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死の予言のかわし方  作者: 海野宵人
後日談(オスタリア王国編)

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新しい名前

ここからは、オスタリアに移住後のお話です。

 アンヌマリーたちがオスタリアに亡命してから、早くも二年が過ぎようとしている。

 彼女は現在、マリー・ノイマンと名乗っていた。


 オスタリアでの新しい家は、貴族の家として十分に通用する広さを持つ屋敷だった。しかも使用人には、見知った顔がちらほらいる。マリーたちの亡命にあたり、ヨゼフが上級使用人の中から希望者を募って、船で連れて来ていたのだ。

 平民として庶民的に暮らすことになるだろうとばかり思っていたので、新たな住まいに案内されて、その環境がシーニュでの生活とあまり変わらないことにびっくりした。

 何よりうれしかったのは、シーニュでも名うての料理人と言われた料理長の料理がまた食べられることだった。


 マリーは居間の片付けをしながら、テーブルの上に無造作に置かれた封筒を手に取った。


 宛先は、ヨゼフ・ノイマン。

 差出人は、ルートヴィッヒ・ウェーバーだった。この頃、名の売れつつある作曲家だ。手紙の中身は、読まなくてもだいたい想像がつく。きっとまた「しばらく泊めて」と居候にやってくるのだろう。


 封筒の宛名を見ていると、ふとヨゼフの名前が「ヨゼフ・シュバルツ」から「ヨゼフ・ノイマン」に変わった日のことが懐かしく思い出された。



 * * *



 オスタリアへ亡命する船の上で、夕食までの時間をヨゼフの船室に集まってのんびり過ごしていたときに、思いついたようにロベールがヨゼフに質問した。


「きみの名前は誰がつけたのかな?」

「名前は、俺を孤児院に預けた女の人から聞いたらしいです。名字は、孤児院で適当につけたものですね」

「孤児院に預けた女性がいたのか。じゃあ、どこかに実の親がいるのかな」

「いや、その人が親かどうかもわからないし、そもそももう生きてません」

「そうなのか」


 赤ん坊だったヨゼフを孤児院に預けたのは、衰弱した若い女性だった。

 彼女は孤児院の院長にヨゼフの名前を伝え、涙ながらに「よろしくお願いします」と繰り返しながら赤子を渡した。院長はこの女性自身も保護が必要と判断し、神殿に身柄を預けるための手続きを始めたのだが、残念ながらその手続きが終わるのを待つことなく、彼女は亡くなってしまったのだった。


 孤児院に預けられる子どもは、もともと親がいて名字がわかっていればその名字を使うし、名前が不明なら孤児院でつける。


「俺は、髪が黒っぽいからシュバルツと付けられました。もっと茶色ならブラウンだっただろうし、色がもう少し薄ければグレイとかアッシュだったんじゃないですかね」

「なるほど、わかりやすいな」


 確かにこれではヨゼフが「適当につけた」と言うのも無理はない。

 ロベールは、あごに手を当てて思案顔になった。


「うちの名前はどうしようかねえ。もうヨゼフに合わせてみんなシュバルツでいいか」

「それじゃ養子にしたというより、わたくしたちが押しかけの居候みたいじゃない?」


 易きに流れようとするロベールに、オリアンヌが茶々を入れる。


「まあ、実際それに近いものがあるがね。オスタリアの平民には、どんな名字が多いのかな」

「職業名そのままが多いですよ」

「ほう。たとえば?」

「粉屋のミュラーとか、鍛冶屋のシュミットとか、機織りのウェーバーとか」

「へえ」


 ヨゼフの説明を聞いて、ルイが「ウェーバーか……」とつぶやいた。

 ルイが気になっているのは何だろうかとアンヌマリーが首をかしげて見ていると、ルイと目が合ってしまった。ルイはなぜかうれしそうに微笑んで、ゆっくりうなずいた。


「私はウェーバーにしようかな」

「何をですか?」

「名字だよ」

「機織りが気に入っちゃいました?」


 ルイは「うん」と笑いながらうなずいてから、理由を説明した。


「もう王子じゃなくなったから、この先はできれば音楽で身を立てていきたいと思ってるんだ。糸をつむいで布を織るように、音をつむいで曲を作るような仕事ができたらいいなあ、と思ってね」

「まあ、すてき。じゃあ、これからはルイ・ウェーバーさまですか」

「名字がオスタリア風だから、名前もそうしないと。ルイをオスタリア風に呼ぶならアロイスかルートヴィッヒだけど──。んー、ルートヴィッヒにしようかな。頭文字が変わらないほうが馴染みやすそうだ」


 こうしてあっさりルイの新しい名前はルートヴィッヒ・ウェーバーに決まった。

 一方、ロベールはまだ悩んでいる。


「粉屋も鍛冶屋も、やる気ないんだよなあ」

「んじゃ、大臣だったから、宮中文官のホフマンは?」

「うーん。せっかく平民になるなら、もう宮仕えは忘れて、こう、新たな気持ちでやっていきたいな」


 ヨゼフが出す案も、今ひとつ気に入らないようだ。

 頭を悩ませ続けるロベールに、ヨゼフは苦笑した。


「まあ、よくある名字が職業名ってだけだから、別にそれにこだわる必要はないんじゃないんですか。食べ物でも動物でも、何でも好きなものを選べばいいと思いますよ」


 ヨゼフの言葉に、アンヌマリーはびっくりした。


「え、そんなに自由なの?」

「うん。平民の名字なんて、そんなもんだよ。よそから来た新入りだからノイマンとかね。もう、ほんと適当」

「お。それにしよう」


 アンヌマリーとヨゼフが話していると、突然ロベールが反応した。


「新入りでノイマン。これから新しくオスタリアでの生活を始める我々にふさわしいじゃないか」


 何やらお気に召したようである。

 そんなわけで、アンヌマリーたちの新しい家名はノイマンに決まったのだった。


「じゃあ、わたくしの名前はマリーにするわ。いつも呼ばれてるとおりなら、うっかり間違うこともないでしょうし」

「なら、わたくしはオリーにしましょう」


 アンヌマリーとオリアンヌも、さっさと新しい名前を決めてしまう。愛称をそのまま使えば、平民風に短くなってちょうどよかった。


「では私も、オスタリア風にロベルトにしよう」

「あら。別にシーニュからの移民なんだから、ロベールのままでよいではありませんか」

「え。それじゃ、オスタリア風の家名にした意味が……」


 流れに乗ってロベールもオスタリア風の名前に変えようとしたが、すげなく妻に却下されてしまった。

 結局、ロベールは対外的には「ロベルト」と名乗っているものの、身内では誰もオスタリア風に呼ぶことなく、今でも「ロベール」のままだ。



 * * *



 マリーが思い出に浸りながら封筒を眺めていると、ヨゼフが「散らかしっぱなしでごめん」と謝りながら部屋に入ってきた。

 手渡そうとしたルートヴィッヒ・ウェーバーからの手紙は、受け取らずに戻された。


「ああ、元王子さまからの手紙か。読んでいいよ。またしばらく泊めてくれってさ」


 マリーの予想どおりの内容だ。

 手紙を読んでみれば、今回は女性連れらしい。泊めてほしい、だけでなく、シーニュから船に乗せてほしいとヨゼフに頼んでくるあたり、ちゃっかりしている。しかしヨゼフが迷惑がることはないし、マリーたち一家はこの元王子さまの訪れを楽しみにしている。

 ノアもきっと大喜びするだろう。


 読み終わった手紙を丁寧に封筒に戻し、賑やかな訪問の予感に、マリーは口もとに笑みを浮かべた。

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