祝いの宴 (1)
ルートヴィッヒとアデールの結婚祝いは、彼らが到着した三日後に開かれることになった。
午前中に神殿に届け出をして祝福を受け、午後に祝いの宴を催す。宴と言っても、身内ばかりのささやかなものだが。
アデールの荷物の中には、なんと彼女の婚礼衣装一式が含まれていた。
それを取り出したとき、アデールは母の心遣いに涙した。
旅行用のトランクに小さくまとめるために、ぎゅうぎゅうに押し込められていたのでしわくちゃだが、丁寧に油紙に包まれていて、どこも痛んではいない。
メイドたちが半日がかりでアイロンをかけ、きれいにしわを伸ばした。
結婚祝いの宴には、マリーたち一家のほかに飛び入り参加がいた。
ランベルトとマグダレーナだ。
マリーたちの屋敷は、ランベルトたちの暮らすハーゼ伯爵邸から歩いても数分程度の場所にある。実を言うと、代々のハーゼ伯が別邸としていたものを譲り受けたのだ。
このあたりの手配は、クライン子爵がハーゼ伯と相談しながらマリーたちのシーニュ出国前にすべて終えていた。
この屋敷は、数代前の当主が国王と親しくしていた頃に建てられたものだ。
当時の国王は、たびたび領都にあるハーゼ伯邸を訪れて滞在した。その際に大勢の使用人たちを引き連れてくるので、ハーゼ伯は本邸を国王に明け渡していた。そして国王の滞在中、自分と使用人は別邸で暮らした。その別邸が、マリーたちに譲られた屋敷だ。だから別邸とは言いながら、貴族が暮らすに十分なだけの広さと設備を備えている。
別邸を当主が使用していた当時とは異なり、今は仮に国王が訪れることがあるにしても、屋敷ごと明け渡す必要があるほどの大所帯でやって来ることはない。だから今では、最低限の手入れだけはしているものの、ただの空き家と成り果てていたのだ。
だから遠慮なく使ってくれ、とハーゼ伯はロベールに伝えた。
ランベルトとマグダレーナは、ランベルトが留学を終えて帰国してじきに結婚した。
半年ほど前には、第一子が生まれている。パトリックという名の男の子だ。
宴の席には、パトリックもやって来た。彼の寝かされたかごを下げて、ランベルトが連れてきてしまったのだ。
ランベルトとリヒャルトには、マリーたちがシーニュを脱出したとは知らせないことになっていたはずなのだが、これではどう頑張ってもランベルトにはバレバレだ。バレバレなのだが、お互いバレていない振りをしている。
「やあ、マリー。お招きありがとう」
「ランベルトさま、マギー、いらっしゃいませ」
ノアはランベルトの下げているかごをのぞき込んで、歓声を上げた。
「わあ、赤ちゃんだ!」
「うん、パトリックって言うんだ」
ランベルトはかごを床に置き、パトリックを抱き上げた。
パトリックの顔をのぞきに来たヨゼフに、ランベルトは得意顔で自慢する。
「ねえ、ヨゼフ。うちの子、すごいんだよ」
「何が?」
ランベルトはパトリックの脇の下に手を入れて両手で持ち上げ、ヨゼフのほうに向ける。パトリックはつぶらな瞳をヨゼフに向け、おとなしくじっと見つめた。
「『こんにちは、僕パトリックです』」
裏声でパトリックのセリフを言いながら、お辞儀の形になるよう上体を少し前に倒す。だがパトリックはじっとヨゼフを見つめたまま、器用にバランスをとって顔の位置を維持したままだ。
「ほら、見た? この子は誰にも頭を下げないんだ。大物になると思わない?」
「いや、赤ん坊なんてみんなそうだろ」
「えええ。そうかなあ」
ランベルトの親ばかぶりに、ヨゼフは呆れたように笑いながら常識を説く。
だがそんな言葉は、ランベルトの耳には右から左へ抜けてしまっているらしい。いろいろな人の前に連れて行っては、「『こんにちは』」と裏声で挨拶しながらパトリックの上体をピョコンとお辞儀の形に倒す。そしてパトリックがじっと相手の顔を見つめたまま頭を下げないのを見ては、「ほら!」とヨゼフのほうを振り返って得意顔をするのだ。
マリーは、その様子がおかしくてたまらない。
父親に身体を勝手に動かされても、パトリックは顔の向きを上手に固定したままじっと目の前の人物の顔を見つめ続ける。それに合わせてランベルトが裏声でつけるセリフが、妙にかみ合っていて笑えるのだ。見ていると、どんどんじわじわくる。
何度目かの「『こんにちは』」で、マリーはついに吹き出してしまった。
彼女の隣でマグダレーナは、呆れたような困ったような顔をしながらも一緒に笑っていた。だが、ランベルトがパトリックの「挨拶」をいつまでも続けているのを見て、そっと彼に近づき腕を軽く叩く。
「あなた、いい加減になさいませ。今日の主役はこの子じゃありませんのよ」
「う、うん。でも、挨拶は大事だろう?」
「もうご挨拶は十分にしたでしょう」
諦め悪く言い訳を試みるも、ばっさり妻に切って捨てられて、しおしおとランベルトは息子をかごに寝かせた。
「坊っちゃまは、こちらでお預かりいたしましょう」
乳母が笑いながら手を出し、パトリックの入ったかごを受け取る。
この乳母は、シーニュからロベールたちを追いかけてきた使用人のひとりだ。もう若くはない寡婦で、マリーが生まれたときからずっと住み込みで面倒を見てくれていた。十分な教養もあり、家庭教師代わりでもある。この歳になってシーニュで新たな働き先を探すよりは、とヨゼフの誘いに応じたのだ。
もともとオスタリア語はあまり話せなかったのだが、この二年間でだいぶ上達した。ただし、子どもたちと話すときには今もシーニュ語だ。おかげで子どもたちは、母国語を忘れずにいる。この乳母の存在がなければ、どれほど母国語を覚えていられたか、あやしいところだ。
乳母がかごを下げて別室へ向かうと、ノアの小さなお目付役たちもそれに付いて行く。だがノアは、客人たちとの話に夢中でそれに気づかない。お目付役たちは部屋の入り口で振り返り、静かにノアの名を呼んだ。
ノアはハッとした顔で辺りを見回す。そしてお目付役たちがすでに部屋の出口にいることに気づくと、あわてて客人に「またね」と挨拶してお目付役たちの後を追った。別室には、子どもたち用の祝いの席が用意してあるのだ。
ノアはもう乳母がつきっきりでなくてもひとりで食事ができるが、大人たちののんびりした食事に付き合えるほどの忍耐力はまだない。さっさと食べて、さっさと遊びに行きたいお年頃だ。
きっと食事の後は、パトリックをかまったり、中庭に出て走り回ったりするのだろう。
子どもたちが出ていくと、大人たちはそれぞれ食事の席につく。
いつもはマルセルがひとりで給仕しているが、この日は従僕が二人応援に入っている。この日のために、料理長が仕込みも含めると三日がかりで準備した、心づくしの料理が運び込まれた。




