31:学院編:男は必ずしも裸の女に欲情するとは限らない。
「そもそもオメーはなんでダンジョンについて調べてんだ」
通路を歩きながら、アイヴァンはセレンへ問う。鼻と顔の右半分を骨折し、右の鼓膜が破けているため、頭が割れそうなほど痛いし、耳鳴りが止まないし、吐き気も酷い。会話でもして気を紛らわせたかった。
「ダンジョンは超古代文明の遺跡。それは良い?」
「ああ」
右耳が聞こえない状態ながら、セレンの声はよく届く。アイヴァンが痛みに歪めた顔で相槌を返せば、セレンは新たな問いを重ねた。
「では、超古代文明がどのようなものだったかについては?」
「んー? ……何も知らんな。まあ、ダンジョンを見る限り、高度な建築技術はあったみてーだが」
セレンはアイヴァンの答えに首肯を返し、言葉を編む。
「ほとんどの人々がロッフェローと同じくらいの認識。誰かから超古代文明の遺跡と言われ、そのまま何の疑問を抱かずに信じてる。超古代文明自体が具体的にどういうものか、想像すらしない」
「言われてみりゃあそうだな」
――そもそも開発の連中からして何も考えてねーだろ。超古代文明なんて漠然とした設定をこさえる奴はたいてー何も考えてねーからな。と心の中で悪態と暴言を吐く転生ゴリラ。
「超古代文明。漠然と語られるそれらの存在は、この世界そのものの創世に関わる謎、と言い換えても良い」
セレンは無表情のまま、されど翠眼に熱量を込めて言葉を編み続ける。
「超古代文明の痕跡はダンジョン以外に一切確認されない。この世界のどこにも存在してない。超古代文明が存在した証拠はダンジョンの中にしかない。ここから導かれる答えは、この世界が一度、完全に滅んだということ。これほどの施設を作り上げるほど進んだ文明が欠片の痕跡も遺せぬ程消滅するほどのカタストロフィが起きた。そして、ゼロから再建されたのが、いま私達が生きる世界」
セレンの語りにアイヴァンは遠い目で思う。
――開発の奴らが用意しなかっただけじゃねえかなー。
メタい感想を抱くアイヴァンを余所に、セレンは続けた。
「ダンジョンの秘奥には超古代文明の“真実”があるはず。私はそれが欲しい」
「ふーむ」
つまり、この娘っ子はインディ・ジョーンズかネイサン・ドレイクってわけか。激ヤバ魔女のアルテナも関わってんのか? いや、あの魔女は別に超古代文明の秘宝探しなんかやってなかったよな。なんかしょーもない理由で世界を引っ搔き回してる連中(よくある設定)の一人だったはず。
『黒鉄と白薔薇のワーグネル』の内容を思い出そうとするも、顔面負傷の苦痛と心身の疲弊により、考えることが煩わしくなった。
……まあいいや。俺はクソ神とクソ主人公のクソ物語をクソ台無しにしてェだけだし。大昔のことなんざどうでもいい。
数十メートルの通路を歩み終え、アイヴァンとセレンは扉の前に立つ。
セレンは扉を調べ、ぶつぶつと小声で呪文か暗号を呟き、開錠した。
「下がってろ」
アイヴァンはバイザーを下げて盾を構えながら得物を握り、ぶっとい脚で扉を蹴破る。
先ほどの部屋と同じく学校の教室ほどの空間。
ただし、今度の部屋は中央に一体の大きな像が鎮座していた。
双の鹿角を生やした無貌の裸婦が、黄金比の艶めかしい身体をS字にしならせ、屹立していた。
一糸まとわぬ姿の裸婦像は石でも金属でもなくプラスチックでもなく、アイヴァンには分からない素材で造られている。いや、どう造られたのかも分からない。型から起こしたのか、削り出したのか、はたまた3Dプリンターのように立体製作させたのかすらも分からない。
それほどまでに双角無貌の裸婦像は精巧かつ精緻に作られ、息を呑むほど艶めかしい質感を有していて――その淫靡なまでに官能的な身体から冒涜的な生理的不安を強く抱かせ、双の鹿角を生やした無貌から宇宙的なスケールの根源的恐怖を、深く覚えさせる。
「ドエロい身体なのに嫌な気分になる裸だな」
一片のオブラートも掛かってない言葉で表するアイヴァン。その隣でセレンが端正な顔立ちを難しそうに曲げていた。
「……無貌の角女」
「このドエロい全裸女はなんだ?」
「超古代文明のダンジョン内では深層部や隠し部屋にしばしば裸婦像が秘匿されてる。私がこれまで見てきたものは、この無貌の角女を含めて3種。この裸婦像を知る冒険者達は『迷宮の貴婦人達』と呼んでる」
「迷宮の貴婦人達、ね。詩的なこった」
アイヴァンの感覚からすれば、このドエロい角オンナは貴婦人と評するには発せられている雰囲気が禍々しくおぞましい気がするが。
「で、この後は?」
「魔力を流すと何かしらの反応が生じる。それで、よく分からないアイテムや異質な魔石が手に入った。今回もおそらく」
セレンは像へ近づき、ぶつぶつと小声で呪文か暗号を囁きかけた、直後。
像を中心に部屋いっぱいの幾何学文様の魔法陣が発生。次いで、無貌の裸婦像の肌に無数の記号か文字みたいなものが浮かび上がり、下腹部を中心に蠢き回る。
「おいおいおいおい。なんだか無駄にエロい演出が始まったぞ。大丈夫なんだろうな?」
「以前もそうだった。この後――」
像を見上げたセレンは言葉を絶やし、時が停まったように凍りつく。
「? 大丈夫か?」
アイヴァンがセレンの肩を掴んで揺さぶ――れない。まるで固着したようにセレンは動かない。
セレンの視線の先を追えば、きっとクソ嫌なことが起きる。そんな予感がする。いや、これは確信だ。
「クソッ! 顔面骨折中だってのに」
覚悟を決め、アイヴァンは辟易顔で像を見上げ、ひ、と息を呑んだ。
無貌だった角女の顔いっぱいに深淵の闇が生じていた。あらゆる色も光も完全に呑み込む絶対的な漆黒の暗闇が、角女の顔を満たしていて。
その角女の頭上、天井を複雑怪奇な幾何学的紋様の魔法陣が生じ、中心から『ナニカ』がアイヴァンを見下ろしていて――
○
『幼獣団』の偵察班を中心に編成された『ゴリラ捜索隊』が手信号でやり取りしながら、慎重に迷宮内を進んでいく。
王都学院に籍を置く(貧乏)貴族令嬢が率いる少年少女達は、隠密性と機動性を重視した軽歩兵だ。中層深部のタフなモンスター達と正面切って殴り合える戦闘能力はない。だから臆病なほど慎重に、けれど鼠のように静かに素早くダンジョン内を進んでいく。
偵察班長の御令嬢は班を指揮し、隠密機動を取りながら、小脇に抱えたクリップボードに簡単なマップを書き込んでいる。安い紙に鉛筆(中世的世界観に近代発明品の鉛筆があることを気にしてはいけない)で棒線を記し、歩数を書き込む。
先頭を進む14歳の少年が曲がり角で右拳を上げ、班を止めた。恐る恐るといった様子で曲がり角の先を窺い、後続の仲間達へ手信号を送る。
――屍鬼。槍兵4に弓兵2。通りに陣取って動かず。
戦力が整っていればなんてことない相手だが、捜索隊の手に余る。チ、と偵察班長の御令嬢ははしたなく舌打ちし、捜索隊を後退させた。
「上階で穴が生じた位置からしてこの先なんだけど……迂回するしかないわね」
「姐さん。陽動を掛けたらどうでしょう?」
副班長を務めるスラム出身の少年が、班長の持つクリップボードの簡易地図を覗きながら提案した。
「ここの曲がり角で派手に音を出して、モンスター共を引き寄せている間に、この左道から進むというのは?」
「悪くない案だけど、犠牲は出したくないわ」
「そこは、音を出した後に上階へ撤収させりゃあ大丈夫でしょう。頭数は減りますが、ボスと合流さえしちまえば、何とでもなりまさぁ」
「……分かった。それで」
副班長の提案に班長の御令嬢がゴーサインを出そうとしたその矢先。
先ほど後退を選んだ曲がり角の先から轟音が響く。
肉を骨ごと引きちぎり、叩き潰し、破砕させ、爆ぜさせる音色。
こんな恐ろしい音色を奏でられる奴を、偵察班の面々は1人しか知らない。
誰もが安堵しつつも、同時に警戒心を抱く。この破壊音の演奏者が捜索対象ならば良いが、違うなら大問題だから。
退路を確保しつつ、班長の令嬢はクリップボードを雑嚢に突っ込み、代わりに得物のレイピアを抜く。骨を断つことも鎧を割ることもできないが、肉を裂き、腑を貫くことは出来る。
班員達も片手の剣や片手斧、メイスなど軽い得物を抜いた。
息を呑んで構えていれば。
ぬうっと曲がり角を越えて現れる大きな人影。
悪鬼の如きその全身甲冑は紛れもなく、我らが団長アイヴァン・ロッフェローだった。
「おう。お前らか」
アイヴァンは恐ろしい面構えのバイザーを下げたまま、野太い声で挨拶を寄越す。デカい背中と左手でセレンを担ぎ、騎士剣を右手に握っている。
「ボス! 無事で何よりです」
偵察班員達がホッと安心した様子で言い、背負われているセレンの様子を窺う。
「セレンさんは? 意識がないみたいスけど……まさか」
「気ィ失ってるだけだ。怪我人は俺だ」
バイザーを上げ、アイヴァンは赤黒くぱんぱんに腫れあがった顔を見せた。
「うっわ。顔の半分がガッチャガチャじゃん」
偵察班長はしかめ面で言い、捜索に同行させていた医療班の隊員を手招きで呼び寄せる。
アイヴァンは気を失ったままのセレンを偵察班員達に預けつつ、腰を下ろして兜を脱ぎ、医療班員の手当てを受ける。
「骨が折れてますよ。痛くないんですか?」
「イテェに決まってんだろ。やせ我慢してんだよ。察しろ」
医療班員へ減らず口を返しつつ、アイヴァンは偵察班長へ問う。
「オメェらだけか。アーシェと他の連中は?」
「私らを先行捜索に出したの。アーシュ先輩達は押っ取り刀でこっちに向かってる」
「そうか」
説明を聞き、安物の魔導回復薬を受け取って飲む。怪我の治癒が始まるが、痛みはちっとも和らがない。
「溜まった血を抜きますよ」医療班員が良く研いだ小振りのナイフを抜く。
「任せる」
アイヴァンの了承を得て、医療班員はアイヴァンの腫れ上がった右目元と頬を裂き、瀉血。血を抜いて腫れを引かせつつ、軟膏式の回復薬を塗り込む。でもって包帯をぐるぐる。
「子供が見たら泣くな。それもギャン泣きだ」「いやいや、泣くどころかひきつけを起こしますよ。怖すぎる」「おっかねェ……」
周囲から散々に言われて不貞腐れつつ、アイヴァンは顔の右半分を包帯と当て布で覆った顔を兜で覆い包み、疲労を隠さずに立ち上がる。
「そんじゃ帰っぞ。流石にくたびれた今日のところは上がりだ」
「ねえ」偵察班長がデカい背中へ声を掛ける。「あの穴の先は隠しルートだったんでしょ? 何かお土産は?」
「なーんもねェよ」アイヴァンは忌々しげに吐き捨て「大外れだ。後で泣きが入るまで愚痴を聞かせてやる」
「最悪」偵察班長は盛大なしかめ面を返す。
「まったくだ」
ダンプカーの排気みたいな鼻息をつき、アイヴァンはのっしのっしとくたびれたヒグマみたいな足取りで歩み始め、『ゴリラ捜索隊』の面々が続く。
アイヴァンは気づかない。
自身の背に続く者達が、自分の無事を素直に喜んでいたことに。
アイヴァンはついぞ気づくことはなかった。
で。
階段辺りでアーシェ達と合流。生還の歓迎半分、心配かけんなとお叱り半分。そして、
「元から人受けの良い顔じゃなかったけれど、酷いわね」
顔面骨折のアイヴァンを見ても、アーシェの毒舌は鈍らない。
「そこは『怪我して可哀そう。私がベッドで慰めてあげる』っていうところだろうが」
「怪我してさらにバカになったんじゃないの?」
悪態を吐くアイヴァンへ辛辣な悪罵を返し、アーシェは問う。
「それで、落ちた穴の先で収穫は?」
「何もねェよ」アイヴァンは疲れ顔でぼやく「金目のものも高ランクアイテムも魔石もねェ。クソモンスターに顔をぶっ潰されただけだ」
アーシェは鋭い目をさらに鋭く細め、眼前の包帯面ゴリラを睨み据えた。
「私はあんたの“共犯者”よ。ウソを吐かれると気分が悪いわ」
「ウソなんて」
「あんた、ホラを吹く時は鼻の頭に皺が寄るのよ」
アイヴァンの返事を蹴り飛ばすようにアーシェが言葉を被せれば。
「ンなベタな引っかけに掛かると思ってんのか?」アイヴァンは鼻で笑うも、アーシェの睥睨は変わらず折れた鼻の頭を撫でながら「……引っかけだよな? 引っかけだろ? まさか、本当に?」
アーシェは引っ掛かったマヌケへ告げた。
「さっさと話せ」
「……後でな。ひとまずセーフエリアに戻るぞ」
アイヴァンはアーシェの脇を抜け、階段を上がっていく。共犯者のアーシェは鋭く舌打ちして後に続き、幼獣団も移動を開始。
億劫そうに階段を一つ一つ上り、アイヴァンが上階へ到達したら。
階層ボスが待ち構えていましたとさ。
アイヴァンは包帯で半分覆われた顔を苛立ちと憤慨で真っ赤に染め上げ、心底腹立たしげに吐き捨てる。
「ざっけんな」
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1918年9月。イープルにて。
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