音楽家の恋 (1)
ルートヴィッヒがノイマン家を訪れたのは、それから三週間後のことだった。
傍らには、おとなしそうな女性を伴っている。顔立ちは平凡だが、穏やかで人の好さそうな雰囲気の、おっとりした人物だ。
「ルイにいさん、いらっしゃい!」
六歳になったノアが、さっそくルートヴィッヒにまとわりついた。ノアはこの客人が大好きなのだ。ノアの小さなお目付役たちは、一歩引いたところで行儀よく控えている。
「おお、大きくなったね。重くなった」
「うん!」
ノアがもの問いたげにルートヴィッヒの隣にいる女性に顔を向けると、ルートヴィッヒは満面の笑顔で彼女を紹介した。
「彼女はアデール。私のお嫁さんだよ」
アデールは「お嫁さん」という紹介に、驚いた顔をしてルートヴィッヒを見上げた後、頬を紅潮させた。彼女が横目で彼をにらんでも、ルートヴィッヒは涼しい顔でにこにこしている。彼女は火照る頬に手を当てながら、ノアに挨拶した。
「はじめまして、ノアくん」
「はじめまして!」
客人二人の声なきやり取りなど少しも気にとめることなく、ノアは元気に挨拶を返す。
だがもちろん、マリーは二人の間柄に興味津々だ。意味ありげににっこり微笑んで、祝福の言葉を口にした。
「あら、いつの間に。ご結婚おめでとうございます」
「いいえ、結婚はまだ……」
「あらら?」
アデールは困ったように口ごもる。「お嫁さん」なのに、結婚はまだらしい。
マリーが首をかしげてルートヴィッヒをじっと見つめると、彼は悪びれることなく言い訳をしながらアデールの肩を抱き寄せた。
「神殿への届けはまだだけど、お嫁さんです。ちょっと届け出をしてこようか」
「え」
どこか浮かれた顔をして、ルートヴィッヒはアデールの肩を抱いたまま本当に神殿へ向かってしまいそうだ。顔を赤くしたまま困惑した様子のアデールが気の毒になって、マリーはルートヴィッヒを引き留めた。
「アデールさまはお困りのようですよ? そういうのは、ちゃんとご本人の了解を得てからでないと」
「もちろん了解は得てるよ。だって、一緒に来てくれたもの」
いさめてはみたものの、ルートヴィッヒの心に響いた様子が全くない。
「本当にアデールさまは了解してらっしゃるの? まさか実はさらってきたなんてことはないんでしょうね?」
矢継ぎ早に質問するマリーに対し、ここでルートヴィッヒが視線をそらしてやましそうな表情を見せる。
マリーは呆れた。
「ちょっと! 本当にさらってらっしゃったの?」
「違います! 同意してます。さらわれてません」
マリーの非難を、アデールがあわてて否定した。なおもマリーが疑わしげな視線を向けると、焦ったようにアデールは言い募った。
「本当です。私はちゃんと同意してます」
「つまり、アデールさまは同意してらっしゃるけど、同意してないかたがどこかにいらっしゃる、ということですね?」
アデールが「私は」と限定した意味を推測してみたところ、アデールまでがやましそうな顔で黙ってしまった。
黙ってじっと二人を見つめていると、やがてルートヴィッヒが「お父上がね……」と小さな声で白状するので、マリーは吹き出した。
「なーんだ、だったら最初から駆け落ちだとおっしゃればいいのに」
「ねえさま、カケオチってなあに?」
「結婚に反対されて、二人だけで逃げちゃうことよ」
「ふうん。どうして反対するの?」
「さあ。どうしてでしょうねえ」
まあ、だいたい理由は想像がつく。おおかた「どこの馬の骨とも知れない、浮き草稼業の音楽家なんぞに娘はやれない」とでも言われたのだろう。が、まだ幼いノアに聞かせたいような話ではないので、にごしておいた。
王太子の身分のままなら、反対されることもなかったのだろうか。
気を取り直して、マリーは両手を打ち鳴らした。
「そういうことなら、お祝いをしなくてはなりませんね」
「いや、そういうつもりで言ったわけでは──」
「何をおっしゃるの。ルートヴィッヒさまはうちの家族も同然でしょう? アデールさまのご家族に祝福していただけなかったならなおのこと、うちでは盛大にお祝いしないと」
遠慮しようとするルートヴィッヒがおかしくて、マリーはくすくす笑った。たびたびふらりとやって来ては実家感覚で何日でも居座っていくくせに、今さら何を言っているのだろう。
それに、自分を死んだことにして祖国と決別してしまった彼には、もう結婚を報告できる家族もいないのだ。彼女を紹介しにマリーたちの家を訪れたのは、家族の代わりだったのではないかという気が、何となくした。だったら同じ予言の被害者仲間のよしみでマリーたちがお祝いしたって、何もおかしくないはずだ。
「ところで、神殿への届けはどうなさるの? 今すぐ行ってらっしゃいますか? それとも後になさる?」
「どうしようか」
マリーが結婚の手続きについて尋ねると、ルートヴィッヒはアデールに問いかけ、そのまま二人して黙ってしまった。
その様子を見て、マリーは肩をすくめた。実を言えば、それはどちらでもよい。
「それはまあ、どちらでもよいのですけど。お部屋の準備をどうしようかと思って」
「うん? どういうこと?」
「つまり、ご夫婦なら一緒のお部屋をご用意しますし、そうでないなら別々のお部屋をご用意しないといけませんからね」
ルートヴィッヒとアデールは顔を見合わせて、互いにうなずき合った。
そしてマリーに向き直ると、二人同時に口を開いた。
「一緒で」
「別々で」
二人の口から、それぞれ正反対の言葉が出てきたのを聞いて、マリーは吹き出した。息が合っていると見せかけて、全然かみ合ってない。ルートヴィッヒとアデールは、気まずそうな表情で再び顔を見合わせる。ちなみに「一緒で」と答えたのがルートヴィッヒ、「別々で」がアデールだ。
「わかりました。別々のお部屋をご用意しますね」
ほっとしたように肩の力を抜いたアデールに、マリーは安心させるように微笑みかけ、ルートヴィッヒのものすごくもの言いたげな視線を黙殺した。




