音楽家の恋 (2)
マリーはさっそく両親にルートヴィッヒの結婚について報告した。
もちろん二人とも喜び、料理長を呼んで祝いの食事の相談をする。だが、さすがに当日いきなりというのは難しかった。料理長は、見るからに困り顔だ。
「今からですと、手持ちの食材で何とかするしかないので、できるものに限りがございますが」
「うん、それは仕方ないね。お祝いは後日にしよう。今日はできる範囲でよろしく頼むよ」
「かしこまりました」
できるものに限りがあると言っていた割には、その日の夕食は華やかだった。確かに食材はいつもどおりだったのかもしれないが、格段に彩り豊かだった。
どうやら「手持ちの食材」には、庭の片隅に作られている家庭菜園の収穫物も含まれているらしい。この菜園では、シーニュではよく使われるがオスタリアではあまり流通していない種類のハーブなどを手軽に使えるように、料理長と庭師が協力して栽培している。
夕食の席で、アデールはしげしげと料理を眺めて感想をもらした。
「オスタリアのお料理って、ずいぶん華やかなんですね」
「いや、この家の料理が特別なだけだよ。普通のオスタリア料理は、もうちょっとこう、おとなしいというか、素朴な感じかなあ」
アデールの感想を聞いて、ルートヴィッヒが勘違いを正してやる。
マリーはそれを微笑ましく見守っていたが、好奇心を抑えきれずに質問した。
「ところで、ルートヴィッヒさまはアデールさまとどこでお知り合いになったの?」
「いきなり核心をついてくるね」
苦笑しつつも、決して不快そうではない。
ルートヴィッヒはアデールを愛おしげに見つめてから、なれそめを語り始めた。
* * *
彼らが知り合ったのは、シーニュ王国の国立学院でだった。
きっかけは、王太子ルイが最上級生のときに、学校行事でヴァイオリンの演奏を披露すると決まったことだ。
ルイは子どもの頃からヴァイオリンを習っていたが、才能があり、単なる趣味の域をはるかに超えた腕前の持ち主だった。そのルイの腕前につり合う伴奏者として、音楽教諭が推挙したのが当時一年生のアデールだったのだ。
最初に引き合わされたときには、正直なところ、このおとなしそうな少女にルイは全く期待していなかった。ピアノがうまいと言っても、しょせんは貴族の娘の嗜みとして習っただけであり、何とか音符を追える程度に過ぎないだろう。
ところが実際に一緒に演奏してみれば、ルイのそんな考えは見事に吹き飛ばされた。
アデールの弾くピアノは、ただ単に楽譜どおりに音を追うものではなく、しっかり「音楽」になっていた。そしてルイのヴァイオリンに合わせて、打てば響くように呼応する。こんなふうに気持ちよく一緒に演奏できる相手は、ルイには初めてだった。
アデールのピアノの音は、彼女のおっとりした控えめな見た目に反して、あるときは大胆に力強く、あるときは優しく繊細に、あるときは伸びやかで妖艶に、またあるときは洒脱で軽快にと、豊かに表情を変える。
ルイは、すっかり夢中になった。
実を言えばアデールのほうは、この才能豊かな美貌の王太子のお相手に選ばれて、これ以上ないほど緊張していた。そんな大役を新入生の自分に務めきれるなんて自信は、さっぱりなかった。だが彼女にとってその緊張は、ピアノの演奏となると話が別だ。
ルイとの演奏は、とても気持ちよく楽しかった。
しかもこの王子さまは、どこをどのように演奏しようかと気さくに相談してくる。そしてアデールの意見を真剣に聞き、すぐさま取り入れて試してくれる。
緊張は次第にほぐれて、彼女は自然体でルイに話しかけることができるようになった。
いつしか二人とも、練習の時間を心待ちにするようになっていた。
どちらも、互いに惹かれ合っている自覚があった。けれども、自分の気持ちを言葉にすることもなかった。当時すでにルイには、政略的に決められた婚約者がいたからだ。歳が十歳近く離れていて相手がまだ幼かろうが、婚約者は婚約者だ。それにたとえ婚約者がいなかったとしてもアデールは男爵家の娘であり、王太子の伴侶となるにはまったく家格がつり合わなかった。
そうとわかっていても、ルイはせめて卒業まではアデールとの演奏を楽しみたかった。というか、それを口実にしてでも彼女との接点を持ちたかったのだ。
だから彼は学校行事での演奏が終わったあと、「卒業夜会でも演奏する」と学校側と話をつけてしまった。おかげで卒業までの間、二人は定期的に音楽練習室で落ち合って練習することができた。
もちろん一緒にいても、することといったら演奏の練習と、音楽について語り合うことだけだ。
それでも、共にいる時間はしあわせだった。
どちらにとっても忘れがたい、楽しい時間だった。
それは、とても淡い恋だった。
卒業夜会での最後の演奏とともに、終わったはずの恋だった。
もし何ごとも起きなければ、ルイは決められた婚約者と結婚し、学生時代のほのかな恋心は記憶の奥底に封印して、妻を大事にしたことだろう。
しかし、事は起きてしまった。
「未来を視る者」が現れてしまったのだ。
それでも最初は、自分の立場から逃げようとまでは考えていなかった。
リヒャルトからヨゼフ経由で「狩猟大会での落馬が原因で死ぬことになる」との予言を聞かされたとき、ルイはただその未来を何とか回避しようとだけ思っていた。
だが、ヨゼフの言葉に少し心が揺らいだ。
「死んだことにして、逃げちゃってもいいんじゃないの」
揺らぎはしたが、まだ踏みとどまった。王太子としての責務を忘れてはいけない。そう思っていたからだ。自分自身をいさめて、誘惑を絶とうとした。
けれども、次第に無力感にさいなまれるようになる。
弟シャルルは、いくら諭しても婚約者のアンヌマリーを軽んじて、ニナに傾倒している。父王は「未来を視る者」の存在を示唆してみても、「くだらない迷信だ」と鼻で笑って取り合おうとしない。国の頂点に立つ父の協力なしには、何かを成そうにもルイひとりの力では限界があった。
ルイの心がポッキリと折れてしまったのは、狩猟大会前日のことだった。




