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社長秘書に甘く溶かされて  作者: 永久保セツナ


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第10話 裏切り者を探せ

『真奈美さん。今度の休日、僕と出かけませんか』


 それは鷹夜からのデートの申し込みであった。

 彼氏とデートなんて何度も重ねていて今更のことではあったのだが、今回ばかりは事情が違う。

 何しろ、鷹夜がライバル企業の社長秘書であることが発覚してから初めてのデートなのだ。


「気持ちは嬉しいですけど、今、私たちは……」


 通話しているスマホを握る力を無意識に強めながら、真奈美は気後れしてしまう。

 もし、外出してその様子を関係者に見られたらどう思われるか?

 それは彼女の保身のためのみならず、鷹夜を守るためにも考えなければいけないことだ。

 そう思うと、どうしても乗り気にはなれない。


『承知しております。ですが、真奈美さんと一度、じっくり腹を割って話したくて』


 電話の向こうで鷹夜は真剣な声音を出している。

 真奈美が「私たちの疑いが晴れるまでは、しばらく会わないほうがいい」と彼に告げて、最後に会わなくなって1週間ほど経っていた。

 ちなみに鷹夜は3日でギブアップし、仕方なく電話のみOKということで妥協している。


『まだ外出できないようでしたら、真奈美さんか僕の家で話し合い、できませんか?』


「いや、直接会ったら意味がない、って話なんですけど……」


 真奈美も鷹夜が懸命に会いたがっている気持ちは分からないでもないつもりだ。

 彼女自身、企業同士の諍いでこうして彼に会えないことには理不尽を感じているし、会えるものなら今すぐデートの約束を取り付けて家を飛び出したい。

 だが、これも鷹夜を守るためなのだ、と再三説明したことを、また繰り返し彼に言い聞かせる。


『……わかりました……』


 そのしょぼくれた声を聞くと、ウッと罪悪感に囚われた。きっと電話の向こうで尻尾をだらりと下げてしょんぼりしている犬みたいな顔をしているのだろう。想像すると可愛いのだが、こちらの良心が痛む。


「とにかく、問題が落ち着いたら、また会いましょう。私も鷹夜さんに会えるの、楽しみにしていますから」


『本当ですか……?』


 その、飼い主に恐る恐る期待を寄せる子犬みたいな声をやめてほしい。真奈美は胸が苦しくなってきた。

 鷹夜との通話を切り、スマホのロック画面に設定した、ふたりで撮った観覧車からの夜景の写真を見てため息をつく。

「問題が落ち着いたらまた会いたい」というのは決して嘘ではない。ただ、その「問題が落ち着く」のはいつになるのか、という話だ。

 世界屋製菓とマルナガヤの対立は一向に解消する気配がないし、そもそも誰かが問題解決のために奔走しているわけでもない。真奈美のような平社員の一個人がどうにかできることでもないのだ。

 どうやったら解決できるのか、と考えると……。


「私が世界屋製菓の内部にいる裏切り者を見つけ出すくらいかな……」


 もちろん、そんなことは簡単にできるものではない。

 世界屋製菓だって何千人もの社員を抱える大企業だ。その容疑者の中から犯人を見つけるのは容易なことではない。

 おまけに、あまり考えたくはないが……犯人が仮に上層部の人間だったらどうすればいいのか?

 真奈美が嗅ぎ回っていると知れたら、排除されるのは孤立無援の彼女の方である。

 電車に揺られ、会社に着いても、「うーん……」と悩んで午前を過ごした。

 幸い、彼女がウンウンと唸り声も出しても、腫れ物に触るような扱いを受けているので、社員は訝しみこそすれど、関わらないようにスルーしてくれる。


「何か悩んでるんですか、冴原さん?」


「うわぁビックリした!」


 声をかけてくれたのは後輩の長谷川だった。

「もうお昼ですよ」と言いながら、彼は真奈美のあとを追って食堂までついてくる。

 その姿は忠犬……いや、人に懐いてどこまでもあとをついてくる子犬のようだ。


「はあ、彼氏さんと上手くいってない……いや、それはそうか。あんなことがあったらそうホイホイとは会えないですよね」


 長谷川は味噌ラーメンをすすりながら真奈美の話に耳を傾ける。

 ちなみに真奈美はチキンカレーを食べていた。


「どうにか事態が落ち着いたら……とは思ってるんだけど、いつになるやら、だよね」


 こうして言葉にして状況を整理すると、改めてこれはおおごとだ、と思ってしまう。

 しかし、ため息をつきながらカレーを一口食べて、あ、これ美味しい、と思う程度にはまだ心に余裕がある真奈美であった。それも、社内で長谷川が唯一味方してくれるおかげかもしれない。


「俺は冴原さんとこうして過ごせるから、このままでもありかなあ、とは思っちゃいますけど……ダメですよね、俺。みんなに仲間外れにされてる冴原さん、大変なのに……」


 長谷川はラーメンをすすりながら、しばらく考えたあと、ためらうように口を開ける。


「俺にも、手伝わせてください。俺みたいな平社員に何ができるか分からないけど、冴原さんの力になりたいです」


「ありがとう、長谷川くん。私も、何から手を付ければいいか分からないけど……」


「じゃあ、とりあえず居酒屋で作戦会議します? ここだと誰が聞いてるか分からないし……」


 長谷川は声を潜めて、チラチラと周囲を確認するように視線を飛ばした。まるで、今この瞬間もスパイが真奈美たちの会話を盗み聞きしていると思っているようだ。真奈美はその芝居がかった仕草にクスクスと笑いながら、「うん、仕事終わったら飲みに行こうか」と約束し、昼休みを適当に食堂で過ごしてから同じオフィスに戻った。


「――というわけで、今後どうするか第1回作戦会議」


 居酒屋の個室に入った真奈美と長谷川は、席に向かい合い、ビールジョッキを片手に語り合う。


「まずは、冴原さんの話をまとめると……世界屋製菓の中にスパイがいるってマジですか……?」


 長谷川はごくりとつばを飲んだ。自分たちのすぐ隣の席に、もしかしたら自社の情報をマルナガヤに売り渡している同僚がいるかもしれない……それを考えると、彼もただごとではないと理解したようである。


「それで、私と長谷川くんでその犯人を突き止めるか、もしくは世界屋製菓とマルナガヤの確執をなんとかするしかない……かな……」


「いやいや、平社員ふたりでふたつの企業の仲裁は普通に考えて無理でしょ。犯人を突き止めるったってなあ……」


 ふたりで思わず頭を抱えてしまう。状況は思った以上に深刻だ。


「数千人の容疑者の中から犯人を見つける、か……。しかも、ひとりとは限らないですよね?」


「もしかしたらね」


 真奈美はうなずく。自分たちはなにか途方もないものを相手にしている気がした。


「うーーーーん…………とりあえず、飲みましょっか!」


 生ビールが頭に回った長谷川は思考を放棄した様子で、真奈美は思わず苦笑する。

 もともと協力してくれる人がいることにも期待していなかったのだ。話を聞いてくれる相手ができただけ良しとしよう。

 真奈美もジョッキを手に、長谷川と乾杯して2時間を過ごした。


 ――問題は、そのあとである。

 真奈美は目の前の光景に唖然とした。

 自室の天井についた電灯が逆光となり、鷹夜の顔は暗く影になっている。


「鷹夜、さん……?」


 彼は狼のような眼光で、真奈美に覆いかぶさるように見下ろしていた。


〈続く〉

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