢は連れず、最低限の武装で八坂東院に向かう。月明かりに照らされて白く輝く砂利の参道は、すでに通い慣れた道であった。
馬狩は、ようやくこのときがやってきた、と思う。
木花開耶を、この手に取り戻すのだ。
住江には、思わぬ抵抗にあって事故で死亡した、とでも報告しておけばいい。
竹林に佇む塔頭の扉を叩いた馬狩は、覆面を外して僧都に頭を下げた。
「このような夜分に申し訳ない。木花開耶様を、お連れしたいのだ」
「それは、あまりに突然で乱暴なお申し出だ。事情をお聞かせいただけましょうな、秋津宿祢殿」
はい、と応じた秋月は、僧都にいままでの経緯と、瑞葉の思惑や住江の目論見をすべて話して聞かせた。
「……あの子を、政争の道具にしたくない。この私が責任をもってお守りするので、木花開耶は住江の手の者に誘拐された、ということにしてくださらぬか」
僧都はわずかに躊躇したが、わかりましたと頭を下げた。
「貴方様は、亡き宇治雪親王様と面差しがよく似ておられる、と思っておりました。……お言葉を信じないわけには、まいりませぬな」
僧都が連れてきた木花開耶に、秋月は手を差し伸べた。
「お待たせしました。約束どおり、お迎えに上がりました」
はい、と細い声で答えて、木花開耶は秋月の手を取った。
再び覆面をして八坂東院を出たところで、秋月は武装した兵部省の兵たちに行く手を阻まれた。
兵たちの先頭には、馬上から秋月を見下ろす武官束帯姿の瑞葉親王がいた。
「我ながら、嫌な予感だけはよく当たる。そなた、たしか馬狩と言ったか。そなたの主は、東宮に対してよからぬことを企んでいる、ということでよいのだな?」
お見通し、ということか。
秋月は、瑞葉を見くびっていたことを後悔した。
しかも、こちらには手勢もいない。ひとりで争っても、万に一つの勝ち目もあるまい。もはや、ここまでか……。
秋月は覚悟を決めた。
しかし、下馬した瑞葉は、秋月の武装を取り上げることもせず、神妙な顔つきで口を開いた。
「勘違いをしているようだが、私はべつに東宮や木花開耶をどうこうしてもらいたいわけではないのだ。私の望みは、白鳥王家とわれらの血筋が結びつかないようにすることなのだからな。もしそなたの主が東宮を害するようなことになれば、仮に木花開耶を擁して帝位に就いたとしても、簒奪の誹りはまぬがれないし、場合によっては葛城と吉備の全面戦争にもなりかねない。そんなことは、絶対にあってはならないのだ。……そのように、そなたの主に伝えるがいい」
秋月は、瑞葉の器量の大きさを、改めて認識した。理屈だけの堅物だと決めつけていたが、どうやらかなり厄介な相手のようだ。
それに、瑞葉の言葉には明確な意図が込められている。秋月は、単刀直入にそれを確かめた。
「そのために、あえて私を見逃す、と仰るのか?」
案の定、瑞葉は「そうだ」と頷いた。
「無論、娘は返してもらうがな」
「この子を娘と呼ぶのか。年端もゆかぬ者を、このような場所に放置しておきながら」
秋月の苦言に、瑞葉は顔をしかめた。
「そなたが何者かは知らぬが、そのような諫言を受けるいわれはない。とにもかくにも、おとなしく木花開耶を引き渡せ。さもなければ、そなたの言う年端もゆかぬ者の眼前で、流血沙汰に及ぶことになるぞ」
秋月はひとしきり瑞葉を睨みつけたあと、膝をついて木花開耶と目を見合わせた。
「約束は必ず守ります。もう少しだけ、我慢して下さい」
そう耳打ちをすると、悲しげに顔を曇らせた少女を、瑞葉の前に差し出した。
瑞葉は頷いてその手を取ると、声を潜めて秋月に話しかけた。
「この上は、そなたも身の振り方を考えた方がよかろう。私は無用の流血は望まないが、もしそなたの主が私の言うことを聞かず、最悪の事態になったときは、彼の者ひとりの命で事を収めたい。その際、私の役に立ってくれたなら、相応の褒賞は与える。官位を望むなら、昇殿できるようにしてやってもよい。……この意味は、わかるな?」
口を閉ざしたままの秋月に、瑞葉はため息をついた。
「そなた、大胆なのか細心なのか、よくわからぬ男だな。いずれにせよ、先ほど話したこと、よく考えておけ。それと、そなたの主への言伝、しかと頼んだぞ」
瑞葉は、秋月の回答を待たず、「包囲を解け」と兵たちに命じた。
秋月は、瑞葉に頭を下げ、後ずさりでその場を離れた。
*
木花開耶の誘拐失敗の次第を聞かされた住江は、膝を細かくゆすりながら秋月を睨んだ。
「お前が私を焦らせるから、このようなことになったのだ。瑞葉の言葉など、信用できるものか。私を討ち取るために、すぐにも兵たちが押しかけて来よう。この私の命を危険にさらしおって。どうしてくれるのだ」
しょせんは、この程度の男か。
秋月は、住江の器量を見切った。伊穂と瑞葉を討ち果たしたところで、この男に国政を任せられるものではない。ましてや、このような男に木花開耶を託すことなど、できようはずもない。それならば瑞葉の手許に預けておく方が、いくらかでもましというものだ。
だが、と秋月は思いなおす。
大鷦一族に敵愾心を持つという点では、この男にはまだ利用価値がある。
秋月は、「おそれながら」と、切り出した。
「こうなっては、やむをえませぬ。ここは私が残って、瑞葉殿の追撃を防ぎます。殿下は脱出して、吉備の軍勢と合流なされませ」
住江は、おお、と手を打って立ち上がった。
「そうだ。なぜそれを早く言わぬのか、この役立たずめが。吉備の軍を引き連れてすぐに戻る。そして、東宮と瑞葉を討つ」




