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彼は悪名高きロッフェロー ~悪役貴族になったので散々悪さしたら、主人公御一行が殺意ガンギマリになりました~  作者: 白煙モクスケ


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30/31

30:学院編:僕は今でも彼女のことを―――

今回はちょっと長め。すまんの。

 凡作『黒鉄と白薔薇のワーグネル』はコンシューマ版からウン年後にスマホ版、時流に乗ってPC移植版が発売された。スマホ版がコンシューマ版の純粋な完全移植――追加要素無しのベタ移植だったことに対し、PC版は追加要素として、追加ダンジョン(既存ダンジョンには隠しルートが導入された)に新装備、ダンジョン用新規モンスターなどが加えられ、新キャラとダンジョン用ミニイベントも用意された。


 この追加新キャラがセレン・グレイウッズ。

 金髪ショートヘアに翠眼、表情変化の乏しいマネキン染みた美貌。華奢な身体を和ゲーらしい彩色豊かなミニスカ衣装とニーハイブーツ、装甲面積の少ない無意味な防具で包んでいる。

 実に日本製サブカルチックなこの小娘の本当の名は――

 セレン・ブラックストーン。

 作中屈指の強敵であるアルテナ・ブラックストーンの妹。すなわち魔女である。


 新キャラのセレンに対するユーザー評価は賛否両論。今時のフェティッシュなキャラデザと人気声優を起用したことで『可愛い』と評判でありつつ、その役割に対する反応は微妙だった。

 というのも、ダンジョン内の隠しルートを進むためには、セレンが出撃パーティにいることが絶対条件で、これが出撃編成の自由度を下げるという理由から不評だった。

 まあ、売れ筋微妙な凡ゲーの不評などタカが知れているが。


 そんなセレン・グレイウッズがダンジョンギミックを起動させた刹那。

 突如、足下の石畳が消失して落とし穴がコンニチハ。アイヴァンとセレンは目を瞬かせる暇もなく、真っ暗な深淵へスットーンッと落ちて呑まれた。

 アイヴァンとセレンが消えた穴から『ファ――――――ッ!?』と野太い声が遠のいていく。


「ロッフェローッ!?」「ボスッ!?」

 アーシェを始めとする団員達が泡食って穴へ駆け寄るも、辿り着く前に落とし穴は塞がって元の石畳に戻ってしまった。


「冗談でしょ」アーシェは端正な顔を真っ青に染めて「中層深部で主力アタッカー兼盾役がいなくなるとか、稼げなくなるじゃない……っ!」

 団の頭目兼共同経営者の安危より稼ぎの多寡を気にしちゃう女アーシェ。もちろん、ツンデレ的な心配の仕方とかではなく、ガチの吐露だ。これには周囲もドン引き。


「ど、どうしますか。姐さん」

「探すしかないでしょ」

 アーシェは不安げな団員達の視線を浴びながら、即座に指示を飛ばす。

「機動性重視で捜索に掛かるっ! 偵察班に医療員2名を同行。どんな敵に出くわしてもあのゴリラを回復させて戦わせれば何とでもなる」


「センパイ。なんだかんだ言って、ロッフェローの奴を信頼してますよね」

 中衛班長がニヤッと笑えば、アーシェは再びガチの真顔で言った。

「あんた、人を見る目が無いよ。金の貸し借りとかする時は誰かに相談するんだね」

 きっつい返しに中衛班長が思わず閉口したところへ、周辺警戒中の兵士が叫んだ。

「姐御ッ!! モンスターですッ!! 屍鬼っ!! 騎士タイプが一個分隊っ!!」


「立て込んでる時にっ!」

 苛立ちを隠さず吐き捨て、アーシェは団員へ吠える。

「戦闘用意っ!! 最大戦力のゴリラがいないんだっ! いつも以上に注意深く、気合い入れてかかれっ!!」


      ○


「クソがよ。予感的中じゃねえか、クソッタレ」

 クソという単語を二度ひり出し、アイヴァン・ロッフェローは悪鬼染みた全身甲冑で包む巨躯を起こした。いじめられっ子以上に警戒心を全開にして周囲を見回す。


 学校の教室ほどの密閉空間。

 上下左右と周囲360度に出入り口や窓はおろか調度品に内装その他一切なし。

 通気ダクトの類も見られないのに、息苦しさを感じない。まあ、凡ゲー世界に建築学的現実性を求めては野暮だ。超古代文明のロステクか何かだろ多分。そういうことにしておけ。


「出入り口がねェ……おい、猫娘。なんとかしろ」

 呼びかけに返事がない。

 怪物面のバイザーを開け、傍らに転がるセレンの様子を窺う。


 セレンは外傷無し、呼吸と脈に異常なし、だが完全に気を失っている。ぺちぺちと頬を叩いてもつねっても起きない。

「参ったな。どうすりゃ出られるんだ?」


 ふと“そういうの”が好きだった部下の田中が脳裏をよぎる。

『――さん。知ってます? 『セックスしないと出られない部屋』ってネタがあるンスよ』


 アイヴァンは床に横たわるセレンをチラ見。ミニスカとニーハイブーツの間に除く柔らかな太腿の絶対領域。ミニスカに覆われた小振りなお尻。面積の少ないブレストアーマーで強調される控えめな胸の輪郭。


 ……全然そそられねぇ。

 アイヴァンの好みはもっとオンナを感じさせる体つき――顔を埋めたくなる乳! 撫で回したくなる腰! 鷲掴みしたくなる尻! ――だ。セレンは細すぎる。もっと飯を食え。


 まあ、身体つき云々の性的嗜好を抜きにしても、アイヴァンはセレンに欲情できない。セレンの仕草を通して前世の子供達を思い出してしまっているのだ。獣欲など抱けようがない。

 そもそも田中の言うことなんか当てにならねーけども。


「とりあえず……調べてみるか」

 壁を見て回ろうと立ち上がった矢先、ゴゴゴゴゴと大気が鳴動する音色が響きだし、部屋の床全体に幾何学模様的な魔法陣が浮かび上がった。

 アイヴァンはうんざりしながらこの先の展開を察し、毒づく。

「階層ボスとタイマンかよ。面倒臭ェな」


 部屋の中央、魔法陣の真ん中からゴゴゴゴゴゴゴと浮かび上がる黒い影。

 アイヴァンはセレンを護るように前へ出て、靄がかった黒い影が輪郭を得ていく様を辟易顔で眺めていたが、真っ黒な靄が払われ、姿が鮮明になっていくにつれ、顔が険しく強張っていく。


 女だ。

 茨とボロ布で飾られ、赤黒く汚れた半裸の女。右手に刃こぼれの激しいマチェット。左手には赤黒く錆びた短剣。肩口まで伸びた黒髪は血か何かで濡れ、顔に貼りついていた。


「は?」

 アイヴァンは唖然となった。凶相に動揺が浮かび、双眸に狼狽が宿る。

 なぜなら、その女の貌は前世の妻にそっくりだったから。


 茨とボロ布で飾られたその身体もよく見れば、何度も何度も愛し合った身体そのもの。赤黒く汚れた右肘にある傷痕は、妻が学生時代に部活で故障した肘の手術痕にしか見えない。


「な、んで――」

 混乱。アイヴァンは今、その一語の状態にあった。


 そんなアイヴァンの動揺を無視し、妻に酷似した女怪異は顔に貼りついた髪の隙間から双眸をぎらつかせ、甲高い絶叫を上げた。

 本能的恐怖を強く刺激する叫喚を浴び、ハッとアイヴァンが我に返った時には、妻に酷似する女怪異が凄まじい速度の踏み込みで迫っている。


 袈裟に振り降ろされる右手のマチェットを、反社的に左手の盾で防ぐ。

 轟音。鮮烈な火花。成人男性を殴殺できるほど頑丈な盾が軋み、ガントレットで覆う腕の内まで痛烈な衝撃が伝わってくる。

 重甲冑越しでも人間を殺せる一撃だった。


「ぐ――」

 噛みしめた歯の隙間から漏れる呻きは、アイヴァンの心理的混乱が溢れたかのようだった。


 もちろん、女怪異はアイヴァンの動揺など一顧にせず、怒涛の勢いで攻撃を重ねる。濡れた髪を振り乱し、妻に似た願望を殺意と害意で歪め、発狂したようにマチェットと短剣を振り回す。

 荒々しく野蛮極まりない連撃。削がれる盾や甲冑から火花が舞い散る。


 女怪異はまるで獣が野生そのままに暴れているようだが、その実は近代ボクシングのように洗練されていた。

 決して乱れぬ体幹は美しいほど科学的整合性に則った身体操作の証明に他ならない。


 強い踏み込み足から生み出した運動エネルギーに腰の捻りを加え、威力を完全に刀身へ伝えている。ゆえにその一撃は、身長190センチ超で全備重量100キロを大きく越えるアイヴァンへ、たたらを踏ませるほどに重く激しい。


 繰り出される左の短剣は踏み込みと同時に最短距離を最速で駆けてくる。さながら何万回と練り込んだプロボクサーのジャブだ。しかも、フェイントまで加えており、アイヴァンをして防ぎきれず、幾度も切っ先を浴びる。Sランクの重甲冑でなければ、今頃体中を刻まれていただろう。


 防戦一方で、アイヴァンは反撃が出来ない。

 女怪異の攻撃が速く激しいこともあったが、最大の原因はアイヴァンの心にあった。


 頭では分かっている。

 “これ”は妻ではないと。“これ”は単なる化物だと。“これ”はさっさと叩き殺すべきだと。


 だが、心が身体を動かさない。攻撃を許さない。反撃を認めない。

 振り乱される髪の狭間に覗く妻と瓜二つの顔が、前世の死から約20年振りに目の当たりにした妻の貌が、アイヴァンの闘志と戦意を大きく削いでいた。


「―めろ」

 我知らず漏れる言葉。


「やめろ」

 その言葉は悪役貴族アイヴァン・ロッフェローのものではない。


「やめてくれ」

 その憐れな声は神と世界へ復讐を抱く狂人のものではない。


「やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ」

 その哀願は不条理な二度目の生を送らされている男のものだった。


「もうやめてくれっ!!」

 その絶叫は、魂から絞り出された悲愴な懇願だった。


 が。

 そんな悲痛な訴えは妻の顔貌を持つ怪異には届かず。横薙ぎに振るわれたマチェットが兜で覆われた右側頭部を捉えた。


 頑健なSランク装備でも防ぎきれないほど激甚な衝撃。耳鼻や涙腺周りの微細血管が爆ぜ、右の鼓膜が弾けた。三半規管が強く揺られ、平衡感覚が失われる。脳へ届いた衝撃に知覚野が機能不全に陥り、身体から力が失われる。


 崩れ落ちるように両膝をつく。両目と右耳と鼻腔から溢れた血がぱたぱたと床に痕を作る。

 そこへ繰り出された後ろ回し蹴りが、バイザーを開けたままだったアイヴァンの顔を蹴り抜いた。


 鼻の骨が折れ、右の頬から眼底まで骨が砕ける。鼻腔と口腔から噴出する鮮血。自らの血の上に倒れ込むアイヴァン。

 歪み曲がりたわみ軋み、明滅する視界と混濁した意識。


 妻に酷似した女怪異はアイヴァンへとどめを刺さず、その敵意と殺意をいまだ目覚めぬセレン・グレイウッズへ移した。

 ふぅふぅと獣染みた呼気を放ち、みしみしとマチェットと短剣の柄を握り固め、女怪異はセレンの許へ近づいていく。


 アイヴァンは見た。

 ぼやけた視界の中で、妻に酷似した怪物が我が子を想起させる少女を殺そうとしている様を。

 顔面骨折で右の視界が失われた世界の中で、愛する妻が愛する娘を殺そうとしている様を。


 アイヴァン・ロッフェローの中で、ぷつりと何かが切れた。


「――めろ」

 意識がはっきりしないまま溢れる言葉。


「やめろ」

 その言葉は創作物の登場人物アイヴァン・ロッフェローのものではない。


「やめろ……っ!」

 その怒気が込められた声は物語の破綻を目論む狂人のものではない。


「やめろっ!!」

 その怒声は我が子を護らんとする父親の叫びだった。


「やめろぉ――――――――――っ!!」

 その怒号は愛する者に殺される恐怖を払い、愛する者を殺さねばならない絶望を踏破した、決意だった。


 “彼”は立ち上がった。腫れあがり右の視界を失った顔を怒りに大きく歪め、屹然と立ち上がる。傷だらけになった盾を構え、右手に腰から抜いたメイスを握りしめた。


「やってやる」

 兜のバイザーを下げ、巻き角の悪鬼染みた姿となった“彼”は告げる。

「20年振りに夫婦喧嘩だ」


     ○


 PC版が発売される際、新たに追加されたダンジョン・モンスターに、『シェイプシフター』と呼ばれるものがいた。


 平たく言えば、ダンジョン突入時、主人公と最も親密値が高い女性キャラクターの外装を使い回したモンスターだ。これが中々に曲者で大抵の場合、最も親密値が高い=主要戦力であるから、勢い強敵となりがちだった


 さらにいやらしい点が、シェイプシフターはコピーするキャラの+5レベルで登場するということ。最大レベルの場合はステータス値に5レベル分加算される。


 広範囲の高火力魔導術を使えるようになるメインヒロイン1号や高機動力と高回避力でガンガン攻めてくるメインヒロイン2号などが敵として現れた時の面倒臭さたるや……


 最強まで鍛えた推しヒロインを『シェイプシフター』にコピーされたプレイヤーがSNSに挙げた言葉をここに記そう。

『愛した女は最強の敵だった』


 ・・・


 ・・


 ・


 アイヴァン・ロッフェローはフィジカル頼りの筋肉ゴリ押し男と見做されているが、その実は力だけでなく技も備えたエリート戦士である。手っ取り早くぶち殺すために筋肉ゴリ押しスタイルを取っているだけで、テクニカルな戦いが出来ない訳ではない。


 スーパーハードパンチャーで知られたマイク・タイソンが、対戦者達からは破壊的なパンチではなく、圧倒的なまでの高機動フットワークを評価していたように、パワーを誇る者は大抵の場合、パワーを最大限まで活かすテクニックを有している。


 アイヴァンは堅牢な重甲冑で巨躯を鎧い、ボクシングのピーカーブースタイルのように左腕の分厚い盾で上体を覆い隠し、右手に握ったメイスで構える。さながら要塞を思わせる威圧感を放ちながら、鍛えに鍛えた足腰から凄まじい瞬発力を発揮し、その大きく鈍重そうな体躯から想像もつかない程俊敏に機動する。


「近所の奥さん連中がアルファードに乗り始めたからって欲しがるなっ!! 車は近所の買い物くらいしか使わねェだろうがっ! アルファードもベルファイアも高ェんだよっ! これ以上俺にローンを背負わせるなっ! しまいにゃ泣くぞっ!!」


 一気に距離を詰め、メイスを振るう。女怪異は兎のように飛び退いて回避。外れたメイスが砲撃のように石畳を破砕した。飛び散る石片。舞い上がる粉塵。

 着地した反動を生かして逆撃。高々と跳躍し、全身を捻り込みながらマシェットを繰り出す。速度。質量。遠心力まで乗った斬撃はアイヴァンの分厚い盾に防がれるも、深々と斬撃痕を刻み込み、アイヴァンの巨躯を後ずさりさせた。


「仕事帰りにマヨネーズを買い忘れたくらいで一時間もぶーぶー言いやがってっ! その日の飯はマヨネーズを使わない料理だったじゃねーかっ!!」


 アイヴァンは着地した女怪異へ後の先を取って強襲。4トン・トラックが突っ込むようなシールドバッシュ。女怪異が横っ飛びで回避し、着地と同時に地を這うように再跳躍。アイヴァンの視野が効かない右側方から襲い掛かる。


 死角から迫られ、アイヴァンの反応が一瞬、遅れた。盾を向ける間がない。苦し紛れにメイスを横薙ぎ。も、掻い潜られ、間合いの内に入られる。肉薄した女怪異がショートのフックとアッパーを連打するように左の短剣を幾度も繰り出す。悪鬼然とした重甲冑のあちこちから火花が散るものの、装甲を貫くことはかなわない。


 ならばと女怪異が装甲の隙間――脇や関節の内側、下腹部を狙うも、

「金玉狙うンじゃねえよっ!! ヤれなくなるだろうがっ!!」

 甲冑戦闘(アーマードバトル)を練っているアイヴァンは体捌きで刃を装甲に当てさせて防ぎ、反撃の間隙を掴む。


 荒れ狂う嵐のように繰り出されるメイス。当たろうものなら肉体が確実に損壊する鋼の暴虐。

 髪を振り乱してメイスの暴風を避け、女怪異はマチェットや短剣を振るって払い除ける。穂先や刀身から幾度も幾度も火花を咲き散る。


 女怪異は逆袈裟に駆け昇るメイスを屈んでかわす、もアイヴァンの強烈な蹴撃に捉えられた。肉を打つ轟音が密室内に響く。

 水切り遊びの小石みたいに床を撥ね転がっていく女怪異。


「――そうだ。子供が出来てから全然ヤらせてくれなくなっただろっ! 子供は2人で十分でしょ? バッカヤローッ! 子作りとかカンケーねーンだよっ! 単純にお前を抱きてーンだよっ! 察しろっ!!」


 怒り心頭のアイヴァンは分厚い盾とメイスを投げ捨て、めったに使わない騎士剣をしゃらりと抜いた。倒れ伏している女怪異へ向かって突撃していく。


 体勢を立て直せない女怪異は咄嗟に短剣を投げ、牽制を図る。

 が、Sランク重甲冑をまとうアイヴァンは、防御も回避もしない。短剣では貫かれないと分かっているのだから、防ぐことも避けることも無用。アメリカ軍の戦車が日本軍の戦車の放つ貧弱な砲弾をはねのけるように、短剣を撥ね飛ばしながら傲然と前進。女怪異へさらに速度を上げて突進。肉厚の刀身を振り上げながら叫ぶ。


「お前のことをっ!! 今でもっ!! 俺は――」


 女怪異は膝立ちしてマチェットを両手でかざし、防御を図る。

 一分の迷いも葛藤もなく振り下ろされる騎士剣。


 どれだけ脂に塗れようと刃こぼれしようと、力いっぱい叩きつければ肉も骨もぶった切る肉厚刀身の斬撃は、マチェットを枯れ木のように叩き割り、そのまま女怪異の滑らかな肩口から左乳房の辺りまで深々と埋まった。


 どす黒い液体が女怪異の――妻に酷似した顔の口と鼻腔から溢れ、傷口からばしゃりと噴出する。


 アイヴァンは剣を抜くとその場に放り棄て、妻に酷似した怪異を腕に抱く。愛してやまない女と同じの顔と双眸から、殺意と敵意と害意の光が消える様を見届けた。


 女怪異は息絶え、肉体の崩壊が始まり、塵のように消散していく。愛する女と同じ姿が腕から消え去っていく。


 その様をただ黙って見つめるアイヴァンの顔は、悪鬼然とした兜に覆われて誰にも分からない。かつての妻の姿をした化物を斬殺した彼の心情を図ることは、誰にもできない。

 ただ――俯いた顔を覆うバイザーの目元から真っ赤な雫が垂れ落ちていた。


     ○


 セレン・グレイウッズが目覚めると、傍らでアイヴァンが胡坐を掻いていた。

 兜を脱いでいて、顔の右側が赤黒く腫れ上がっており、ただでさえ子供が見たら泣き出しそうな凶相がさらに酷くなっている。


 翠眼を幾度かパチクリさせ、セレンは問うた。

「顔が酷い。何があった?」


「オメーが寝てる間に面倒があったんだよ」アイヴァンは人生の何もかもに疲れ切った老人みたいに応じ「それより何とかしろ。出口が無くてどうにもならねェ」


「出口がない?」

 セレンは猫みたく周囲をきょろきょろ。

「ホントだ。何もない」


「だからオメーが見つけてくれ。俺にゃあどうにもならん」

 怪我の痛みを堪えながら言葉を編むアイヴァンの様子は、普段の傲岸不遜さ傲慢さが見られず、ただただ疲弊していた。セレンは再び翠眼をパチクリさせ、珍しく眉根を寄せて訝る。

「……大丈夫?」


「そりゃクソ痛ェよ。痛すぎて泣いちゃいそうだよ。だけど、とりあえず今は出口を見つけろ」

「分かった」

 セレンはこくりと頷き、何もない密室を見て回り、床や壁を調べ、天井を見上げる。そして部屋の真ん中に立ち――

「ロッフェロー」


「なんだ」

 心身ともにクタクタのアイヴァンは腰を上げずに応じた。


「ここ、出口」

 何もない壁を指し示しながら言い、セレンは続けて反対側の壁を示す。

「こっちに隠しルート」


「はあ? つまりこの先にまだなんぞあるのか」

「ん。なんぞある」

 どうする? 問うようにエメラルド色の瞳を向けてきた。アイヴァンは痛む顔を押さえながら問い返す。

「この部屋からいったん撤退して再チャレンジってのはダメなんか?」

「そうすると、また上から落ちてこないとダメっぽい」


 セレンの説明にアイヴァンは嘆息し、言った。顔が酷く痛いし、心が萎えてるし、考えることが面倒臭い。もうなり行き任せで良いや。どう転んでも何とかなるだろ、多分。

「好きにせえ。進むも退くもオメーに任せる」


「分かった。じゃあ進む」

 小気味良いまでの即断即答だった。負傷したアイヴァンを慮る素振りすらない。


 ぶつぶつと呪文を唱え始めるセレンを眺めながら、アイヴァンは思う。

 そこは俺を気遣うところじゃねえの……?


 げんなり顔のアイヴァンを余所に、先ほどセレンが示した壁に幾何学文様の魔法陣が生じ、ゴゴゴゴゴと壁が開いた。

 アイヴァンは溜息混じりに腰を上げ、億劫そうに盾を担いで開いた壁の許へ向かう。

 開かれた壁の先には石造りの通路が設けられていて、数十メートルほど先には扉があった。


「行こう」セレンがすたすたと通路へ進んでいき、

「しゃあねえなあ」アイヴァンは再び嘆息をこぼして後に続く。

 その足取りは酷く重い。

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他作品もよろしければどうぞ。

長編作品

 転生令嬢ヴィルミーナの場合。

 ノヴォ・アスターテ

 ラブロード・フレンジー(完結)


おススメ短編。

 スペクターの献身。あるいはある愛の在り方。

 1918年9月。イープルにて。

 モラン・ノラン。鬼才あるいは変態。もしくは伝説。

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― 新着の感想 ―
憎悪と怒りを燃やしているのにそれを貫通してくるのエグすぎる… ロッフェロー卿の強化イベント欲しくなるわ そうなると世界の終わりが近づきそうだけど
面白いが哀しいねぇ。せめてモンスター抱けたらなあ。夜の肉体言語勝負!意味深、ノクターンで
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