12話 英雄亡霊vs元英雄
「(な、なんなのさ……。あの幽霊みたいな影っ!?)」
「(クロさん、静かに。僅かな物音も立てないで……)」
『英雄亡霊グレイ』が夜の森である男と戦っている時の事だった。亡霊がナイフで男を切り刻んでいる間、人知れず草むらの陰からその戦いを覗く2人の姿があった。
クロとグラドである。
2人は夜の森の中を闊歩中、妙な気配を察知しその身を隠していた。そうしたら亡霊のような不気味な影とある男がやってきて戦いが繰り広げられたということだ。
いや、それは戦いにすらなっていなかったが。
目に留まらぬナイフの斬撃の恐ろしさと、その亡霊のような者が醸し出す覇気は遠く離れた2人のところにも十分伝わってきた。
戦いに慣れたグラドは平然としていたが、普通の少女であるクロはその気迫に気圧されてしまった。
気圧されて、1歩足を下げてしまった。
その時不幸にも枯れた木の枝が地面に落ちていた。クロはその1歩で木の枝を踏み、パキリと音を立て折ってしまった。
『英雄亡霊グレイ』の首が一瞬回る。剣戟の最中だというのに、誰も気付くはずのないような木の枝が折れる音に気付き、その位置を正確に把握し、その草むらを視界に捉えた。
亡霊の不気味な目が2人の隠れ場を睨んだ。
「(……ばれたか)」
亡霊はすぐに視線を戻し、戦いへと意識を戻していった。
ただ、その一瞬でグラドは自分たちの存在がばれたことを悟った。
「(……あいつ、今、こっち見た? なんかの間違いだよね? ばれてないよね、うちらのこと……)」
顔を青くしながらおろおろとクロがグラドに語り掛ける。
その声に対し、グラドは優しくクロの頭を撫でた。それだけでクロは自分の過ちを悟った。
「(……ごめんなさい…………)」
「(いや、仕方ないよ。あいつが凄すぎるんだ)」
グラドは落ち込むクロの頭を撫でながらそう諭した。
実際、クロの立てた音はごく小さなものであり、普通気付くはずのないものであるのだ。
クロが悪いというよりかは『英雄亡霊グレイ』の把握力が凄すぎたのだ。
「……ダレダ?」
やがて戦いは終わり、亡霊と戦っていた男は魂を抜き取られたかのように崩れ落ちてしまっていた。
そして『英雄亡霊グレイ』は先ほど物音がした草むらの方を凝視し、陰に潜む人間に声を掛けた。
「(クロさんはここにいて。人数まではバレてない筈だから)」
「(……!)」
そう小声で言いながらグラドは草むらから姿を出す。クロは自分だけ隠れているような行為への指示に抗議をしたかったが、これ以上自分から物音を立てる訳にはいかなかった。
「あー……、えーっと……。別に僕に交戦の意思はありません。オーケー?」
「…………」
グラドは困ったように笑いながらそう言った。
自分たちには目の前の亡霊と交戦する理由がまるでなかった。
深い森の闇の中、2人の視線が交錯する。
普通ならお互いの姿さえ見えるはずのない暗闇の中、2人は正しく相手の姿を捉え、相手の目を見つめていた。
あ、これはダメだ。
グラドはそう思った。
「……っ!」
その瞬間、英雄亡霊グレイは風のように闇を駆け、グラドに襲い掛かった。2人の間にあった長い距離が音もなく静かに、しかし稲妻のような速さで埋まっていく。
グラドは英雄亡霊が動き出す一瞬前から剣を構え始めていた。英雄亡霊と名乗った不気味な者の目から確かに殺気を感じ取ったからだ。
銀色のナイフと安っぽいボロボロの剣がぶつかり合う。闇の中に光る火花がぱっと散った。
「……オマエモ消エロ」
「物騒だね」
英雄亡霊の2振り目のナイフをグラドは躱す。先程の男が1度たりとも避けられなかった高速のナイフをグラドは躱して見せた。
そこから英雄亡霊は流れるようなナイフ捌きを見せた。15にも及ぶ高速の連撃であり、それはまるで風が過ぎ去るように、まるで闇が纏わりつくかのようにグラドに襲い掛かった。
常人では反応することすら出来ない連続技。もしここが現実ならば、人間の体は10以上のパーツに分解されてしまっているところだろう。
だがグラドはその全てを剣1本で防いだ。
「―――ッ!?」
英雄亡霊に僅かな動揺が走った。常人には防がれるはずのない自らの剣戟を完璧に防がれたのだ。
グラドはその隙を突いた。
剣から片手を離し、その片腕で相手の胸ぐらを掴み、無理やり背負い投げに持っていく。英雄亡霊は地面に背中を叩きつけられ、その衝撃でまた怯むこととなった。
「はい、終わり」
そう言ってグラドは剣を薙いだ。
英雄亡霊の首を刈り取るように剣を薙いだ。彼の剣は確かに英雄亡霊の急所を斬り裂いた。
「………あれ?」
次に動揺するのはグラドの番であった。
確かに剣は首を裂いたはずなのに……、斬り損ねてもいない筈なのに、敵の首が斬れていない。繋がったままである。それどころか、一滴の血も流れていない。
それもその筈。ここはゲームの中であり、現実世界ではない。首を斬ってもHPが削れるだけで首が飛ぶことなど一切ない。
しかもグラドは低レベルであり、英雄亡霊へのダメージはほとんど無かった。
「―――ッツァ!」
「……しまっ……!」
英雄亡霊は瞬間的に立ち上がり、隙を見せたグラドの腰に組み付いた。そのまま彼の体を勢いに任せて押し込み、草むらを突き破っていく。
グラドには抵抗する術が無かった。グラドの『攻撃力』のステータスは英雄亡霊をはるかに下回っており、パワー比べとなってしまったら勝てる要素が一つもなかった。
どうするか。一瞬で頭を巡らせグラドは対応策を考えるが、一瞬でその時は来た。
―――草むらを突き破った先は崖であった。
2人の体は崖から落下していった。
「―――っ!?」
「―――」
闇に紛れ見える筈のない英雄亡霊がニヤリと笑った気がした。
2人の体が地に向かって落下していく。
「グラドぉっ!」
クロは隠れていた草むらから出て、グラドを心配し叫んだ。
追いかけた先には2人の体が地を離れ、どうしようもなくなっている光景だけが見えた。
英雄亡霊はグラドの胸に向かってナイフを振った。落下中にも関わらず、英雄亡霊は執拗にグラドを攻め立てたのだ。
しかし、グラドに動揺はなく、冷静に敵のナイフの腹を拳で弾いた。精密な処理を緊張も恐れもなく空中で行った。
側面を叩かれ、ナイフは軌道を変化させグラドの体から逸れていく。
英雄亡霊はナイフが防がれると見るやいなや、体を回し大きく蹴りを放った。しかし、グラドもまた空中で体を回しながら、剣を用いて蹴りを受け流す。
それからの一瞬で、英雄亡霊は何十ものナイフを振るった。空中で行っているとは思えない程の練度の高い猛攻であった。
グラドは一撃も敵の攻撃を受けてはいけない。
彼はまだ結局Lv.1なのだ。英雄亡霊の攻撃を1度でもまともに食らえば1回でHP全損は免れなかった。
しかし、グラドの中に恐れも心配も無かった。英雄亡霊の振るう高速のナイフを、彼は剣で防ぎ、体を回して躱し、手で受け流した。
ただ機械のように最適な動きを繰り返し、動揺も混乱も一切無く、英雄亡霊の攻撃を防ぎきった。
「―――コノッ!」
英雄亡霊に焦りが見えた。
この空中で敵を仕留めるつもりだったのに、尽く攻撃が防がれてしまっている。つい攻撃が大振りになってしまった。
その隙を突かれた。
グラドに袖を掴まれ、ぐいと引っ張られる。空中ではあるが姿勢は崩れ、2人の位置関係に変化が起こる。グラドはそのままの勢いで英雄亡霊の胸ぐらを掴み敵を振り回し、英雄亡霊の上を取った。
すぐそこは地面であった。
落下時間は終了し、2人の体は地面に叩きつけられる。
ただ、グラドは英雄亡霊の上を取り、自身の衝撃が全て英雄亡霊の体に行くように敵の体の上に着地した。更におまけだというように肘を突き立て、英雄亡霊の腹にめり込ませた。
着地の衝撃が英雄亡霊を襲う。
空中で振り回されたため、碌な態勢を取れず、英雄亡霊は地面に背中を激突させた。更に上からはグラドの落下分の衝撃も加わってくる。グラドの肘が自身の腹に強く突いた。
「―――ガハッ!」
思わず息を零す。
英雄亡霊はその衝撃から一瞬視界が真っ白になった。
グラドはすぐさま体を起こし、英雄亡霊から体を離す。離れ際、剣を振り英雄亡霊の首を薙いでおいた。現実ならそれだけで即死だが、ここではHPがほんの少し削れただけであった。
「少しは効いたかな?」
自由落下の衝撃に肘鉄を加えた攻撃である。
いくら自分の力が弱くなっていても、十分な威力が出せているはずだった。
落下の衝撃の時に舞った土煙が晴れていく。
影が見える。
―――英雄亡霊は何事もなかったかのように悠々とその姿を現した。
「……はぁ。この戦い、いつになったら終わるんだ?」
呆れ返りながらグラドはまた剣を構える。
しかし、それに対して英雄亡霊は何の構えも見せなかった。ぶらりとナイフを下ろし、敵意も殺意も消え去っている。
ただ……フードの陰の中から淡く光る2つの目で、グラドの事を興味深そうにじっと見つめていた。
「――オマエモ―――ワタシト同ジナノカ?」
「……?」
英雄亡霊は小さく掠れた声で何かを言い始めた。
「―――オマエモワタシト同ジ――化ケ物ナノカ―――?」
何かを求めるような亡霊の孤影に、グラドもなぜか目を奪われた。
「オマエ、オマエナラ―――ワタシノ苦シミ―――分カッテクレルカ?」
「…………」
ただ静かな闇が2人の間を流れていった。
沈黙が場を鎮める。それまでの激闘が嘘であったかのように静かな時間が過ぎた。
英雄亡霊は動かない。
グラドは動けない。
亡霊の小さな目から、何か、希望のような、救いのような………、はたまた絶望のような光を見てしまい、グラドは動けなくなってしまった。
2人の視線が交錯する。
何かを求めながら視線がただ交わり、しかしその心までは交わることは無かった。
「グラド~~~ッ! 大丈夫か~~~ッ!?」
そんな時、高い大きな声が上から降ってきた。
クロがグラドを追いかけて崖の上からやってきたのだ。鉤付きのロープを用いて、垂直の崖を丁寧に素早く下りてくる。
彼女もまた常人にはない身体能力と度胸が備わっていた。
地面に下り立ち、腰に手を当てながら胸を張り、クロは大声で叫んだ。
「お前は一体何なんだぁっ!? さっき言っていた『英雄亡霊』というのは本当なのかぁっ!? 今流行りの都市伝説そのものなのかぁっ!?」
それまで流れていた静寂をぶち壊すかのようなバカでかい声に、グラドも亡霊もぽかんとしてしまった。
「だがっ! こっちにはグラドという超最終兵器がついているのだっ! さぁっ! やっておしまいっ! グラドっ!」
「…………」
だがあくまで彼女は他人任せであった。
「ちょ、ちょっと待って、クロさん……。今、流れ変わってきたところだから……、ちょっと静かにしてて?」
「んん!? そうか!? お邪魔だったか!? それは失礼した! さぁ! どうぞ! 続けたまえ! 何が何だかは知らんけどさっ!」
そう大声を張り、クロは腕を組み胸を張ってどんと構えた。あまりに堂々と静かにしていた。
「…………」
「…………」
また場に沈黙が過ぎる。
しかし、先程までのようなもの寂しさを含んだ冷たい静けさではなかった。
どこか呆れがこもった、バカバカしさを含んだ静けさだった。
「――――」
亡霊は頭を振ってそれまでの雰囲気を少しでも取り直そうとしていた。
「……強キ者ヨ。聞ケ。我ガ名ハ『英雄亡霊グレイ』」
「……えっ?」
『英雄亡霊グレイ』の名前を聞き、グラドが呆然とする。
『グレイ』。それは自分の本名であったからだ。
どういうことか分からず混乱するグラドを置き去りにして、英雄亡霊の話は進む。
「オマエニハ資格ガアル―――チカラニ選バレル―――ソノ資格ガ―――」
英雄亡霊はアイテムボックスから1枚のカードを取り出した。
「招待状ダ―――受ケ取レ―――」
英雄亡霊がその黒いカードをグラドに向けて放り投げようとした、その時だった……。
またもや邪魔が入った。
「お前たちっ! 動くなぁっ!」
大声がした。
静かな森の中で突然大声をあげながら1人の男が乱入してきた。
その場にいた3人は大声を出す男の方を振り向き、またもお互いのやり取りを中断せざるを負えなかった。
男は片手に見栄えが良く品質の良い剣を持っていた。
金色の髪は短く、毛先が跳ねあちこちに向いている。眉は若干太く、顔は優美と言うよりも少し硬い印象を受ける。一つ一つの装備品のレベルが高く、このゲームをかなりやり込んだ人間であるということが理解できる。
男は英雄亡霊とグラドのやり取りに水を差した。
2度目の横槍に、顔の見えない筈の英雄亡霊の表情が顰められているような雰囲気をグラドとクロは感じ取った。
今まさに投げようと思っていた黒いカードを持った手を下ろし、若干のいら立ちをこもった声を亡霊は上げた。
「……ナンダ、オマエハ?」
「『株式会社アナザー・ワン』で仕事をしている橘 龍之介と言います! 現在稼働しているこのゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』の開発の手伝いをしている者です!
ゲーム内で不正なアカウントを使用している3名のプレイヤーを発見! プログラムの改変などの不正な行為を行っていると判断したため、3名のアバターの行動を規制させて頂きます!」
乱入してきたのは『ティルズウィルアドヴェンチャー』の運営会社でバイトをしている橘 龍之介であった。
彼は森の中でプレイングしている最中、崖から落ち、落下しながら戦っている2名の不審者を偶然発見した。
人の動きと思えなかったので、管理者権限で2人のアバターを調べてみると、2人のアバターに解析不能なバグが混じっていたのだ。
つまりはこの3人がチートなどの不正行為を行っていると龍之介は判断し、3人のプレイングを停止させようとした。
「低ランク管理者権限を行使します! 『アバターの行動制限』を発動!」
そう言って龍之介はメニュー画面を開き、慣れた手つきで操作をした。一般的なプレイヤーのメニュー画面と違い、管理者には管理用の項目が追加されている。
バイトである龍之介に与えられた権限は多くないが、不正利用をしているアバターの行動を停止させるだけの権限は持っていた。
龍之介はコマンドを入力し、目の前の3人の動きは完全に停止した。
「…………」
「…………」
「………………」
……停止した、はずだった……。
「あれ?」
クロが手をプラプラさせる。
グラドは何が起こったのか分からず首を回しきょろきょろとし、英雄亡霊は呆れたように腕を組んだ。
3人の動きは全く止まっていなかった。
「おーい! 運営さーん! 動き止まってないよー!? どうなってんのー!?」
「えぇっ!?」
クロが手を振ると龍之介は訳が分からず戸惑った。
「―――フン、ワタシノ動キガソノ程度ノシステムデ止マル筈無イダロウ」
「運営さん! 運営さんっ! そいつ、都市伝説の『英雄亡霊グレイ』っ!」
「えぇっ!? 何だって!?」
龍之介は狼狽えながら、英雄亡霊の方に剣を向けた。
「さ、最近噂の都市伝説……? いやいや、そんな訳ない……?」
「―――無駄ダ。オ前デハワタシハ止メラレナイ―――」
不気味な黒い影は運営の人間を一瞥し、しかし自分の脅威にはなり得ないと確信し、グラドの方に向き直った。
「ほ……本当に……、お前が都市伝説の『英雄亡霊グレイ』なら……」
龍之介は信じられないと言ったように目を見開き、体を震わせていたが、確かにしっかりと剣を構え、英雄亡霊に切っ先を向けていた。
「誰かが止めなきゃ……っ!」
そう言って彼は走りだし、英雄亡霊に攻撃を仕掛けた。
「やああああぁぁぁぁっ!」
龍之介はこのゲーム内で一番良い性能の剣を振るった。
しかし、英雄亡霊はそれを見向きもせず軽く躱し、龍之介の腹に蹴りを入れた。
「ぎゃっ!」
という悲鳴と共に、彼の体は10m程吹っ飛ばされた。
呆気なく彼の攻撃は終了した。
「おおーーい! 運営さーん! この噛ませぇっ! ピエロォっ!」
「うるせー! そこのがきんちょー!」
クロは野次を飛ばし、龍之介は起き上がって野次に反抗した。
「…………」
「―――本題ニ戻ロウカ――」
またしても英雄亡霊とグラドは向かい合い、対峙する。
英雄亡霊は先程の黒いカードを再び取り出し、グラドに向けて放り投げる。彼がそれを取り、中身を確認する前に亡霊は喋りだした。
「―――オマエニ本当ニ素質ガアルトイウノナラ―――ソコニ来イ―――」
「……素質?」
グラドは亡霊が何を言っているのか分からない。
「―――行ケバ分カル――」
英雄亡霊の影が濃くなったような気がした。
「――ソノチカラハ―――」
影に塗れた亡霊の姿の中で、目の光だけが怪しく鋭く光っていた。
「――世界ヲ超エルチカラダ―――」
そう言い残して、英雄亡霊グレイの姿は消えた。
まるで闇に紛れて消え去るように……風に吹かれて飛ばされるように、忽然とその場から消え去ってしまった。
残された者たちは息を吞むしかなかった。
自分たちは何と出会い、何に目を付けられたのか分からないまま夜の闇が深くなっていく。
3人は森の静寂に呑み込まれたまま、ただ夜の冷たい風を体に浴びていた。
『チカラニ選バレル』を始め漢字で書こうとして、『力ニ選バレル』になりそうになった。
カニ選ばれるって……蟹選ばれるって……なに?
実は、この何もできなかった噛ませ、『龍之介』は……本作のもう1人の主人公なんです……。
次話『13話 巻き込まれ系男子の苦悩』は明日 12/7 19時に投稿予定です。




