29:学院編:僕の悪い予感は外れてくれない。
中層深部セーフエリア。
装備こそ雑多なれど衣装は黒で統一された少年少女達が、悄然と石畳に座り込み石壁に背中を預けていた。少年少女達の少なからずは髪の毛がチリチリになっていたり、顔を火傷して肌赤くなっていたり唇が腫れていたりしている。
そして、少年少女達は恨みがましい目でじろーっと一人の少女を睨んでいる。
金髪ショートヘアに翠眼の美少女セレン・グレイウッズは石畳に正座させられており、拗ねたように唇を尖らせている。そんなセレンを取り囲む冒険者クラン『幼獣団』のパパママとお兄さんお姉さん――すなわち団長アイヴァン・ロッフェローと副長アーシェ・クルバッハ、それに各班長達はこれ以上ないほど激おこぷんぷん丸(古代言語)であった。
「お前な、アルテナ閣下の御係累じゃなかったら面の形が変わるまでぶん殴ってるぞ」
そこらの小娘の胴回りより太そうな腕を組み、アイヴァンが怒気を放つ。
「私は団の前進に貢献した。怒られるのはおかしい」
不貞腐れ顔のセレンが抗弁すれば、アイヴァンは悪人面に青筋を走らせた。
「おかしいことあるかバカッタレッ! いきなりド派手な魔導術ぶっ放しやがって! 見てみろ! 団の半分がチリチリパーマのタラコ唇になっちまったじゃねーかっ!」
「治療の必要もない程度。問題ない。怒られる理由にならない」
「そりゃ結果的にだろっ! 俺ぁ結果じゃなくて始まりと過程の問題を言ってんだよっ!」
「物事は結果が大事ぞ?」
猫のように小首を傾げるセレン。可愛いくて余計に腹が立つ。
「ああああああああああああああっ!! 通じないっ! この子、話が通じないっ! なんでかなーなんでかなー話が通じないかなーっ!! 困っちゃうなーっ!! どーしたらいいんだろーなーっ!!」
悪鬼染みた全身甲冑を着こんだ身長2メートル弱の大男が、喚き散らしながら地団太を踏み始める。一言でいって、絵面がヤベェ。
癇癪を起こした幼児の如く振る舞う筋肉ゴリラに周囲は唖然茫然、もしくはドン引き。アーシェに至ってはヒステリーを起こしたアル中を見るような眼差しを向けていた。
そうして頭へ血が昇り過ぎて逆に冷静さを取り戻し、アイヴァンは遠い目をしてぽつりと呟く。
「人間は分かり合えないんだなぁ……」
「す、少し休んだ方が良いぞ」
突如達観したアイヴァンに班長達がぎょっとし、前衛班長と偵察班長がアイヴァンを脇へ押していく。優しさが切ない。
兵隊達に介護されるゴリラを横目に、幼獣団のママ役アーシェは眉間を押さえて深々と溜息を吐き、
「今後は何かやる前に必ず相談と連絡をしなさい。貴女がお偉いさんの身内だろうと関係ない。此処では私達の指揮系統に服従しなさい。良いわね?」
殺気が宿った目をセレンへ向けた。
「矢が飛んでくるのは前からだけとは限らないわよ」
「分かった。任せて」
無表情に頷き、グッとサムズアップを返すセレン。
アーシェは美貌を苦々しく歪めて思う。
あのエロゴリラの関係者はどうしてこんな面倒臭い奴ばかりなのよ……っ!
○
セーフエリアを拠点にモンスターを狩りまくって稼ぐ、と口で言うことは簡単だ。ゲームやアニメでもさらっとやってる。
だが、実際には途方もない苦労を伴う。肉体労働に従事する人間は一日に2リットル以上の水と3000カロリー以上の食事を必要とし、必ず排便する。
アイヴァンの『幼獣団』は二個小隊相当の人数がいるから、たとえばダンジョン内で三日過ごすにも400リットル弱の水と大量の食い物、二個小隊×3日分の排泄物処理を考慮しないといけない。なんせダンジョン内は穴掘ってそこにウンコを埋める、と言ったことが出来ないのだから。
つまるところ、物語では描かれない現実的生活臭の漂う部分が一番面倒臭い。
団員達が仕切りをこさえて便所を作り、魔石の欠片で排便を焼尽させる。
「金の掛かるウンコだ」
「だからってクソの隣で飲み食いと寝泊まりしたくねーよ」
「よく言うぜ。ドブ川の隣に住んでるくせに」
「テメーもだろ、幼馴染。ダンジョン内の方が清潔とか泣けるよな」
スラム暮らしの少年兵士達がそんなことを話す他方、班長達が口を酸っぱくしていう。
「ダンジョン内で盛るなよ。キスくらいなら見逃してやるが、ヤッてるところ見つけたら、首に『ボクは発情期です』って看板をぶら下げるぞ」
幼獣団の団員達は思春期真っ只中のホルモンギンギンムラムラな少年少女なので、ダンジョン内という危険な空間の吊り橋効果も手伝って盛り上がっちゃうパターンが『稀によくある』。
アイヴァンは団内の恋愛について「好きにしろ。仕事をきっちりやる分にゃあ“ビバヒル”やっててもかまやしねーよ」と放任していた。どうせ禁止しても隠れてイチャイチャしよるに決まっているのだから。
ちなみに異世界であることを抜きにしても、今時の若者は『ビバリーヒルズ青春白書』なんて知らない(伝説的なアメリカの青春ドラマ。主人公達仲良し男女グループはグループ内で頻繁にくっついたり別れたりを繰り返し、穴兄弟竿姉妹だらけになる泥沼展開で有名)。
「やれやれ。歳は大差ねェのに、俺らは引率の教師みたいだな」
「フケ面のおめーにはぴったりだ」
中衛班長がぼやき、前衛班長がからかう。
移送班が飯を作り始めた。といっても、小麦を練ったすいとんモドキに干し野菜と干し肉のシチューで、味や栄養バランスよりカロリー量を重視したものだ。なお、一杯辺りの具の量は厳密に平等だ。ここで多かったり少なかったりするとガチで血を見ることになるから、アイヴァンやアーシェが監督する。
アイヴァンがごった煮染みたシチューを食らっていると、警備組の伝令がやってきた。
「他所のクランが来ました。マカフィの“銀の狼旅団”です」
「分かった。挨拶に行く」
アイヴァンは腰を上げ、二人ほど連れてセーフエリアに現れた他所の冒険者グループへ挨拶に赴く。
冒険者稼業は自営業、個人稼業を謳っているけれど、実際に個人でやっている奴はほとんどいない。そもそも組合が存在する時点で、個人や数人でちまちま稼ぐなんてアホのやることだと察せられよう。
史実ベースで言えば、中近世の欧州で暴威を振るった傭兵達も個人で動いていた連中は少数派で、大抵は同郷の食い詰めた連中が集まって活動していたし、スイス傭兵に至っては部隊派遣である。
そもそも組合の酒場で初顔合わせした連中同士が命を預け合って、なんて絶対に上手くいきっこない。それこそ創作物の中だけだ。アイヴァンが初めてダンジョンを潜った際にしても、結局は学園の紹介に頼った辺り、そういうことである。
想像してみれば良い。
貴方が勤め人なら、出向先で出会ったばかりの名前もよく知らない連中と、ろくに相互理解も図らず仕事がまともに回せられるか?
貴方が学生なら、意地悪なウェイウェイ系や空気の読めないボケオタクのために命を懸けられるか? 腐れヤンキーと組んで背中を任せられるか?
貴方が女性なら、初めて出会った男達と一緒に無法の地へ赴き、安心して雑魚寝できるか?
だから、挨拶を交わす必要がある。相手が“マトモ”かどうか図るために。
「マカフィ殿。お疲れ様です」
アイヴァンはプロレスラー染みた体躯を持つ中年男へ丁寧に挨拶する。年齢と経歴への敬意が3割、面倒事を避けるための礼儀が7割だ。この辺り、前世勤め人のアイヴァンは卒がない。
現状、アイヴァンは男爵家推定相続人でしかないが、世間的には既に男爵と見做されているし、幼獣団は私兵部隊と思われている。
なので、アイヴァンから敬意を払われることに対し、有名クラン頭目のマカフィは悪い気がしない。なんせ周囲から『男爵から丁重に扱われる男』という風聞はプライスレスだから。
「これはロッフェロー卿。御挨拶いたみいります」
王都ダンジョン『オルタミラ遺宮』で活動する冒険者クラン『銀の狼旅団』の頭目(40名を率いてる)もまた、丁寧に応じた。
もっとも、背後の団員達は殺気のやり取りに近いガンの飛ばし合いをしているけれど。
アイヴァンは丁寧な姿勢を崩さず問いかける。
「マカフィ殿もここを拠点に狩りですか?」
「いえ、小生のクランは下層まで潜ります。近頃は軍から稀少素材の要請が多くてね。ロッフェロー卿は御存じありませんか?」
「恥ずかしながら我が団は下層まで潜る実力がありませんのでね。稀少素材の収穫などと高難易度の依頼はこなせません。マカフィ殿の団のような実力を早く身につけたいものだ」
「はっはっは。そう褒めていただいても何も出せませんぞ、ロッフェロー卿」
マカフィは快活に笑い飛ばしつつも、まったく笑っていない目をアイヴァンに向けた。
「ところで、ロッフェロー卿。ここまでの道中に階層ボスと遭遇しましたか?」
「ええ。浅層でツインズ、セーフエリアの手前でピンク大蜘蛛の二回」
「ふむ……」マカフィはがっしりした顎を撫でながら「こちらはここまで潜ってくる間、一度も階層ボスと遭遇しておらんのです。それはそれで楽でしたがね」
階層ボスの出現頻度はランダム性が高い。浅層一階で突然出没し、初心者や低レベル者を大虐殺した事例もある。とはいえ、だ。中層深部まで一度も階層ボスと遭遇しない、なんて確率は宝くじでバカ当たりするくらいあり得ない。
「経験上、こういう時は“よくない”ことが起こり易い。気を付けなされよ」
「御助言ありがたく。武運を祈ります」
「そちらにも」
去っていくマカフィと『銀の狼旅団』を見送り、アイヴァンは供の団員達へ告げた。
「アーシェと班長達、それからセレンを集めろ」
アイヴァンは凶相の眉間に深い皺を刻んでいた。
なんせ自分にツキがないことを自覚している。
あのヤギの吐いたゲロ以下の腐れ神に祟られてファッキン転生をさせられたのだから、折り紙付きだ。マカフィのいう『よくないこと』に出くわす確率は、雨の日に外へ出たら濡れることと同じくらい確実に違いない。
――クソがよ。
アイヴァンは口の中で悪態を吐き、団員達の許へヒグマのような足取りで戻っていく。
○
「ダンジョン内で階層ボスと遭遇頻度が減少した場合、普段より強力な階層ボスが登場し易い」
気まぐれな猫みたいなセレンが滔々と語る。
「倒せば高純度の魔石と高ランクのドロップが期待できる。がんばれ」
無表情のままグッとサムズアップ。
「……ぶっ飛ばしてぇ……」
イラッとしたアイヴァンを周囲が宥める中、アーシェが処女を前にしたレイプ魔みたいな目つきでブツブツと呟き始めた。
「高純度魔石に高ランクドロップ……何としても倒さないと……」
「アーシェ先輩がいつもの病気だ」「おい、止めろ。ヤベェことになるぞ」「あたしに死ねって言ってんのっ?」
班長達がぼそぼそと小声で話し合う傍ら、アイヴァンは分厚い手で顎を掻きながら言った。
「そのなんちゃら階層ボスとやらが魔法主体なら俺が盾になって戦えば済む。が、物理主体だったらズラかるぞ」
「戦わないの?」稼がないの? と聞こえる声音でアーシェが質す。目つきがヤバい。
「欲に目が眩んでんのか?」アイヴァンは呆れ気味に「ヤベェの相手にしてデカい損害を被ったら大赤字だろーが。堅実にやんだよ、堅実に」
「むぅ……」これにはアーシェも反論を返せない。周囲の班長達がホッと安堵の息をこぼす。
アイヴァンは『幼獣団』幹部達を見回し、念を押すように告げた。
「大休止が終わり次第、ヘータイ共にしっかり支度させて、お前らの目できっちり確認しろ」
で。
筋肉ゴリラが率いる幼獣団は、セーフエリアから中層深部を二階ほど下ったり昇ったりを繰り返し、出くわすモンスターを片っ端からぶち殺して回る。魔石とドロップアイテムを移送班の荷車へぶち込んでいった。
俗っぽく言えば『レベルが上がった』のか、団員達の狩りが徐々に安定していく。
アイヴァンはへし折れた手斧を棄て、ドロップアイテムのメイスを腰の装具ベルトへ差し込みつつ思う。
――やっぱり、こいつらが今後の根幹要員になる。が、こいつらの目的があくまで銭といっても、貴族子弟の班長共は御家事情やら何やらで抜けるかもしれねェし、俺が目論むナチも真っ青の悪さに反発して離脱することもあり得る……
どす黒い悪意的計画を弄びつつ、アイヴァンが戦闘後の小休止をする団員達を眺めていると、傍らのアーシェが眉をひそめた。
「なんで人の内臓を食いたそうな顔してるの?」
「どんなツラだよ」
アイヴァンは鼻を鳴らし、重甲冑で包んだ太い腕を組みながら言った。
「例の演習のことを考えてただけだ。かったりィなってよ」
「あんたがどんな目に遭おうと構わないけど、団を面倒事に巻き込むことは止めてよね」
「おめーは、団長お疲れさま、おっぱい揉む? くらい言えねェのかよ。たまにはその乳を有効活用しろや」
「バカじゃないの? バカじゃないの?」
アイヴァンの下品な悪態へ、アーシェもまた蔑みを溢れるほどこめた悪罵を二度も繰り返す。幼獣団のパパとママは今日もとっても仲睦まじい。
「ボス」若いヘータイがやってきて「セレンさんがボスを呼んでます」
「嫌な予感がするのは俺だけか?」凶相を歪める筋肉ゴリラ。
「……」美貌をしかめるアーシェ。
伝令に案内され、アイヴァンがセレンの許へ向かえば、金髪ショートヘアの気まぐれ猫娘は屈みこんで床の石畳をじっと見つめていた。
その姿に、アイヴァンは不意に前世、幼かった頃の子供達が脳裏をよぎる。公園や自宅の狭い庭でまだ幼い子供達は、大人の自分には分からない何かが確かに見えていたようだった。いや、かつて幼かった頃の自分も我が子達と同じものが見えていたのかもしれない。
郷愁と懐古の情念がクソ神とクソ転生者と今生に対する憤怒と憎悪を強烈に掻き立てた。叫び暴れ出したくなる衝動を必死に堪えながら、アイヴァンはセレンへぶっきらぼうに尋ねる。
「件のダンジョンギミックでも見つけたか?」
「ん。その通り」
セレンは顔を上げることなく無表情に頷いた。
「私の知見と経験に基づくなら……“これ”を作動させれば、隠しルートが明らかになる」
「それ、いつぞやみたくデカチンのヤギ頭みたいなモンスターが出てくンじゃねーだろうな?」
アイヴァンの質問にセレンは顔を上げて頷く。
「多分」
「……まあ、今回はきちんと事前にホウレンソウしたことは評価する」
仏頂面を浮かべながらアイヴァンは周囲を見回し、団員達へ告げた。
「お前らは下がれ。前衛組はシールドラインを組んで後衛は援護射撃の用意だ」
「ロッフェローはどうするの?」偵察班長の貧乏貴族令嬢が問えば。
「この猫娘を護らにゃマズいだろ。ヤバそうなら抱えてお前らの元まで退避するから援護しろ」
アイヴァンが心底嫌そうな顔で説明すると、団員達は納得して通路の端まで後退。前衛班が盾でシールドラインを築き、アーシェが式する後衛班が弓や弩銃を構え、中衛班と偵察班が後方警戒につく。
「準備いいぞ!」
前衛班長が声を張り、アイヴァンがセレンへ頷く。
「やっていいぞ」
「ん。では遠慮なく」
セレンは石畳の一つに手をかざし、ぶつぶつと小声で唱えた。
呪文なのか暗号なのかアイヴァンには分からない。が、直感的に察した。
ぜってェ面倒事だろ。
そして、その予感は―――
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