叙爵 (3)
王都への往復は、ランベルトとマグダレーナの厚意に甘えて彼らの馬車に便乗することになった。
それだけでなく、宿泊先は王都のハーゼ伯邸だ。
マグダレーナはマリーに王都を案内すると張り切っていたが、それよりも先にヨゼフがマリーを連れ出した。その際に辻馬車を使おうとしたら、「客人に辻馬車を使わせるなんて、家の名折れだ」とランベルトに断固拒否され、ハーゼ家の馬車を借りることになった。
御者は、王都までついてきたマルセルが務めるので、馬車だけ借りた。
行き先を聞いていないマリーが、馬車の中でヨゼフに尋ねる。
「どこへ行くの?」
「宝飾店」
宝飾品を買うなら、ハーゼ家の出入りの商人を屋敷に呼んでもらうほうが安心なのではないかとマリーは思ったが、きっとヨゼフにはヨゼフの考えがあるのだろう。
向かった先は、高級店の建ち並ぶ一角にある宝飾店だ。店の名前は、マリーにも見覚えがあった。シーニュにまで名が聞こえるくらいだから、おそらくオスタリアを代表する宝飾店と見て間違いない。
ヨゼフに手を引かれて店に入る。
シーニュにいた頃は、こういう大きな買い物は屋敷に呼んだ出入りの商人からしかしたことがないので、店に入るのは初めてだ。応対に出た店員にヨゼフが名を告げ、奥まった場所にある応接セットに案内された。
ソファーに座ると、店員が慇懃な態度でヨゼフに尋ねる。
「本日は、何をお探しでございましょうか」
「婚約指輪を」
ヨゼフの答えにびっくりして、マリーは彼の横顔を見上げた。ヨゼフはマリーの表情に気づいたのか、ちらりと横目で彼女のほうを見て笑みを浮かべる。
「石はどのようなものをご希望ですか」
「ダイヤモンドで」
「かしこまりました。お持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
店員が立ち去ると、唖然としているマリーの顔をヨゼフがのぞき込んだ。
「金の心配はしなくていいから、好きなのを選んで」
「でも……」
「どれ選んでも、船よりは安いだろ」
指輪の値段の比較対象に船を持ち出すヨゼフに、マリーは吹き出した。大きさが違いすぎる。しかもきっと、ヨゼフが言っているのは大型商船のことだ。
「それはそうでしょうけど。本当に何でもいいの?」
「うん。本当に一番気に入ったものを選んでほしい」
「わかったわ。ありがとう」
少しすると、店員が指輪を並べたトレーを運んできた。いずれも大粒のダイヤモンドがはめ込まれている。マリーはそれを一瞥しただけで、店員に声をかけた。
「小さな石がたくさんついている、細いものはありますか」
「もちろんございますとも。お持ちしましょう。少々お待ちください」
マリーの要望に、ヨゼフは戸惑った顔を見せる。彼は、マリーの耳もとで小声でささやいた。
「石が大きいほうがいいんじゃないの?」
「どれでも好きなのでいいって、言ってくださったでしょう?」
「そうだけど……」
ヨゼフはどこか不満顔だ。でも、何でも好きなものを選んでよいと言ったのは彼だ。マリーの頭の中には、理想の指輪のデザインが思い描かれていた。
ほどなくして、店員が小粒のダイヤモンドをちりばめた指輪を載せたトレーを運んでくる。先ほどとは違い、今度はマリーも身を乗り出して、真剣に指輪を吟味し始めた。そのうちのひとつを指さし、マリーは再び店員に声をかける。
「これに似た感じで、オニキスと組み合わせたものはありますか?」
「オニキスとダイヤモンドの組み合わせがよろしいのですね?」
「はい」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
店員が去ると、再びヨゼフは小声でマリーに尋ねた。
「オニキスって何?」
「そういう名前の黒くて不透明な石があるのよ。カメオはご存じ?」
「うん。彫刻みたいな宝飾品だろ」
「ええ、そうよ。そのカメオの材料にも使われることのある石なの」
「へえ」
さきほどよりも少し時間をおいて、店員が戻ってきた。
マリーに向かって指輪の載ったトレーを差し出しながら、店員は済まなそうな顔をする。
「残念ながらオニキスとの組み合わせとなると、なかなか種類が限られておりまして。デザイン見本ということで、別の石と組み合わせたものも、ご参考までにお持ちしました」
「見本ということは、オニキスでも作れるのかしら」
「はい、もちろん可能でございます。少々お時間をいただくことにはなりますが、ご希望のデザインがございましたら、どうぞお申し付けください」
「ありがとう」
マリーは店員に微笑みかけて礼を言った後、じっくりとトレー上に置かれた指輪の品定めを始めた。ひととおり見た後、その中から三個を選び出して脇に並べる。真剣な表情でその三個を見比べるマリーに、店員が声をかけた。
「こちらがお気に召しましたか?」
「ええ。だけど、どれも思っているものと少しずつ違うの」
「なるほど。具体的にどのようなものをご希望なのか、伺ってもよろしいですか」
マリーは、お気に入りの絵本の話をした。例の、不遇の少女を王子さまが船で迎えに来る話の本だ。その中に指輪が登場する。絵本に描かれたその指輪にできるだけ近いものを、マリーは探していたのだ。
彼女の説明を聞くと、店員は納得したような顔でうなずいた。
「ああ、シーニュの作家の絵本でございますね。うちの娘も持っておりますよ。それでしたら、もう少し石が少なめで幅の広めのものの中によく似たものがございますので、お持ちしましょう」
店員はそう言ってまた奥へ引っ込み、しかし今度はすぐまた戻ってきた。
「いかがでございましょうか」
トレーの上には指輪が二つしか置かれていなかったが、それを目にするなりマリーは目を輝かせた。迷わず彼女が手を伸ばしたのは、小粒のサファイアが三個並び、その上下をさらに小粒のダイヤモンド数個ずつで縁取りした、シンプルな指輪だった。
彼女はそれを指にはめてから、ヨゼフを振り返る。
「これよ。これがいいわ。ねえ、このサファイアをオニキスに変更していただいてもよいかしら」
「もちろん、いいよ」
店員は二人の様子を横目に、契約書を用意する。ペンで必要事項を書き込みながら、テキパキとヨゼフに確認をした。
「二週間ほどお時間をいただきますが、よろしゅうございますか」
「二週間か。うん、わかった」
「では納期と金額をお確かめの上、こちらにご署名をお願いいたします」
ヨゼフが契約書を確認している間、店員はマリーに微笑みかけて質問をした。
「失礼ながら、挿絵に忠実なのはサファイアと存じますが、オニキスをご希望だったのは何か理由がおありですか? 差し支えなければ、ぜひお聞かせください」
マリーは、はにかみながら「理由は二つあるのだけど」と説明した。
「ひとつは、オニキスの石言葉が『夫婦のしあわせ』だからなの。永遠の輝きのダイヤモンドと、夫婦のしあわせのオニキスの組み合わせなんて、結婚を記念する指輪としてはとてもすてきでしょう?」
「なるほど、確かにさようでございますね。もうひとつは、どのような理由で?」
「ええっと……。色が、この人の髪の色と似ているから」
「さようでございましたか」
照れて真っ赤になったマリーに、店員は目を細めて微笑ましそうにうなずいてみせた。それから契約書を確認した上で丁寧にたたみ、封筒に入れてからヨゼフに手渡す。
二人がソファーから立ち上がると、店員は深々と頭を下げた。
「海の英雄さまのご婚約指輪をご注文いただきまして、大変光栄でございます。またのお越しをお待ちしております」
マリーが楽しそうに「まあ。海の英雄なんて呼ばれていたの?」と尋ねると、ヨゼフは首をかしげて「さあ」と答える。
このとき彼女は、思い描いていたとおりの指輪が注文できたのがうれしくて、婚約指輪のことで頭がいっぱいだった。だからヨゼフがどこか浮かない顔をしているのに、気づくことができなかったのだ。




