叙爵 (1)
ルートヴィッヒとアデールは結局、二週間ほど滞在していった。
彼らがいなくなると、急に屋敷の中がしんと静まりかえって寂しくなったように感じる。
シーニュ方面のニュースも、それと同時くらいにひと区切りした。
国王が退位して、王弟が新たに国王に即位したそうだ。
元国王は世継ぎの王子たちを二人とも亡くしているから、王弟の即位は時間の問題ではあった。相次いで息子を失ってすっかり気落ちした元国王は、抵抗する姿勢を見せることなくおとなしく王位を譲ったと言う。
そして退位した元国王は、地方にある小さな離宮に居を移すことになった。実質的には島流しのようなものだ。実家に戻っていた元王妃も、最終的には夫のもとに身を寄せることになった。
ロベールの公金横領容疑に関する裁判やり直しも、筆跡鑑定を数名でやり直したところあっさり結果が覆された。そもそも「王族費が元王女に支給されていなかった」という容疑そのものが間違いだったことの確認がとれているのだから、当然の結果ではある。
ただしロベールの署名を似せて作られたニセ領収書の出どころは、判然としないままだった。
元国王派の貴族たちは、彼らが心配したような扱いを受けることはなかった。
第二王女の婚礼も、予定どおり行われることになった。
新国王は苛烈ではあるものの、決して理不尽ではなかったのだ。つまり、流言に踊らされて逃亡を図った者だけが馬鹿を見たことになる。
ヨゼフのもとに王宮からの使者が遣わされたのは、隣国のニュースが落ち着いてしばらくしたある日のことだった。
「ヨゼフ・ノイマンさまに、国王陛下からの書簡がございます」
応接室で顔を合わせたヨゼフに、使者は見るからに豪華な封筒に入ったその書簡を手渡した。ヨゼフは礼を言って受け取り、その場で中身を確認する。
するとそこには「男爵位に叙す。ついては叙爵のために王宮に来られたし」という意味のことが、もう少し回りくどい言い回しでしたためられていた。
さすがにヨゼフも、王宮からの使者の前で「めんどくせえ」などとぶっちゃけすぎた発言をすることはなく、それなりに神妙な顔をして了承した。
使者たちは屋敷に一泊だけして、すぐに王都に戻って行った。
使者たちの去った日の夕食の席で、ヨゼフはぼやく。
「領地のない爵位なんて、犬のエサにもならないよなあ」
「領地がほしいの?」
「いや、いらん」
マリーが笑いながら茶々を入れると、ヨゼフは首を横に振った。爵位も領地も、別にほしくないらしい。そして、うんざりした顔で「めんどくせえ」とさらにぼやく。
普通なら誇りに思うような名誉な話なのに、本気でいやがっているヨゼフがおかしくて、マリーはクスクスと笑いがとまらない。
もっとも、ヨゼフが授爵をばかばかしいと考えるのも、わからないでもなかった。何しろ授爵のために王宮へ赴く費用、およびその場にふさわしい衣装代は、自腹を切る必要がある。さらに、王宮での社交に招かれる機会が増えれば、いずれ王都に屋敷を構える必要が出てくるだろう。収入が増えるわけでもないのに、そんな支出だけは強いられるのだ。
ぶすっと不機嫌顔のヨゼフに、ロベールがなだめるように声をかけた。
「まあでも、身分があって困ることもないだろうよ。仕事の上でも多少は役に立つんじゃないかな」
「そうなんですか?」
貴族とのつながりがあれば、商売の幅も広がるだろう、との説明に、ヨゼフは納得しつつもげんなりした顔を見せる。
「でも服とか、しきたりとか、何もわかんないしなあ」
「ごめんなさい、それはわたくしにもわからないわ」
もちろんシーニュのことであれば困らない程度にマリーにも知識があるが、オスタリアでは細かいところは違うだろう。
「マギーに聞いてみます」
「ああ、だったら自分でランベルトに聞くわ」
招待状によれば、叙爵式は三か月後だ。新しく服を仕立てるのなら、すぐに手配する必要があるだろう。
ヨゼフはその日、ふらりとひとりでハーゼ伯邸に出向いた。そして帰ってきたときには出かけたときの仏頂面から一転して、何やら機嫌よさそうだった。機嫌が好転した理由はわからないが、ヨゼフの機嫌がよければマリーもうれしい。
その翌日、屋敷に仕立屋が呼ばれた。
ヨゼフは迷いなく形や色を選んでいく。前日ランベルトに相談して、だいたいのところを決めてあったようだ。
そしてなぜか、マリーの服まで仕立てる話になっていた。
仕立屋のいる部屋までわざわざ自分で呼びに来たヨゼフに、マリーは不思議そうに尋ねた。
「どうして、わたくしの服まで作るの?」
「授爵したらさ、結婚しよう」
「え?」
「なあ、ちょうどいい機会だろ?」
新しく服を作る理由を尋ねたのに、なぜか明日の天気の話でもするような何げない口調でプロポーズされ、マリーは混乱して思わず足をとめて聞き返してしまった。だが聞き間違いではないようだ。
もちろん、マリーに否やはない。むしろ待ちくたびれたくらいだ。
何しろ、シーニュから数えればかれこれもう三年も一緒に暮らしているのに、ヨゼフの口からは艶めいた言葉を聞いたことがない。マリーからは好意を隠すことなく、いつでも言葉にしているのに。だから、もしかしてヨゼフにはそういうつもりがないのかもしれない、と内心ちょっと思っていた。
けれども意外なことに、待ちくたびれたのはお互いさまだったらしい。ヨゼフは少しだけ後ろめたそうな表情でこう言った。
「ずっと待ってたんだけど、もういいかなと思って」
どうやら彼は、ランベルトに叙爵式用の服の相談に行ったとき、背中を押されてきたようだ。求婚するなら、身分を得る今がちょうどよい時ではないか、と。この時を逃すといらぬ横やりが入りかねない、との忠告もされたらしい。
この若さにもかかわらず己の実力だけで爵位を得ようとしているヨゼフは、未婚女性から見たら結婚相手としてはこれ以上ないほど望ましい。うかうかしていると、身分の高い者から断りにくい縁談を半強制的に持ち込まれかねないと、ランベルトに警告されたのだ。
だから心に決めた人がいるなら、そうなる前に求婚すべきだ、と。
そしてランベルトが察しているとおり、ヨゼフにはとっくに心に決めた人がいた。
マリーだ。
彼がこれまでマリーに結婚について具体的な話をしたことがなかったのは、彼女がまだ学生の年齢だと思っていたからだった。死んだことにしてオスタリアに逃げては来たが、そうでなければまだシーニュの学院を卒業していなかっただろう。
だからヨゼフは、時期を待っていたのだ。
でもやっと、卒業したはずの年齢になった。
その上、身分を得るなら、胸を張って求婚できる。
そううれしそうに説明したヨゼフの笑顔につられるように、マリーも笑みを浮かべていた。




