26話 強襲(1)
『2040/11/1(水) 14:32:13.18 『英雄亡霊グレイ』より
仮想現実を体感されている皆様
仮想世界をいつもご利用頂きありがとうございます。
『英雄亡霊グレイ』です。
真に申し訳ないのですが、ただ今仮想現実上でバグが発生いたしました。
このバグにより現実への帰還が現状不可能となりました。
バグの修正をこちらで行う予定はございません。プレイヤーの皆様が各自行って頂く形となっております。
詳細のメールは後程送らせて頂きます。
皆様、死なないよう十分お気を付け下さい。
ご健闘を祈ります。
英雄亡霊グレイ』
「えっ……?」
「な、なんだ。これ……?」
「お、おいっ……!? 本当にログアウト出来なくなってるぞっ……!?」
彼らは『天に昇る塔』の攻略プレイヤーたちだった。
塔の中を探索している中、彼らに……いや、彼らは知ることが出来ないが、このゲームの全てのプレイヤーに『英雄亡霊グレイ』と名乗る者からメールが届いた。
仮想世界からのログアウトが不可能となったことを告げる奇妙なメール。
ただの変な悪戯メールと鼻で笑うことは簡単だが、実際にログアウトが出来なくなっているため皆の間に不安が流れる。
現実に帰れなくなっていた。
「お……おい、これ、どうするんだ? ダンジョン攻略どころじゃないだろ……?」
「い、いや……ただの不具合だろ……? すぐに運営がなんとかするだろ……」
ログアウトが出来ないなんて馬鹿なことは無い。有り得ない。ダンジョン攻略中の皆はそう口々に呟く。普通に考えて、そんなこと信じられるはずが無かった。
不安だけがその場を駆けずり回り、根拠のない憶測ばかりが飛び交った。
「常識的に考えろよ、常識的にっ! ログアウト出来なくなるなんて、まず有り得ないだろっ! 現実側でVRゴーグルを外せばそれだけで通信途絶えるんだから!」
「おいっ……! ちょっと待て! 何か妙な音が聞こえないかっ!?」
「……妙な音?」
下への階段から足音がした。
変だ。今、下には誰もいる筈がない。
攻略組はその進行速度から二つのグループに分かれていた。
先を急ぎ、無理をしてでも進行するグループ。
確実に、丁寧に攻略を進めるグループ。
今ここにいるグループは後者であり、その後ろには誰もいない筈だった。
なのに、下の階層から何者かが昇ってくる音がした。
「……誰?」
「……さぁ?」
「……まさか、『英雄亡霊グレイ』?」
誰かが当てずっぽうでそんなことを言った。
ごくりと息を呑む。
階段から、足音の主が姿を現した。
「……え?」
「……なんだ、こいつ?」
そいつは黒い鉄の鎧だった。
深い闇を纏ったような黒い鉄の鎧を被っており、その隙間から鉄で出来た人形が姿を覗かせていた。
2m半程の巨体。黒い鉄の人形が、同じ材質の黒い鎧を纏っている。間違いなく人間では無かった。
このゲームの高レベルプレイヤー達は誰もこのモンスターに心当たりが無かった。βテスト内のほぼ全てのモンスターと戦った彼らでさえ、この鉄の人形のことは誰も知らなかった。
何故だろうか、皆このモンスターに不気味さを感じていた。
何故かは分からないが鼓動が早まる。本能的に不吉さを感じていた。
「なんだ、このモンスター……」
「おい、誰か『鑑定』をかけてみろよ」
『鑑定』のスキルが発動する。
『狂魔 Lv; 60
HP 8000/8000』
「えっ!?」
「Lv.60……!?」
「嘘っ……!? 有り得ないっ……!」
βテスト内でのこのゲームのレベルキャップは35である。それは敵モンスターにも適応され、レベル35より上のモンスターが存在することは無い。
勿論、ボスモンスターなどはステータス自体が強化されており、プレイヤーのLv.35よりもずっと強いのだが、それでもLv.35より上に設定されることは無かった。
しかし、この『狂魔』とかいうモンスターはLv.60もあった。
Lv.35より上のモンスターに出会ったことがあるのは、この塔の地下で『アームズ・トロール』に出会ったことのあるプレイヤーのみ。この場ではガスロンだけだった。
周囲は混乱した。
「な、なんなんだ!? こいつ!?」
「Lv.60なんて……なんかのバグなのかっ……!?」
「騒ぐなぁ! お前らぁっ! こんなモンスター、ぶっ倒せばいいだけだろうがぁ!」
「そうだ! 何も慌てる必要はねぇっ!」
誰もが平常心ではいられなかった。
有り得ない状況がいくつも重なり、正常な判断が出来なくなっていた。
慌てる必要が無いと叫ぶ男もまた、自分で気付かぬ内に冷静ではいられなくなっていた。
「喰らえぇっ!『グランド・ストロングスラッシュ』ッ!」
《Action Skill『グランド・ストロングスラッシュ』》
男は黒い鎧『狂魔』というモンスターに突撃していった。アクションスキルによって攻撃力が強化された上段斬りを放つ。
しかし、それはあっさりと『狂魔』に弾かれる。いつの間に鞘から抜いたのか、黒い剣が一瞬のうちに振るわれる。男は『狂魔』の剣の動きがまるで見えなかった。気が付いたら自分の手から剣が弾き飛ばされていた。
「え……?」
こんな速い動き見たことない。こんな速く剣を振るうモンスターなんていなかった。男がそう考えている内に、『狂魔』はもう一度剣を振った。
男の袈裟が斬られる。血が飛び散った。
「あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁっ!? い、い゛てえ゛えええぇぇぇぇっ……!?」
「えっ!? 血……!?」
「痛い……のかっ……!?」
男は袈裟を斬られ、血を撒き散らしながら悶絶した。
痛みで叫びながら、床を転げまわった。
ゲーム中では過度な刺激は発生しない。痛みは制限されているし、血が噴き出るという事はこのゲームでは有り得ない。
それなのに、『狂魔』に斬られ男は確かに悶絶し、痛みに打ち震えていた。
「なんでっ!? なんでなのっ!?」
「本当に痛いのかっ……!? 本当に血なのか……!?」
「おいっ! お前っ! 逃げろっ……! 逃げるんだっ……!」
「えっ……?」
その男が痛みで霞む視界のまま、なんとか上体を上げた時、『狂魔』の剣が振るわれた。
目にも止まらぬ高速の剣が横に一薙ぎされる。
その男の首が飛んだ。
「えっ……?」
「えっ……?」
「えっ?」
小さな疑問の声があちこちで上がった。
その男の肉体は操り人形の糸が途切れたかのように、ぐしゃりと倒れ込んだ。首は部屋の端まで飛んでいき、首からも体からも血が流れ出していた。
『死』。皆にその単語が過った。
……死? いや、そんなことはあるわけない。皆がそう思う。
このゲームではHPが0になると体が光に包まれ、一番最後にいた村の教会に戻される。
『死』などあるわけがない。
いつだって、どんなときだって復活が出来るのだ。
だから、HPを0にしたプレイヤーのことを全員が固唾をのんで見守っていた。
しかし、一向に体が光に包まれる様子はない。どこにも転送されない。男の目は見開かれ、受けた傷からは血が吹き出し、顔は歪んでいた。
死の形相だった。
誰もが直感した。ありえないと理性は訴えても、直感が確信した。
そして思い出した。『皆様、死なないよう十分お気を付け下さい』、先程の『英雄亡霊グレイ』のメールの文章を……。
彼は死んだ。死んだのだ。
もう戻ってこないのだ。
「うわあああああああぁぁぁぁっ……!?」
悲鳴が轟いた。部屋全体に絶望の叫び声が響き渡った。訳の分からぬ悪夢に囚われた者達の痛ましい気持ちがこの空間を一杯にした。
さらに追い打ちがかかる。
この塔の外壁が崩れた。外から叩かれ壊されたのだ。
外には大量の鉄の人形がいた。鎧は被っていない。階段からやって来た鎧の人形よりかは一回り小さい。
しかしそれが宙を浮かび、外壁を壊し、大量に部屋の中に雪崩れ込んできた。
『狂魔 Lv; 30
HP 1500/1500』
悪夢が彼らに牙を向いた。
* * * * *
「なんでだよっ!? なんで、村の中にまでモンスターが入ってくるんだよっ!?」
『天に昇る塔』から最も近い村『バルディンの村』もまた『狂魔』という謎の魔物によって襲われていた。
村の中は安全地帯。どんなモンスターも入ることは出来ない。その絶対の法則をいともたやすく覆し、『狂魔』は村の人々を襲い始めた。
村の中にいて完全に緩みきっているとはいえ、ここのプレイヤーは皆、高レベルのプレイヤーだ。無抵抗で殺されるということは無い。
しかし、それでも状況は最悪だった。
「誰かぁ! 誰か、助けてくえぇっ……!」
「嘘だっ! ログアウトできないなんて嘘だぁっ! 死ぬなんて嘘だぁっ……!」
もう既に何人かのプレイヤーが地に伏せ、血を流している。首から、胸から血を流し絶命している。それが他のプレイヤーたちの恐怖を増長させた。
かろうじて息のある者もいる。しかし、それを助けられるだけの余裕のある者は誰もいなかった。
《狂魔;Action Skill『エストガント流剣技・六の型・鬼舞』》
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁっ……!」
狂魔が技を放ち、逃げまどうプレイヤーの背を斬り裂いた。袈裟の方向を斬り、すぐに刀を返して袈裟切りの逆、斬り上げに移行する二連撃である。
プレイヤーは背から大量の血を流し、断末魔を上げ絶命した。
それを見た周囲のプレイヤーから連鎖的に悲鳴が上がった。
ゲーム内で死ぬなんてことはあり得ない。しかし、血に倒れ伏せた者達はどう見ても死んでいた。教会内での復活も無かった。
その肉体に命が無くなっていた。この光景を見ている者は、本能的にそれを理解させられていた。
敵が高レベル剣技の『エストガント流剣技』を使っている。
これも本来ありえないことの筈だった。
本来『エストガント流』というものは伝説の剣士グレイが使っていた剣技であり、魔物や魔族を屠るためにあるもの、という設定として扱われていた。
そのため、『エストガント流』の技を覚えるのはプレイヤーだけであり、いかなる敵も『エストガント流』を扱うことはない筈だった。
そういう設定として扱われている筈だった。
『エストガント流』は強力な剣技だ。それを敵が使うとなったら脅威であった。
「なんでだよっ!? どうしてこんなことになってんだよっ!?」
「俺はっ……! 俺はただゲームをしていただけなのにっ……!」
村のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
何十体もいる『狂魔』が村のあちこちで暴れまわっている。ここに現れた『狂魔』は、塔に現れた鎧の『狂魔』よりも一回り小さい。レベルも30である。
鎧の狂魔よりずっと弱い。レベルだけで言ったら、この狂魔達よりも強い者は多いだろう。
「嫌だぁっ! 死にたくないっ! 死にたくないよぉっ……!」
だけれどこれは最早ゲームではなくなっている。
痛みのある実践であり、命のかかった戦いだった。
そんなもの、平和を当たり前のものとして当然のように享受してきた現代人にこなせるはずがなかった。
命のかかった戦いなんて普通にこなせるはずがなかった。
「逃げろぉっ! 逃げるんだよぉっ! この村から逃げるんだよぉっ……!」
「きゃあっ……!?」
プレイヤーたちは混乱の極みの中、村の外に這い出ようとした。村の門へと人が走っていく。『狂魔』達もその背を追っていく。
そんな中、1人の女性プレイヤーが転んだ。
混乱の場の中、誰かに押され地に倒れた。膝を擦りむき、肘を地に打つ。こんな軽微な傷でも痛みで体の動きが鈍くなる。しかしそれは普通、当たり前の事であった。
でもこの場では致命的だった。
「えっ……?」
その女性に『狂魔』が迫っていた。
死の気配を携え、剣を振りかぶりながら『狂魔』が襲い掛かってくる。
女性の残りHPは少ない。この一撃で必ずHPは0になってしまう。この黒い鉄の人形は彼女にとっての死神だった。
「いやっ……! 誰かっ! 誰か助けてっ……!」
女性の瞳に涙がたまる。泣いてる暇なんてない。助けてくれる人もいない。それでも彼女は残り僅かな時間で、そうすることしか出来なかった。
人生の終わりを告げる刃が襲い掛かってきた。
「いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
彼女の涙が地面に落ちた。
「超すごいぱーーーーーんちっ!」
そんな気の抜けた声が周囲に響いた。
「えっ?」
「えっ?」
「……えっ?」
周囲から声が漏れた。疑問の声だった。
地に倒れた絶体絶命の彼女に気が付いているものは何人もいた。でも、助けている余裕なんてなかったし、あったとしても体が強張って助けに行けなかった。
そんな状況など、現代にはほぼあり得ないから仕方がない。
だから周囲の人たちは目を閉じた。目を逸らした。
しかし、聞こえてきたのは絶望の蔓延る戦場には似合わない気の抜けた声であった。
戦場を恐ろしい場だと思っていないような……安らぐ自分の家であると感じているような間抜けな声であった。
死を呼ぶ悪魔のような凶刃を男は軽く肩でいなし、そのまま『狂魔』を拳で殴り飛ばした。鉄と鉄がぶつかるような鈍い音がして、『狂魔』は数歩分吹き飛んだ。
目を閉じ、俯き、悲鳴を上げた女性も恐る恐る顔を上げた。
そこには灰色の髪の男性がいた。髪を後ろで束ね、少し女性的な顔つきをした男性が悠々と、何の緊張もなく、まるでこういう事に慣れているかのように『狂魔』と向き合っていた。
「大丈夫かい?」
「あれ……? え……?」
女性は自分が助かったことをまだちゃんと理解できていなかった。
ただ茫然と、夢を眺めるように自分を助けてくれた男を見上げていた。
その男は命のやり取りに慣れていた。戦いを日常とし、戦場においても何の気負いも強張りも無かった。じっと、命を刈り取るべき自分の相手を眺めていた。
グレイがこの場に姿を現し、反撃の狼煙が上がり始めていた。
戦いはまだまだこれからだった。
次話『27話 強襲(2)』は明日 12/21 19時に投稿予定です。




