叙爵 (2)
仕立屋には、ヨゼフの式服のほか、マリーの外出用のドレスと、婚礼衣装を注文した。ただし婚礼衣装だけは、別途また打ち合わせる予定になっている。まだ結婚式の予定も立っていないので、叙爵式よりは日程に余裕があるはずだからだ。
仕立屋が帰った後、ヨゼフとマリーは両親に報告しに行った。
ロベールは書斎で仕事中だった。彼はオスタリアで、会計の仕事を始めたのだ。主に大手商会の会計監査と税務相談を請け負っている。
ロベールは仕事の手を休めて二人から話を聞くと、笑いながらため息をついた。
「そうか。やっとか」
「やっと?」
父の口から出てきた意外な言葉に、マリーはオウム返しに聞き返した。
「そうさ。しがらみは全てシーニュに捨ててきたはずなのに、いつまで経っても話が進展した様子がないんだもの。そりゃ『やっとか』って思うだろう?」
マリーはヨゼフと顔を見合わせた。
「お父さまは、いつからそんなふうに思ってらしたの?」
「ん? ヨゼフがうちに来た日から、いつかこうなるだろうと思っていたよ?」
マリーはびっくりした。最初からではないか。
娘の唖然とした顔に、ロベールは声を上げて笑った。
「だってマリーときたら、ヨゼフと対面するなり目が釘付けだったし、ヨゼフはヨゼフでその日のうちにマリーの虐待を心配して相談に来るし。さすがに予想がつくってものじゃないか」
ヨゼフが面白がっているような顔で「釘付けだったの?」と顔をのぞき込んでくるものだから、マリーの顔は真っ赤になった。
「だって、絵本の王子さまによく似てたんですもの」
「ああ。そう言えば、なんかそんなこと言ってたっけな」
同じようにロベールから暴露されているはずなのに、ひとり余裕を崩さないヨゼフが恨めしい。恥ずかしさを隠すようにマリーがうつむくと、ヨゼフが彼女の肩に手を回した。
むっつりとうつむいたまま、マリーはヨゼフの表情をちらりと横目で盗み見る。すると、困ったような笑みを浮かべた彼と目が合った。なだめるようにヨゼフに肩を軽く揺すられれば、すねた気持ちが不思議と溶けて消えていった。
その後オリアンヌにも報告したが、母は父とは違い、からかうような言葉は一切口にしなかった。ただ微笑んで「おめでとう」と言っただけだ。
そしてすぐに表情を切り替えて、現実的な話を始める。
「お式は、いつがよいかしらね」
「授爵の後、できるだけ早い時期に」
ヨゼフのせっかちな言葉に、オリアンヌは声を上げて笑った。
「そうねえ。まあ確かに、おかしな話を持ち込まれる前に、さっさと結婚してしまうのが賢明かもしれないわね」
オリアンヌまでが、ランベルトと同じようなことを言う。
それを聞いてマリーは、何だか不安になってしまった。
昔、父にヨゼフのことを「色気がある」と言われたときにはピンと来なかったけれども、今は何となくわかる。彼には、女性を惹きつける何かがあるのだ。単純に容姿が優れているというだけではない。
もちろん顔立ちは整っているし、引き締まって力強さを感じさせる体格も、彼の魅力のひとつだろう。でも、それだけじゃないのだ。余裕のある態度とか、ときどき見せる気だるそうな表情とか、たまにちょっと意地悪だけど引き際がきれいなところとか、船の話を始めると少しだけ表情が幼くなるところとか。
社交界に出たら、きっと彼に夢中になる女性はひとりや二人じゃないはずだ。身分の高い女性に見初められてしまい、権力を笠に着て断りにくい縁談を持ち込まれたらどうしよう。
だがオリアンヌは、笑顔で「大丈夫よ」と請け合う。
オリアンヌによれば、順番として「授爵の後がよい」というヨゼフの判断は間違っていない。結婚が先だと、叙爵式で新妻を伴っていないことをとやかく言われかねないからだ。だがマリーは、社交界に顔を出すわけにはいかない。両親に比べたらオスタリアに知り合いなどほとんどいないが、万が一にもリヒャルトと顔を合わせることになったらまずい。
だから授爵のときにはヨゼフひとりで参加し、「近々、結婚を控えている」と言える状態にあるのが理想的だ、とオリアンヌは言うのだ。
「お式は叙爵式のひと月後で、どうかしら?」
オリアンヌの提案に異論などあるはずもなく、ヨゼフとマリーは素直にうなずいた。
それからはもう、ヨゼフの授爵に加えて結婚の準備で大忙しだった。
もっとも、結婚式に招待したいほどマリーが親しい相手は、ルートヴィッヒ夫妻とマグダレーナくらいしかいない。ルートヴィッヒたちには馬車郵便で招待状を送り、屋敷が徒歩数分の距離にあるマグダレーナには直接赴いて手渡した。
マリーが招待状を渡すと、マグダレーナはたっぷりとからかいを含んだ笑顔で受け取った。
「あらあら。やっとね!」
「やっと?」
父とまったく同じことを言われ、マリーは眉をひそめてオウム返しに聞き返す。
マリーの表情を見て、マグダレーナは笑い声を上げた。
「ここに引っ越してきて、もう二年になるのよ? 『やっと』でしょう!」
「父にも同じことを言われたわ」
「ふふ、みんなそう思っていたと思うわよ」
周りにそんなふうに見られていたかと思うと、恥ずかしくてマリーは目を伏せた。
そんな彼女におかまいなしに、マグダレーナは質問する。
「ねえ、プロポーズはどんな言葉だったの?」
「プロポーズ……。ええっと、『結婚しよう』って」
「え、それだけ?」
「ええ、それだけよ」
拍子抜けした顔を見せたマグダレーナは、気を取り直したようにその後も質問を重ね、マリーはプロポーズの前後の状況から、叙爵式の準備状況まで、洗いざらい説明する羽目になった。
全部聞き終わると、マグダレーナは手をひとつ叩いた。
「あ、そうだわ。王都には、わたくしたちと一緒に行きましょうよ」
「お誘いありがとう。でも、行くのはヨゼフだけなの。わたくしは行かないわ」
「どうして? 叙爵式はともかく、王都くらい行きましょうよ」
「でも……」
渋るマリーを、マグダレーナは説きつける。
「大丈夫よ。顔を合わせたら困るのは、リヒャルト王太子殿下だけでしょう? そんな雲の上のかたが、そうそうふらふらと町歩きなんてなさるわけがないわ」
困った顔をしてマリーが答えあぐねていると、彼女の友人はもうすっかり一緒に行く気になっていた。
「せっかくの機会ですもの、案内してあげる!」
「どうかしら……。そうね、父に相談してみるわ」
「ええ、楽しみね!」
実はこの半年ほど、ランベルトの父ハーゼ伯は病を得て伏せっている。だから公式行事や社交などは、ランベルトが当主代行を務めていた。今回の叙爵式は、社交シーズンの序盤に行われる。だからマグダレーナは、社交シーズンいっぱい、ひと月ほど一緒に王都で過ごそうと提案してくれたのだ。
意外にも、ロベールはマリーの王都行きに反対しなかった。
「ああ、いいんじゃないか? ヨゼフの仕事のことを考えれば、王都にも拠点があったほうがいいだろうしな。ついでに、その辺りも見ておいで」
ただしやはり、オスタリアの貴族にもそれなりに顔見知りのいるロベールとオリアンヌは、同行するつもりはないようだ。
こうしてヨゼフの叙爵式のための王都行きに、マリーも一緒に行くことになったのだった。




