24話 世界が変わる日(1)
「こんちわっす、江古田さん」
「あれ? 龍之介君? 今日は休みじゃなかったっけ?」
今日は11月1日の日曜日。
とある野暮用から、橘 龍之介はバイト先である『アナザーワン』の会社を訪ねていた。
世間一般では休日であるのだが、休日を休日と思われていない悲しい者たちは今日も元気に死んだような眼をしながら働きに出るのだった。
この会社『アナザーワン』は社員を痛めつけるようなブラック企業ではない。今日は『ティルズウィルアドヴェンチャー』のβテスト最終日であり、その調整のため忙しく、いつもより人が多いだけで、ちゃんと振替の休日は出る。
周囲の皆が死んだ魚のような目をしているように見えるのは、気のせいである。気のせいなのである。断じて気のせいなのである。
「いや、ここにちょっと忘れ物しちまっただけで、すぐお暇するっす。今日は『鮭』と遊ぶ予定あるんで……」
その言葉に周囲の死んだ魚たちが反応した。
「龍之介く~ん……。ね~……、一緒にお仕事しよ~よ~……?」
「ね~、龍之介く~ん……。働くことは……楽し~よ~……?」
「僕たちと一緒に……ずっと……ずっと……ず~~~っと、お仕事しよ~……?」
ゾンビが龍之介に詰め寄ってきた。
目の奥に光る輝きは、闇より深い業に囚われていた。
「うわっ……!? なにこれっ、怖いっ……! 帰るっす! 俺、すぐに帰るっす……!」
「あ、そうだ、龍之介君。ちょっと聞きたいことがあったんだ」
「なんすか!? 江古田さん! いま俺、リアルのモンスターに襲われてんすけどっ……!?」
龍之介は逃げ惑っていた。
ここで捕まったら、自分も仕事という深い沼に引き摺り込まれてしまうからだ。
「渋川君から何か連絡受けてない?」
「……え? 渋川さんっすか……?」
龍之介が目を丸くした。
「うん、今朝から連絡がつかなくなっちゃって……。家にもいないみたいだし、誰も何処行ったか知らないし、忽然と消えたようにいなくなっちゃったんだ」
「……それって、行方不明……?」
「うーん……。でも、たった半日で警察に連絡するのも違う気がしてねぇ……。まぁ、彼もいい大人だ。何か理由があるだけで、すぐにひょこっと出てくるだろう」
「……ちょっと心配っすね」
「1日経っても連絡が付かなかったら警察に行こうかな……。ま、でも、きっと大丈夫だと思うよ!」
江古田は朗らかな笑顔に戻り、社員の皆の不安を取り除こうとする。
しかし、まだ、誰も知らない。
渋川が仮想世界の化け物に殺されてしまったことを。
そんなこと、夢にも思わなかった。
そして今、悪夢が密やかに目覚めようとしていた。
* * * * *
「それじゃあ、ガスロン君、ベルナデットちゃん、気を付けてね?」
「はっはっは! 楽勝さ! これだけ大規模の攻略なんだ!」
「そうやって油断して、真っ先に死ねばいいわ、ガスロン」
酒場は大勢の人で溢れかえっていた。
戦いの前の緊張と高揚で、空気そのものが熱くなっている。日常の陽気さのない、雰囲気の異なる熱気に満ち溢れていた。
今、時刻は13時。昼のこの時間で酒場に何十人と集まっているのは珍しかった。
僕――グラドとクロさんはガスロンさん達の様子を見に来た。
「あれ? グラドにクロちゃん? こんなところでどうした?」
ガスロンさんが僕たちを見つけた。
「なんとなくさー! 皆の顔を見に来ただけさー!」
クロさんが手を高く上げ、ぴょこぴょこ跳ねながら返事をした。
話は聞いている。今日は高難易度ダンジョン『天に昇る塔』の大規模攻略作戦が行われるのだ。この酒場に集まっているほとんどの人が、攻略作戦のメンバーなのだろう。
前に僕が背負い投げして崖下に突き落とした人もいる。あ、目を背けられた。
「駄目だぜ? グラド、クロちゃん。今日のダンジョンには連れていけねーよ? ここにいるのはみんなLv.30前後の馬鹿野郎だけだ」
「ガスロンさんのレベルは?」
「35。しっかりレベルキャップだぜ」
レベルキャップ。
それは強さを表す指標であるレベルの上限値だ。
ガスロンさんはこれ以上強くなれないのだろうか? そんなこと無いと思うんだけどなぁ?
「あんたたち、バグに巻き込まれたLv.1の奴らでしょ? 攻略に参加するには全然レベル足りてないでしょーが?」
ベルナデットさんに声をかけられる。
彼女はキョウさんとガスロンさんの幼馴染らしい。会話したのは酒場での一回だけだ。
「いや、ベルナデットさん、さっきも言った通り、ただなんとなくここに来ただけなんだ」
「……ただの冷やかしじゃない」
彼女は肘をテーブルにつき、ため息を1つ吐いた。
「……ベルナデットちゃん、見送りがダメなら私もダメになっちゃうよ」
「キョウはいいのよ」
ベルナデットさんの適当さに、キョウさんが困ったように笑った。
「キョウさんは参加しないのかい?」
「うん、私のレベルは26。参加出来るレベルじゃないし、私が入っても足手纏いになるだけかな……?」
「……へー?」
そうかな?
「いいのよ、キョウはそれで。無理して戦う必要なんてどこにもないんだから」
「そうだぞ、キョウが必死になって戦う理由は何もない。これはゲームなんだからさ」
「はは……、ありがとう……」
キョウさんは困ったように笑っていた。
作戦開始の時間が近づく。
酒場の中央にあった時計がジリリリリと大きな音を鳴らした。
……何だ、あれ?
「よし、時間だ」
ガスロンさんが精悍な顔つきで立ち上がった。
「クロさん、今の音は……?」
「ん……? ただのアラームっしょ? 真ん中に時計あんの見えない?」
「いや、何もしてないのにいきなり音が鳴ったように聞こえたけど?」
「そりゃ、自動だからっしょ?」
「…………自動?」
……自動?
「よっしゃ、行くぜえええぇぇぇぇっ!」
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
酒場の中を激しい雄たけびが木霊した。
自らの闘志を鼓舞し、その心は既に戦場と向き合っていた。
「じゃあ、行ってくるぜ、キョウ」
「土産話、期待しておきなさい」
二人は不敵な笑みを浮かべた。その目には自信が刻まれていた。
「うん、行ってらっしゃい。ガスロン君、ベルナデットちゃん」
そう言って、キョウさんは友達2人を見送った。
ただぼおっと、2人の背中を眺めていた。
この村の最高の戦士たちが苦難の試練に向かっていった。
彼らも、僕たちも、この先に待ち受けるものを知らないまま。
* * * * *
今の時刻は14時近く。
『天に昇る塔』の攻略が開始されてから1時間位が過ぎた。帰還者が出たのはまだたった数人らしい。
とりあえず今のところは順調、とのことだった。
戦士たちがいなくなり、村はすぅと静かになった。
先程の酒場の雄たけびが嘘のようである。人がいないわけではないのだが、『今日はβテスト最終日だから、レベル上げする意味も金を稼ぐ意味もない』という事らしく、皆、村の中を思い思いに過ごしていた。
……そう言えば結局『βテスト』って何なのだろう。
僕は緩い坂を上がる。
勾配の付いた雑木林を抜けて、村外れの崖へと向かう。
木々に阻まれ、村の様子はよく見えない。クロさんは酒場に残ってのんびりグダグダ過ごしているだろうか。
僕には少しやるべきことがあった。
話さなければならない人がいた。
雑木林を抜けて、視界が開ける。
目に飛び込んでくるのは壮大な山々。深い緑の中に紅葉が混じる。空は青く輝き、冷たい風が体を通り抜けていく。
村の外れの崖の傍。この崖は前に来たことがある。
僕が寝床を作ろうとして、よく分からない人に壊された場所だ。
ここからは天高くそびえ立つ白色の塔、『天に昇る塔』が良く見えた。周辺の山々よりずっと高く屹立している。
見上げても見上げても天辺が見えない。
まるで、空を貫いてしまうんじゃないかと思えるほどであった。
その塔が良く見えるからだろうか。
そこに彼女はいた。
「2人のことが心配かい?」
その人が振り返った。
キョウさんだ。崖の淵に腰かけ、足をぶらりと垂らしている。
先程まで悠々と白い塔を見ていた。
「グラドさん……」
「隣、いいかな?」
「崖の淵は危ないよ?」
「君が言うんじゃありません」
キョウさんはくすくすっと笑った。2人で果てしない塔を見上げた。
「心配はしてないよ。うん、みんななら意外とあっさり乗り越えちゃうんじゃないかな?」
「そう思うかい?」
「グラドさんはどうしてここに? 塔をゆっくり眺めたかったの?」
「いや、キョウさんと少し話がしたかったんだ」
「……私と?」
彼女は少し、目を丸くした。
「……何の話ですか?」
「そうだなぁ……。どうしよう……何の話がいいかな?」
「なんですか、それ?」
キョウさんが呆れた声を出した。
「ここ数日で起こった妙な話でもしようか?」
「あぁ、グラドさん、それなら話は全く尽きること無いよ。たくさんたくさん妙なことがあったね。『英雄亡霊グレイ』とか、グラドさんのLv.1バグとか、謎の地下洞窟とか、『村雲ノ御剣』とか……」
「本当にいろいろなことがあった……」
僕としてはもっと色々なことがあった。
無詠唱の空間魔法が難なく使われているような大陸に飛ばされたり、言葉は通じるのに意味が通じない様な文化に出会ったり、本当に挙げればきりがない。
「地下洞窟探索の時は大変だったね? キョウさん?」
「あぁ! あのアームズ・トロール! あれは一体何だったんだろうね? あのモンスターが出てきたせいでガスロン君と亀吉さんが何度もゲームオーバーになりかけてたよ!」
「僕も全然ダメージを与えられなくて……結構頑張ったんだけどなぁ……」
「グラドさんは活躍してたよ。私は全然。ほとんど何も出来なかったよ……」
ははは、と彼女は頬を掻きながら苦笑した。
「……そうかな?」
「……え?」
「本当に君は何も出来なかったのかな?」
そう言って目を見た。
キョウさんの瞳の光が少しだけぶれていた。
「うーんと……。叱られているのかな……? 私……? 『この役立たず』とか、『もっと役に立て』とか、そう言いたいの……?」
「あ、いや、そう言う意味じゃないんだ。責める気持ちは無い。勘違いしないで欲しいんだ」
「あぁ……、うん……。ごめんね……?」
「……いや、こっちこそ……」
僕と彼女の空気が淀む。
爽やかな木々の匂いが少し汚れていくように思えた。数秒の間、沈黙が腰を掛ける。
少し、重くなった空気を紛らわすかのように、キョウさんが明るい声を出した。
「あ! そうだ! 『村雲ノ御剣』はあれからどう!? 何か変わったことは無い?」
「うん、やっぱり伝説の剣は凄いね。斬れ味が段違いだよ」
「その刀で昨日、狩りに行ったんだっけ?」
「うん」
僕はアイテムボックスから『村雲ノ御剣』を取り出した。
……うん、まだやっぱり慣れない。青いガラス板さんを操作するだけの簡単な動作で高位空間魔法が発動できるなんて……。
この世界の魔法技術はやっぱりおかしい。
「うん、やっぱり綺麗だね」
キョウさんはそう言葉を漏らした。
銀色に輝く刀身。その刀を振るうと、身から銀色の尾が靡く。銀の剣閃が轟く。美しく、そして力強い刀だった。
「切れ味は抜群?」
「……それがね、そうでもないんだ」
「え?」
「刀は強いんだけど、僕のレベルが低くて低くて……」
あはは、とキョウさんに笑われた。
「そっかー、いくら伝説の武器といえど、レベルには勝てないかぁ」
「しょんぼりだよ……」
「でもその刀はグラドさんしか持てないみたいだからね? どうしようもないね」
刀を手に入れた後、ガスロンさんとクロさんも刀を持ってみたが、結局電撃に阻まれる結果となった。
クロさんは意味のない自信に満ちていたようで、「いやー! うちに英雄の素質があるってばれちゃうなー! せっかく隠してたのになーっ! 溢れ出るきらめきはやっぱ隠せないってことかなーっ!」って意気揚々と乗り込んでいったが、「何ぞおおおおぉぉぉっ!?」と叫びながら痺れていた。
ちょっとショックだったみたいだ。
あるよね、そう言う時期。
キョウさんは触れていない。
どうせ私には無理だって分かってるから……。そう言って、触れすらしなかった。
「……僕しか持てない?」
「そうだよ? だから、何とか上手く使ってください。そうしないと、文字通り宝の持ち腐れになっちゃう」
「……本当にそうかな?」
僕は刀をキョウさんに差し出した。
「持ってみるかい?」
「え? ……い、いいよ……。私なんかには無理だから……」
「持てるよ」
まっすぐに彼女の目を見た。
彼女が耐え切れず、おどおどと目を逸らす。それでも僕は視線を外さない。
強く、ただ強く彼女を見た。
「君なら持てるよ」
「で……、でも……」
「だってこの刀は君がくれた刀だから……」
え……? と、彼女は小さな声を漏らした。
「……な、なに?」
「この『村雲ノ御剣』は君が僕にくれた刀じゃないか」
僕から背けていた彼女の目は驚きで丸くなり、また僕に向き直った。
「え? あれ? 私があげた……? どういう意味……?」
「この刀は君が用意した刀だ。君は僕にあの刀を渡そうと思って、僕たちを誘導し、あの地下に誘ったんだ」
「な、何を訳の分からないことを言ってるの……? 私が伝説の刀を用意した……?」
「だって君は……」
風が強く舞った。
「君は、『英雄亡霊グレイ』だから……」
風は僕たちの体を力強く撫で、空に立ち昇っていった。
世界が音を立て軋み始めているような気がした。
次話『25話 世界が変わる日(2)』は明日 12/19 19時に投稿予定です。




